8話「ようこそ、あたしのアングラへ」
与次郎梓が、アンダーグラウンド社一階にあるベンチに座って、八百と萬と、依頼者二人を待っていれば万屋稼業課――同僚たちが一斉に受付や電子パネル、掲示板に集まり始めた。
依頼の確認などはいつもこうして行われ、朝の7時と夕方18時の二回更新が入る様になっている。
それ以外にも指名依頼や緊急依頼といったものがある。これは万屋稼業課の特に上位、結果を残している職員やチームが受けることが出来るものがあり、それが受けられるということはすなわち高給取り、売れっ子である。
「あら、梓。【ヤオヨロズ】はどうしたの?」
タブレットを弄りながら、通信機越しに会話を聞いていれば別方向から声をかけられる。立っていたのは女性だった――臍まで伸びた黒髪に、白のワイシャツと黒いスカートを履いている長身の女性。ただ、一つ違うところは彼女の額にある、もう一つの目だ。今は閉じられているが。
そんな彼女は眼鏡をクイ、と動かしながら楽し気な表情で梓を見ている。
「ヒナギクサン、おはようっす」
頭を下げながら、梓はまた視線をタブレットに戻す。
「二人はまだっすよ。もう少しで到着するっぽいですけど」
「あら」
ヒナギクと呼ばれた女性が少し驚いたようなリアクションして「もう終わったのね」
「そりゃあ、あの二人っすから」
「やっぱり手際がいいわね。流石うちのエース」
「そりゃあそうでしょ。特に八百サンがいるんだし」
「貴方の八百推しも変わらないのねえ」
くすくす笑いながら、ベンチ隣の自販機を操作する。今日はコーヒーの気分だったのか、黒い缶が落ちてきた。
「まあ急に萬を推し始めたらびっくりするけど」
「そういうヒナギクサンこそ、俺になんの用っすか」
そう言いながら訝しげにヒナギクを見る。
「ただの雑談のためにここに来たわけないでしょ? 忙しいのに」
「まあ、そうね。通信機越しでいいから二人に伝えて頂戴」
そう言って、今度は少し疲れたような顔を見せて彼女は告げた。
「貴方のおばあ様――アンダーグラウンド社会長が来るわ。3億の護衛依頼に対して興味を持たれたみたいでね」
「……そりゃあ、課長直々に来るわけだ」
伝言を頼まれた彼女――アンダーグラウンド社万屋稼業課の課長、ヒナギク・エフェソスに同情の視線を向けながら梓は大きく溜息を吐いた。
「――まだ帰れないのかよ」
溜息を吐きながら、希望の場所まで依頼者を連れてきた――依頼はこれで本来は終わりのはずだった。統括会長がやってくるという爆弾が梓から告げられるまでは。
「今すぐ帰って寝たいんだが」
「ばーさん来てる時点で無理っしょ、ヤオちゃん。大人しく待とうぜ」
「癪だけど右に同じっす」
用意された、アンダーグラウンド社24階にある高級応接室――ダイヤをふんだんにあしらったシャンデリアやペルシャ絨毯といったここにあるものの総合計金額が、3億以上を越える品々に囲まれては落ち着くものも落ち着かない。豪華な椅子に座っているのは黒川と409番だけで、八百、萬、梓はその後ろの壁際で待機だ。
依頼自体は達成扱いということで支部長直々にアタッシュケースに入った1億円が3つ、それぞれに渡されている。とはいえ今は同じく壁に置かれたままなのだが。溜息を吐きながら、八百は改めて少女を見遣る。どうしてもどことなく、心が落ち着かない。
「ヤオちゃんさあ」萬がぼそりと、八百にだけ聞こえるように話しかける。
「あの女の子ずっと気になってるみたいだけど」
「……お前には関係ない」
「無意識にずっと見てる時点で相当でしょ。気付いてなかった?」
呆れたように萬が言う。
「なあに、似てた?」
「…………うるせえよ」
追い払うように頭を振る。とはいえ無意識に見てしまっていた、という事実から自分に嫌気がさして頭を掻く。こんな時だけ、早く厄介ごとが来ないか、或いは開放してくれないか、と思うのだが残念ながら待っていたのは前者だった。
「悪いねえ、時間が掛かっちまったよ」
かつん、とピンヒールの音を鳴らしながら歩いてきたのは、白髪の長いポニーテイルに、黒のスキニージーンズとジャケット、白いワイシャツを中に着た、スタイルのいい70代ぐらいの老婆だ。その後ろから課長であるヒナギクも歩いてくる。
老いを感じさせない快活な声で黒川たちの体面に座りにこやかに話しかける。
「はじめまして、お嬢さん方。ようこそ、あたしのアングラへ」
「……え、っと」
「――すみませんね、黒川由衣さん」
彼女の疑問に答えたのはヒナギクだ。
「彼女は、アンダーグラウンド社会長、与次郎喜久子。要約するならば――桃源郷の裏ボスです」
「言い方があれだけど、まあそうなるさね」
その一言にびくりと、黒川の身体が震える。当たり前だ、ようやく辿り着いた最初の街にラスボスの魔王が待ち構えているようなものなのだから。一方の、409番はじぃ、と喜久子の方を眺めている――否、学ぶように視線を向けている。それに気付いた喜久子が、一瞬少女を見て母音を漏らす。
「……ああ。なるほどね」納得したように頷いて、改めて黒川を見る。
「さて。3億の依頼者、黒川由衣さんとやら。さっさと本題に入ろうか」
年季の入ったアルトの声が、やけに恐ろしく感じた。
「アンタが出した3億円の護衛依頼――その内容にあったもう一つ。『409番をうちで預かってほしい』っていう内容の意図を」
与次郎喜久子から話されたその内容に、壁際にいた三人が驚愕した表情をしたのを、ヒナギクと喜久子は見つめていた。
次回次回6/17 19:00更新予定です。
※申し訳ありません、個人の用事と体調の関係で5日ほどお休みいただきます…!!!