第四話-4
「インコちゃん!」
「無理に動いてはいけません!本当に命に関わりますよ?」
這ってでも追おうとする本気だったが、メッサーに腕をつかまれているのを振りほどく事も出来ないでいた。
「本気くん、無理しないで!」
かすみも本気を心配している。
本気は自身の姿が見えないので分からなかったのだが、淫子の腕を掴む前と後では、明らかに顔色が違う。
顔色が悪いと言うより、何かを塗った様な不自然な白さになっている。目の焦点も合わず、一目見て重病人とわかる状態である。
「救急車の手配をお願いします」
メッサーに言われ、かすみは急いで電話を掛けている。
「必要ありませんよ、そんなモノ。それよりインコちゃんを追わないと」
「追うと言っても、ドコへです?仮にその場所がわかったとしても、残念ですが貴方に出来る事は何もありませんよ」
メッサーが本気に対して言う。
「先輩。俺達はインコちゃんを悪魔祓いから守る、と言ったんですよ。言ったからには実行しないと」
聞いている方の胸が痛むほど苦渋に満ちたメッサーの声だが、本気にはそれを受け入れる事が出来ずにメッサーを無視してかすみに言う。
ここで別れたら、また二度と会えなくなると言う焦燥感が本気を支配していた。
また?俺はインコちゃんと何処で会って、何処で別れたんだ?
考えがまとまらないのは、思い出せない事よりも極度の疲労感のせいで集中力がまったく働かないためである。
体重が急に二倍になったように体が重く、数時間走り続けたかのように息は乱れ、脳を内側からかき混ぜられているように考えがまとまらない。
これがドレイン効果か。確かにメッサーさんの言う通り、命に関わるんだろうな。
今の本気にはその危険性ですら、正しく認識出来ないでいた。
「俺は行きますよ。ここで行かないと、俺はただの口先だけの嘘つきになりますから」
「君は休まないといけませんよぉ。無理はいけませんからぁ」
「そうよ、本気くん。少なくとも先生が来るまでは私達も動けないから、今は休まないと」
かすみがメッサーから本気を譲り受けると、その場に寝かせる。
本気としては抵抗しているつもりだが、周りで見ていると痛々しい程に体が震えている。
「では、私はお嬢さんの方を診ますかぁ」
メッサーは本気に殴り飛ばされて、倒れたままのアリアの方へ行く。
「あんなに怒るって、本気くんにしては珍しいわね。私、初めて見たわ」
「体が勝手に動いてました。これまでもムカついてたんですけど、許容量を超えたみたいで、自分でも驚いてます。それより、追わないと」
「今すぐ追うより、動けるようになってからの方が早いわよ」
感情の抑制は自分でも得意な方だと本気は思っていたが、あの時には完全に我を忘れていた。
自分でもそれが何故かは分からない。
淫子を苦しめておいて勝ち誇っているアリアが許せなかったというのはあるだろうが、それだけが理由だったのかと問われると、他にも理由があったのかも知れない。基本的に暴言の多いアリアにムカついていた事は事実であり、話の流れからの口約束であったが本気は守る事を約束したにも関わらず、それを軽視した事もあった。だが最大の理由はやはり友達を傷付けられた事なのだろう。
「メッサーさんが怒ってないところを見ると、向こうが悪いとは思ってるみたいよ」
「でも、女の子を殴っちゃいけないですよね?」
「本気くん、案外フェミニスト?私は正直なところ、その考え方はどうかと思ってる人だけどね。だって格ゲーとか半数近くは女キャラじゃない」
「それとは話が違う気もしますけどね」
深呼吸して、本気は苦笑いする。
「それより、先輩は大丈夫ですか?インコちゃんは心配じゃないんですか?」
「超心配だけど、今は本気くんの方が大変な事になってるのよ?自分の状態がどうなってるか、自分じゃわからないモノなの?」
「事態が事態だから、それどころじゃないでしょう」
何しろ自分の足で立ち上がる事も出来ないでは、自分が万全の状態では無い事くらい簡単に自覚出来る。
だからといって、あの苦しげに呻いていた淫子の様子を見せられては自身より優先するべきと思うのだ。
「かもしれないけど、今は動けないでしょう。本気くんがあのバカ女をぶっ飛ばしてくれたから、私もスッキリしたし、本気くんが本気を出して眼鏡と協力すれば、インコちゃんの事も何とかしてくれると信じてるから冷静でいられるのよ」
かすみが無理にでも笑顔を作って言う。
信じるだけでどうにかなるのなら、本気だって信じるし祈りもするが、それほど信心深い家に生まれ育ったわけではないので、行動しなければ何も好転しない事は知っている。
焦るな。皆が言うように、今の俺が焦っても何も良くならない。約束を守るためにも、まずは最低限動けるようにならないと。
深呼吸を繰り返しながら、本気は焦る自分を落ち着かせようとする。
疲労や精神状態を安定させるため深呼吸と言うのは非常に効果が高く、『息吹』という呼吸法まであるくらいである。
「でも、あとでメッサーさんにはお礼を言わないとね。いくら本気くんでも、あの状態のインコちゃんを捕まえていたら、本当に命に関わったかもしれないから」
かすみが神妙な表情で言う。
「弱い人だと触れた瞬間に意識を失いますが、体力を奪われただけで意識を保てているんですから、相当にお強いですねぇ」
メッサーが笑顔で言う。
デメキンも言ってたけどそういうものは遠慮しておきたい、と本気は思っていた。
元々オカルト関連は話で聞く分には面白いと思っているが、本気は真剣にオカルトを極めようとは思っていない。
そういうのはかすみと矢追の領分であり、時々神楽が参加する程度で本気は距離を取っているのがUMA研究部のあり方である。その領分に本気まで入ってしまっては、いよいよ理科部は隔離施設になってしまう。
「ですが、貴方達はアレを見てもまだ、守ると?見ていた通り、それに身を持って知った通り、申し訳ない限りとはいえ淫魔となったのですよ?」
「それは問題じゃないんです。俺は『インコちゃんを守る』と約束したんですから」
できれば返答より体力を回復させたかったが、本気はメッサーに弱々しくではあってもはっきりと答える。
その約束が守れなかったからこそ、淫子はあのように変貌してしまったのだ。
少なくとも『守る』という事に関しては約束を守れなかった事になるが、彼女を救う事が出来れば取り返す事も出来る。少なくとも気持ちの上では、だが。
「そちらはどうですか?すいません、熱くなってしまって」
「まあ、嫌な話ですが、悪魔祓いと言う仕事は恨まれる仕事なんですよぉ」
意外な話をメッサーは口にする。
「悪魔祓いが、恨まれる仕事?」
かすみも意外に思っているようで、メッサーに尋ねる。
「昔の悪魔と違って、今の悪魔の大半は召喚によって呼ばれた存在ですぅ。つまり召喚士の『願い』によって呼ばれるわけですねぇ。周りに余程迷惑をかけていたとしても、私達悪魔祓いは召喚士の『願い』を踏みにじると言う事です。周りに感謝されることも多少はありますが、召喚された悪魔が手に負えないなどの特殊なケースでもない限り、私達は召喚士の呪詛をぶつけられるものですからねぇ」
メッサーはそう言った後、気を失っているアリアの方を見る。
本気の一撃が強力だったと言うより、アリア自身が暴力に対する耐性が極端に低く、殴られたと言う事実を受け入れられずに気絶しているようだ。
「ただ、今回の件は正義を押し付けたお嬢さんに問題がありましたからねぇ。それによって一般人を一方的に傷付けたのはこちらです。正義は押し付け始めると戦争にまで発展する、という事をお嬢さんは理解していないんですねぇ。お嬢さんは悪魔祓いに誇りを持っていますから」
「でしょうね。それはよくわかります」
かすみが頷く。
その誇りが無ければ、先ほどの暴走とも言える行動は取らなかっただろう。
「ですが、そう言う悪魔祓いの受ける悪意と言うものに無縁でいて欲しかったのですが、上手くいかないものですねぇ」
メッサーはアリアの方を見て呟いている。
メッサー自身も、アリアがココに捕られた時に言っていたのだ。
理解を得られなければ、何のための悪魔祓いか分からない、と。だが、アリアにとっては悪魔を祓うと言う行為は相手の望む望まないにかかわらず、最優先事項だったのだろう。それだけに悪魔祓いの行為を拒むメッサーや、そもそも悪魔祓いという行為を認めようとしない本気達が不満だったようだ。
「鴨音君、明日唐君、何があったんだ?」
かすみが連絡して十分も経たないうちに、矢追と神楽プラス金魚がやって来る。
「マジくん、どうしたの?大丈夫?」
神楽が倒れてかすみの介抱を受けている本気を見て驚く。
「大丈夫よ、ちょっと死にかけたみたいだけど」
本気のかわりに、かすみが神楽に言う。
「死にかけたみたい、っていうより今でもまだ死にかけている真っ最中って感じですよ?」
神楽とかすみは本気のところで話している。
一方の矢追はメッサーとアリアの方を見ていた。
「貴方達が悪魔祓い、ですか。初めまして、ですね」
「ああ、貴方が魔法使いのフォックス氏ですねぇ。初めまして、私は悪魔祓いのメッサーと申しますぅ」
「これはどうも。フォックスこと、矢追狐次郎です」
二人は自己紹介を済ませると、メッサーの方から事の次第を説明する。
「今はサキュバスが何処に行ったのか、見当もつかない状態なのですぅ」
「あの子は召喚されて日も浅いし、比較的内向的な性格ですから本人の興味のあるところに飛び回る、とも考えにくい。しかもまだ意識が残っているとしたら、彼女が目指す所はおそらく一ヶ所でしょうね」
矢追はそう言うと、本気達の方を見る。
「明日唐君、動けるか?」
矢追の質問に対し、本気は手足に力を入れてみる。
僅かな休憩時間ではあったが、それでも自分の足で立ち上がる事は出来そうだった。
「動けます」
「本気くん、無理しないで!おい、眼鏡。何をさせるつもりなの?」
「明日唐君の性格上、無理にでも来たいだろうと思ってね。明日唐君と、竹取君には協力して欲しい。鴨音君はいいや」
「どう言う事だ、眼鏡!なんだコラ、やんのか、ああん?」
「先輩、脅し文句が昔の不良ですよ」
本気は苦笑いしながら、震える足でそれでも自分の足で立ち上がる。
「学校、ですか」
「正解だよ、明日唐君。淫子ちゃんには他に行くべき指針が無い。それに僕が力を貯めているのも学校だからね。意識してかどうかはともかく、僕の家に帰って来なかったという事は学校にいるはずだ。車に乗ってくれ。鴨音君はいいや」
「ふざけんな、眼鏡!」
「いや、定員の問題もあってね。僕が運転、明日唐君と竹取君がサポート、悪魔祓いのメッサーさんが協力という事で、鴨音君の乗る余裕が無いんだよ」
「屋根でいいわよ。この際、私の尊敬するジャッキーアクションで」
「いやいや、君はジャッキーじゃないから厳しいって」
「こちらはこちらで移動しますのでぇ、そちらはそちらでよろしくお願いしますぅ」
メッサーは軽々と気絶しているアリアを抱き上げると、移動を始める。
「こちらも移動しよう。鴨音君も仕方ないからついて来てもいいよ」
「ムカつく言い方ね」
かすみは本気に肩を貸しながら、矢追を睨みつける。
「じゃ、車に乗ってくれ。走るより車の方が早いだろうから」
「竹取さん、前ね。私と本気くんが後ろに乗るから」
「先輩、最近ラブアタックが露骨じゃないですか?マジくん、あんまりそういうの好きじゃないと思いますけど?」
神楽が冷やかすように言うと、かすみは複雑な表情を浮かべる。
「色々考えあっての事ではあるんだけど、今はインコちゃんの方に集中しましょう。竹取さんは見てないからわからないだろうけど、今のインコちゃんは本当に悪魔みたいな見た目になっちゃったから」
かすみが本気と車に乗り込むと、神楽と金魚は助手席に乗る。




