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見つかった

床に這った細いケーブルが、志乃のつま先の下でわずかに鳴った。


それは金属音と呼ぶにはあまりに小さく、空調の切り替わりにでも紛れてしまいそうな、ほんの一瞬の擦過音だった。


けれど、この部屋では十分すぎた。


寝台の傍らに立つ男の気配が、ぴたりと細まる。


空気の向きが変わった、と志乃は思った。


部屋全体に薄く広がっていた張りつめた感覚が、一点へ収束していく。針のように鋭い霊気力の輪郭が、制御卓の陰へまっすぐ向けられたのがわかった。


まだ、視線は来ていない。


男は背を向けたままだ。


それなのに、見つかったと志乃の身体が先に理解していた。


「そこにいるのは誰だ」


低い声だった。


怒鳴っているわけではない。


むしろ抑えられている。


その静けさが、かえって逃げ場のなさを際立たせていた。


志乃は口を開きかけて、閉じた。


喉が凍りついたみたいに動かない。


返事をしたほうがいいのか、それとも黙っていたほうがいいのか、その判断すらつかなかった。音を立ててはいけないという本能だけが、手足の先まで硬直させている。


男は振り返らなかった。


ただ、寝台の脇に立ったまま、制御卓の陰を射抜くように気配だけを向けている。


それがかえって不気味だった。


もし本当に見失っているなら、こちらへ歩み寄るなり、周囲を確かめるなりするはずだ。だが男には、その必要がないように見えた。どこに誰が潜んでいるのか、最初からわかっている人間の落ち着きがある。


志乃の背中を、じわりと冷たい汗が伝った。


ここで黙っていても無駄だ。


そう思った瞬間、逃げたいという衝動が一気に膨らむ。


入口の扉まで戻れれば。


この部屋を出られれば。


けれど視線を少し動かしただけで、入口がさっきよりも遠く感じられた。たった数メートルのはずなのに、床の上に重たい空気が垂れ込めていて、まっすぐ走り抜けられる気がしない。


男が、ゆっくりと片手を下ろした。


寝台の女の手から離れたその動作だけで、室内の圧がもう一段深くなる。


志乃は息を呑んだ。


耳鳴りに似た白いざらつきが、頭の内側いっぱいに広がっていく。自分の感覚が相手の気配に削られていくみたいで、視界の端がかすかに歪んだ。


強い。


いままで感じたことのない種類の鋭さだった。


押し潰されるほど重いわけではない。


むしろ逆だ。


空気が薄く、細くなって、動けばそのまま身体の輪郭まで裂けてしまいそうな怖さがある。


「出てこい」


男の声は変わらず静かだった。


だが、その一言で逃げ道が完全に塞がれた気がした。


志乃は唇を噛む。


出ていくべきではない。


頭のどこかがそう警告している。


なのに、隠れ続けることももうできないと、本能が告げていた。


男は、ほんのわずかに首だけを傾けた。


それは制御卓の陰に潜む志乃の気配を、さらに正確に測るような仕草だった。


「自分から出てこないなら、こちらで確かめる」


その言葉に、志乃の足が勝手に動いた。


考えるより先に、逃げなければと思ったのだ。


制御卓の陰から身を引き、入口へ向かって駆け出そうとする。けれど最初の一歩で、感覚が大きく狂った。床の位置が一瞬だけずれたみたいに見え、身体の重心が外れる。


強い気配に当てられたせいだと気づいたときには遅かった。


靴先が床のケーブルへ引っかかる。


志乃の身体が前へ崩れた。


転ぶ、と思った瞬間、横から影が差した。


速い。


音もなく距離を詰めた男の手が、志乃の腕を掴んでいた。


冷たい指だった。


握力が異様に強いわけではない。


なのに、その手に触れられた途端、逃げるという選択肢そのものが身体から抜け落ちたような錯覚が走る。


「……っ」


声にならない息が漏れる。


男は何も言わないまま、志乃を制御卓の陰から引きずり出した。


足元がもつれ、半ば引かれる形で光の差す場所へ出る。寝台と機材のあいだ、部屋の中央に近い場所だった。


ようやく、男が正面から見えた。


思っていたより若い、と志乃は一番最初に思った。


年齢はすぐには読めない。二十代にも三十代にも見える。整っているのに、妙に体温を感じさせない顔立ちだった。頬の線は鋭く、目元には疲れとも執念ともつかない影が落ちている。


何より、その目が静かすぎた。


怒っているわけでもない。


驚いているわけでもない。


ただ、何を優先し、何を切り捨てるかを一瞬で決められる人間の目だった。


志乃の腕を掴んだまま、男はじっと彼女を見た。


値踏みしているというより、想定外の異物を確認しているような視線だった。


志乃は息を整えようとしたが、うまくいかなかった。


近くで見ると、男の気配はさらに異質だった。霊気力の輪郭が鋭いだけではない。静かに整いすぎていて、人というより研ぎ澄まされた器物に近い。


その背後、寝台の上の女は変わらず横たわったままだ。


閉じた瞼も、白い指先も、少しも動かない。


なのに志乃には、彼女の弱い気配だけが、先ほどよりもはっきり感じられた。細い糸のように震えながら、男ではなく、自分のほうへ伸びてくる。


助けを求めるみたいに。


その瞬間、志乃は本能的に寝台の女へ視線を向けた。


男の目がわずかに細くなる。


その変化だけで、空気がまた冷えた。


志乃は逃げ場を失ったまま、男と正面から向き合うしかなかった。

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