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夢の中へ  作者: 住川奏
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第二夢

 第二夢


 今年は、夏はありません。


 二〇二三年五月。何やら世の中がざわつきそうなことなのに天達は淡々とそうテレビで話している。

 失礼ながら。さん、と敬称をつけたくならない人が世の中に何人かいる。この気象予報士の人もその一人。小倉さんの影響なのだろうか。

 しかし、夏がないって。どういうことだ。


 梅雨が明けたらすぐ秋雨前線に変わり秋になります。


 サンドウィッチマンではないがちょっと何いっているか分からない。夏だけがなくなるって? 村上春樹じゃあるまいし。これではサザンオールスターズもチューブも稲川淳二もおまんまの食い上げである。いや桑田佳祐は冬の恋人の歌がソロであったからなんとかなるか。ただ根っから海が好きで、サザンも好きだと二十年以上にもわたる夫婦生活で最近知った妻は困るかもしれない。稲川淳二はどうだろう。きっと困るだろうな。「嫌だなー怖いなー」って違う意味でいいそうだけど。彼にはリアルな怪談だろう、夏がないなんて。

 今年売るエアコンのリモコンのボタンも暖房だけになるという。そんなに簡単に生産ラインって変えられるのか? 翌年の夏はそのリモコンで乗り切れるのか? ガリガリ君の会社をはじめとして軒並みアイスを作る会社の株は今日ストップ安になるだろう。経済損失効果はいくらと計算式を小一時間問い詰めたらただの憶測でしかなさそうな数値を、経済の専門家っぽい人が深刻な表情で話している。


 数分後、急にテレビ画面が官房長官の記者会見場に切り替わった。臨時ニュースだ。

 アナウンサーが切迫した声で政府からの緊急記者会見の旨を告げる。

 官房長官が先程の天達と同じことをいっている。

 有名な女性記者が官房長官に詰め寄っている。僕は別に陰謀論者ではないので、夏がなくなるのは別に政府のせいじゃないことは知っている。

「内閣の支持率が落ちているから話を逸らそうとこんなバカなことをいっているんですか?」

 この記者は僕から見れば無鉄砲で単なる礼儀知らずなだけだ。なのに権力に刃向かっているという理由だけでジャーナリストを気取り、意識の高いお仲間には祭りあげられ、モデルにされた映画のアカデミー賞を取り、果てには誰が買うのか分からない写真集まで調子こいて出した人だ。正義の剣を自分が持っていると錯覚した人間は、その目的と手段をすり替えて相手を突き上げることに心血を注ぐものだ。加えて自分の思い込みしか相手にぶつけない、せいぜい根拠はゴシップメインの週刊誌。そのくせ自分の非は頑なに認めない。これがジャーナリストなんだって。はあそうですか。例えばあれが正義なのだとしたら、自分は悪い方の人間でいたい。でも世の中は正義が競馬でいうと七馬身くらいリードしているから人間性と比例して僕の居心地も悪い。


 夏がない。のだそうだ。

 僕自身は暑いより寒い方が好きだが、それでも暑い夏があるから寒さの良さを知るという一面もある。嫌いな虫もあまり出てこないかもしれない。冬はいつも寒くなれ、と思っている。だけど夏がないのは寂しい。僕は日本という四季のあるはずの国で生まれ育ったのだ。やはり寂しい。

 ニュースは街の人の声を流す。一番無意味なコーナーだ。

「それは寂しいですねえ」

 なんだろうこの嫌な感じのする予定調和感。寂しくない人を探す方が難しい。

 インタビューを撮影し、ディレクターがそうだと思うことしか電波には乗らない。そんな人の手を借りたディレクターの思いの発露というありがたい時間があるのなら、他のニュースを一本伝えた方がよほど有益である。画面の周りは余計でかつ誤字だらけの字幕に、別に見たくもないスタジオのキャスターのワイプ。これがないと画面が寂しいから、という話を聞いたことがあるが、そんなに字幕やワイプが必要なのだろうか。耳が聞こえない人のために字幕は必要なのかもだが、実際のところは真の意味で絵作りに自信がないだけではないのか。これら余計に見える字幕やワイプは僕には純粋に邪魔なので、僕はほとんどテレビは見ないでいるし、それでも大体人生はやっていける。

 ネットニュースも同じだ。SNSで素人評論家(メディアが引っ張ってくる専門家・評論家と同じくらいの怪しい信用度だ)の意見をいくつか並べて記事は一丁上がりの簡単なお仕事だ。つくづくお手軽で欺瞞に満ち、他人の責任には鬼のような形相で迫り、自分のミスや都合が悪い事実にはダンマリになる。ダブスタがデフォルトなのだ。

 そんなマスコミこそ一番の勝ち組なのだろうが、世の中とは覚えたての社交ダンスのごとく足並みが揃わない僕には向いてないし、何かの間違いで頭角を現わしたら僕は最も彼らに叩かれやすいだろう人間だ。世間の流れを知る程度にしかニュースの類には接したくはなかった。ほとんどのメディアに許容範囲を超えたバイアスがかかっているのだから。

 そういえば、ふと別のことに気づく。僕はアロハシャツを十数着持っていて、高温多湿の日本の夏にはこれほど合う服はないと思って毎年一着ずつ買うのを夏のイベントにしてたのだけど、それもなくなってしまうのか。洗濯物や布団も考えて、晴れの日に一気に外干ししないとな。ただ梅雨前線が秋雨前線に急変する、といってたので上手く隙間の晴れの日を狙わなければならない。夕立はどうなるのか。ゲリラ豪雨はなくなるのか。夏の計画は全部中止だ。嘘じゃないぞ。夕立どころじゃない。今年は夏自体がないんだぞ。

 改めてテクニカルに数値で出すと、今年に限っては全国どこでも最高気温が夏日といわれる二十五度を上回る日が一日たりともないということらしい。沖縄の気温ですらここ東京に同じく今年はこれから二十五度を越えないそうだ。一時期に否応なく「夏が来る」と耳歌っていた大黒摩季にも「お気の毒ですが今年は夏が来ないですよ」といってやりたい。

 そうか、街中華から「冷やし中華はじめました」の掲示も消えるのか。あのAMEMIYAの歌も思い出さなくて済むのか(いや、既に思い出している)。僕は冬にそうめんも冷やし中華も食べるぞ。一般的なお酢の利いた醤油ダレではなく、我が家はごまダレ派だけど。

 一緒に居間でテレビを見ていた妻に話した。

「今年夏がないんだってよ」

「ちょっと何いってるか分からない」

 妻も同じことをいっている。

「でもそうなんだって。最高気温が二十五度を超える日が今年は一日もないんだよ」

「いつハイレグの水着を着ればいいのよ」

 ハイレグ。昭和だ。そうなのだ。妻はこの昔の水着を未だに持って夏の海に良く泳ぎに行く。僕も昭和だけど。体型の維持を五十になってもできているのは尊敬ものではあるが。

「温水プールに行けばいいだろう?」

「答えになってない。屋内だと日焼けもできないし」

 サンオイル、売れないだろうな…

「どうしていい歳こいてそんなに見せたがるんだ? こっちが恥ずかしいんだよ」

「あなたなんかよりは恥ずかしくないわよ、メタボと一緒にしないで。やることやっているんだから」

 まあいい。恥をかくのは僕じゃないし、それに。今年は夏がない。

 僕はテレビを消した。後は同じようなシーンがリフレインのように叫ぶだけだろう。

「そうめんどうしようか…」

 僕は良くそうめんを茹でる。特に夏になると頻繁に作っている。安いうちに揖保乃糸を大量に購入しストックしては、特に暑い夏では大量に消費してしまっているのだ。僕は麺つゆでは食べず、胡麻油と秋田から取り寄せるとびきりの白だしをベースにした動画で見た料理研究家のレシピをマイナーチェンジしたものを作る。もう麺つゆには戻れないくらいンマい。でも夏がない。どうしたものだろう。食べるには食べるがペースが落ちる。

「あなたが食べなさいよ。あなたがあんなに山ほど買ったんでしょう?」

 妻はそうめん以上に冷たい。

「冷製パスタ風に作れば食べてくれる?」

「暑ければいいわよ。でも夏が来ないならあたしは食べないわよ?」

 このまともじゃない状況でまともなことをいってくる。そうめんだけに上手く流すんだ、この人。

 仕方ない。冬に食べるとはいえ、個人的に温かい煮麺にするよりは冷たい油そうめんの方が好きだ。寒い時にも時々食べるが夏ほどではない。まずは最高気温が二十四度の日、あるいは二十度を超える日を選んで一人で食べるしかないだろう。

「海の家とか、大変だろうね」

 妻がポツリという。

 そういえばハワイとか日本以外の暑い地域はどうなるのか。天達も政府もそこには触れていなかった。ハワイが普通の気候だとしたら結構な夏好きがワイキキとかに押し寄せるのではないだろうか。残念ながら僕は北欧にしか興味はないけれど。

 僕はスマホの天気アプリで登録している北欧各都市の天気を見てみた。ノルウェーのオスロ、デンマークのコペンハーゲン、スウェーデンのストックホルム、フィンランドのヘルシンキ。最高気温はどこまでいっても摂氏十度ピッタリの横並びである。北とはいえ夏は時折二十五度超えを普通に叩きだす時もあるのに、やはり彼らにも等しく夏は来ないようだ。

 アフリカやアマゾンのジャングルはどうなるのだろう。温暖化とあれほど叫ばれてたのに、そしてその温暖化に一定の歯止めがかかったのに環境関連の学者はSNSを見る限り誰も言及していない。南極や北極の氷が溶けることもない、氷河も後退することはない。あなた達が口をレモン千個分に酸っぱくして唱えてきた理想に今年は合致するんだよ? いいじゃないか、えすでぃーじーず。これにて地球の一年分は持続可能性が伸びたぞ。実感も興味もないけど。

 僕はなんとなくウォークインクローゼットに入る。周りを見渡せるくらいの広さだが、なるほど今年は大きな衣替えは必要ないんだな。半袖やらアロハシャツを引っ張り出すこともない。まあ二十度超えなら半袖で少し涼しいくらいかな。面倒が一つだけ減った。

 とはいえ。やはり夏がないのは寂しい。


 ×


「そんな夢を見たんだ」

と、妻。

「突拍子もない夢だったよ」

と、僕。

「でもこればっかりはお天気の話だし、ヘンテコ妄想癖のあなたにも対策のしようもないんじゃないの?」

 確かにそうだ。お天道様は誰にも邪魔はできない。対処療法だけだ。

 多分だけど、と妻がいう。

「今年猛暑になると思う」

 まだ五月だけど、と付け足す。

「ああそうなるだろうね」

 僕も少し落胆しながら同意する。あの夢の反対。ということは、猛暑だ。

「もちろんあなたの夢なんか信じてないわよ。でも温暖化っていわれてるからかもしれないけどさ、ここんとこ桜が散ると大体すぐ夏日になるでしょう?」

 そういえばそうだ。十月も夏日が終わると途端に寒くなる。夏ではなく春や秋の日がここ十年ほどで少なくなっているのは感じる。

「十月過ぎまで三十度超える日も出てくるんじゃないかしら。最近異常だもん」

 そうだねえ、と僕は同意した。

 夢の答え合わせはそこから約半年かけてだったが、二〇二三年の東京は夏がないどころか猛暑続きであった。妻のほぼいう通り九月まではほぼ毎日最高気温が三十度を超え、熱中症でバタバタ人が倒れた。十月になっても夏日が続くほどの激しい夏だった。

 我が家といえば僕のそうめんの消費は尋常ではなく、あれだけいっていた妻も何度も一緒に食べるほどだった。妻になじられるほどそうめんや白だしを買いだめしたのだけは間違いでなかったのだ。

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