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夢の中へ  作者: 住川奏
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第六夢

 第六夢


 僕は法廷にいた。これから閻魔大王の裁きを受けるらしい。つまりは天国に行くのか地獄に行くのかというアレだ。


 不思議なことに僕にはおつきの監視員がおらず、手足も縛られず全くのフリーである。とはいえこのいわば地獄行きの裁判所はどうせ逃げ帰れないロケーションだろうし、そもそもここにいるということは古い歌で恐縮だが「オラは死んじまっただー」状態なのだから、ここを飛び出してもシャバという空間は存在しないのだろう。

 法廷は意外にも簡易な作りで、もっといってしまえばあばら屋の築六十年はあろうかというオール木材でできた安普請なしつらえである。閻魔稼業は儲からないのかもしれない。この法廷も僕が立っている証言台、その前に裁判長たる閻魔大王が座るであろう長テーブルの裁判長席。いずれも慎ましい。室内は未だに蛍光灯の照明で少し薄暗い。清貧さがウリならこれだけでいいはずなのに、なぜか背後を振り返ると傍聴席のパイプ椅子があって三十人くらいが座れるようになっている。

 僕の裁判なんか聞きたくはない。きっと皆そう思うだろうが、驚くべきことに傍聴人が一人だけいた。顔をチラ見すると、そうなった場合「この人」しか聴きにこないであろう人がまさに予想通り最後尾の端に座っていて、彼こそが日本一有名な裁判傍聴人である芸人の阿曽山大噴火その人だった。彼は勤勉にもスケッチブックを片手に僕の地獄の裁きにすら傍聴にきて、ネタ作りのライフワークを欠かさないのだろう。ふと気配を察したのか、こちらを見て礼儀正しく会釈をしてきたので、僕も会釈を返した。彼も確か今年で五十歳で、僕と同い年のはずだ。

 誰が傍聴席を見て良いといった、という野太い声。再び正対すると眼前には閻魔大王と思しき人が裁判長然と座っていた。驚くべきことに閻魔大王は一般的な閻魔像で想起されるような鬼のコスチュームではなく、頭に角さえも生えてなく、僕らがテレビでの裁判のニュースで見る法曹界といえばの例の黒いユニホームに身を包んでいた。

 既に座っているので良くは確認できないが、声の通りは良いものの中肉中背といったどこにでもいそうな風情の老人の男性である。


 これが閻魔様か…


 やはり質素である。一汁一菜で三食を重ねてきた食生活を送っていそうだ。

「汝は」

 すごい二人称を口にするもんだ。汝。

「天国と地獄、どちらを選ぶ」と聞いてきた。

 来たぞ。

 その二者択一については僕はなぜかちょっとだけ予備知識を持っていて、件の質問は「私に服従するのか」という意味である。ここで地獄を選べば服従すると同義になり、全てが丸く収まるものの、着々と粛々とその場で白装束に着替えさせられ、証言台の床がパックリ割れ地獄直行、まっさかさまにサヨウナラとなるのだ。あのヨッパライのように現世に帰ってくることは金輪際ない。

 では天国と答えたらどうなるか。誰もそれを語り継ぐ者はいないが、推察するにそこで生前の罪を閻魔大王に列挙されて結局地獄に落とされる文字通りのオチが待ち受けている。天国の天国たる高待遇は誰も知らない。

 しかし閻魔大王も杓子定規に地獄行き判決を下しているかといわれればそうでもなく、話によると天国に行けた人が二人だけいるという。マハトマ・ガンジーとマザー・テレサ。天国に行けたのはこの二人だけだ。僕はその都市伝説には納得していた。この二人はらしいといえばそれまでだが当初閻魔大王には地獄行きを希望したものの、閻魔大王が「汝」を地獄に行かせると人間界の世界観が崩壊するといって無理くり天国に行かせたという噂話はつとに有名だった。マーティン・ルーサー・キング牧師はなぜ地獄に落ちたのかという疑問を残しながら。

「汝、早く答えぬか」

 閻魔大王が急かす。こんな死後の世界の「一生」を左右することなのに態度をすぐ明らかにしろという。いや違うな、これは地獄へ行きたいといえという命令とイコールだ。現実世界も死後の世界もその境目も、理不尽なのは変わらない。それはそうだ。そこに人がいる限りどこへ行っても釈然としないものだ。

「地獄でお願いします」

 意外にもここでの僕は空気が読めた。

 おまえも道づれにな! と心の中で呟きながら。

「良かろう。汝の思召しの通りにしてやろう」

 さて、そうなると白装束のお出ましか。すると裁判所も手慣れたもので閻魔大王の机上に丁寧に折り畳まれた一対の白装束がポトリと落ちてきた。僕の頭の中ではクイーンの『地獄へ道づれ』のあのファンキーなジョン・ディーコンによるベースラインが鳴り響いている。

「私は道づれにはならんぞ」

 …心を読まれている。

「心のBGMを止めなさい。またそのベースラインだ。汝にとっては初めてでも、私は何度この曲のイントロを聴いてると思っているのだ。この仕事に就いてもうかなり長いが百人に二人くらいはクイーンを心で鳴らしやがる。いい加減飽きている。すぐ止めたまえ」

 クイーン屈指のグルーヴは強制終了させられた。閻魔大王が僕に柔道の稽古着を持ち歩くように結ばれた白装束を投げてくる。咄嗟にではあるが手を出して、上手く僕は白装束を受け取った。

 閻魔…いやもはやお爺さんにしか見えない…の目の前で裸になるのは、どうせ死んだ身でありながら抵抗感があった。脱いだらすごいという言葉を流行語で知っている年代だが別の意味で脱いだら中年太り丸出しのすごいシロモノである。

 僕は仕方なく着替え始めた。今になって気づいたのだが白いTシャツ一枚にジーパンとトランクス、白い靴下。なかなか法廷での被告人としてはナメた格好だ。僕はTシャツを脱いだところで、また雑念が浮かんだ。

 そうか閻魔大王は女性も裁くのだろうから、女性が生で着替えるところも見られることになる。コンプライアンス違反はこの法廷では通用しないのか。今のこの生きづらく息も詰まる世の中…シャバというべきか…とは大違いじゃないか。閻魔大王はとんだエロジジイである。

「私はエロジジイではないぞ」

 また心の声を読まれたのか。

「汝は今年で五十歳だ。ビートたけしが仕切っていた『スーパー・ジョッキー』というテレビ番組を見たことがあるだろう」

 覚えている。中学時代、日曜日昼に腹を抱えて笑っていた。

「あの番組といえば熱湯コマーシャルの生着替えじゃ。汝もそのくだりは当然覚えてお

るよな? このご時世、地獄行き裁判所もコンプライアンスの例外ではないのじゃ。女性が着替える際には、あの番組のように上から仕切りが降りてくる形態にここ最近で変更を余儀なくされた」

 つまらなそうに閻魔…エロジジイが呟いている。僕は着替えの制限時間が残り僅かになるとタオルが投げ入れられるあれですね、と会話に乗ろうと思ったがやめておいた。チラリと上を見たかったが、そんな雰囲気でもない。

「余談が過ぎた。心を無にしてさっさと着替えたまえ」

 心が無だったら、着替えることすらできないわー。

「屁理屈をいうな! 汝は着替えることだけに意識を集中しろ!」

 そうだ閻魔大王は心をお見通しだった。慌てる必要性は一つもないのに僕は着替えるスピードを上げ、白装束姿になった。

「潔い。普通大体の人間はここで引き伸ばすんだ。無駄だといってもノロノロとしている。ゆえに後ろが詰まり、汝も控室で随分と待たされたであろうに。その潔さだけは褒めてやろう」

 褒められたところで地獄行きには変わりないだろうに。

「最後に一つ聞きたい」

「はあ、なんですか?」

「汝が今一番食べたいものはなんだ?」

「へ?」

 意味が分からない。

「繰り返すが汝ももう五十歳だ。かつて久米宏が仕切っていた『ニュースステーション』という番組は知っているであろう」

 …確かに覚えてはいる。人気のニュース番組だった。

「あの番組に『最期の晩餐』という変わったインタビューをする特集コーナーが時々あってな、久米宏が著名人と普通にインタビューしてて最後に『人生最後の食事に何を食べたいですか』と聞くんじゃよ」

「はあ」

「わしも久米宏のようにみんなにそれをどうしても聞きたくてな、この仕事に就いたのもそれが理由じゃ。一番の楽しみといっていい。生き甲斐なのじゃ。さあ、答えよ…汝が今食べたいものはなんだ?」

 僕は深く考えてもしょうがないと思い、

「そうめんです。それも麺つゆにつけるのではなく独自に白だしと胡麻油をメインに調合したタレで食べるそうめんです」と答えた。

 ハハハハハ。閻魔大王は僕の答えを聞いて笑い出した。

「そうめんか、汝は変わっておるのお。この仕事について長いが、そうめんといったのは汝が初めてだ」

 余計なお世話だ。とっとと落とすなら落とせ。

「さて聞くことは全て聞いたところでそれではお望み通り地獄に落とすとしよう。スリー、ツー、ワン…」

 なぜそこだけ英語なのですか、またそもそもなぜ僕には日本語で裁判したのですか…

 疑問に思っていると、落ちた。僕を支えていた床板が真っ二つに割れたのだ。最初の一瞬だけ意識があったものの、あまりの深さに目が回り僕は気を失った。


 ×


「そんな夢を見たんだ」

 妻がいった。

「でもあなたって良くそこまで克明に夢のことを覚えているわねえ」

「もっと覚えるべきことがあるのになー」

「そうよ。それにあなたも特に悪いことしてないのにさ、地獄にむざむざ自分から行くって勿体ない。阿曽山大噴火もネタにできなかったんじゃない?」

「多分ね」

「最後に食べたいものがそうめんっていうのもあなたらしいわ。普通はさ、今食べているステーキとかお母さんが作った肉じゃがとかいうもんよ。第一、あたしの作るキーマカレー、好きでバクバクお代わりするくせにそれじゃないってどんだけよ」

 僕の見た夢への妻のダメ出しはいつものことだが、一方であちこち動画を漁るように見て研究・完成させた今日の献立「普通のフライパンで普通の肉が美味しくなるステーキ」

は妻にも好評だった。

 しかしあなたが焼いたこのお肉は美味しいわ、スーパーの肉でここまでできるのね、赤ワインのお代わり持ってくるわといいながら妻は席を立った。

 取り立ててスペシャルな技を使った訳ではない。肉は焼く前に冷蔵庫から三十分は出して常温に戻す。筋切りを細かく行う。塩あては焼く直前に肉の重さに対して一パーセントくらい。温めておいたフライパンに運が良ければ肉屋でもらえる松阪牛の牛脂を溶かすようにひく。ケンネンと呼ばれるホルモンの脂はすぐボロボロになるが、胃にもたれにくい良質な油だ。雌牛ならではの肉の甘みをまとわせて、溶けそうな蝋のようなその脂はアメ

リカンビーフでも香り高くなる。肉は各面を中火で三十秒ずつ焼く。二分余熱で火を入れるため休ませ、仕上げに再度火入れをまた中火で三十秒ずつ各面に行い、再びフライパンから上げて二分待つ。また強火にしたフライパンで七秒ずつ焼き、肉の表面にパチパチと油が浮いて出てくればおしまいのサインだ。最後に肉をカットするまで二分余熱を入れ完成。これで時間はかかるが外サックリ、中ジューシーの松阪牛の香りを纏うくせに普通の肉なステーキの出来上がりだ。専門家から厳しい批判がくるかもしれないが、僕はこのやり方が普通の肉では一番美味しいと思っている。

 七月に並んだお肉はものにもよるが全般的に余計な油がなく、あまり胃にもたれないのもいい。同じ肉でも夏の肉は冬のそれと当然違う。

 グラスに赤ワインをなみなみと注いだ妻が戻ってきた。グラスギリギリ、まるで日本酒の枡酒のようにワインを注いでいる。テーブルに置いた瞬間、半ば予期した事態になった。手が滑ったのか僕の方に思い切り赤ワインをこぼしたのである。

 しかし夢を見ていた僕にぬかりはなかった。白装束を着てたことを思い出し、調理中までは白いTシャツを着てはいたのだが、黒いポロシャツに着替えて夕食に臨んだのだ。服は確かに赤ワインの飛沫まみれになったが、幸い白い服ではないのでそこまでは目立たない。

「あーごめんなさい。もうワインが終わりかけだったから、一気に入れちゃったの」

「いいよクリーニングに出せば。なんとかなる」

「妙に余裕ね。そういえば昼間は白い服だったわね。まさかまた夢のお告げとでも?」

「そうだよ。白装束の話をしただろう? あれで今日はせっかくのステーキだし、白い服をそのまま着てたら悪い予感がしたんだ」

「たまたまでしょ。こぼしたのは申し訳ないけどその夢の逆といわれても何の逆なのか分かりにくいわよ。あなたのこじつけだと思うけどな」

「わかってくれとはいわないけど、大事な用事や勝負服は白くない方がいい。汚れとかあるから茶色の服とかがいいよ。まあ僕の夢のお告げだけどね」

 決して妻には理解はされないだろう。でも何もかも分かり合う必要はないし、そういう余白だったり真髄の周辺がある方がきっと面白い。

 せっかくの食事も黒い服のおかげでそんなに嫌な雰囲気にもならずに済んだ。お互いに僕の夢に対する認識は、あべのハルカスの最上階と地下鉄御堂筋線天王寺駅くらいの絶望的な落差がある。でもそれでいいのだと僕は思った。

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