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凡場と集団失踪事件

作者: 折田高人

 天高く馬肥ゆる秋。涼やかな秋風が駆け抜ける宝嶺寺にて、凡場久秀は今日も座禅に勤しんでいた。

 まだ一年も経っていないというのに、天ヶ瀧の爆弾野郎と呼ばれていた不良であったのも遠い昔に感じる。人というのはこうも簡単に変わってしまうものなのか。

 静かに瞼を閉じ、雑念を消し去る。この行為にも大分慣れてきた凡場。今や、多少の事では心の中の静寂から離れる事は無いだろうと自負していたのだが。

 果たして、隣のこれは多少と言う言葉で片付けてよいものなのだろうか。どうにも気になって凡場は心の中に没入しきれない。

 凡場の隣で座禅を組むのは日本人形を思わせる整った容姿の小柄な姿。堅洲町の魔王、武藤雅である。

 人間の童女にしか見えない容姿だが、彼もまた人ならざる夜の同胞。人間とは違う面があって当然なのだと理解していたつもりだったのだが。

「喝!」

 振り下ろされた警策が心の浅層でうろついていた凡場の意識を現に呼び戻す。

 頭を掻きながら後ろを見ると、呵々と笑う老僧一人。宝嶺寺の住職である弁慶だ。

「何じゃ何じゃ小僧。今日は随分と気もそぞろじゃのう?」

「……なあクソ坊主。気にならない方がおかしくねえか?」

「このくらいの怪異、さして珍しいものでもなかろう?」

「……アンタに聞いた俺が馬鹿だったよ。おい雅」

「はい、何でしょうか?」

 少女のものとしか思えない、柔らかな声で雅が答える。

 穏やかな笑みを湛えた和装の少年は、共に座禅を組んできた今までのものと変わらないのだが。

「お前、なんか変な物でも食ったか?」

「いえ。これといって……」

「って言うかよ。身体は大丈夫なのか? 何だってそんな状態で落ち着いていられるんだ?」

 今の雅の姿はこれまで凡場が見てきたものとはだいぶ異なっていた。姿形はいつものまま。

 だが、彼は光っていた。後光が射すとかいうレベルではない。およそ人間ではありえない七色に変化する光を纏っていたのだ。

「心配させて申し訳ありません。これには少々訳がありまして……」

 雅の話によると、時は第二次世界大戦が終わってしばらくたった日に、堅洲に奇妙な隕石が落ちたとの事であった。

 その隕石、どうにも地球外生物の卵だったらしく、雅は孵化した実態を持たない奇妙な生命体に憑りつかれたらしい。

 周囲の生命力を糧に成長するらしいその生物は、無尽蔵の魔力を生み出す雅の生命力をいたく気に入ったようだった。彼に憑依したまま成長していき、やがて空へと帰っていったのだった。

 ところが、話はそこで終わらなかった。その生物、自分の面倒を見てくれた雅の事を覚えていたらしく、定期的に堅洲を訪れては雅に卵を託していくようになったのだ。

 いま、雅が七色に輝いているのは、憑りついているその怪生物の幼体が発光しているためらしい。

 凡場が追い払わないのかと尋ねるも、この怪生物は中々に大食らいらしく、下手に制御下から外れるとその土地の魔力を吸い尽くしかねないのだそうだ。雅に憑りついている限りは無害なので、追い払うという選択肢はとれないようであった。

「理由は分かったけどよ。そんなに発光しているんじゃ町中じゃ目立たねえか?」

「長年この子達に付き合ってきましたからね。ある程度意思疎通ができるようになりましたから、人前に出る時には光らないように頼んでいるんです。ただ、幼子に強制はストレスにはなりますからね。怪異に慣れた方がいる場所では、この子達には無理をさせないようにしているんですよ」

「あ~……子守りって大変だな」

「まあ、秋も深まってきましたし、そろそろ巣立ちの日が来るでしょうから、それまでは大目に見ていただけると助かります」

 一応は納得した凡場。周囲を見渡してみると、他の修行僧は雅の発光を気にしている様子がない。本当にただの年中行事と化しているようだ。

 疑問も解け、凡場が再び座禅に戻ろうとしたその時だった。禅堂に一人の真面目そうな印象の僧が入ってくる。

「住職……来客です」

「おお、運慶。何方が尋ねてきたのかの?」

「それが……」

 やや困惑した様子の運慶の言葉に、凡場と雅は顔を見合わせた。


「集団失踪事件……ですか?」

 宝嶺寺の客間にて、雅の言葉に頷く、若い容姿に見合わない老成した雰囲気を湛える細目の男。

 如月市警怪異担当課の刑事、天草将貴。怪異絡みの事件が多発する堅洲において、武藤家とは何度も手を組んで来た雅にとっては顔馴染みの男であった。

「ええ。ここ一か月程で二十人近く。如月市内からの失踪者が多発しているんですよ」

 溜息をつく天草。

 ちなみに来客があった事もあり、雅の発光は既に止まっている。

 怪奇事件を担当する刑事とは言え、人間側の存在のはず。

 彼らならば自分の様にツッコミを入れるだろうという凡場の期待はものの見事に打ち砕かれた。

「失踪者そのものは如月市では珍しくないんですがね。失踪した彼らには共通点がありましてねえ」

「どのような?」

「『堅洲にある寺に行く』との言葉を残して失踪しているのですよ」

 その言葉に、弁慶は眉を顰めた。

「何じゃ? もしやわし等が疑われておるのか?」

 堅洲で今現在機能している寺は宝嶺寺のみである。これでは名指しで犯人扱いされているようなものだ。

 しかし、天草は首を横に振った。

「怪異に対して無知な上の奴らは疑ってますがね。我々現場の人間はあなた方が無関係だというのは重々承知していますよ。そもそも、あなた方がそんな大それた事件を起こしているのならば、そこにいる魔王殿が黙っている訳がないですからね」

「うむ。となると、事件への協力要請かの?」

「ええ。堅洲には放棄された廃寺が幾つか残っているとか。商売敵相手の情報なら、あなた方が詳しいかと思いまして」

「それは構わぬが……他に協力者は募らんのかの?」

 天草は苦笑する。

 いつもならば、堅洲で行動するフリーランスのオカルティスト等の手を借りている天草であったが。

「困った事ですが、この事件に怪異が関わっているのかはまだ半信半疑でして。失踪者に奇妙な共通点があるという一点以外に怪異の痕跡が無いのですよ。これが普通の事件だった場合はオカルティストを介入させる訳にはいきませんからね」

「未だ判断付きかねず、か」

 まだ怪異絡みの事件と決まった訳でもないのに天草達が駆り出されているのは、悪名高い堅洲絡みの事件だからだろう。

 奇怪な事件が多発する如月市においても、堅洲町での怪奇現象発生率は突出していた。

 集団失踪事件が堅洲絡みだと判明した時点で、如月市警が疑心暗鬼に陥るのも納得できる程度には、宝嶺寺の面々にも理解があるのであった。

「まあ良い。今から寺の資料を持ってくる。ついでにそこを根城にしていたカルト組織の情報もな。ただ、入れ替わりが激しかったから結構な量になるぞい?」

「よろしくお願いします……と?」

 制服の中から聞こえる振動音。天草は携帯電話を取り出すと、通話をするために席を外す。

 しばらくして戻ってきた天草はやれやれといった感じで頭を掻きながら、客間の隅で借りてきた猫のように大人しくしていた青年に声を掛けた。

「田崎君、お仕事だ。また失踪者が出たようでね。しかもこの堅洲でだ。僕は今から資料の調査に取り掛からなければならないんでね。君が現場を調べてきてくれ」

「ウス……って、うおっ!」

 丁度客間に戻ってきた弁慶の抱える紙束の多さに、田崎は目を回した。

「……先輩、大丈夫っすか? 一人でこんな量の情報捌けるっすか?」

「慣れだよ、慣れ。ああ、それと魔王殿。済まないが田崎君の手伝ってくれないかな? 堅洲じゃ警察よりも武藤の方が協力してもらいやすいからね」

「承知しました。では弁慶様、凡場様、今日はこの辺りでお暇させてもらいますね」

「ちょいと待ってくれんかの、魔王殿」

 机の上に資料を降ろした弁慶が雅を引き留める。

「小僧、お主も手伝いに行ってこい。これも修行の一環じゃ」

「……マジでか? 怪奇事件かどうかも分からねえんだろ? 素人のガキの出る幕じゃねえだろ」

「堅洲を根城にして事件を起こしている奴じゃぞ? ほぼ間違いなく怪異絡みじゃろ。何が起こるか分からんから、ちゃんとあの鏡も持って行くんじゃぞ」

 そう言うや否や、弁慶は天草と共に資料との格闘に入るのだった。


 田崎が運転する自動車の中。目的地に着くまでの間、凡場と雅は手渡されていた写真に目を通していた。

 一枚一枚確認していくが、これと言って失踪者に共通点があるとは思えない。

「なあ田崎さん。本当にこいつらに共通点ってないのか?」

「残念ながら確認できているのは全員が男性である事と『堅洲にある寺に行く』って点だけっすね。経歴も職業もてんでバラバラ。精々、三十代前後の失踪者が多いってくらいっすけど、四、五十代の方もチラホラ見られるっすからねえ」

「うーん……藤、お前はどう思う?」

 凡場の首に巻き付いた彼の使い魔である蛇、藤もまた、チロチロと舌を出しながら写真に視線を這わせている。

 多数の男性写真と見比べて、凡場を見上げる。

「『主様の方がカッコいい』だそうです」

 雅の翻訳に拍子抜けする凡場。

「んなこた聞いてないっての。まあ、確かに冴えない面の連中ばっかりだってのは分かるが」

 確かに、写真に写っている面々に異性を引き付けるような容姿の持ち主はいないのだが、流石に失踪事件とは無関係だろうと凡場は話を変えようとした。

 だというのに、田崎が横から余計な情報を挟んで来る。

「ああ。そう言えばもう一つ共通点があったっす。失踪した人達、全員独り身っす。何か関係あるんすかね?」

「いやないだろ。何だって独身だからって失踪する連中が多数出るんだよ」

「分からないっすよ? ここは堅洲っすから。良く分からない理由で失踪してても可笑しくないっす。俺はここに配属されて短いけど、堅洲の事件で嫌という程思い知らされたっす」

 真面目な顔をした田崎の言葉に、凡場は「どう思う?」と雅を見る。無機質な美貌を湛える魔王の顔には、苦笑が張り付いていた。


 聞き込みは驚く程スムーズに進んだ。

 怪異担当課などという怪しげな肩書を掲げる田崎達。

 異常現象が頻発する堅洲ですら怪訝な顔で迎えられるのが当たり前であったのだが、雅が同行しているおかげだろうか、町民達は快く協力してくれた。

 もっとも、警察はおまけ扱いで雅に協力しようという傾向が強かったのだが。

 此度失踪したのは大川頼助。堅洲の小さな会社に勤める三十代の男である。

 無断欠勤が続き、電話も通じない状況を危惧した会社の上司が警察に連絡。失踪が明らかとなった。

 いつも明るく元気に挨拶。仕事も真面目で友人も多い。最近では「俺にも恋人ができた」と同僚男性達に話していたようで、上司によると失踪するような気配は微塵も感じなかったらしい。

 地元の警察が捜索を続けていたのだが、懇意にしている天草達が同じような失踪事件を追っていると知って、関係あるのではないかと情報をよこしてきたのだった。

 今、凡場達はその大川氏の住んでいたアパートの部屋の前に来ていた。地元の警察達が一度は片付けたであろう新聞チラシの類が、再びドアポストを圧迫している。

 同じアパートの住人にも話を聞いてみたが、目撃者は大川氏の隣人だけ。雅がいるおかげか、二度目の事情聴取となるのにも拘らず、隣人は嫌な顔一つせずに田崎の質問に答えてくれた。

 何でも失踪直前、大川氏は大量の荷物を詰め込んだかにみえる鞄を背負って真夜中にアパートを出ていったとの事だ。まるで山籠もりでもしそうな出で立ちだったという。

 大屋から預かった鍵を使って部屋に入ると、玄関先には失踪後に溜まったであろう新聞チラシが几帳面に整った状態で積まれていた。そこが唯一、綺麗にされた場所であった。

 男所帯に蛆が湧くとはよく言ったものだ。整理整頓という概念をどこかに放り投げたかのような散らかりようの部屋に、凡場達は顔を顰める。生ゴミの類が見当たらなかった事だけが、唯一の救いと言えた。

「きったねえ部屋だな、おい」

「ここまで散らかっていると、徹底的に掃除したくなる衝動にかられますね」

 ゲンナリとした様子の凡場達だったが、何か地元の警察達が取り逃した情報が残ってないかと捜索を始めた。

 積み重なった衣服に乱雑に積まれた漫画の単行本やアダルト雑誌の数々。そこかしこに散乱する成人向けのDVDの一部はケースが開きっ放しになっている。

 雑貨に埋もれかけている写真立てには、異性受けしそうにない容姿のどことなくパッとしない男が一人で写っていた。大川氏だ。

「会社では真面目な男だと聞いていたっすけど、プライベートではズボラもいいところだったようっすね。未成年には見せたくないようなものがチラホラと……」

「何を真面目ぶってやがりますかね。この程度のアダルト向け作品、盛りの付いた男ならもう経験済みだろ? それともあんた、律儀に十八までこういうのを遠ざけていた口か」

「本官、黙秘権を行使するっす」

「語るに落ちたな。手を出してましたって言ってるようなもんだろそれ」

 顔を赤くする事も無く、興奮する事も無く。黙々とアダルト雑誌を流し読みしていく凡場。

 大まかな証拠品は既に地元の警察が持ち去っている。となると、調べられそうなものはこれくらいしかない。

 本そのものに情報はなくとも、何らかの手記でも挟まっていないだろうか。

 紙面を彩る際どい女体の数々を、しかし凡場は気にする様子もない。

 一緒に見ていた藤は終始不機嫌そうだったが、堅洲高校での一件で、女……それも美女との付き合いはコリゴリな凡場であった。

 かつては目を血走らせて食い入るように眺めたであろうこれらの本も、今の彼には興奮を呼び起こす事すらできはしない。

 一方の雅だが、相変わらず無機質な美貌に柔らかな表情を浮かべたまま。ハレンチ展開空間においても、白磁の頬には朱すら差さない。

 さもありなんと凡場は思う。リリムという男を魅了する事に特化した麗しの姉妹達に囲まれた生活を長年続けてきた雅である。人間換算で多少美人程度の女性達が素っ裸になろうと、この魔王殿の琴線に触れる事は全くないのであろう。

 涼しげな顔をしながら布団の下を探り、出てきた幾つかの本を流し読みしていた。

「ベッドの下にエロ本隠すような真似しやがって……だったら周囲に散乱しているこれらも隠しておけよな」

「どうっすかねえ。隠していたっていうよりは、周囲の物に押し出されて結果的に布団の下に潜り込んだようにしか見えないっすけど」

「しっかし、何も情報でてこねえな……このまま男三人、エロ本鑑賞会で終わったらどうするよ?」

「勘弁してほしいっすねえ」

 色気溢れる品々の中で色気の微塵もない会話を時折挟み、黙々と情報を求める凡場達。藤は本以外にも情報が無いのか気になったのか、部屋の中を這い回って調べている。

「おや……?」

 雅が声を上げた。手に取って開いているのは二次元の少女があられもない姿で映っている表紙の本だ。

 成人向け漫画かと凡場が中身を覗き込んでみると、目に飛び込んできたのは文字の羅列。

 官能小説かとも思ったが、ミミズののたくったような文字からそうでもない様子。

 表紙を取り外してみると、「DIARY」と印刷されている百円均一店で売っていそうな帳面が姿を現す。

 どうやら大川氏の日記のようであった。

 表紙は何らかの雑誌の付録でついてきたものらしい。

 失踪者の日記ともなれば重要な情報源ともなりえるのだが、地元の警察はこの表紙に騙されて日記だと気が付かなかったようだ。

 散らかった部屋で初めて見つけた重要そうな収穫物を、凡場達は身を寄せ合って覗き込む。

 部屋同様にお世辞にも綺麗と言えない文字に苦戦するかと凡場は思ったが、雅は難なく読み上げていく。伊達に蛇の使う文字や言葉が分かる訳ではないらしい。


『ああ……それにしても愛が欲しいっ……! 

 温もりが欲しいのよ、温もりが。

 人肌の……もち女体の温もりを知らずに魔法使いに覚醒してしまった訳だが、出会いは有れど恋仲にまでは発展できず……容姿ガチャ失敗したのは仕方ないっちゃ仕方ないけどさ。

 しっかし馬鹿な見栄張ったもんだよ、彼女ができたなんて。

 そのせいで表立ってナンパもできなくなったし、なんであんな嘘ついちゃったんだろ。

 俺、このまま童貞を拗らせたまま一生を終えるのかなあ』


 こんな始まりから数十ページに渡り、彼女が欲しい、いい加減童貞を捨てたいという、冴えない独身男の愚痴が延々と書き連ねられていた。

 もはや異性と交際したいと思わない凡場ですら、読んでいて何となくいたたまれない気分になる程度に、そのもの悲しさが伝わってくる。

 何となく目を背けたくなる内容とは言え、仕事は仕事だ。何か事件の解決になりそうな情報は無いかと頁を捲る手を速めていると、最後に近い頁に求めていた情報が記されていた。


『今日、変わった尼さんに声を掛けられた。

 物凄いボン、キュ、ボンっぷり。

 そして武藤のお姫さま達に劣らぬ程の美貌だ。

 そんな美人が俺に話しかけてきたんだから、そりゃ舞い上がるってもの。

 残念ながら、男女のお付き合いをしたいなどという都合のいい童貞を拗らせた妄想のようにはいかず。

 しかし、彼女の話の内容は心惹かれるものがあった。

 何でも、彼女は「母上」を堅洲に呼びたいらしく、その為に俺に力を貸して欲しいらしい。

 その「母上」の力を借りれば、絶世の美女がよりどりみどりとの事だった。

 別にハーレムを求めている訳ではないが、美人と付き合えるならば機会は逃したくはない。

 普段は宗教じみた勧誘にのる俺ではないが、尼さんは別に自分達の宗派に入らなくてもいいと言ってくれた訳だし、大丈夫だよな?

 何より、こんな美人さんに頼られているんだから、断ったら男が廃るってものだ。

 いざ、暗月寺! これで童貞ともおさらばだ!』


「暗月寺っすか! これはいい情報を手に入れたっすよ! ちょっと失礼するっす!」

 田崎は早速携帯電話を取り出し、宝嶺寺で資料と格闘している上司に連絡を入れる。

「暗月寺ねえ……聞いたことあるか、雅?」

「一応位置は把握しています。何度か有名所の仏教宗派の方々が利用していましたが……」

「今はもぬけの殻のはず、てか」

 肯定する雅。

 そも、堅洲では天主教しかり仏教しかり社会的に知名度の高い宗教組織は根付きにくい傾向にある。

 自分達がその宗教の代表だという自負があるのだろう。世間一般に認知されているような大規模な他宗派ならまだしも、小規模な新興宗派やカルトに対して否定的な立場をとるのが常々であった。

 その結果、いらぬ恨みを自ら買ってしまい、報復によって逃げるようにして堅洲を後にするのが珍しくないと凡場は弁慶から聞いていた。

 実際、堅洲に根付いている有名所の宗教施設といえば、鯖江道に居をかまえるカトリック教会が一つきり。

 そことて、教義自体はまともであるが、管理者の神父の性格に問題がある始末。

 人間的にまともな思考では怪異渦巻く堅洲の荒波には対応できはしない。

 堅洲に正しい信仰を広めようとやってきた彼らによって建設され、そして放棄された神社仏閣のなんと多い事か。

 人里離れた場所には無数の廃寺や廃神社、廃教会が朽ち果てるままの状態で数多く残されているのであった。

「連絡終わったっす! いやあ、褒められたっすよ。あの資料の山から抜き出すべき情報を特定できたのは助かるって」

「で、この後俺らはどうすればいい?」

「このまま暗月寺に直行したいんすけど……もう日が落ちてきてるっすね。今日は新月で大分暗くなりそうっすけど、大丈夫っすか?」

「問題ない。雅、案内を頼む。とっとと仕事を終わらせに行くぞ」


 月の無い暗闇の中。朧げな星明りの下、篝火が周囲を照らす。

 凡場達は今、件の暗月寺の側に身を潜めていた。

 背後で微かに揺れる木々の音。

 姿を現したのは天草と、弁慶住職率いる宝嶺寺の面々だ。

(先輩、こっちっす!)

(何だか変な事になっているねえ……)

 声を潜めた天草に、田崎が頷く。

 今、彼らの目の前には失踪した男達が、髑髏を中心として円陣を組んで座っていた。

 一様に瞳を閉じ、取り囲む松明の赤々とした火に照らされながら、懸命に唇を動かしている。

 不思議な事に、彼らの声は凡場達の耳には届かない。夜の静寂を破るのは、火の粉の弾ける音ばかりであった。

(なあクソ坊主。あいつら、何やっていると思う?)

(さての。何らかの儀式を執り行っているのは確かじゃが……)

(カルト絡みってジジイの見込みは合っていたみたいだな)

(小僧。何時でも鏡を使えるように準備しておくんじゃぞ)

(了解だ。それにしても……)

 凡場の瞳が一点を見つめる。

 彼らの中心にある髑髏。まだまだ未熟な凡場ですら、そこから凄まじいまでの魔力を感じ取れた。

 魔王の魔力が充満するこの堅洲において、個々の魔力はそれに紛れて判別がつきにくいのだが。

(結界……だよな? あいつらの周囲に張ってあるの。音が聞こえてこないのはそのせいか?)

(でしょうね。音だけでなく中の魔力をも遮っているようです)

(遮っててこの魔力かよ……どんだけあの髑髏に魔力溜め込んでやがるんだ?)

(恐らく、結界が無ければ堅洲でも容易に判別できる程度には。一体何を企んでいるのでしょう?)

 普段は余裕に満ちた穏やかな顔を崩さない雅の表情が強張っていた。

 失踪者達の目的は分からないが、儀式に用いられる魔力の量からただ事ではない事を見て取ったのである。

(魔王殿の様子を見るに、事態は深刻なようだね……もう少ししたら怪担の皆も駆けつけてくれるが、それまで待っているのは危なさそうだ。取り囲んで一気に制圧した方がいいかもね)

 天草の言葉に、雅は頷く。

(この人数で制圧できるっすかね?)

(住職さん達もいるし、何とかなるだろう。よしんば彼らを取り逃したとしても、儀式を中断させる事が出来ればそれでいい)

(了解っす。じゃあ皆、彼らに気付かれないように静かに取り囲んで……)

「あらあら~。そんなにヒソヒソ話さなくても、皆様の声は結界の中には届きませんから大丈夫ですよ? 防音性には自信がありますからね~」

 田崎の言葉を遮って、蠱惑的な声が凡場達に掛けられた。

 何時の間に現れたのだろうか。凡場達の前に見知らぬ美女が一人。

 はちきれんばかりの豊満な肉体に身に着けている法衣が悲鳴を上げそうだ。

 頭巾から覗く長い黒髪。剃髪はおろか尼削ぎすらしていないようだが、それ以上に目立つのは山羊の如き角。明らかに人ならざるものであった。

「では、お言葉に甘えて。貴女が彼らを連れ去った犯人ですか?」

 笑みが消えたままの雅の言葉に、異形の尼僧はクスクス笑う。

「連れ去ったなどととんでもありません。堅洲では強引な勧誘はいけない事なのでしょう? 彼らは自発的に私に協力してくれているのですよ、魔王様」

「何が目的なのですか?」

「ふふふ。その前にまずは自己紹介をば。私は忍冬。黒山羊の血筋に連なる者です」

「ご丁寧にどうも」

「さて、私の目的なのですが……実に些細な事なのですよ。この世に母上を呼び寄せたいだけなのです。無論、完全な形で」

 楽し気に微笑んでいる忍冬尼の言葉に、雅だけでなく天草や弁慶達も顔を強張らせた。

 状況を飲み込めていないのは、怪異に触れて日の浅い凡場と田崎だけ。

「ジジイ、アイツの母ちゃんってヤバいのか?」

「ヤバいなんてもんじゃないぞい……正真正銘の神格を顕現させようなど、狂気の沙汰じゃ。呼び出されたらわし等でも精神が持つかどうか……当然、一般人では正気を保つ事など出来はすまい」

「冗談じゃねえぞ……呼び出されただけでそれか?」

「そうじゃ。あやつの目的なぞ、もうどうでもよい。化身や分霊といった力の一部の顕現ならともかく、黒山羊そのものが呼び出されれば、この星の危険が危ない」

 脂汗を流す弁慶。いつもの飄々とした態度はどこへやら。それだけで、凡場には目の前の尼僧がとんでもない事をしでかそうとしているのが理解できた。

「まあまあ、住職さん。そんな寂しい事を言わないで下さいませ。折角ですから、私がなぜ完全なる母上を呼び出そうとしているのか、聞いてくださいな」

「……何が目的なのかな、お嬢さん?」

 天草の問いに、尼僧は至極嬉しそうに目を細めた。

「私は全ての殿方に性を全うさせたいのです。子を成し、育てる……生物としてのごく当たり前の欲求……しかし人の世の中では解放する事が難しいのではないですか? 容姿や立場、性格などから異性との交流をモテない方々……そんな彼らを救うために、私は一肌脱ぐ事にしたのです」

「そのために地球上の人間の理性が全部吹っ飛んでもいいと?」

「むしろ望む所です。理性などという鎖に縛られているからこそ、彼らは異性を気遣い手を出せないのです。人道、道徳、法……あらゆるしがらみを振り捨てて、生の喜びに浸れるよう……世界を母上の愛で塗りつぶすのが私の目的。それに……」

「それに?」

 天草の問いに対し、今までの落ち着いた様子はどこへやら。尼僧は紅潮させた頬に手を当てながら、いやんいやんと言わんばかりに身をよじらせだした。

「私も殿方に乱暴にされてみたいのです! ケダモノの如く理性を投げ捨て私を蹂躙して欲しいのです! あんっ……そんな、はしたない……!」

「ちょっと待て! それだったら別に母上様とやらに頼らずとも、そこらで詠唱している奴らに頼めばいいだろが! てか、結局自分のためかよこの尼は!」

 忍冬尼は再び穏やかな笑みを浮かべて諭すように凡場に視線を返す。

「それではいけません。私は殿方の方から襲ってほしいのです。自分からは言い出せない、そんな複雑な乙女心……察せないとモテませんよ?」

「だからって、地球人類丸ごと発狂させかねないようなヤベー奴呼ぼうとすんな! 結界が使えるなら魔術で普通に人間の一人や二人の理性を奪ってケダモノにするくらいの事は出来るだろが! それで我慢しろよ!」

「私の魔術じゃダメなんです。私の魔術じゃ性癖の満たす事が出来ないんです」

「とうとうぶっちゃけやがった!」

「だって仕方ないじゃないですか! 私の魔力では殿方にイヤらしい触手を生やしたり服だけを溶かす粘液が滴るようなドスケベヌメヌメモンスターには改造できないのです!」

「勝手に人体改造すんじゃねえ!」

「勝手じゃありません! ちゃんと許可も取ってます!」

「許可だあ?」

「はい! 皆さん女人に飢えていましたからね! このまま惨めな独り身の男として人生を全うするよりは、女体を汚す事に特化した触手わななくケダモノの雄になりたいと! 私もただの人間の性技には飽き飽きしていましたからね! 互いに刺激的な快楽を得られてうぃんうぃんな関係なのです!」

「あ……アホくせえ……んな理由で人間捨てようとするか普通……」

「貴方はイケメンだからそんな事が言えるのですよ! 冴えない容姿と性格のまま魔法使いを迎え、四十、五十と年月を重ねてきた彼らの悲願を邪魔する権利なんて貴方にあるんですか?」

「だから他人に迷惑かけんなって言ってんだよ! てか、理性が吹っ飛んだ奴が怪物化したらどうなると思ってやがる! 性欲本能のままにそこいらの女共に襲い掛かりかねねえだろが!」

「大丈夫です! 私、可愛い女の子が逞しい触手にアレコレされているのを見るのも大好きなんです! 締め付けられる苦痛と快楽の狭間で蕩けていく表情……私の中の男の子が滾ります!」

「この色情狂があああ!」

 脳内桃色総天然色。己が性欲を満たす為に地球を阿鼻叫喚の発狂地獄に陥れようとしている目の前のアホンダラにツッコミを入れる凡場。その肩を弁慶がそっと叩いた。

「おうクソ坊主! あんたも何か言ってやれ! 説教だ説教!」

「そこまでにしておけ、小僧。こやつの戯言なんぞに耳など貸すでない」

「……戯言?」

「時間稼ぎじゃよ。儀式を邪魔させないためのな」

「……ばれてしまいましたか」

 てへっと言わんばかりに舌を出す尼僧に苛立ちを感じつつも、ようやく凡場は合点がいった。

 今までのトンチキ発言は全て茶番だったようだ。というか、そうであってほしかった。

「時間稼ぎと分かっていながら私の話に付き合ってくれるなんて、紳士なんですね」

「ふん。結界を張ってまで儀式を秘匿していたお主の事じゃ。念には念を入れておるんじゃろう? のう、魔王殿」

「……周囲に四体程。怪異の息遣いはそれで全てのようですね」

「隠れている妹達の事までお気付きになりましたか……流石は魔王様。伊達に修羅場を潜ってはいないようですね」

 がさり。尼僧の言葉に反応するかの如く、木々の間の暗闇から姿を現す異形の姿。

 小枝のような無数の触手。蹄を備える太い四本の脚はまるで大樹の根のよう。一見すると巨木の様に見える、大きな口を備えた獣が凡場達を威嚇するかのように吠えた。

 どうやら、住職達はこの怪物に警戒して、隙だらけだった尼僧に手を出せなかったようだ。

「随分と厳つい妹どもだな」

「でも、結界を張り続けなければならないお姉ちゃんを必死で守ってくれる良い子達なんですよ?」

「じゃあ褒美をやらんとな」

「ちゃんと考えておりますとも」

 ちら、と凡場は周囲を見渡す。

 怪担の二人は拳銃の引き金に指を掛けている。田崎の顔がやや蒼褪めているが、それでも黒い巨獣相手に一歩も引かない強い意思が見て取れた。

 弁慶達宝嶺寺の面々は肉体が騒めき、変質していく。どことなく烏賊を思わせる、触手を備えた翠眼の怪物と化した弁慶。他の僧達はまだ未熟なのだろう。身体の一部だけが弁慶同様の怪物と化している。

 そして雅。堅洲の魔王は結界の様子を確かめているようだ。これだけ騒々しくしていても、結界の中の失踪者達はまるでこちらに気付いた様子がない。恐らく、こちらから邪魔しようとしても無駄に終わるだろう。

「儀式を邪魔するにはあの尼をぶちのめして結界を解除する必要があるって訳だな」

「そのようです。凡場様、鏡の準備を」

「おう。藤、お前は雅を手伝え」

 凡場に巻き付いていた藤が、腕を伝って雅の手に納まる。次の瞬間、その蛇体が日本刀へと姿を変えた。

「準備は済みましたか?」

「おかげさんでな。もう理由なんざどうでもいい。お前の母ちゃんを呼ばれたらヤバいって事だけが分かれば十分だ。この儀式、邪魔させてもらうぜ」

 武装した魔王と天草達、更には怪物と化した僧侶連中を見ても余裕綽々と言った様子の忍冬尼。

「では始めましょうか。さあさ可愛い妹ちゃん達、ここが踏ん張りどころです! 母上降臨まであと僅か! その暁には、ご褒美として貴女達も私のようなムチムチドスケベボデーになれるように母上にお願いしてあげましょう! 肉汁滴る色欲の世界へいざ、南無三!」

「茶番じゃなかったのかよ、この脳内ピンク!」

 凡場のツッコミを合図に、この星の命運を賭けた戦いの幕が開くのだった。


 吠える獣。ぶつかり合う触手と触手。

 半端な怪物と化した僧が一人、また一人と黒い獣の触手によって絡めとられる。

 運慶、快慶を筆頭に獣と渡り合う僧達だが、数の有利があるのにも拘らずに大苦戦中だった。

 一方で、弁慶住職はというと、巧みな触手捌きにて一対一でも獣と互角に渡り合っている。怪物の力を完全に制御できていないあたり、住職以外の僧達はまだまだ修行が足りていないのだろう。

 そして堅洲の魔王、雅。迫りくる巨体と触手を最小限の動きで受け流している。初めは殺到する触手を藤で切り払っていたものの、すぐさま再生すると見るや無駄な攻撃はせずに回避に専念しているようだ。

 天草と田崎に守られながら、凡場は虎視眈々と好機を待っていた。

 忍冬尼の妹は全部で四体。交戦していない一体は、尼僧の前に立ったまま触手を広げて凡場達を近付かせないように守っている。

 悍ましい姿をしている獣達だが、殺意は全く感じない。目の前の羽虫を潰すのに殺意はいらないとか、そういう感覚でもないようだ。

 現に、触手に捕まった僧達を絞め殺そうとすれば出来るだろうに、捕らえたままに留めている。

 その様子を見ると、尼僧が言ったようにあくまで時間稼ぎが目的のようである。

 断じて生きのいい触手要員ゲットとかそんな事を考えている訳ではない……はず。

 さて、件の尼僧だが。目の前で壁になっている妹の陰に隠れながら、何もしてこない。

 魔術で邪魔してくるかと警戒していたのだが、詠唱すらせず、呑気に妹に声援なんぞを送っている。

 結界の維持のために余計な魔力を使いたくないのか、単に余裕綽々で凡場達を舐め腐っているのか……。

 好機は不意にやってきた。

 無数の触手をすり抜けて、雅が獣の巨体を躱す。そのまま、一直線で忍冬尼の下へと駆け出した。

 雅と凡場の視線が交差する。

 既に準備は済んでいた。詠唱済みの封神鏡を尼僧の前で仁王立ちしている獣へと向ける。

 鏡面が闇に沈み込む。次の瞬間、凄まじい轟音と共に鏡が周囲の空気を吸い込み始めた。

 震える大気諸共に、黒い獣が鏡に吸い込まれる。

 流石に驚いた表情を見せる尼僧の前に、雅は一足飛びで躍り懸り……あと一歩のところで動きを止めた。

 何があったのか分からないでいる凡場だったが、雅の焦ったような表情を見るに彼が自分の意志で尼僧への攻撃を取止めたのではない事は理解できた。

「……拘束の魔術を無詠唱で? 貴女はリリスの末裔ではないはず……!」

「不意を突かれて慌てましたが……切り札は最後まで取って置いた方が勝つのですよ、魔王様。夜の魔女も所詮、我が母上の分霊に過ぎませぬ。分霊の末裔に出来るのなら、本家本元の末裔たる私達が無詠唱魔術が使えるのも道理でしょう?」

 見えない触手に絡めとられて動けない雅の肢体を、満足げに視線で嘗め回す尼僧。

 もう封神鏡は使えない。元々一体しか生物を封じておけない上、必要な魔力も使い果たしている。

 万事休すか。

 凡場の絶望を後押しするかのように、結界内で眩い光が輝いた。

 詠唱を終え、一人、また一人と倒れていく失踪者達の中心で、髑髏が激しい光を放っている。

「時満ちたり! 来たりまする来たりまする! 我が髑髏本尊に蓄えられし堅洲の魔力! そして無垢なる男達の祈りの果てに! 森の黒山羊が今この地へ来たりまする!」

 歓喜に満ちた尼僧の声。それに呼応するように、髑髏はますます光を強め……。

「……あら?」

 何も起こらなかった。


「なぜですどうしてほわいほわい? どうなっているのでしょうか魔王様?」

「私に聞かれましても……」

 結界を解き、今やぼんやりとした光を放つ程度に落ち着いた髑髏本尊を掲げて尼僧はあわあわと慌てている。

 大分困惑している様子だが、それは凡場達も同じだった。

 儀式は完璧だったはず。だというのに尼僧の母神の姿はどこにも確認できない。

 髑髏本尊は魔力の殆どを失っているようだ。結界を貫通してまで感じていた強大な魔力は今は微塵も感じられない。

 召喚に必要な魔力はしっかり消費されている。詠唱にも不備はなし。だからこそ、儀式の失敗は尼僧にとっては想定外なのだ。

「なぜ」「どうして」を繰り返す尼僧に対し、髑髏本尊は黙ったまま。溜められていた魔力の残滓だろうか、微かな光を放つのみ。

「ん?」

 その変化に気付いたのは凡場が最初だった。

 淡く光る髑髏本尊が、なにやら七色に移り変わっているように見える。

「……まさか」

 獣に絡め捕られたままの雅に視線をやると、彼も何かを察したのだろう。瞳を瞑って何かに語り掛けるような仕草をし……。

「……何時の間に」

 その言葉だけで、凡場は状況を察する事ができた。

 雅に憑りついていたはずの七色に発光する怪生物。呼びかけても反応がない。そして目の前の虹色髑髏。

 恐らく髑髏本尊に貯蓄された高濃度の魔力に引かれたのだろう。

 実体を持たないせいか、尼僧の結界もなんのその。

 あのいざこざの中、雅から抜け出して髑髏本尊に憑りつき、短時間で膨大な魔力を吸い尽くしてしまったらしい。

 儀式失敗の原因は魔力不足であったのだ。

「まだです! まだ終わりませんよ! こうなったら再チャレンジです! 魔王様を拉致って搾り取れば短い期間で髑髏本尊に魔力が溜まるはず! 幸い魔王様は私好みの触手が似合うプリチーなオトコノコ! 儀式を邪魔した責任をなんかこう、イヤらしい感じで取ってもらいます! さあさ愛らしい魔王様、ご覚悟を! 魔力搾取の地獄極楽快楽コースへいざ、南無三!」

 諦め悪く動けない雅に飛び掛かる尼僧。

 その時、髑髏本尊が輝きを失った。

 闇夜に輝く七色の色彩が尼僧に襲い掛かる。

 縄張りを荒らそうとする者への怒りか、はたまた育ての親への情愛か。

 尼僧に纏わりつく色彩はあっという間に彼女の魔力を吸い尽くした。

「きゅ~」

 目を回して意識を手放した尼僧を気にする様子もなく、虹色は周囲に拡散していく。

 周囲を包み込む輝きの中、尼僧の獣達がもがき苦しみ倒れ伏していく。

 失踪事件の首謀者達が無力化されると、ようやく夜が静寂を取り戻した。

 輝きが一ヵ所に集まる。

 尼僧が昏倒した事で魔術の戒めから解放された雅の周りを二、三回る虹色の色彩。

「ありがとうございます。助かりました」

 雅の苦笑を受けて、色はチカチカと瞬いた。凡場にはそれが、どことなく喜んでいるように見えた。

「……そうですか。寂しくなりますね」

「どうした?」

「此度の事件で成長に必要な魔力を沢山得られたからでしょうね。巣立ちの日が随分と早まったようです」

 雅は感謝の意を伝えるべく、輝きに深々と頭を下げた。

 色彩が一際大きく輝いた。おそらく別れの挨拶だったのだろう。次の瞬間、鮮やかな光が轟音を纏って天へと昇っていく。

 夜空に伸びる真直ぐな虹。その幻想的な光景は、ロマンチストではない凡場であっても心に訴える何かを感じた。

「今年もまた、無事に巣立ちを見届ける事が出来ました」

 満足げな雅の顔。蛇の姿に戻って凡場の腕に絡みつく藤の姿に、凡場はようやっと緊張を解く。

「さて、後は……ここで倒れている連中をどうするか、だな」

 季節外れの打ち上げ花火。その会場で倒れ伏す今回の事件の関係者達。

 尼僧には雅がきつくお灸を据えるとの事で、気を失っている獣共々武藤家の本拠地である夜見島へと島送りにするそうだ。後で鏡に封じた一匹も送り届けなければならないだろう。

 パトカーのサイレンが聞こえてくる。後は天草達の仕事だ。

 天に昇っていった鮮やかな光とは異なる無機質な赤光が、凡場を超自然の世界から平凡な現実世界へと引き戻すのであった。

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