第10話 大浴場にて
「かぽーん」なんて風情あふれる音がする檜の風呂などではなく、眼前に広がるのは真っ白な石造りの滅茶苦茶に広い円形の風呂だった。
風呂の中心には石台があり、石台の上には同じ白い石で出来た翼と一本角をもった雄ライオンらしき四足獣が行儀良くお座りしていた。
ライオンの口は大きく開かれ、その口からはどばーっと大量の湯が流れ落ちている。一瞬、俺には目の前に肉を置かれ『待て』をされて、涎を垂れ流しているライオンに見えた。まあ、小市民的にはこのお湯がどばどばってのはちょっと勿体なくないかなんて思ってしまう。
「うわあっ、すっげえ広いや、真っ白だし、眩しいくらいだ」
拙い、子供の様な声を出してしまった。まあ、確かに圧倒されるほどに広い。この人数で使うには広すぎる。俺んちも道場やってて弟子の人達も使うから、でかい檜の湯船のある大浴場が有るけど、ここのは桁が違う。
「ローズマリーったら無邪気にはしゃいじゃって、もうっ可愛いんだから」
「姫様、ローズマリー姫様は幼女なれば致し方のない事かと」
この変態痴女め、一々幼女を口にするな。風呂ってのは、でかけりゃでかいほど開放感を伴うものなんだよ。
「マユリ、可愛いのは致し方ない事じゃなくて当然の事なのよ、分かった?」
またピントが暈けてるよ、論点は可愛いじゃなくて、はしゃいだ部分だって。
「姫様此方へ~まずは汗を流しましょうね~」
コリーンさん達が柄の付いた手桶を持って、お風呂近くに膝立ちになって俺を呼んでいる。近くに行くと俺も膝立ちにさせられ、手桶に汲んだ湯を俺の肩から掛けてくれる。
「いいですよコリーンさん、それぐらい自分でやりますから」
「駄目ですよ動かれては~折角ちゃんと頭に巻けたタオルが解けていまいますから~直ぐに頭を振ってしまって何度巻き直した事か~」
脱衣所からこの大浴場の間には下に木製の簀の子が敷いてある小さい部屋があって、風呂上がりにはここで水気を拭う所だと聞かされた。
そこで俺は髪を纏められて、その上にタオルを巻き付けられたのだが、タオルが鬱陶しくてつい頭を振ってしまい、その度にタオルが解け髪が散って再び巻き直すと云う行程が繰り返され、最後には頭を振るな真っ直ぐにしろと言われてしまった。
そして今のコリーンさんの台詞となった訳である。
コリーンさん達は体に掛けるお湯の流れに合わせて空いている方の手を俺の体に這わせて汗を流してくれている。
意識していない場所に急に手が這わされるのって、これが妙に変な感じなんだよ。
背中は良いんだ、家で弟子の人達とよく背中の流しっことかしてたから、でも胸とかお腹とか腋とかお尻とかってのは触られるとびくっと来るんだよ。
「は~い良いですよ~お湯の中へどうぞ~本当はもう1ヶ所流してからなのですが姫様にはありませんし、一応は流しましたしね~それにまだお嫌でしょうから良としましょう~」
もう1ヶ所って何処だ?お尻の穴も流してから入らなきゃいけないのか?家では頭からお湯を被って、体の彼方此方を軽く流して入るだけだったからなあ、此方の風呂ってもっと神経質なのか?
他にも気になる所は有るけど、お風呂に入っちゃおう。風呂の縁を跨いでお湯の中へ、おおお~湯が体に染みてくる。ぷはーいい湯だ。
ただお湯の中は意外と深かった。膝立ちにならないと沈んでしまう。
「姫様、お湯加減は如何ですか~」
背後からコリーンさんの声が掛かる。
「いつもはもうちょっと熱いけど、いい湯加減ですよ、ただ意外と深いんですね、お尻を下ろすと沈んじゃいますね」
「あら~少々お待ち下さい~今参りますので~」
コリーンさん達がお湯をざばざば流す音がすると、お湯の中に入ってくる音がする。そうしたら後ろから腋の下に両手が差し込まれて一旦お湯の中から引き上げられ、再び沈むとお湯の中でコリーンさんに抱っこされていた。あのコリーンさん背中当たってます。
お湯の中をざぶざぶとお姉ちゃんもやってきた。
「あらローズマリーは抱っこされてるの?ああ座れないのね」
そう言ってコリーンさんに抱っこされた俺の横に座った。よく見たら正座していた。お姉ちゃんだって背が足りないじゃん。
「あ~いい気持ちだ、生き返る様な気分だ。ああ、実際に生き返ったん………ごめん不謹慎だったね」
湯に浸かりリラックスした時に出る常套句だったんだが、それに引っ張られて余計なことを口走ってしまった。申し訳ない。
「不謹慎な事は無いわよ、えーと一輝さんよね、一輝さんが実際に生き返ったのは事実だもの、それに私は受け入れたの、ちゃんと目の前にローズマリーはいるからいいの。何時までも気に病んでいてもいいことなんて何もないわ、気にしないでね。気に病むのだったら、私なんて2年も空回りしてたんだから、恥ずかしい」
有難うお姉ちゃん気を遣わせてしまったね。
「お姉ちゃんも何時までも気に病んで恥ずかしがっていたっていいことはないですよ」
「そうよね。お互い様ねローズマリー」
なんだか好きになってきたよ、お姉ちゃんが、いい子だね。
……
…………
………………
「ねえ、あのお湯の出ているライオンみたいなのは何ですか?」
ふと気になって誰とはなしに聞いてみた。
「ライオンとは何でしょうか?あの石像はグリフィスと言う、この国で祀られている伝説の守護聖獣です。純白で獅子の体に鷲の翼、鋭く尖った一本の角を持っています」
アイリーンさんが教えてくれた。伝説の守護聖獣ねえ、大仰だねえ。友達に借りて読んだライトノベルとやらに似たようなのがいたっけか?
「伝説って事は、実際にはいないの?」
「大昔には居たとされていますが、今はいないそうです」
「ふーん」
……
…………
………………
「そろそろ体も温まりましたし~髪を洗いましょうか姫様~」
そう言ってコリーンさんが、再び俺の腋の下に手を入れて風呂から上がった。
いつの間にか先に湯から上がっていたアイリーンさん達が浴槽近くにタオルを何枚も重ねて置いていた。
「姫様、此方に仰向けになって下さい」
アイリーンさんがタオルを指し示す。タオルの上に仰向けになると、頭に巻いてあるタオルを解いた。髪がばさりと散っていく。
床に敷いたタオルのお陰で下が柔らかい。更に体の上にもジェシカさんが持っていたタオルを掛けてくれる。至れり尽くせりで誠に恐縮である。俺はこうしてもらっていいんだろうか。
髪をお湯で濡らして洗髪剤で丁寧に髪を扱いてゆく。暖かくて気持ちよくて、うとうとして眠ってしまった。
……
…………
………………
「くっマユリ!何をしているのか君は分かっているのか、これを解くんだ」
突然の大声にいきなり目が覚めた、ジェシカさんの声だ、どうしたんだ?
体を起こして見るとジェシカさんがコリーンさんとアイリーンさんとに押さえ付けられていた。何があった。
「マユリ!放しなさい、何をしているの。まさかローズマリーに何かするつもりでは無いでしょうね、そんな事をしたら私は絶対許さないわよ」
うおっ、お姉ちゃんがマシロさんに後ろから抱きつかれ動けなくされている。何が起きているんだ。皆裸のままじゃないか。いやいや論点はそこじゃない。
「お目覚めになりましたかローズマリー姫様、先程脱衣室にて申し上げましたでしょう、『後悔なさいますよ』と、非力で幼女なお姫様であると云う事を解らせて差し上げますので、断頭台等と生意気な事を口にされた報いをお受け下さいませ、後悔は先に立たないのですよ」
うわー変態痴女が何故か切れてる、何故だ、俺が何をした!まさか断頭台と口にしたのを根に持ったのか?
「マユリさん貴女は何をしているんですか、ジェシカさんとお姉ちゃんを放して・・・いや放せ、てめえは何をしてやがる。コリーンさん、アイリーンさん、マシロさんはどうなっている。話せ」
「ローズマリー姫様、言葉遣いが悪くなられてますよ、それと洗髪剤が御髪に残ってますので、そのままでは御髪が傷んでしまいます。ネム、ローズマリー姫様の御髪を流して差し上げて」
「んな事は聞いてねえよ、コリーンさん達はとうし…うわっ」
更に追求をしようとした所でいきなり後ろから両肩を引かれ仰向けに倒された。見上げると、げっ、お山が二つでよく見えねえ、でも多分ネムさんだ、頭が太腿に乗ってるぅ。
ネムさんは無言で言われたとおりに俺の髪をお湯で流している、体を起こそうとすると肩をそっと押さえられて起き上がる事が出来ない、けれど悪意のある行動には感じられなかった。
「御髪も綺麗になられた様ですね、ネムはそのままローズマリー姫様の肩を押さえておいて、次はジェシカの番ですね」
「マユリ、姫様方に危害を加えるのは許される事では無い。直ぐにやめるんだ」
「私は危害を加えるつもりは一切ありませんよジェシカ、安心して下さい、ちょっとローズマリー姫様にご自分のお立場を認識して頂きたく、はい」
「これが安心できる状況な訳が無いだろう!」
「いえいえ、直ぐにジェシカも心配しなくなりますよ」
そう言ったマユリ(敬称略!)はジェシカさんの所へ行きジェシカさんの胸の中央に掌を当てた。そのときマユリの背中に魔法陣が描かれた。
俺は見た、その魔法陣を、頭の中に今見た魔法陣が浮かび上がる。魔法陣はあんな所に描く事もあるんだとふと感心してしまった。ってマユリは魔法を使うつもりなのか?
そしてマユリが何か呟いている、よく聞き取れないが呪文だ。
だが何故か俺にはその呪文が解った。頭の中に浮かび上がってきたんだ。
「汝我が命のみを受諾せし者となれ」
呪文を頭の中で読み返すと、
『操り人形』
発動キーが頭の中に響いた。どう云う事なんだ、こんな発動キーは知らないぞ。知識の中に在ったのが全ての魔法では無かったって事か。
マユリも発動キーを呟いた様だ。途端にジェシカさんが黙って動かなくなる。『操り人形[マリオネット]』ね、随分と陰湿な魔法を使うじゃないか。
「マユリ、今ジェシカに何をしたの、いい加減にしなさい、直ぐにこんな馬鹿な事はやめなさい」
「姫様もご安心を、決して悪意のある事では御座いませんので。それに私は後で姫様に大変感謝して頂ける事になるでしょう。ですからお肩を少々失礼致します」
そう言ったマユリはお姉ちゃんの肩へと手を伸ばす。
「私の体に触らないで、やめなさいマユリ!」
お姉ちゃんの肩に手が触れるとマユリの背中にまた魔法陣が描かれる。
お姉ちゃんにも魔法を使うつもりか。止めないといけないのに頭と肩がホールドされて動けない。
「逃げるんだ、お姉ちゃん!」
「無理よ、動けないもの、それにローズマリーを置いて逃げるなんて出来ないわ」
今度の魔法陣も見たことの無い魔法陣だ。すると再び俺の頭の中にも魔法陣が浮かび上がる。これってもしかすると転写か?
そしてやはり呪文も浮かび上がって来る。
「我汝に囁くが如く汝我が意思の如くあれ」
さっきと同じ様に呪文を頭の中で読み返すと、
『悪魔の囁き』
やはり発動キーが頭の中に響いた。
だからといってこれが何の役に立つ?
使った魔法は『明かり[ライト]』1回のみ、これはミランダさんから使用不可のお達しが出ている。
他の魔法はどの様な効果が現れるか不明のために、ミランダさん達と吟味するまでやはり使用不可だ。
俺が使える魔法なんて何も無いし、思い浮かばない。
力も全くない。
体すら自在には動かせず、今までに鍛錬して来た事などは何の役にも立たない。
こんな時に効かせられる機転も知恵も無い。
完全な無力。何も出来ない。
「我汝に囁くが如く汝我が意思の如くあれ『悪魔の囁き』」
マユリが魔法を発動させてしまった。お終いだ。お姉ちゃんを守れない、國枝の家訓には「女は守れ、命を賭けても」と言うのもあるのに。母はそんな家訓はいらんと言っていたが。守れなかったのは事実だ。
「うふっ、うふふふ、ローズマリー姫様は今、無力感に苛まれていらっしゃいますね、その悔しい、情けない、悲しい、それらが入り交じった、得も言われぬお顔をされていらっしゃいます。ああっ格別なるかな、その幼女の屈辱に満ちたお顔」
「されど幼女のさらなる屈辱、いえ汚辱に満ちたお顔が、これから、この私の目の前に、燦然と輝くでしょう、うふふふふっ」
大暴走です。碌でもねえですねあいつは。
ご意見お待ちしております。




