第一話 「聖女アキレア」
今年も茹だるような暑い夏がやってきた。
その夏――最初に紫になったのは、菜園で実った真っ赤なトマトだった。
「こりゃあ、キレイだ。珍しい品種かのぅ」
一人の庭師は首をかしげながら、紫色の実を摘み上げた。陽光を浴びたそれは宝石のように艶めいている。
「王都でも見たことのない色だ! こいつは高値で売れるぞ」
庭師たちは、紫のトマトを囲み楽しげに笑い合っていた。
今はまだ誰も知らない――その紫が、やがて王国中へ広がることを……。
◇◇◇◇◇
皆さん、はじめまして。わたしはアキレア・アキレス。パトス王国でただ一人の聖女です。そして現在、王宮の庭師たちが、紫色のトマトを囲んで何やら大騒ぎしているようです。
この国では、聖女は古くから特別な存在として大切にされてきました。昔はたくさんいたそうですが、今ではたったの一人だけ。わたしの役割は、魔物を浄化すること、治癒すること。そして――困っている人を助けることです。ですが、困ったことに、今、わたしは紫色のトマトを眺めています!
「う~ん……」
右手の甲を顎の下に添え、小さく首を傾げる。考え事をする時の癖だった。
炎天下でうんうん唸っていたところ、夏風が吹き、被っていた麦わら帽子がぽーんと高く空へ舞い上がった。
「あっ」
慌てて追いかけて見上げた先で、麦わら帽子は木の枝に引っ掛かっていた。白いリボンが風になびいている。
「これは、取れませんね」
わたしは辺りを見渡した。誰もいない……。
「よし!」
小さく頷き、木の幹に足をかける。あと少し、麦わら帽子の端に指が届いた、その時だった。
「アキレア! 何をやっている!」
聞き覚えのある声が下から響く。声の主は、パトス王国、第一王子、アンスリウム・レッドテールだった。
「アンスリウム殿下、ごきげんよう。木登りですが、何か?」
「何かじゃない! どうして、俺を呼ばない!」
「このくらいで、お忙しい殿下をわざわざお呼びするわけにはいきません」
「お前は昔からそうだ」
「?」
「昔、崖から落ちそうな猫を助けた時もそう言ったよな! あの時も」
「それは、何度もお聞きしました。助かったじゃないですか」
「俺の寿命が縮んだ! いいから、早く降りるんだ」
わたしが何かする度、殿下は猫の話を持ち出す。
十年前、崖の下に落ちた子猫を助けようとして飛び降りた件だ。ちゃんと助かったのだから問題ないと思うのだけれど、何故か殿下はそう思っていないらしい。
「さて殿下、ここで問題です」
「いや、急だな? 嫌な予感しかしないが、聞いてやらないこともない」
「ここに、赤いトマトが百個あります」
「ああ」
「そのうち九十九個が赤く、一個だけ紫でした。これは、突然変異でしょうか」
「それはあり得る話だろう」
「ただし! 翌日、全部紫になりました」
「異変だな」
「まあ殿下、正解です。これは、明らかに異常です」
「確かに異常だが、味は何も問題なかった」
「殿下? よくわからない物を口になさるのは危険です」
「毎度、危険なことをしているお前が言うな!」
「気になって眠れずでしたので、過去五十年分の農業記録と王立図書館の蔵書を確認しましたが、類似事例はいっさいありませんでした」
掴んだ麦わら帽子を被り直して、降りようとする。
「おい! アキレア、待て! 飛び降りるつもりか」
「はい? 降りろとおっしゃったのは殿下でしょう。邪――危ないですから、降りるのでどいて下さい」
「邪魔って言おうとしただろ! 王子に向かって……俺が受け止める」
アンスリウム殿下は両腕を広げた。
「なるほど。では、お言葉に甘えてお願い致します」
アキレアは頷く。
「待て、本当に飛ぶな――」
ふわり――迷いなく枝を蹴った。
「うおっ!? アキレア!」
ドスン!
「ぐぇっ」
盛大な音と共に殿下を下敷きにしてしまった……。まあ、大丈夫でしょう。ずれた麦わら帽子を押さえながら一応礼は言っておく。
「殿下、取れました。ありがとうございます」
「そうか……」
「殿下? どうなさいましたか?」
「アキレア」
「はい」
「降りてくれ」
「?」
そういえば、まだ殿下の上だった。
「あっ、申し訳ありません。お怪我などしていませんか?」
「本当にそう思うなら二度と飛び降りるな」
「ですが、受け止めてくださると」
「普通はためらうだろ!」
「そうなのですか」
なんだか、面倒な人だ。
「それにしても暑い。中に入るぞ」
「いえ、わたしは街へ降りて調べてきます」
「はあ?」
アンスリウムは眉をひそめた。
「こんな炎天下で何を言っているんだ」
「暑さに強いので問題ありません」
「問題ありだ」
殿下は頭を抱えた。
*****
数分後、わたし達は馬車に揺られていた。わたしの向かいではアンスリウム殿下が書類に目を通している。
膝の上にも、隣にも、机代わりの箱の上にも、書類だ。
(暇そうに見えて)本当に忙しいらしい。
「ところで、殿下」
「なんだ」
「紫色のトマトですが」
「その話か」
「ええ、他にも報告はあがっていないのでしょうか」
アンスリウム殿下はため息をつくと、一枚の書類を差し出した。
「やっとか。これはどう説明する」
「?」
受け取った書類へ目を落とすと、東の村では紫色のひまわりを確認。さらに、南区域ではスイカ畑のスイカが紫色へ変色。他にも似た報告がいくつも並んでいた。
「これは、……増えていますね」
間もなくして東の村に着いた。馬車から降りると、子ども達が駆け寄ってくる。
「あーっ! 聖女さまだ!」
「本当だ!」
「聖女さまー!」
あっという間に囲まれてしまった。
「こんにちは。みんな元気にしていた?」
しゃがんで目線を合わせると、子ども達は嬉しそうに笑う。
「こら、押すな押すな! 一人ずつだ」
後ろからアンスリウム殿下の声がする。
「あーっ! 殿下だ!」
「王子さまだ!」
「あのね、聖女さま、見て!」
差し出されたのは一輪のひまわりだった。けれど、その花弁は鮮やかな紫色をしている。
「きれいでしょう!」
無邪気な声に、わたしは微笑んだ。
「ええ。とても綺麗ですね」
「うん! でもね」
ふと、笑顔が曇る。
「ほんとは、前は黄色だったのに、紫色になったの。黄色も好きだったのになー」
子どもの頭を撫でたわたしは、ひまわりへそっと触れる。子ども達と話している間、殿下は村人達から話を聞いていた。村長に農夫、畑の持ち主から次々と声を掛けられ、手にした書類へ何かを書き込んでいる。忙しそうだ。殿下はその合間にも時折こちらへ視線を向けていた。
「聖女さま」
一人の農夫が声を潜めた。
「実はな……夜に、蝶を見たんじゃ」
「蝶?」
「ああ。月明かりに照らされて、それはそれは、見たことのない美しい蝶が舞っておった。畑が紫に光ってなあ、見た翌朝には、作物が紫になっておった」
「その蝶は、その日しか見ていないのですか?」
「いいや、三日続けて見た」
農夫は首を振った。
「三日」
「ああ。畑の上をふわふわ飛んどった」
「もし良ければ、その畑を見せていただけませんか?」
「構わんが、もう日が傾いておるぞ」
「でしたら問題ありません。ご安心下さいませ。こちらで野宿させていただきます」
「聖女さまを野宿させるわけには……」
農夫が困った顔をしていると、アンスリウム殿下が口を挟む。
「それは却下だ」
「まあ、何故です? 何か掴めるかもしれないのですよ」
「何故でもだ」
「でしたら、殿下は先にお帰り下さい」
「は?」
「わたしはこちらに残りますので」
「アキレア、俺を何だと思っている」
「第一王子です」
「そうだな」
「ならば、お帰りに」
「帰らん。お前を置いて帰れるか!」
殿下は時々よく分からない。仕事が山ほどあると言っていたのに、帰ろうとしないのだ。
夏風が吹き、遠くで何かが羽ばたいた気がした。




