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夢の中へ  作者: 住川奏
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第三夢

 第三夢


 僕が雑居ビルの階段を二階に上がって理髪店に入った瞬間である。見事なまでに禿げ上がった四人の男が、いきなり背後に回り手鏡で僕の後頭部の四方から声を揃えて「お客さま後ろはこれくらいで宜しかったでしょうか」と聞いてくる。ああ、またサンドウィッチマンね。こういうくだり、コントでもあったわ。

 僕は四人を軽く受け流す。それでつかみはOKとでもほざくつもりなのか。

「これお約束なんですか」

「ええ、お客さんを迎える儀式なんで。つかみはOKでしょう?」

 …不採用。予想通り過ぎるわ。ダチョウ倶楽部とごっちゃになっているし。いい中年がヨッタリで何やってんだ。

 次の場面でもう僕は窓と鏡越しに配置されている椅子に座っていて、前掛けまでさせられていて、いつでもカットをされる用意ができていた。背後に気配がしたので見ると坊主頭の四人組ではなく、漫画家の和田ラヂヲに似ているメガネをかけニット帽を被った男がハサミを持っている。

「お客さんいつもと同じでいいかい?」

 …いや初めてなんですけど。

と思いながら口では反対に「はいお願いします」といっているのは夢ならでは、夢あるあるなのだろうか。

 ラヂヲ似が何の前触れもなく髪を手慣れた手つきで切っていく。ここはカット専門の理髪店でシャンプーはやらないのだと意味もなく今気づいた。そういえば看板に千三百八十円と妙に安い値段が大書されていたな。でも。きっと半端な八十円は不要だ。正規価格は千三百円ピッタリで会計の時八十円を一旦もらってお釣りで返す、サンドウィッチマン得意のお約束があるはずだ。

「僕ねえ、今度独立するんですよ」

 知らないよ。僕は心で呟いた。

 ラヂヲ似はこちらの反応も意に介さず話を続けている。

「中野にねえ、『ヘアサロン マンイーター』という店を出すんです」

 マンイーター。ダリル・ホール&ジョン・オーツというアメリカのユニットの代表曲ではあるが髪切りとは何も関係ない。それに人喰い理髪店かと警戒されるかもしれない。

「ホールアンドオーツお好きなんですか」

「いえ別に」

 マンイーターも謎なら、ホールアンドオーツを聞かないのはもっと謎だ。

「じゃ昔のポップはあまりお聞きにならないんですね」

「昔のポップはヘアカット100しか聴きませんけど何か?」

 …そっちでいいじゃないか。ヘアカット1500とかにすれば分かる人そんなに日本人ではいないだろうけどジワるぞ。

「ニック・ヘイワード」

 僕はそのグループのフロントマンの名前を挙げた。

「おおご存じでしたか。お歳のこと聞くの申し訳ないけど五十歳くらい?」

「今年で五十です。僕はソロになってからの方が好きですけどね、『キャラバン』とか『ザ・ワールド』とかかなり大学時代に聴いてましたよ」

「ソロかあ。ソロになってからはなんか遠くなっちゃったなあ。ニックになってからはサッパリ聞かないんですよ」

 ヘアカット100時代もソロ名義も実質変わらないのだが。何かグループやユニットで好きになった人はそのグループが好きすぎてソロになると心が離れがちだ。もともと勝手に思いを寄せてただけなのに、ソロになって違う世界に行っちゃった的なアレだ。いつもここからもネタにしていたな。やってる方からしてみれば、違う風景を見たいからグループを辞めてソロになっただけなのに。

 会話は以降プッツリと途切れた。なぜにこの人がマンイーターという店名で独立しようと思ったのか知る由もなく。

 ラヂヲ似がさらにカットを進め、右のモミアゲのあたりに取り掛かる。僕は退屈になって窓の外を見る。眼下には鏡越しに地元の商店街がはっきり見下ろせる。すると駅のある右方向から、見たことのあるイケメンが歩いてきた。小・中の同級生。

 宗太郎だ…

 真中宗太郎は今は石垣島かどこかでダイビングスクールの先生をやっているはずだ。毎年六月になると、それまでの約一年潜って撮り集めた海の生物の写真展を東京で開くため、ひと月だけ東京に帰ってくる。彼の引っ越した実家が偶然僕の住んでいるマンションとご近所さんという偶然だ。宗太郎の帰還は夏の到来を告げる。身体つきは同い年というのに締まっていて、とてもいい年齢の重ね方をしていた。しかもバブル時代でしか見なかったような煌びやかな女性と手を繋いでいる。自分とのコントラストたるや…僕はメタボ丸出しだ…と比べると、もはや東京スカイツリーの展望室と階下の地下鉄押上駅くらいの絶望的な落差である。でも惜しいな、こんなに近いのに声すらかけられない。

 前髪はどうなさいますか、と久々に声を出したラヂヲ似から聞かれ「伸びた分だけ切ってください」と答えると、何を勘違いしたのかラヂヲ似はごついバリカンを持ち出し、有無をいわさずおでこから後頭部へかけ剃り込みを入れ始めた。

 やめてください、といいたかったのだがもう数本剃り込みのラインができてしまっている。丸坊主になるしか既に選択肢はなかった。

 みるみると剃られていく前頭部に比例して、鏡に映るただでさえ良くない僕の人相が悪くなっていく。女を引き連れて帰ってきたイケメンの宗太郎がますます羨ましくなった。宗太郎が僕に気づかないでくれて本当に良かった。このシーンを見られたら結構な屈辱だ。

 こうしてラヂヲ似によるバリカンと僕の薄っぺらいプライドを削られて数分。ツンツルテン一歩手前の丸刈りスタイルが完成した。

「血を吸いましょうか」

 どうして? あなた吸血鬼ですか?

「そうです。ワタシがヴァンパイアです」

 志村けんかよ。変なおじさんみたいにいうんじゃない。いや、十分変なおじさんだ。

「だって顔が真っ赤じゃないですか。血が余ってるでしょう。余分な血液は吸っておいた方がいいですよ。失礼だけどおたくメタボだから、これが脂が乗ってて美味しいんだな」

 意味が全く分からない。まあ僕は悔しいがメタボだけど。

「そのかわり、一旦吸えばあなたももれなくヴァンパイアの仲間入り。血を吸う以外生きていく道はなくなります」

「絶対に遠慮するの一択ですよ」

「まあ皆さんそうおっしゃいますね。でも意外と吸血鬼も楽しいですよ。それに時にはトム・クルーズやブラピのようなイケメン顔に進化しますよ。アメリカの吸血鬼もいるんですが、彼らアメリカ籍の吸血鬼に至っては予告もなく血を吸って、ヴァンパイアとして生きるかそのまま死ぬかの二択を迫る鬼畜もいるんですよ。それに比べたらまだ良心的じゃないですか?」

 僕は前掛けをつけたまま咄嗟に椅子を蹴りラヂヲ似の吸血鬼から離れ、これ以上やることもないので切った髪の毛も気にせず前掛けを脱ぎ払い、ズボンの尻ポケットから財布を取り出す。こんな思いをしてまだ金を払うか、自分?

 代わりにラジオ似のヴァンパイアは店の出口を塞いだ。

「おや、逃げるおつもりですか。せっかく丸刈りにして血を吸いやすくしたのに。因みに寿命は縮みますがトマトジュースなら一食少し足りないくらいのエネルギーは得られます。弱気なヴァンパイアはみんなアマゾンでデルモンテだかカゴメのトマトジュースを箱買いしてますから。でも彼らはみんなやつれてます。脂肪分がほぼないですからね。若さを保ちたいなら生き血、それもあなたのようなメタボな人の血が一番です」

 なんでインタビューウィズヴァンパイアを床屋でしなければならないんだ。しかもトマトジュースとは。藤子不二雄の『怪物くん』の世界観まで紛れこんできたぞ。

 僕はラヂヲ似の顔を見つめ、話の隙にまわりこんで逃げようとしたが、逆にRPGでいうところの「しかし、まわりこまれてしまった」状態。この人、案外というか相当に素早い。

 あああ終わりだ。僕は覚悟を決めた。逃してくれるんじゃないのか。格闘技でデスマッチといいながら誰も死んだ人はいないように、僕も死ぬといわれて生きて帰りたい。

 ラヂヲ似の男はまた視界から消えたと思ったらもう僕の背後に周っていた。そして肩口から僕の首筋を噛む。猛烈に痛い。まさに血の気の引く思いだ。そりゃそうだ。吸われているんだから。そして身体がフワリと軽くなっていく…

 そうか、だからマンイーターなのか。ある意味人喰いだ。「人吸い」の方が相応しいか。

 薄れゆく意識。会計は払わないぞ…ってそんな場合ではない。僕は死を選ぶ。血なんて飲まないぞ。トマトジュースも飲まない。人間として死ぬんだからな…


×


「そんな夢を見たんですか」

「すいません、最後まで聞いていただいて。なんかよう分からないでしょう?」

「夢なんてそんなもんじゃないですか。急にオカルトな吸血鬼が出てくるなんて面白いじゃないですか。ここだけの話、お仕事の愚痴とかを聞かされるよりよっぽど楽しかったですよ」

「ありがとうございます」

 和田ラヂヲとは全く似ていない僕担当のカオリさんという美容師は、そもそも女性で、若いポニーテールの似合う美容師さんだ。この人ももちろんプロなので軽快にハサミを捌く感じで僕の髪の毛を切っていく。床屋やカットオンリーの店になどではなく、現実世界の僕はいつも最寄りの駅前の美容室だ。そのカオリさんにシャンプーをされ、髪を切っている。

「で、前髪はどうします?」

 彼女は軽く笑いながら聞いた。

「大丈夫、丸刈りにはしませんから」

 当たり前だ。

 でも、そのままでいいです。

 そう僕は答えた。

 触らぬ神に祟りなし。何かしらアクシデントがありそうで怖い。別に僕は芸人ではなく、すべらない話に出る訳でもないんだからこれ以上のエピソードは不要である。普通に接客してもらって普通に対価を支払えばいい。

「また変な夢を見たら、是非お話聞かせてくださいね」

 次の予約を入れ会計を済ませるとカオリさんは笑顔でそういった。


 吸血鬼も誰も出てこない当たり前の現実世界線の中、何事もなく散髪は完了。ただし家に帰るまでが散髪だ。何かあるのではないか。嫌な予感がした。

 予感は当たった。駅前商店街の通りを歩いて自宅へ向かいしばらく歩くと、歩道の脇っちょの僅かな空き地にキッチンカーが止まっており「日本一リコピンが濃い! トマトジュース!!」の貼り紙。

 興奮してきたな。面白いじゃないか。気弱な吸血鬼のようにトマトジュースを飲むのだ。僕はキッチンカーの中にいるショートカットの若い女性に声をかけた。

「超濃厚トマトジュースをください!」

 中の女性は目力が適度にあり、笑顔が知性と爽やかさに仄かな色気まで三連コンボしている素敵な人だった。モデルさんになろうと思えばなれそうなくらいだ。初夏に黒のノースリーブが似合う、というより映える。この子に投げキッスでもされた日にはおじさんはイチコロになりそうだ。インスタをやってたら絶対フォローしたい。

「超をお一つですね、ありがとうございます。八百円でーす」

「Suica使えますか?」

「大丈夫ですよー」

 彼女が視線を向けたカウンターの端末にスマホを乗せて決済する。割と時間はある。ゆっくりトマトジュースを飲もうじゃないか。

 刹那、である。

 僕の家の方向、つまりこれから差し掛かる車線のない通りの方角に、なぜか中世の鎧が大きな音を立てて落ちてきた。あのままこのトマトジューススタンドをスルーして歩いていたら頭上に落ちてきたかもしれない。良く誰にも当たらなかったものだ。商店街は一瞬騒ぎになったものの、車がまだ来ないのをいいことに誰も片づけない。行き交う人も首を傾げてスルーするだけ。

 鎧。

 なぜか僕には心当たりがあった。確か有名なヴィム・ヴェンダースの映画に空から鎧が降ってくるシーンがあったな。天使が人間界に降臨すると、天から鎧が落ちてきてそれを売って当座の金にするのだ。

 僕は主演のブルーノ・ガンツのような男性を探したが、代わりにマドンナの世紀の失敗作『ボディ』に出演して黒歴史を刻んだウィレム・デフォーのような外人がどこからともなく現れて頭をペコリと下げ、鎧を軽々と担いで立ち去っていった。ああ、そっちが出てきたのね。さっき想起した『ベルリン・天使の詩』ではなく続編の『ファラウェイ・ソー・クロース』の方だ。そうなれば主演のオットー・ザンダーがどこかにいたのかもしれない。

 亡くなった『刑事コロンボ』で有名なピーター・フォークもその天使の系統だった。鎧を売って地上の生活を始めている。そんな設定だったが…まさか現実に、東京に。鎧が落ちるとは。

「どうぞー、それにしても凄い音でしたね」

 裏手で入れていたトマトジュースをカウンターに持ってきた女の子が話しかけてきた。

 驚くべきことに領収書は電子のレシートではなく、女の子は領収証代わりの紙に万年筆で金額を書いている。お顔同様、知性と品性が感じられる美しい筆跡だった。

「プリンターがなぜか壊れちゃってて。決済はできているんですけどね。こちらレシート代わりです!」

 そういえば十月からインボイス制度の導入だけど課税事業者番号は大丈夫なのかな。もしプリンターが壊れたままだったら、レシートが証憑になるかどうか困るはずだ。そうなるとこの子は手書きをやめるのか? 綺麗なルックスに正比例する筆跡が勿体ない。

「あれ、ね。信じられないと思うけど鎧がどこかの上から落ちた音だったんです」

「鎧?!」

「意味分からないでしょ」

「ええ」

「あなたも天使と堕天使の話を知ってれば分かるかもね」

 僕は相手の反応を見ずに、そういってトマトジュースを口にした。温度は冷たくて猛烈に甘いリコピン濃厚で美味しいトマトジュースだった。後を追い、旨みもそこはかとなくグラデーションしてくる。これにコンソメを入れズッキーニやパプリカを加え冷製パスタ風にしたアレンジそうめんを作れそうだ。そうだ今日は暖かいし、夕食はそれを作ってみよう。それなら妻も食べてくれるだろう。


 そうとくればスーパーで食材を調達しよう。トマトジュースを飲み終えた僕は一端来た道を駅の方向へ引き返す。すると夢にも出てきた精悍なイケメンが僕の方に向かって歩いてきていた。女性の代わりにキャリーバッグを引き連れている。今年はどんな写真展だろう。

 自然と僕は手を挙げていた。彼が帰ってくると六月。既に半袖一枚で十分なほどの気温だがもうすぐ本格的な夏である。

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