1.3
子供は、小さな唇を歪めて笑った。ぐにゃりと、俺にはできなさそうな変な形になってしまっていた。
俺の掌が震えている。餓鬼は、そんな俺よりもしっかりとしていて、俺は情けなくて死にそうだった。
俺の殺した女の死体は、人間だとは思えなくなってしまっている。俺に罪を押し付けるかのような血の匂いは、鼻の中に居座っている。俺の足元に広がる赤。それを、餓鬼はまるで見慣れているかのような冷めた目で見下ろしていた。
その視線が、俺の足元からどんどん上がって来て、そして目が合った。
背筋が凍るような思いだった。ぞくりと脊髄から凍るような感覚だった。思わずその場から逃げ出したくなるような、そんな空気。あたりに充満していた血の匂いを、吹き飛ばしてしまいそうだ。
「見てたの、か」
喉がカラカラで声が出しづらい。でも、確認をしておきたかった。餓鬼はまだ笑っている。俺の質問にひとしきり小さな声で笑った後、俺をしっかりと見る。
こんな餓鬼が、俺を追い詰めている。このひとりの餓鬼が、俺のこれからの人生を握っているのだ。
俺はなるべく餓鬼を刺激しないようにしておいた。声をあげられても困る。
「見てた。見てたからこうやって声を掛けているんだよ」
それもそうだな。俺はちょっとだけ納得して、油断してしまいそうになる。
俺の手は、相変わらず包丁の柄を握っていて、隙あらばこの餓鬼を殺そうとしているのだと、思う。自分のことなのによく分からないのだ。この女だって、なんで殺したのか分からないのだから。
俺の行動と、思考にこの餓鬼は多分気づいて居る。きっと分かっている。この瞳には、すべて知られてしまいそうな気がした。俺がどんなに隠していても、何も言わなくても、知られているような気がした。
どうする、どうする。俺は、この餓鬼を殺すべきなのか、でも、まだこの餓鬼が俺に危害をすると決まったわけじゃない。殺すには早すぎる。様子を見るべきだ。俺は冷静に事を判断しないといけない。
「あ、気にしないで。おにーさん、名前は?」
餓鬼は細い首をかしげて見せた。ぼさぼさの髪が痛々しい。
俺は、こんな人生じゃなくてよかった。俺はまだこのくらいの頃は、ちゃんとした服を着て、ちゃんとした飯を食って、ちゃんとしたところで寝ていた。でも、俺は今、こんなみすぼらしい餓鬼にこれからを握られている。屈辱的だ。俺、こんなところで捕まりたくない。
俺は少し考えた。
「……レドモン」
姉の名前だった。今日帰ってくるはずの、俺が晩飯を作ってやるはずの、女の名前。
餓鬼はじっと俺を見つめてから、自分の鼻の頭に小さな指を乗せた。しーっというようなポーズだった。子供っぽい表情が何だか新鮮だから、驚く。
こんな表情もできるのか。ずっと怪しげな顔だったから、錯覚をしていたけれど、そうだよな、コイツもただの一人の餓鬼だ。何も心配することは無い。
「嘘は良くないな、嘘は良くないぞ、青年」
ああ、やっぱコイツ殺そうかな。一人殺したし、もういいかもしれない。一人も二人も変わらないだろうし、コイツが死んだことで迷惑する人間は、一人もいないさ。きっとそうさ。俺は紙袋から包丁を取り出した。
その様子に、初めて餓鬼が驚いたような、焦ったような顔をした。
そうそう、怯えろよ。餓鬼っぽくしてくれ。頼むから。そうすれば、俺罪悪感とかきっとなくなるから。それでいいさ。罪の意識とか、憶えるだけ無駄でしょ。そうそう、めんどくさいものは全部、捨ててしまえばいいってこと。めんどくさいとか、重いものは全部捨ててしまえばいいさ。そうすれば、楽に生きることができるから。それでいいさ。俺はそれでいいから。
大人しく殺されて、ねぇ。
「あ、駄目だ、駄目だよ。それ以上動いたら靴が血で汚れる!」