0話「全てを知りたいなら、何を支払う?」
5年前
「――全てを知りたいなら、何を支払う?」
運命とは、突然選択肢を投げかけてくる。
自分は、少なからず誠実だった。
そう思っていた時が、あった――じゃあ、今は?
冷たく何もない独房の中にいる自分は、何故こんな所に居るのか。トイレと申し訳程度にある座敷に机が一つ。他は何もなく、寝るための布団はしまわれて、その近くには広げた新聞が一部。
そこに堂々と書かれた殺人事件の見出し。
思考が錆びた歯車のように回らなくて、時折歩いてくる同じ職業の足音だけがやけに響いてくる。かつん、かつん――今日はやけに出入りが多い気がする。
ここに来てから何日がたったのか、もう覚えていない。ただ少なくとも、自分の正しい思考が壊れ始めるぐらいには時間が経っているということだ。このままいけばまた待っているのだろう、取調室で延々と繰り返される問い詰めが。
――何が楽しくて自分の家族を、最愛の人を殺すのか。
血。
赤。
黒。
何もかもがぐちゃぐちゃになった家の中で、父親は真っ二つになって死んでいた。
何もかもがぐちゃぐちゃになった家の中で、母親はバラバラに細切れになって死んでいた。
何もかもがぐちゃぐちゃになった家の中で、妹は真っ黒に焼け焦げて死んでいた。
何もかもがぐちゃぐちゃになった家の中で――最愛の人は首を無くして死んでいた。
4つの死体を家に帰ってきたばかりの人間がどう作るというのか。
最初こそ調べてくれていたはずの味方は、いつの間にか自分を犯人だという悪へと変わり、事件は一方的に捜査を打ち切られそうになっている。誠実でいたはずだ――自分は少なくとも、警察官として恥じぬことをしてきたはずだ。
それが、このざまか。
乾いた笑いは独房の中に融けて消えていく。少し伸びた漆色の髪が視界に入って目を閉じた――かつん、かつん、かつん。足音はまた遠くなって去っていく。急に連れてこられた独房にまた自分と同じような人間が来たのだろうか、なんて他人事のように思いながら目を開けた。
一人――独房の扉窓の前に立っていた。
「八田都警部補、で合ってます?」少し軽い男の喋りに、驚きが引いていく。
「……そうだといったら?」
「ああ、よかった。間違いがあったら困りますから――さて、本題といこっか」
男の表情を見る気はなかった。顔を見たところできっと面白がっているに違いないからだ。それでも軽い口調の男は続ける――いつの間にか敬語ではなくなっていた。
「あんたは今、4人も殺した殺人事件の容疑者だ」
「……」
「少なくとも本部はそう認識していて、あんたの仲間たちもそう思っている」
「……だったらなんだ」苛立ちを隠せずに、つい口が出てしまう。
「もう犯人だと断定して書類送検したいのか?」
「いやいや、そんな早く結論を出さないでよ」
けらけらと笑い飛ばすような口ぶりについ、男の顔を見る。扉窓から見えた男はサングラスをかけ黒いスーツに身を包んでいた夜空色の髪をした男だった。蠱惑的で妖艶な笑みを浮かべてがちゃりと、扉を開けてきた。
独房の鍵を開けれる立場なら、少なくとも自分よりは階級が上なのだろう。
「家族を殺され、最愛を殺され、なおかつ自分の信じていたものに裏切られた。あんたはこのままいけば社会的にも人間としても死ぬだろう。マスコミとかは、正義の味方は実は悪に満ちた殺人犯だとして」
「……何が、言いたい」
「死人に口なし。そして世間はめでたしムードで何もなかったように回り続ける。真実なんて、埋もれて消えるだけ――」そう言った後に、男はにこやかに視線を向けた。
「真実を知りたくない?」男が手を伸ばした。「やり直してみない?」
その言葉が油となって、錆びた歯車が動き出す。
この都市は華やかでいて、それでいて悪意に満ちている。一介の警察では、何も得ることが出来ないが――手段を問わなければ、様々な選択肢が存在する。
「それこそ、君の家族を殺した犯人、最愛の人の首を奪った犯人の手掛かりがつかめるかもしれない」だが、そんなうまい話があるとは思えない。「……お前は」
「ん?」
「お前は俺にこの話をして、何をさせたいんだ」
そう問いかければ、きょとんとした顔をされた。そして、少し考えるようなそぶりを見せる――本当に言われるなんて思っていなかったのだろう。
「え? うーん、そうだなあ。あんたは真実を知りたいから。俺はただ単に頼まれたから」
「誰に」
「言えない」
「なら信用できない」
「でもこれに乗らなきゃ、あんたは死ぬよ」
彼が近づいた。笑顔が張り付いた表情で、楽しそうな声色で。
「真実を知らないまま死ぬ。そうはなりたくないでしょ」
「……」
「さあ。――全てを知りたいなら、何を支払う?」
道化師のように笑いながら、自分という子供に風船を与えようとしている。ここから出て突拍子もない地下へ一緒に行くか、この独房で冤罪だと認められずそのまま死を待つだけか。
目を閉じた。いつも通りに起きて笑いかければ同じように返してくれた家族の温かな光景、自分の手を引いてくれた彼女の温もりを思い出しながら。
もうその日常はどこにもないのだと、悟って。
「――分かった」
「ん?」
「乗ってやるよ」
立ち上がって、男の手を掴む。それを見たサングラスの男はそう来なくちゃ、と空いた指で鳴らした。
「じゃあここから抜け出そう。いやー、よかったよかった。依頼達成だね」
そう言った後に扉を抜ける。男が先に出て、次に自分が出る。そこで遠くに見えた窓の景色からようやく外が夜だということを知った。
「んじゃあ行こうか。八田警部補サマ?」
「……お前は?」
「ん?」
「お前の名前は? 一方的に知られてるのは嫌だ」
「あー。確かに。でも、今の名前は偽名だし?」
「…………」
「俺たちは今から行方不明、或いは死んだ扱いになる。だから今俺が名乗っても、いない人間だから意味がないってこと」
そう言いながら彼は走り出す。
「つまり八田都と俺はここで死んだ扱いになるのさ」
「……死んだ扱いに」
「そう。俺が手を回しといた。あんた処刑したってね」
「……なるほど」
そうして歩き出した時に、ふと思ったことを口に出した。
「お前は」
「ん?」
「お前は、俺をどう思った?」
その問いは、すぐに答えが返ってきた。
「何もかも喰らいつくす狼みたいだね、って思った」
そう言って子供のように楽しげに笑って走っている。
「あ、ちなみに俺の本名は萬幸平。萬でいいよ」
そう名乗った男――萬の手を放して、隣で走る。
「じゃあ、俺からも一ついい? さっきの質問に答えてよ」
――全てを知りたいなら、何を支払う?
もう決めたことだ、自分は死んだ。誠実だった自分は死んだ。利用するものは何でも利用しながら、復讐のために縋ろう。隣の彼がどう企もうが、関係ない。
自分は選択した。
八田都は、もういない。
「俺自身だ」
「――どんなことだってしてやるよ。真実を知るためなら」
それが、屑宮八百が生まれたきっかけだった。
次回6/2 19時更新予定です。
別で「楽園のラジエル」https://ncode.syosetu.com/n6973kl/
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