第四夢
第四夢
このバスで、僕は「あそこ」に向かっている…はずだった。
最初のうちは「あそこ」にある千葉のとある街外れの事業所へ向かっていると思っていたのだが、どうも様子が違う。調子も違う。まずなぜかバスは森の中へ入っていた。
このバス、本来は千葉の寂れたローカル線の駅から「あそこ」までを就業時間に合わせて送迎するために会社が用意した専用便である。
「あそこ」は海に面したコンビナートの一角にあり、明らかに窓の景色は森であり「あそこ」までの風景ではない。
バスの運転手は普段交代で運転している二人の爺さんのうちの一人だった。こっちの爺さんはやたらと安全運転にこだわり、前方に車がいない、いわゆるオールクリアな状態なのに制限五十キロの道路を三十キロで走るような運ちゃんだ。過度な安全運転だが「あそこ」では誰もが口癖のように「ご安全に」という。それは「あそこ」の根幹をなす考えであり、挨拶や社内メールの冒頭にすら使う大切なフレーズであるがこの運ちゃんに関しては「ご安全に」にもほどがある。信号機に差し掛かると誰もいなくても歩くくらいのスピードに急減速し、まるで赤信号に変わるのを心待ちにしていたかのように徐行する。ひとたび黄色に変わろうものなら、あるいは横の歩道の青信号が点滅しようものなら喜んでいるかのようにブレーキを踏む。タイヤが軋む。せっかちな僕は頭を抱える。
そういえば今日僕が乗っているこのバスは信号に全く差し掛からない。交差点どころか細い道の一本も交わっていない。曇り空の下、時速三十キロという速度で延々と森を切り開いてできた片側一車線の一本道を走り続けている。
果たして。僕はどこにいるのだろうか。スマホを探したがどこにもない。いつも持ち歩いているカバンにも、ポケットというポケットにも。僕の家から『あそこ」の最寄り駅まではあまりにも遠いので定期は二枚ある。そのうち東京駅からバスが出る最寄りの駅までのJRは定期券機能つきモバイルSuicaで通っているので、某クレジットカードのように出かける時には忘れないようにしているのにスマホがない。僕は探しあぐねて溜息をついた。それに。冷静に考えてみればこの感じじゃ例えスマホがあったとしても、位置情報が使えるような場所なんか走っていないだろう。
バスは依然として森の中の一本道。ひょっとしたら本当に僕はバレリーナに出くわすかもしれない。
ガンバレみんなガンバレ
夢のバスは東へ西へ
運ちゃんは歌い出した。
おまえが歌うんかい!
絶対に『バレリーナ』を歌うのかと思っていた。しかし同じ陽水でも『東へ西へ』だった。東西南北、今進んでいる方位も僕には分からない。しかも原曲で東奔西走するのは電車だし。あんたのアレンジしたバージョンなど聴きたくはない。
時計を見る。先程見た時から三十分くらい走っていた。つまりこのバスは良くも悪くも時速三十キロをキープしているから、乗ってから十五キロ前後走ったことになる。まだバレリーナに会える距離ではないな。まあ、いつどこでこのバスに乗ったかは分からないけれども。運ちゃんは依然無言でハンドルを微調整こそするものの、アクセルワークと速度計は几帳面に時速三十キロをキープしている。対向車もいない。退屈な道と風景はどこまでも続いていた。
梅雨の合間なのに車内は空調が効いていないらしく少しずつ蒸し暑くなっていた。僕も行き帰りはもうアロハシャツ一枚だ。事業所の制服も夏服に衣替えしていた。氷水で締めたそうめんが食べたい。冷たい水でもスポーツドリンクでも経口補水液でもなく。
僕はいつ、このバスを降りられるのだろう。
さらに感覚で十分。
腕時計を見ると十五分経過。
再度見ると二十分超え。七時五十分を過ぎている。遅刻確定だがもはや関係ないだろう。
全く一本道の終わる気配はない。
そもそも「あそこ」には向かっていないというのだから、このバスに乗り続けている意味はない。窓を開けて(開けばの話だが)飛び降りることも頭によぎった。スピード的にはワンチャン行けそうだが、何せ深い森の中のようである。青木ヶ原の樹海のような場所で一人になるのは死を意味する。でもこのバスが「あそこ」に行かない限り乗っているのは無駄だ。
もう僕はいい加減降りたいが乗る選択肢しか現実的にはない。発狂しそうになった。もとい発狂した。
降ろしてくれ! 降りたいんだ!
僕は思わず叫んでいた。
ダメです。危ないですよ、と運ちゃんの冷たい声がバス内に響いていた。
「ご安全に」
×
「そんな夢を見たのかい」
そうなんですよ、と僕はあの時速三十キロのご安全な運ちゃんにいった。
長話なので話を多少端折ったものの、骨子は二十分あるバスの発車待ちの時間で話すことができた。帰りのバスで、「あそこ」の発着所に一番近い事務所にいる関係で大抵は最初にバスに乗りこむ。僕はほぼ定位置である運ちゃんの真後ろに座り、たまに話す間柄にまでなっている。
「そんなに遅く走ってる?」
「時速五十キロ制限で三十キロはさすがに遅いですよ。安全運転も分かりますけどね」
そうでっか、と運ちゃんは前を向いて呟く。
…どうせ変わらないんだろうな。
午後四時四十分。バスが発車する定刻で今日も僕は「あそこ」を後にする。「あそこ」は始業も終業も早い。午前七時五十分に始まり午後四時二十分に終わる。日はこの六月が当然一番長い。ライトはつけずゆるゆると発車。
さっきの会話などなかったかのように、運ちゃんは今日も目の前がクリアにも関わらず三十キロで走る。鼻歌すら聞こえてきそうなまったり走行だ。そしてバスの背後の窓に目を凝らすと、やはり車が五台くらい詰まっている。
カーレース中、抜きどころの少ないサーキットで遅い車に詰まって渋滞することをかつて「走るシケイン」と表現した人がいたがいい得て妙である。かなり昔の話で恐縮だけれども思い浮かべたのはF1、BARホンダの遅いマシンを操るジャック・ヴィルヌーブであった。車は遅いがかつて年間チャンピオンにもなった絶妙な運転テクニックで、横一線で用意ドンすれば圧倒的に速い後続のマシンを抑えこみ決して抜かされることはなかっ
た。間違いなくこのバスは令和版「走るシケイン」だ。
バスが時速三十キロをキープしゆるゆると曇空のもと「あそこ」から駅へ向けて走っている。やはり前方はガラガラ、後方は車が列を作っている。一車線、追い越し禁止の道路上である。後ろのタクシーなどは何度もギリギリまで車間を詰めて煽っているようだ。
匂う。なんかヤバい。降りたいな。夢では降りられなかったから余計そう思う。
どうしたんだい?
信号待ちのタイミングで降りようとした僕の背中に話しかけてくる。
「歩いて帰ります、ご安全に」
「…あ、ああ、ご安全に」
夢の逆お告げのこともある。降りたくなったのだ。少し怪訝そうな顔をしたものの、運ちゃんはバスのドアを開けてくれた。
僕はそそくさとバスを降りた。
この感覚、なんなんだろう。急に乗っていたくなくなった。あの夢のように。幸い今日は降りられる場所だ。
降りたバスは駅に向かってくれるのだろう。それでも僕は乗っていたくなかったのだ。あの夢のことが頭を過った。
信号は歩車分離式で、タイミングが悪く僕が降りたと同時に赤になってしまった。代わりに僕の乗っていたバスが時速三十キロで僕を置いていった。
降りた交差点から駅までは大体十分弱というところか。何度か駅から「あそこ」まで歩いたことがあるのだ。この交差点の手前にインドカレー屋がある。そこを計測ポイントとして、駅から十二分ほどかかるのが標準タイムだと僕は知っている。そのインドカレー屋はさっきバスで通過した。駅まで十分かからない根拠はそこにある。ただ駅に着いても来るのはローカル線なのでどのみち十五分は列車は来ない。ゆっくり歩こう。