1話「欲望ってのはいつだって厄介」
桃源郷中央区、色欲街。
冬も明けて、春がやってきている――そんな歓楽街である色欲街では夜の喧騒が絶えないことで有名だ。暴力沙汰も当たり前のようにありながら、立ち並ぶネオン看板や明かりでかき消されているに過ぎない。
とはいえそれでも危ないと呼ばれる場所程、娯楽が多いのも事実だ。
人の出入りは絶えることはない。
路面電車の駅やバスの停車場近くは客引きの声が良く響く。
夜ということもあってか、人混みがいつもより多い。皆どこか浮足立って歩いているように見えた。
「ねえ、お兄さん達。うちの店どう?」青い法被を羽織った客引きの男が声をかける。
少しくせ毛が目立つ黒髪の男と、その隣にいるサングラスをかけたラフな格好の男。ノルマ達成のために話しかけたとはいえ少し圧があると、考えてしまった。
「えー、どうしようっかあ? ヤオちゃん」サングラスの男が少し乗り気で、隣の男に聞いてくる。
「オレ、一杯飲みたい気分かも」
「……萬。これから仕事だろうが」そう言って、客引きに声をかける。
「すまん、好意で言ってくれたんだろうけど、仕事があるんだ」
そう言って隣の男を睨みながら先に歩いていく。付いていけずに、ぽかんとした客引きをよそにつまらねえ、と文句を垂れながら、すぐさま振り向いて謝った。
「ごめんねえ。そういうわけだから。頑張ってね、お仕事」
「あ、いえ」
「ちょっと待ってよヤオちゃん~」気にした様子もなく、人込みに掻き消える二人組。
笑顔で客引きに挨拶して、そのまま先に行ったヤオと呼ばれた男の方へと歩いていく。
きょとんとしながらも、すぐに次の客を探そうと他の客に声をかけ始める。応援された事が案外嬉しかったのか、この後の長い時間頑張れるかもしれない。そう思いながらまためげずに、声をかけ始める。
「あ、そこのお兄さん、どうですか!」
「…………」
だが、客引きの運は、とても悪いと言える――何故ならば、その男はどこか虚ろ気でありながら、ギラギラと殺意と悪意に満ちた双眸をしていて、彼がそれに気付かなかった。
「よじろー、ターゲット今どこら辺?」
とあるビルの屋上に先ほどの二人組が立っている。イヤホン型の通信機をつつきながら、サングラスの男――萬幸平は双眼鏡で向かいのビルの扉を見張っている。
その際、一人笑ってフラフラとした男が出てきたのを目にした。
『今、馴染みの店から出たとこっす。ったくよくもまあ豪遊するもんだ』
イヤホン型通信機から八百ではない、少し生意気そうな別の人間の声が聞こえてくる。そんなヤオちゃんと呼ばれていた男、屑宮八百は隣で、カチャカチャと手に持っていた拳銃、ベレッタM9を弄りながら動作確認をしていた。
安全装置を付けなおしながら、息を吐く。
そんな事もお構いなしに、萬は外にあった階段を下りていくターゲットを見遣りながら呆れたように言う。
「金があるから豪遊するんでしょ。ほらよく言うじゃん? 力を持つと沈むって」
そう萬が返しながら、双眼鏡をしまう。一方ターゲットはもう歩道に出て歩き出していた。
『それを言うなら溺れるっすよ。とはいえ金は力ってことっすか』
「お金ほど分かりやすい顕示はないでしょ、よじろー。あればあるほどその人間の価値観全てが歪んでしまうし、じゃあそれがなくなったら?」
『……顕示欲を満たすために、理性が外れる』
「そいうこと」
「欲望っていうのはいつだって厄介っていう――分かりやすい話だ」
八百がそう口にすれば、かぶせる様な速さで同意する声が響く。『そうっすよね!』
「こっちもこっちで分かりやすいよね」
けらけらと笑いながらも、萬と八百はそのままビルを下りて同じように歩道に出る。ターゲットである男を見失わないように、一定の距離を取りながら歩く。時間帯もあってか人ごみに紛れて追うことができるのは利点だ。そのまま、フラフラとした男が路地を曲がる。同じように路地を曲がれば、どうやらコンビニに入ったようだ。
「梓、何買ってるか分かるか?」
『んー、ATMに向かってるみたいっす。金でも下ろすのかな』
「ちなみに口座の預金額はどうよ?」
『そこ聞いちゃいます?』そう返したのならば分かってしまう。
「いやいい。だからこそなんだろ」
萬はだよね、と笑い飛ばし八百はそうだろうなと言わんばかりに溜息を吐いた。そうじゃなきゃ依頼される通りがないからだ。ターゲットが足取りを少し早めて、コンビニを出る。明かりが乱立して眩しいばかりの場所を、逃げるように。
「萬、そっちは任せる」
「あいあい。よじろー、ルート頼むわ」
『了解っす』
分かりやすくテンションが下がった声色に、文句を言うようなことはしない。とはいえ分かりやすいのも若いからなのか、と萬は苦笑しながら跳躍する。
「んじゃあ、お仕事やりますかっと」
一回、二回、三回跳ね終わった瞬間に走り出した。
次回6/3 19:00更新予定です。