第五話-3
「うははははは!こんな程度の幻術で私が敗れるとでも思ったか、下級な淫魔め!このエリート悪魔祓いのアリアトリアには利きはしないんだからね!」
良いタイミングでアリアが目を覚ましたらしく、屋上の入口から叫ぶ。
が、あまりにも遠い。
アリアも運動神経はそう良くなさそうだったので、あの距離からの援護は期待出来ない。というより、それでなくてもアリアの援護という行為自体に期待が出来ない。
「さあ、エロ淫魔!このアリアトリアが相手なんだからね。恐れをなすがいいんだからね!」
エロ淫魔って、言ってる事おかしいぞ。しかも遠いし。
ノリに乗っているアリアに本気は呆れるが、お陰で体勢を立て直すことは出来たし、冷静さも取り戻していた。
妙な感覚だった。体は疲れきっているのに、頭はスッキリしている。先程までとは明らかに違い、体調は回復しているのは分かる。
しかし、それが体力の回復までには至らない。これはゆっくり休む事がもっとも効果的だと思うのだが、さすがにそれは望めない。
「うははははは!このアリアトリアに恐れをなしたか、エロ淫魔!降参するなら今のうちだからね!ま、許してあげないんだからね」
「アレをどうにかするのが先じゃないの?」
「ヤジ将軍はヤジくらいしか飛ばさないからね。貴方みたいに、物理的に抵抗してくる訳じゃないから、実質無害なんだし」
プライドの高そうだったサキュバスだが、アリアを無視できる余裕はあるらしい。
「けっこう実害あると思うよ。ムカつく事言うからね」
「それからでも間に合うわよ、あの程度」
まあ、正にそうなんだけど。
しかしそれがバレているとなると、先ほどの様な隙は期待できない。すでにサキュバスに有利なポジションを取られているので、ここで踏ん張るしかない。
立ち位置を変えればまたサキュバスの攻撃を多少は消極的に出来るが、それは事実上淫子を人質に取っている様なものなので、気が引ける。
「ちょっと、無視するの?失礼にも程があるんだからね!」
アリアは喚き散らしているが、本気もサキュバスも相手にしない事にした。
サキュバスはそうそう近付いてこないが、この位置では蠢く闇を槍状に伸ばす事で本気の持つ箒よりリーチが長い攻撃を繰り出すことができる。
これまで箒で突いて間合いを取っていた本気だったが、まともに動けないという問題があったための苦肉の策だったこともあり、立場が逆転するとその瞬間に絶望的な立場になる。
ここまでか。
諦めが顔を出し始めるが、本気はサキュバスを見る。
思えば、よくやったじゃないか。まったくあかの他人、しかも人では無い何かの為に重い体を引きずってここまで来た。あんな口約束を守る為に命の危険なんて背負う必要も無いだろう。
本気の意志とは別のところで、そう囁く声が聞こえてきた気がした。
十分?まだだ。もうすぐ先生や先輩達が来るはず。他力本願だろうがなんだろうが、時間さえ稼げればこっちの勝ちだ。
突き出される蠢く闇の槍を、本気は箒で打ち払いながらなんとか防いでいる。
今日のサッカー部を見ただろ?絶望的に攻め込まれても、誰も諦めていなかった。逆転の可能性の少なかったあの状況で、北高サッカー部は諦めてなかったんだ。俺は時間さえ稼げば確実に勝てるのは確定している。諦めるなんてもったいない。泥臭くても、見た目に悪くても構わない。今は必要無い。
蠢く闇はサキュバスの右手から伸ばされ、その早さもさほど早くない。それだけに本気は防げているが、不定形という強味が向こうにはある。
向こうが気づく前に助っ人が来てくれれば、俺の勝ちだ。
吐き気を伴う疲労感に耐えながら本気がそう思った時、蠢く闇が箒に絡みつく。
「終わりね」
サキュバスが囁くと、本気は箒を奪い取られる。
「コレが無ければ何もできないでしょ?伝説の聖剣、と言うには余りにもみすぼらしいけど、まさかこんなモノに本物の淫魔である私が苦戦するなんてね」
サキュバスはそう言うと、箒を足元に捨てる。
「本物の淫魔、では無いでしょう」
淫子が睨む様にサキュバスを見て言う。
本気も肩で息をしているが、淫子の方も意識を保つので精一杯という感じだが、その目には強い力が宿っている。
「あん?入れ物がグダグダ言うな」
入れ物、という言葉にこだわるな。淫子ちゃんの役割か?
「その入れ物が無いと、貴方は長く持たないでしょう。貴方もまだ未完成品です」
「はっ、完成した欠陥品が何を言ってんだか。百歩譲って私が未完成だとしても、欠陥品として完成しているあんたよりはマシってもんよ!」
サキュバスは噛み付く様に淫子に言葉をぶつける。
そこにはアリアを無視すると決めた時の余裕は無い。
「勘違いしているようだから、教えてあげるわ。あんたが入れ物だとしても、私はあんたを必ずしも必要としていないって事を」
サキュバスは淫子に向かって右手を向ける。
「危なーい」
と言う声と共に何かがサキュバスに突進してくる。
「な、何?」
サキュバスも想像もしていない方向からの攻撃だったらしく、直撃を受ける。
「正義の味方、参上!」
と言って現れたのは、サッカー部でも大活躍だった隼人である。
「は、隼人、何で?」
「いや、竹取が緊急事態だって言ってきたから、ここは良いトコ見せるチャンスだと思ってね。そしたらコレだよ」
フライングクロスチョップでサキュバスを吹っ飛ばした隼人が笑顔で言う。
「ところで、何やってるの?」
「知らずに来たのかよ」
「おう。何か面白そうだったから、急いで来たんだけど。で、何やってるの?」
「正直に言うと、俺にもよく分からない。ただ、こっちが正義の味方って認識は合ってると思う」
まったく予想もしていなかったが、助っ人としては矢追やメッサーにも引けを取らない頼れる人物だったので、本気はその場に座り込んで言う。
淫子の状態が良ければ、このまま意識を失っていたかもしれなかった。
「やってくれたわね」
サキュバスは突如現れた助っ人の隼人を見る。
「悪魔祓いでは無さそうね。何者なの」
「どっちかと言えば、ネーさんの方が何者だよって感じだけど、俺はこいつの友達だよ」
隼人は本気の方を示して言う。
「せっかくイイトコだったんだから、ジャマしないでくれる?」
「マジで?イイトコって、どんなトコだったの?本気、お前そういうステキな事をやってるんだったら、何で俺も誘ってくれなかったんだ?」
「いや、疲れてるかなと思って」
「絶対嘘だろ。ネーさん、イイトコって具体的にどんなトコだったの?」
妙な食いつき方をしてきた隼人に、サキュバスは眉を寄せていたが、何かに閃いたらしくいやらしい笑顔を浮かべる。
「教えて欲しいのかしら」
「ぜひ、よろしくお願いします」
隼人を信じた俺がバカだったのか?
本気の脳裏に不安がよぎる。
「だったら、助け起こしてくれない?そいつらにイジメられて、私も疲れてるのよ」
「それは無いだろう」
まるで神楽の様に、隼人はバッサリと否定する。
「本気とその後輩ちゃんが理由もなくイジメてるとは思えないからなあ。俺も本気には助けられてるし、イジメられてると思うんならその理由を教えてくれよ」
ありがとう、隼人。いろんな意味で疑って悪かった。
心の中で、本気は謝辞を送る。
「私を助けてくれると、色々お得よ?」
「こっちを助けてくれると、もうすぐ先輩も来てくれるぞ」
「ネーさんには悪いけど、やっぱ友達は裏切れないよ」
単純に美しい友情の絆だけとは思えないが、隼人が口に出して宣言した以上、これからサキュバスがどんな甘言を並べても隼人がサキュバスに味方する事は無い。
隼人は本気と淫子の二人の前に立ち、長柄の箒を拾い上げる。
「ネーさん、寒くないの?コスプレって言うより、ほぼ裸だけど。ちょっと写メっていい?」
「心霊写真の類になるから止めとけ」
疲れきってはいたが、ポケットから携帯を取り出そうとしていた隼人に、本気は言う。
「どうしてもジャマをするつもりなのね」
サキュバスは、立ち塞がる隼人に右手を向ける。
蠢く闇が槍状に伸びるが、隼人は無造作に箒で払いのける。
「何、今の。見るからに怪しかったんだけど」
「そういう攻撃だから、喰らわない様にしろよ。素手で受けようとかもしない方が良いぞ」
「要は触れるなって事か」
隼人はそう言うが、箒を持って動こうとはしない。
これまでの事を知っていれば隼人もためらう事無くサキュバスを叩きのめしているだろうが、隼人からすればサキュバスは半裸の少女である。不思議な道具で攻撃してくるとはいえ、それだけで暴力を振るえるほどに割り切る事は隼人には出来ない。
だからこそ信頼出来るのだが、隼人が守ってくれるのはありがたい事とはいえ、何をどう言っても隼人を攻撃に使うことは出来ないという事でもある。
あと一手。俺がまともに動ければ勝負はつくんだが。
「隼人、先生とか先輩は?」
「下で全身タイツとケンカしてたよ。終わらせたら上に来るって言ってた。俺は先に行けって言われたんで助っ人に来たってわけだ」
意外と苦戦してるのかもな。まあ、先輩と竹取さんとデメキン、さらに先生もいれば心配無いだろう。問題はこっちだ。
本気が見た時、サキュバスが隼人に向けて槍を伸ばしていたが、隼人は難なくそれを払う。
その瞬間、蠢く闇は槍ではなく蛇の様に箒に絡みつく。
マズい。
警戒を呼びかけたいところだったが、疲れきった本気は声を出すのが遅れた。
サキュバスはニヤリと笑うと箒を奪おうとしたが、居を突かれたにもかかわらず、隼人の手から箒を奪う事は出来なかった。それどころか隼人に引かれて、逆にサキュバスの方が引っ張られた。
「くっ」
力負けしたサキュバスは隼人の方に呼び込まれる。
隼人はサキュバスの肩に足をかけると、サキュバスを足で押す様に蹴り、隼人自身は大きく空中でバク転しながらサキュバスとの間合いを取る。
隼人、超カッコイイ動きなんだが、アピールする相手がいないぞ。
本気は呆れながらそう思う。
少なくとも敵であるサキュバスは今の動きで魅了出来てはいないようだし、本気はそもそも隼人の神懸かった運動神経の事はよく知っている。淫子の方はとてもそんな余裕が無さそうである。
体勢を立て直したサキュバスだが、箒に蠢く闇が絡んでいる以上、腕力に圧倒的な差があるので主導権は隼人にある。それを理解したのか、サキュバスはすぐに蠢く闇を手元に戻す。
完全に手詰まりのサキュバスは、悔しそうな表情で目には涙を滲ませる。




