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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第1節 白塔
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白い塔の見える街

十月の終わりが近づくと、東都研究都市の空は妙に澄む。


空気が乾いているからだ、と言う者もいる。海風が高層研究棟の隙間を抜けて余計な塵を攫っていくのだ、と得意げに語る教授もいた。けれど綾崎志乃には、そんな理屈よりも、この街そのものがつくりものめいて見える瞬間があることのほうが印象に残っていた。


磨かれたガラス壁面。規則正しく走る自動搬送車。街路樹の根元に埋め込まれた環境センサーの青いランプ。大学と企業研究棟と居住区が、まるで最初から一枚の設計図の上で折り畳まれていたみたいに並んでいる。


悪魔の年代だとか、三度目の恐慌だとか、首都崩壊後の再建モデルだとか、そういう重い言葉は講義で散々聞かされた。けれど、十九歳の志乃にとって東都は、歴史の結果というよりもまず、四月から自分が暮らし始めた“今の街”だった。


そしてそのど真ん中には、白い塔が立っている。


東都のランドマーク――白塔。


大学のキャンパスからも、寮の屋上からも、少し開けた交差点に出れば大抵見える。白く塗られた外壁は晴れた日には空の色を薄く跳ね返し、曇れば逆に塔だけが鈍く発光しているように見えた。記念建築なのか、研究施設なのか、展望塔なのか。志乃は未だによく知らない。ただ、知らなくても暮らせるくらいには、この街の人間は皆あれを“東都にあるもの”として受け入れているようだった。


「志乃、聞いてる?」


学食の窓際で、向かいに座る西野アリサがストローでアイスティーをかき回しながら眉を寄せた。肩で切りそろえた髪が揺れて、きりっとした目元が少しだけ強くなる。三人の中ではいつもこうして現実に引き戻してくれる役だ。


「聞いてる聞いてる。要するに、来週の基礎演習までにレポートを出せって話でしょ」

「要するに、じゃないの。どの文献使うかまで決めなきゃなんだって」

「それ、今日のあたしに必要?」

「必要。あんた絶対忘れるから」


テーブルの端で、古本美世がスプーンを持つ手を止めた。彼女は抹茶プリンをじっと見つめたまま、いつも通り少し遅れて会話に入ってくる。


「でも志乃って、忘れてもどうにかなる側の人間だよね」

「それ褒めてる?」

「生存能力の話」

「たぶん褒めてないね、それ」


志乃が笑うと、アリサが深々とため息をついた。


春に東都へ来てから半年。大学で同じ初年次クラスになったこの二人とは、気づけば昼食を一緒に食べるのが当たり前になっていた。アリサは面倒見がよく、美世はつかみどころがない。志乃自身はその真ん中で、たいてい勢いだけで動く。


「志乃って、あんまり執着ないよね」


アリサがふいにそんなことを言った。


「なに急に」

「いや、だって東都来たばっかなのに。サークルもそんな本気で入ってないし、研究室見学もふらっと行くだけだし、恋愛の話も全然食いつかないし」

「食いつかないっていうか。欲が薄い?」

「薄くないよ。ちゃんとあるよ」


志乃はトレイの上の紙ナプキンを弄びながら、少し考えてから肩をすくめた。


「それに私は、満たされないものなんて追わない。誰かがきっとあたしの代わりに満たしてくれるから」


一拍遅れて、アリサが「最低」と言った。


美世はくすりと笑っただけだった。


「でも、志乃っぽい」

「でしょ?」

「でしょ、じゃないっての」


窓の向こうでは、講義棟と講義棟を繋ぐ空中通路を学生たちが絶えず行き交っていた。霊気力工学、考古情報学、都市再建政策論。東都の大学には、他の街ではあまり見ない名前の学部やコースがいくつもある。霊気力なんて単語も、この街ではニュースでも日常会話でも平然と飛び交う。千葉にいた頃の志乃なら、きっとそんなものは一部の研究者だけの話だと思っていた。


今では、街角の広告にすら“適性診断”の文字がある。


「そういえば」


アリサがスマホ端末を覗き込みながら言った。


「また第三地区で揉め事だって。規模は小さいけど、霊気力者同士のトラブルとか」

「へえ」


志乃は軽く相槌を打ったが、その瞬間だけ、美世の視線が窓の外ではなくもっと遠くを見た気がした。


「最近、多いね」

「東都だからでしょ。研究都市って聞こえはいいけど、集まってくるものが綺麗なものばっかじゃないし」


アリサの言い方は現実的だった。東都研究都市は、再建と開発の象徴であると同時に、何かを求める人間が集まる場所でもある。技術、仕事、保護、力。どれも不足していた時代があったからこそ、ここには今も飢えの名残がある。


「白塔のあたりは夜、近づかないほうがいいって先輩が言ってた」    

不意に美世がそう言った。


志乃は顔を上げた。


「なんで?」

「呼ばれる人がいるんだって」

「またそういうの」


アリサが呆れた声を出す。

「都市伝説好きだよね、美世」

「好きというか、あるものはあるから」

「はいはい」


美世はそれ以上は言わなかった。ただプリンをひとくち食べて、何事もなかったみたいに視線を落とした。


午後の講義を終え、三人が大学を出た頃には、空はもう薄い蜜柑色に傾いていた。東都の夕方は、建物の白と銀が先に光を失う。代わりに道路脇のライン照明と案内ホログラムが浮かび上がって、街は夜用の顔に切り替わり始める。


駅前へ向かうデッキを歩きながら、志乃は二人より半歩だけ先を進んでいた。アリサが後ろから「ちょっと、早い」と声をかける。


「ごめんごめん。なんか今日、空気きもちよくて」

「犬みたい」

「否定はしない」

「しないんだ」


そのときだった。


風が吹いた。


高層棟の間を抜けてきた細い風が、志乃の頬を撫で、前髪を揺らした。たったそれだけのことなのに、胸の奥で何かがかすかに引っかかった。


志乃は足を止める。


「どうしたの?」


アリサの声が遠くなった気がした。耳鳴りに似た、けれど音ではないざわめきが、皮膚の内側で広がっていく。色で言えば、白に近い灰色。冷たいのに、じわじわ熱を持つような、妙な感覚。


視線は自然と上を向いた。


ビルの隙間の向こう。夕焼けを背負って、白塔が立っている。


いつも見ているはずの塔だった。大学からもアパートからも見える、ただの風景の一部。なのに、その瞬間だけは違った。塔の表面が、遠目にもひどく静かに見えたのだ。街じゅうが帰宅のざわめきに包まれているというのに、あの塔の周囲だけ別の時間が流れているみたいに。


「志乃?」


もう一度呼ばれて、彼女ははっとした。


「……ううん、なんでもない」

「ほんと?」

「うん。ちょっとぼーっとしてただけ」


そう言って笑ってみせると、アリサはまだ少し怪しんだ顔をしたものの、それ以上は追及しなかった。美世だけが、志乃ではなく白塔のほうを見ていた。


「やっぱり変」

「何が?」

「まだ、遠いのに」


志乃が聞き返しても、美世は首を振るだけだった。


三人はそのままデッキを降り、交差点で別れた。アリサは駅のほうへ、美世はバス停へ、志乃は居住区のアパートへ続く緩やかな坂道へ向かう。日が落ち切る前の、いちばん街が綺麗に見える時間だった。


なのに志乃は、背中のどこかが落ち着かなかった。


振り返る。


白塔が、まだ見えている。


夕暮れの色が沈みかけた空の中で、その白だけが輪郭を保っていた。


そして志乃は、ほんの一瞬だけ思った。


――あの塔は、見えているのではなく、こちらを見ているのではないかと。


次の瞬間には、そんな考えは馬鹿らしくなって、彼女は小さく息を吐いた。疲れているのだろう。慣れない講義に、終わらないレポート、知らない街での一人暮らし。理由ならいくらでもつけられる。


それでも。


白塔から目を離したあともしばらく、胸の奥では、名のつかないざわめきだけが消えずに残っていた。

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