響さんとそれぞれの道
「明治、ほれ、明治」
「んぅ…………あっ」
勘というものは実際のところ、経験と思考が混じりあった予測だと唯斗が言っていた。その延長で、直感というものも今までに似たような事を体験している……これまた経験則によって瞬時に叩き出される、これまた単なる予測でしかないとも。
何が言いたいかと言うと、俺はまた睡魔に負けて、頑張ったけど負けて、どうしても勝てなくて、惜しくも授業中に寝てしまった訳なのだ。
何度も起こる事だから先生が接近に勘が働いて目覚めようとするっぽいんだけど、まぁ無理だったよね。
「せんしぇ……おれは頑張ってはいました……」
「腕枕してなかったもんな。頑張ったな」
にへらと笑って誤魔化すと、竹中先生もにこやかにそう言ってくれた。……けど、圧を感じるのはなんでだろう。
「自主勉で力をつけてるようだから多少は見逃してやってたがな? 明治、もうすぐ何があるか分かるか?」
「……えーと、夏休み?」
竹中先生はあからさまに呆れた顔をして溜息を吐いた。
「その前に期末テストがあるだろう。流石にそろそろしっかりしてくれ。……そうだな、お前進路まだ決めてなかっただろ? 来年も俺のクラスになりたいっていうなら大歓迎だぞ。後輩たちも喜ぶ」
「うぅ……ちょっとシャレになってないですよ……」
「シャレを言ったつもりはないが目は醒めただろ? ほら、今ここやってるから分からなかったら聞くんだぞ」
「はぁ~い……」
竹中先生は俺の返事を聞くと、俺の頭を軽くポンポンしてから黒板へ戻っていった。
そして一息つく間も無く、ガタッと誰かが立ち上がる音がした。
「先生!!」
「なんだ藤崎」
「響ちゃんが留年する時は俺も一緒でお願いします!!」
「座ってろバカタレ」
「……本気なのに」
藤崎がぶつくさ言いながら座るや否や教室が少し賑やかになり、竹中先生の溜め息が聞こえた。……そりゃまぁ溜め息も出るよね。
「お前達、あんまり藤崎を笑うんじゃないぞ。これはお前達にも言える事だ。相手や周りに合わせ過ぎて自分を貶めるなんて勿体無いことはするな。友達と一緒の大学へ行くのは悪いことではないが、無理にレベルを落として入るよりもな、お互い高め合って良い所に入るべきだ。周りの友達が大学へ行かないから自分もいかないとか、さっきの藤崎みたいなバカな考えはするんじゃない」
藤崎は冗談のつもりだと思いたいけど……藤崎だしなぁ。ジョークにしても度が過ぎてるのかアキタですら乗って来ないし……もしかしてアキタって相対的にはまともなのかな。
「……つまりだ、明治とともに留年するんじゃなくて、明治を留年させないようしっかり躾するんだ。いいな?」
一瞬、教室が不気味なほどに静まり返る。そして誰かが『シツケ……』と呟いた途端、あちらこちらからシツケ躾シツケしつけ……闇の宗教めいた詠唱が教室を支配した。凄い怖い。
唯斗はというと……なにかに取り憑かれたかのように小さく口を動かしてる。一体何を呟いているんだ。お願いだからいつものようにこっち見て! 不適に笑って!
………………。
ああ、やっぱり俺には右にある壁を眺める事しか救いの道は無いみたいだ。本当に、本当に端の席で良かった。壁なのに退路ってのも変な話だけど、退『路』って事は路だから……いや壁は退路じゃないだろ。ああもう、考えてて訳わかんなくなってきた。
「はぁ……お前たち、明治を頼んだからな?」
「「「「「ハイッ!!」」」」」
「ひぅっ……!」
肩がビクビクってなった。……どうしてこう、どうして……。竹中先生が溜息を吐いたのも納得というか……。みんなどうして波頼にいるんだろう。ああだめだ、そんなこと考えたらダメだ。藤崎やアキタが悪しき例ではなく波頼ではデフォルトだったなんて、そんな失礼すぎる事を考えちゃいけない。
★ ★ ★
お昼休み。いつもの屋上で俺と唯斗はお弁当を食べていた。ちなみにこの屋上がカップルがうじゃうじゃいるのに逢引スポットだなんて矛盾してるワードで言われているのは俺達が人気の無い頃から使っていたのが理由なんだとか。そういう意味では室内庭園や丘の広場も逢引スポットだ。屋上みたいにほぼカップルしかいない訳じゃないみたいだけど。
「将来ってさ」
ぽそっと、でも唯斗には聞こえるように呟く。
「ん?」
「将来って、わかんないや」
「お? 先生に感化させられたか?」
「んー、まぁ」
唯斗が厚焼き玉子を差し出してくるから、俺はそのまま口に迎え入れた。相変わらず甘さとしょっぱさの加減が絶妙で思わず顔が緩んだ。
「やりたいことが特に無いんだな響は」
「……かなぁ」
夢があって、それに向かって動いたり下積みしたりしてる人は、生活が苦しかったり世間から微妙な目で見られる事もあるかもしれないけど、それでも俺はその人は輝いてると思うし羨ましいと思う。……なんて、もうすぐ夏休み前になってちらほら進路が決まってる人が出てきたものだから、危機感で良いなぁ良いなぁってやってるだけだ。
「どっか適当な大学に入ってさ、その4年間でどうにか決めようって方向じゃ駄目?」
「それは4年間無駄にするパターンだぞ」
「やっぱり?」
さっきのお返しに一口サイズにカットされた春巻を唯斗の口元へ持っていくと、箸の先まで口に含まれた。こういうのは俺はまだ意識しちゃうって唯斗は知ってるから……わざとだと思う。こういう子供っぽいところも好きだけどね。
「……はぁ、みんなどうやって決めてるのかな」
空を見上げてそう言ってみると、今日は頭じゃなくて肩に手を置かれた。
顔を唯斗の方に向けると……なんだか真剣そうな表情をしていた。
「響」
「ん」
「俺が行こうと思ってる大学さ、ちょっと家から遠いんだ」
「うん」
「だから大学の近くにアパートを借りてそこから通おうと思うんだ」
「今も実質一人暮らしだからそんなに変わらなそう」
「いや……」
あれ? なんだこの違和感は?
……あっ、これってその、つまり……そうか。
唯斗、遠くへ行っちゃうんだ……。
「……………………」
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
何をしたいのか、どうするべきか、時間と共にみんなに置いて行かれて気持ちの表面は焦ったり逸ったりしていても、その奥底では唯斗が居ればいいやって、なんのビジョンも無いまま、それでも良いかなって甘えちゃっていた。
「なぁ、あのな、その……」
何か……何もない状態から結果を出そうとしても無理な話だ。後ろ盾というかセーフティーというか、余裕を持てる状況……俺がもっと図太い性格ならニートで良かったんだけどなぁ。良くないけど。
いざという時は先輩みたいにモーメントエデンにお世話になる? 店長達は喜んでくれそうだけど、なにか根本的に方向性を間違えてる気がする。
うぅぅぅ、方向性ってなんだ? いや言葉の意味はふわっと分かるけどそういうことじゃなくて、こうやって安牌のモメをなんか違うって思うってことは裏を返せば俺には何かしらの望みがあるということで……。その望みはなんなのか……なるべく早く見つけないといけない。
そこまで考えて一旦思考の沼みたいなのから抜けると、視界に唯斗の携帯が映っていることに気が付いた。なんかめっちゃ撮られてる。途端に耳が熱くなった。そして目をぱちぱちさせながら少しずつ視線を逸らした。
「おぉ、戻ってきたか」
「……な、なに撮ってるの」
「物思いに耽ってる響がな、なに言っても反応しない癖にこっち見てるのが可愛くてな、そりゃあ撮るよな」
弁当箱を置いてから無言で唯斗の胸板やらお腹やらをぽこぽこ殴ってみたけど身じろぎひとつもしない。結構強めにやってるんだけど……。
(……シャッ………シャッ………)
「彼女に彼女としての自覚があるっていいよな……」
「え? なんでそう思うの?」
「手加減してくれてるだろ?」
「そ、そんな筈は……」
衝撃の事実。いや見たまんまだったという非情な現実。痩せ我慢でも何でもなく、俺の連打は唯斗にはダメージを与えないどころか喜ばせてしまった。
いや、やっぱり恋人も親友も関係なくないか? こういうのは軽いスキンシップなんだから、張り倒すほどの力を入れる筈が無い。って、さっき割と強めにやったというのと矛盾しちゃうけど……ほら、強めの『ぽこぽこ』だから……。
………うーん? 唯斗はそれを手加減だと思ったのかなぁ? なんか違う気がする。
「…………」
もう一回、無言で唯斗をぽこぽこしてみた。
(……カシャッ……カシャッ……)
「あー、やばいわ、効くわ」
顔を上げて唯斗の表情を窺ってみると、なんだか凄く嬉しそうな顔をしていた。
……………………。
……効いてないじゃん!
「むぅぅぅ……」
(カシャッ、カシャッ)
「……って、さっきからなんか撮られてるなぁ~って思ってたけど唯斗じゃないよねやっぱり!?」
「ん、そうだな」
慌てて辺りを見回して盗撮犯を探そうにも、みんな盗撮のプロなのか携帯やカメラなどを手に持っている人は居なかった。誰もが幸せそうにラブラブお弁当タイムと洒落込んでいる。……つまり誰がやったか分からない。
「怒らないの?」
「怒る? そんな勿体無い。後で撮った写真貰うんだから」
「えぇっ?」
「というか響、なにも俺達じゃなくて恋人同士の記念撮影かもしれんし、本当にこっそり撮る奴がシャッター音を漏らす訳無いだろ」
「いやまぁ、うん……そうだろうけど……うーん?」
事実だとしたら常に誰かに撮られてるという自意識過剰で被害妄想じみた危惧をし続けなきゃいけなくなるから冗談として受け取っておきたいんだけど……。というかカップル同士のラブラブツーショットならシャッター音鳴らした直後に携帯を持ってる人が見当たらないのは何でなんですかね……。
そう思いながら唯斗に向き合うと、さっきまでとは打って変わって真剣な表情になっていた。
「……ところで、さっきの返事を聞かせてくれないか?」
「…………?」
「ああすまん、急に答えるのも難しいよな。俺はいつでも待ってるから」
「うん……うん? ごめん、何の話?」
「……んん?」
「……んー?」
唯斗が腕を組みながら怪訝そうな顔をするから釣られて小首を傾げた。本当に唯斗が言ってる事の意味が分からなかったんだ。急な話なんで頭が切り替わってないっていうのもあるけど。
返事を聞かせてくれって事は俺に対して何か質問したんだろうけど…………心当たりが……うーん、俺がさっき考え込んでた時に何か聞いたとか?
「……えーと、さっき俺が反応無かった時に何か聞いた?」
「あー、やっぱり耳に入ってなかったか。…………んんー」
「っぽい。ごめんもう一回同じ質問して?」
「…………あー、いやぁ、その、なんだ。……今はやめとく」
「……おう?」
はぁーマジかーって漏らしながら額に手を当てる唯斗からして、何かよっぽど言い難いことだったのは分かる。……なんだろ、結婚して下さい~とか? ……ああいや、いくらカップルまみれとはいえ、こんな人だらけの所でそれはないか。
「……まぁ、その、なんだ。2人っきりになった時に……な?」
「……うん」
声色は優しいのに只ならぬ言動……。なんだかさっき考えた冗談があながち間違ってないような気がしてきて、俺は俯きながら目を細めて小さく頷くことしか出来なかった。
★ ★ ★
テスト前の週末、期末テストの勉強の為という名目で唯斗の家に泊まりに行くことになった。
唯斗はこういう事は物凄く真面目だから勉強漬けになるのを覚悟で行ったんだけど、ところがどっこい金曜の夜は『今日は学校あったしー』と遊んで終わり、土曜も『明日も休みだし明日やれば良いだろ』とまるで俺みたいな事を言い出しこれまた遊んで終わり。
流石に今日はやるだろうと思いきや『午後からでもいいよな』と……唯斗がそう言うんなら何か秘策でもあるんだろうと思って遊んで過ごした。……甘えがあった事は否めない。兎にも角にも、俺は少しずつ焦りを募らせていた。
そしてお昼ご飯を食べ終えそして今、俺達は食休みと称して唯斗の部屋のベッドに隣り合って座り、ダラダラお喋りをしていた。
「ふぅ、響の出来立ての手作り料理……おいしかったなぁ」
「ほとんど母さんの受け売りだけどね。それに、まだまだ母さんの腕には届かないや」
「作ってもらったって事が大事なんだ。流石に彼女の手作りとは言えゲテモノ料理は勘弁だが、響のは普通にうまいしな」
「嬉しいけど、それでも唯斗の料理と並ぶとなぁ……」
「お前が何と言おうと、お前の料理はうまかった」
「……変なの」
「そのうち分かるさ」
「ふーん?」
っと、食休みも程ほどにして本題に入らないとね。
「ねぇ唯斗」
「ん?」
俺が顔を向けても話しても唯斗はそのままだ。今は隣り合って座っているからなんだろうけど、何だか変な感じがする。
「そろそろ勉強始めないと」
一夜漬けなんて伝説だ。直前漬けなんてもっての他。少なくとも波頼高校では通用しない事は俺はよく知っている。だから流石に俺でも焦りが出てきてるんだけど、対する唯斗は気にしてなさそうでちょっとだけモヤッとする。
「あぁ、だがちょっとその前に食休みな」
そっと肩を抱かれ、そのまま寄せられる。そしてまるで俺をあやすかのように二の腕を優しく擦られた。
「…………もう」
「すまんな」
「……いいよ、こうされるの嫌じゃないし。…………」
「…………」
「…………」
言葉も交わさずただこうしているだけで何分経っただろうか。
撫でられる度に焦りと不安が消えていき、少しずつ考える事が出来なくなっていき、このままずっと、ずっとこうしていたいという欲に勝てなくなっていく。
そして俺の瞼はみるみる重くなっていき、頭は徐々に船を漕ぎ始めた。ダメだと分かっていても、身体は言うことを聞いてくれない。
「…………ふぁ」
「寝たいか?」
「……ねむい」
「寝とくか?」
「……ん。……?」
なんだか似たような事が最近あった気がする。それに、今寝るのはダメな気もする。……でも、もう深く考えるだけの気力が俺には残っていなかった。
「ふぁ~……俺も眠くなってきた。一緒に寝ちゃおうか」
「……ん」
ふわりと浮くような感覚がした後で背中にフカフカが来て、横に寝かされたのな分かった。そして、軽い掛け布団を掛けられ、隣に唯斗が入ってきた。
ごろりと唯斗へ身体を向け、そのままくっついた。唯斗も俺の背中に手を回して擦ってきた。
「……えへへ~」
嬉しくて声を漏らすと唯斗も微笑み返してくれた。
★ ★ ★
「んむぅ…………はっ!」
意識が戻ってまず最初に脳裏を過った言葉は『ヤバイ!』だった。
そう、俺は自制することが出来ず唯斗に甘えてしまったんだ。自分が至らなかった為だと、それが分かってる筈なのに、どうして唯斗は俺が甘えてしまうような事を……率直に言うと邪魔してきたんだろうという考えが消えてくれない。
とりあえず身体を起こした。唯斗はまだ隣で寝ている。
俺は携帯で今の時間を確認した。……もう15時過ぎだ。
後悔はしていられない。そもそも今回の勉強は俺が俺自身のためにするものであって、唯斗は関係ない。そう、俺がやらなかったんだ。一人でやれば済む話だったのに、唯斗に頼ってしまった俺が悪い。
そう自分に渇を入れ、唯斗を踏まないようにベッドから降りると、とりあえず教科書やら筆記用具やらを持ってテーブルに置いた。
「…………」
何から手をつければ良いか分からない……。
いつもは唯斗が要点を分かりやすく教えてくれてたから、いざ自分一人でやろうとしてもどうしたらいいか……。いや、ずべこべ言ってる場合じゃない。今の単元から目星をつけていこう。
「…………」
…………。
……………………。
本当にこの辺を勉強しとけば大丈夫なのかな。全然自信がない。ここ最近良い点数を取れてたのは結局唯斗が助けてくれてたお陰で自分の実力じゃなかったというのが分かるのは結構キツイものがあるなぁ……。
このまま闇雲に勉強を始めても時間が足りないのは分かってるけど……何か効率的な勉強法を編みだす時間も無い。まずは得意なところを復習して確実に点を採れるようにするか、苦手なところを復習して底上げするか……うーーん。
「……よし」
苦手なところを復習することにした。これで捨て問を減らせれば自然と得点も上がる。後は得意なところをド忘れしなければ高得点が採れるという寸法だ。
さて、方針も定まった事だし始めるか。
…………。
……………………。
………………………………。
…………………………………………ぬぁぁ……。
「ぬぁぁ~……」
何事も言うだけなら簡単。実際にやれるかは別。それを実感するのに1時間も掛からなかった。
いや、弱音を吐いちゃだめだ。俺には男としての根性がまだあるはずだ。……でも無理に詰めても成果は出ない。気分を変える為に別の教科を……今度は歴史にしてみよう。これで頭も切り替わって冴えてくれるといいんだけど……。
「……んーっ、……ん?」
背伸びをしたら何か視線を感じて後ろを向くと、唯斗がベッドに腰掛けてこっちを向いていた。
「起きてたの」
「さっき起きた。……あんま捗ってないみたいだな」
「まぁ、うん。唯斗にも見てもらいたいんだけど……」
「ちょっと待ってな。今お菓子取ってくるからさ」
「うん……」
なんてことない、整合性のある会話だ。3時半ちょっと過ぎだし、勉強が捗ってないから甘いものを補給しようって事なんだろう。至って自然なコミュニケーションの筈なんだ。なのに俺は今の掛け合いに違和感ばかり感じてしまった。
不安や焦りを振り払う為に教科書目を通し始める────────
「…………むぅぅぅ」
やっぱり集中できない。
集中しようと意識する事自体が集中を妨げてる気がしてくるくらいに、ノートを見つめれば力が無駄に入っては抜けていく。それを繰り返す度に焦りが湧いてきて余計に上手くいかなくなる。
完全に負の連鎖だ。そういう自覚はあるのにどうしたらいいのかも分からない。
そうやってもどかしい思いをしていると、階段を上がる音が聞こえてきた。唯斗が戻ってきたようだ。
「甘いの持ってきたぞ」
「……ん、ありがと」
唯斗はテーブルの上にお菓子の盛り合わせとジュースの入ったコップを置いて俺の隣に座り込んだ。動けば肩がぶつかりそうなくらい距離が近い。少しドキッとしたが、これじゃあ勉強に集中出来ない。はっきり言って邪魔だ。
「根を詰めても良い結果は出ないぞ? 少しリラックスしたらどうだ」
俺は唯斗のように頭が良い訳じゃない。良い成績を獲るにはそれなりの努力が必要だ。なのに唯斗はそんなお気楽な事を言う。……いや、気を遣ってくれてるのは分かるんだ。でも今の俺の……逃げても逃げても迫ってくるような焦燥感を抑えるには至らない。
目に写る単語を説明付きでノートに書き写してもまるで覚えている感じがしない。なんだか書いてもすぐに頭から抜けていく感じがして不安になっていく。
凄く無駄な事をしてるみたいで嫌になっていく。苦痛だ。やめたい。……でも投げ出す訳にもいかない。だけどこんなやり方で身になるのか?
そんな考えがループして、ただ文を書き写しただけのノートが埋まっていった。なんだか自分が情けなくて、悔しくて、凄くイライラする。
「響、少しジュースでも飲んで落ち着け」
「…………っ!」
抱き寄せるように肩に手を置かれて、色々な思いが交じり合って唯斗の手を振り払おうと……手を上げた所で止まってしまった。
『どうして俺の邪魔をするの?』という半ば八つ当たりのような感情が溢れてきた途端に『どうして俺はこんなに焦ってるんだろう?』という、さっきからずっと頭のどこかで考えていた疑問が俺の動きを止めたからだ。その疑問の答えも既に出ている……けど、その答えを頭に思い浮かべる事もしちゃいけない。
きっと何も考えず今この場で唯斗に甘えちゃえば……すごくラクだろうな。
「ゆ、唯斗……」
「ん、どした?」
「…………ぁ、ぇ……と……」
俺の精神が不安定になっているのを察してるかのように、唯斗は優しく微笑み掛けてくる。いや、俺がそう見えてるだけなのかもだけど、とにかく意を決するのに時間が掛かってしまった。それくらい……気遣われてる筈なのに自然な表情だった。
「……そ、そのね……あのね……」
まるで言葉に詰まった子供みたいだ。そんな俺の次の言葉を唯斗はただ待ってくれている。
「…………唯斗」
「ん?」
「……き、今日はもう帰るねっ」
「……えっ?」
そう言うや否や、唯斗が呆気に取られてる内に俺は荷物を纏めて立ち上がり、唯斗に背を向けて歩き出した。
「えっ? ちょっと、響っ!?」
「明日ねっ!」
「あ、ああ……」
流石の唯斗からしても俺の行動は突拍子もなく不可解だったのか、部屋から出て行く俺を為すすべなく眺める事しか出来なかったみたいだ。
でもお陰で助かった。
あの頭がぐちゃぐちゃになって何がどうなるか、自分で自分を制御できるか分からなくなるような状態が続くのを回避できたんだから。……あとで、あやまろう。
帰ったら家の鍵が掛かっていた。みんなそれぞれ出掛けてるみたい。でも今の俺には都合が良かった。
こういう時の為に渡されてる鍵を使って誰も居ない家に入るなり俺は自分の部屋に行きベッドで横になった。
はぁ、勉強……ぜんぜん手付けてないな。テスト酷いことになるだろうな……。
そんな焦りから始まり、色んな雑念が頭を巡って中々寝付けなかったけど、数えるのも忘れるほど寝返りを打つ頃には意識も薄れ、いつの間にか意識を飛ばしていた。
作成日時2020年1月14日!
書き出して大体2年掛かってますよ!呆れた!
ちょっと色々あって退院からの自宅療養中……二ヶ月程掛けてちょこちょこ書いて何とか区切りのいいとこまで書けました。
怪我のせいでもありますが、人間2週間もベッドの上でソシャゲだけやってると筋肉が衰えてマトモに歩けなくなるなんて知りませんでした。この経験は病弱系主人公とか何かのネタに使えそうです。これも怪我の功名……。
余談ですが、執筆後にちょうど目についた広告に居た銀髪ロリが滅茶苦茶好みの頭身だったので、その銀髪ロリと触手のやつを衝動買いしたのですが……なんかもう凄くよかったです(表現力不足)。




