第16話 あーん
俺とお姉ちゃんは二足も三足も遅れてお父さんの部屋へと着いた。
あれ、コリーンさんやマシロさんがいる。げ、マユリも連れてきたのか。
「遅かったな、フローラル、ローズマリー、どうかしたのか」
「いえ、ただ俺が転んだだけです、ほ、他には何も」
花瓶倒して薔薇をぶちまけてきた、とか言ったら俺と一緒にお姉ちゃんも怒られるかも知れないからそれは避けたい、うん黙っていよう。
「まあ、転んでしまったのですか、ローズマリー、体に怪我はないのですか、大丈夫ですか」
王妃様が駆け寄って来て、俺の前で膝を突いて、体のあっちこっちを撫でさする。あの…なるべく駆けたりしない方が…。
「大丈夫です、王妃様。どこにも怪我はしていません」
そう言った途端、王妃様の動きがぴたりと止まる。
と、王妃様の手が、そっと俺の肩に置かれ、王妃様が急接近、お顔が近いです。なんだ?……あだだだっ、痛い痛い、肩に爪が食い込んでます、王妃様。
「ローズマリー、あなたは何故私だけを除け物にしているのでしょう、私はあなたの母なのですよ。いいえ、決してローズマリーを責めているのではないのですよ、そこは間違えてはいけません。ですが、フランキンセンスをお父さん、フローラルをお姉ちゃんと呼び、何故私だけは王妃様なのでしょう、私はそこの所が知りたいのです。ああ、決してあなたを怒っている訳ではないのですよ、そこの所は判ってくれますね、ローズマリー。そうです、そうです、ローズマリーは聡い子なのですから、判ってくれるものと母は信じているのです」
ああ鬱陶しい、思ったら悪いと判っていても、鬱陶しい。
きちんと責めてますよね、怒ってますよね、間違いないですよね、中身は俺なんだから、聡くはないと思いますよね。
でも王妃様はこんな人だったのか、二言三言言葉を交わしただけじゃ、判る訳もないか。
しかし、王妃様にまで話が通っている様だ、まさかローズマリーを知っている人物には、今日一日で起きた事が全部知られていたりはしないだろうな。
兎に角宥めないと。お母さんかお母様か母上か、それとも他の何かか。聞いてみるか。
「では、どの様にお呼びすれば良いのでしょうか」
「私は以前の様にローズマリーに呼んで欲しいのです、ですが、それは母の我が儘と云うものです。ですからローズマリーが呼びたい様に呼ぶのが一番だと母は思うのですが、ローズマリーはどの様に思うのでしょう。勿論、ローズマリーが決めた呼び方に異をを唱えるつもりは無いのですよ、ですが母の気持ちも汲んでもらえるのであれば、やはり母としてはとても嬉しいのです。ローズマリーはとても聡い子です、きっと母の意をを汲んでもらえるものと信じているのです」
そう言った王妃様は俺の肩に食い込んでいた手を放し、身を引いて、僅かに小首を傾げ微笑む。うーむ、やっぱり美人だ。いや、それどころではないっ。
うおおっ、何が言いたいのかさっぱり判らん!俺に何を求めているんだ。以前の様にって何て呼んでいたんだ。
そういえば昼間にお父さん、お姉ちゃんと擦った揉んだした時に、お父様、お姉様で試しに話してみたらローズマリーみたいだったと言ってたじゃないか。
「お母様でよろ――」
言い終わる前どころか、お母様の時点で、両手が伸びてくる。だめだ、失敗だ。
そうだ、除け物がどうのと言ってたな。だったら、お父さん達と同じならどうだ。
「おおお、お母さんでどでしょかっ!」
「はい、それに致しましょうね、ローズマリーはとても聡いよい子なのです、母は大変嬉しいのです」
伸びてきた手が元へと戻って行く、俺は大変嬉しくない。だったら最初から、同じがいいと一言言ってくれればいいのに。などと思っていたら、
いきなりお母さんが急接近、俺は抱きしめられていた。お姉ちゃんだったらもう慣れたし、気にもしなくなってきている。が、お母さんは違う。
「お母さん、お姉ちゃんの様な事はやめて下さい、あと……苦しいのですが」
そう、苦しいのだ。とても、息が苦しいのだ。あんなもん…失礼、に顔を挟まれてみろ、苦しいに決まってるだろう。
「ご免なさいローズマリー、強く抱きすぎてしまいましたね」
そう言ったお母さんは、抱きしめていた俺から手を離した。
いや、強くはなかったんだよ、息苦しかっただけなんだ。
「いえそうでは………どうかしましたか、お母さん」
「不思議なのです、以前にも母はあなたと同じ様な会話をした事があるのですよ、覚えていませんか」
お母さんは僅かに緊張した様な顔をして、俺に問い掛ける。
うーん、そんな事言われても、そんな記憶は思い浮かばないな。
「いえ、覚えはないようです。済みません、お母さん」
「いいのですよ、覚えていなくても、また新たに覚えましょうね」
安堵した様な顔をしてそう言ったお母さんは、また俺を抱きしめた。今度はさらに優しく抱きしめられた。でも、やっぱり息苦しい事には変わりはないよ。
でも、そのまま黙って抱きしめられる事にする。苦しいと言えば、また強かったかと勘違いしそうだから。
暫く我慢していると、ふと頭の隅になにかが引っかかった。
「あの、お母さん。げんなりして、苦しくなって、ちょっと憤慨したような事があったような気がしました。あと笑われたような」
俺がそう言うと、お母さんは抱きしめていた手を離し、俺の両肩に手を掛けた。また肩を掴まれるのか?
「いいですね、ローズマリー。それ以上思い出してはいけません、いいですね、解りましたか、くれぐれも思い出してはいけないのですよ」
やっぱり肩が掴まれる、痛い。再び緊張したお母さんの顔、鬼気迫るって感じだ。
下手に喋ると、その先が面倒になりそうだから、お母さんには逆らわず、こくこくと頷きを繰り返す。
もう、何なんだ。覚えてないかと言ったり、思い出してはいけないと言ったり。
しかし、埋もれていた記憶があったんだ、最初は本の頁の様な感じで記憶があったが、今はちょっと違う感じになってきていると思う、なじんできてしまったのだろうか。
記憶は他にもあるのかもしれない、何かきっかけがあればなにか思い出せるかも知れないな。
「もういいだろうジェニパー、続きは今度にしなさい」
おお、お父さんの助けだ、ありがたい。でもなんで顔を背けているんだ。
「もうなのですか、もう少しお話ししていたかったのですが、ではローズマリー、また後でお話ししましょうね」
ほっ、解放してもらえた。有難うお父さん。
お母さんはお父さんの隣に戻り、俺はお姉ちゃんの隣に座らされた、もうデフォルトだね。ソファはふっかふか、やっぱりここでも足は地に届かない、うーむ不便だ。
コリーンさん達が席に着いたそれぞれの前にあるテーブルにお茶を並べて行く。俺の前にだけは、お茶とクレープの様な物が乗っているお皿が置かれた。色々と綺麗にトッピングされている。
「食べなさい、ローズマリーは甘い物が好きだった。甘い物は嫌いかね?」
「いままで、あまり甘い物は食べなかったんですけど、お昼には美味しかったので、いただきます」
本当は甘い物は苦手だったんだけどね、でもお昼の時甘い香りを嗅いだだけで食べたくなって、食べてもみたら美味しかった。体が違う所為なんだろう、今も甘い香りが鼻孔をくすぐっている。
また大きな前掛けをしてもらって、一口食べる。とっても甘あい、ほっぺが落ちそうだとはこのことなのか、昼より美味いじゃないか。俺は次から次へと食べて行く。
ん、何だ、なに皆してほくほくした顔をしてるんだ。
「ね、美味しい?よかったらお姉ちゃんにもちょっと頂戴」
「うん、いいよ、あーん」
「あーん」
「美味しい?」
「とっても美味しいわ、ローズマリー大好きよ」
俺はお姉ちゃんに一口食べさせてあげて、お姉ちゃんはにっこりと微笑んだ、うん女の子は笑顔が一番だ、俺も嬉しくなってくる。
「よかった」
「ねえ、ローズマリーはお姉ちゃんの事大好きって言ってくれないの」
「言わなきゃだめなの?」
「うん、言って欲しいの」
「わかった、大好きだよお姉ちゃん」
こんな事言うのは恥ずかしいね。
「あー、ごほん、フローラル、ローズマリー、おまえ達は姉妹である事を忘れてはいかんぞ、その様な事は余りやらぬように、その、なんだ、二人とももっとこう慎みをもってだな、ええい、兎に角控えなさい」
お父さんは苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「ねえ、ローズマリー、お父様ちょっと変じゃない、姉妹なのは当り前なのにね」
「そうだねどうしたんだろうね」
うーん、俺達は何かおかしなことでもしたのだろうか。
「判ったら、二人とも返事をしなさい」
「「はーい」」
「よろしい、さてローズマリー、先程のゼラニウムの戯れ言は忘れて欲しい。そして君自身がこれからどう生きて行きたいかを聞かせて欲しい」
え、いきなり本題ですか。それも俺自信がどう生きたいかですか。
俺は居住まいを正して答える。
「それは出来る事ならば、今まで生きてきた生き方をしたい。けれど、ここは違う場所、今は一人で生きて行ける様な状態ではなく、出来れば置いていただければと思います」
情けない話だがこれが今の自分だ、世の中を知らなければ生きて行く事は出来ない。ましてや腕力の無い今の自分では。
「では、ローズマリーとして生きて行けるかね、あの部屋で、ほとんど外に出る事も適わずにだ」
「それは、ちょっと……」
いろいろこの世界も見たいし、修練だってしたい、それに強い奴とは会ってみたい。俺は弱くなったけど、見るだけでも見てみたい。
「そうだろうな、では、アロマ・フレグランスと言う名でローズマリーに戻れる日まで生きて行く事はどうだね」
結局そうなるのは明らかなのに態々手順を踏んだのはお姉ちゃんの為かな、伯爵に取られるのを嫌がっていたし。
正直ローズマリーに戻れる云々は俺に取ってはどうでもいい事なんだけど、お姉ちゃんにはちゃんと納得して欲しい。
「ねえお姉ちゃん、ローズマリーに戻れるまで我慢する事が出来る?」
「それしかないの?」
「うーん多分、勿論こまめに会いに来るから、ね」
「本当ね」
「うん、ちゃんと来るからさ」
「絶対よ、絶対なんだからね」
「うん、絶対、絶対」
「約束して、お姉ちゃんの前からもう居なくなったりしないって」
「分かった。約束する、だから我慢してくれるよね」
「うん」
お姉ちゃんは肩を落とし幾分影のある表情ではあるが頷いてくれた、ううっ罪悪感が。お姉ちゃんを笑顔にしなきゃ、笑顔に、ええと。
「あ、ほら、今日は一緒に寝ようってさっき言ってたよね、俺もお姉ちゃんと一緒に寝たいな、ね、一緒に寝よう、一緒に、ね」
「いいの?、明日も、明後日もよ、本当に一緒に寝てくれる?」
あうっ、お姉ちゃんが勝手に日にちを増やしている。
「お父さん、いいですか?」
俺はお姉ちゃんの要望に答えられるかどうか目線を向け問いかける。
「む、うむ、そうだな、ゼラニウム、どうだ」
お父さんはまた苦虫を噛み潰していた。
「そうですね、ローズマリー姫をお預かりするまでにはひと月ほどの時間は必要でしょうかね、それまではフローラル姫と一緒なのが良いでしょう」
随分と時間が掛かるような気がする。もしかしてわざと時間を作ってくれたのだろうか。
「本当!じゃあ今夜から一緒に寝ましょうね、うふっ、一緒に寝るのは初めてね、楽しみだわ」
そうか魔力中りのせいで、一緒に寝る事は出来なかったんだね。まあ、お姉ちゃんが笑顔になったんだ、これでよし。お姉ちゃんが優先、いや家族が優先だな。俺はまだ来訪者だから。
「ふむ、では当面ローズマリーはフローラルの部屋で暮らす事でよいな、済まなかったなゼラニウム、態々足を運んでもらったが、とりあえずは落ち着く所に落ち着いた」
「あの、お父さん、伯爵とお父さんは一体……」
「ん、ああ、ゼラニウムは私が国王になる前から色々と世話になってる男でな、人をからかうのが好きで、城内や王宮、城下等をふらふらしている軽い男だ、企みは在っても悪意はない、信用はしても良いので安心して欲しい」
貴族ってそんなにふらふらするものなのか、それにそのプロフィールで安心しろと言われてもねえ。
「随分な言われようですが、陛下に紹介してもらった所で、ローズマリー姫に自己紹介を、私はゼラニウム・グローリア・フレグランス、妻のメリッサ・ローランド・フレグランスです。今後はアロマの義理の父と母と云う事になりますね」
「あ、はい、宜しくお願いします」
俺はソファから降りて、んしょっと前掛けを外し、きちんとしたお辞儀をした。
「メリッサは私の妹よ、だから私は義理の叔母になっちゃうわね」
横からミランダさんの声。あ、ローランドって入ってる。そうだ、この体を生かす為にラドックさんは死んだんだ。そして俺も生きていられるんだ。
「あの、俺……」
俺はメリッサ夫人に声を掛けようとしたけれど、声が出なかった。
「気になさらないで下さい。これは父が望んでした事。私は父を誇りに思います。その様な沈んだ顔をしないで、これからを生きて行く事に力を注いで下さい、いいですねアロマ」
「そうそう、これからは、私達が両親ですからね、お父さん。お母さんと呼んで欲しいものです、そして陛下はお父さんではなく陛下と呼ばなくてはいけませんね」
そう言った伯爵はどうだとばかりにお父さんを見遣る。お父さんはと云うと顔が赤くなっている。お、握り拳が震えている。お母さんはなんかオロオロしてる。
伯爵夫妻は、本当にお父さん達と仲が良いのだろうか。
「あ、あ、伯爵、メリッサ夫人。その呼び名はそちらのお屋敷にご厄介になった時と云う事で宜しくお願いします」
結局、俺が頭を下げる事で話は収まった。これで両親が3組目だよ。なんと言っていいのやら。
因みにお姉ちゃんはと云えば。
「アロマちゃんであっても、私はお姉ちゃんと呼んでもらえるはずよね、『ア・ロ・マちゃん』『な・あ・に、お・ね・えちゃん』、いやーん、これならいいわ」
お姉ちゃん、何やってるの。
ちょうどいいサブタイトルが思い浮かばなくて「あーん」になりました。
「ああ、鬱陶しい」の方がよかったでしょうか。