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うちの村に無能が転生してきました  作者: 投降の旗印


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11. 師匠と弟子

ー(マーヤ視点)ー

 私は、かつてないほど清々しい朝を迎えていた。窓から差し込む朝日は柔らかく、ゲリスの街を包む湿った空気さえも今は心地よく感じられた。


 昨日、ガーベラさんが自分を正式な弟子として認めてくれたという事実は、私の心の不安を完全に消し去っていた。


 なんでガーベラさんは急に考えを変えたんだろう。


 昨日の夕食の時の「なぜ私の弟子になりたいのか」という問いに対し、私はただ正直に、ガーベラさんの勉強熱心さに感銘を受けたと答えただけだった。自分の中では、弟子になるための試練の一環として、取り繕わずに答えたつもりだったけど、あの回答のどこに彼女を動かす要素があったのか、私にはまだ分からない。


 私は身支度を整え、下の階へと降りた。そこにはすでに、ガーベラさんが用意した朝ごはんが並んでいた。


「あ、ガーベラさん……あ、いえ。師匠、おはようございます! 朝食の準備、手伝えなくてすみませんでした。」


 私が慌てて謝ると、ガーベラさんはいつも通りの淡々とした口調で答えた。


「おはようございます。私も昔はそうでしたから、気にする必要はありません。まずはしっかり食べてください。」


 その言葉には、かつてガーベラ自身が母の弟子だった頃の記憶が重なっているようだ。二人は向かい合って座り、静かに食事を済ませた。昨日までのような刺すような緊張感はなく、穏やかな沈黙が流れていた。


 食後、二人は黙々と開店の準備を始めた。棚の埃を払い、床を掃き、カウンターを整える。ガーベラさんの動きには一切の無駄がなく、私はそれを見逃さないよう必死に目で追った。


 準備が整い、ガーベラさんが入り口にピンクの暖簾を出すと、彼女は私を奥の作業部屋へと呼んだ。そこは多くの植物の標本や研究資料、そして独特の薬草の香りに満ちた、私にとって憧れの空間だった。


「マーヤさん。今日からあなたは私の正式な弟子です。ですから、私が教えられることは全て教えるつもりです。」


 ガーベラさんはそう宣言すると、一枚の紙を手渡した。そこには、30種類の薬草の名前とその効能、特徴が細かく記されていた。


「これは、私がかつて薬の先生に最初に教わった薬草のリストです。時間はかかっても構いません。これら全てを完璧に覚えてください。」


 さらにガーベラさんは、棚から一冊の分厚い本を取り出し、私の前に置いた。それは何十年も使い込まれた形跡のある植物事典だった。


「より深い知識が必要な時は、この事典を使ってください。知識は医者の武器であり、患者を守る盾となります。」


 私はそのリストと、ずしりと重い事典を受け取った。


 これほどの膨大な量を覚えられるだろうかという不安がよぎったが、同時に、ガーベラさんが自分に期待してくれているという喜びが胸に溢れた。彼女の期待に必ず応えなければならない。私は強く決意した。


 ふと私は気になっていたことを口にする。


「あの、師匠。私のこと、マーヤさんと『さん』付けで呼ばなくて大丈夫ですよ。私は弟子なんですから。」


 ガーベラさんは少しだけ虚を突かれたような顔をしたが、すぐに納得したように頷いた。


「そうですね。では、これからは『マーヤ』と呼びます。」


「はい! よろしくお願いします、師匠!」


 こうして、名実ともに師弟となった私達の生活が本格的に始まった。


 私は受付に立ちながら、暇を見つけては渡された薬草リストとにらめっこを続けた。


 しかし、そう簡単ではなかった。リストに書かれている名前の多くが聞いたこともないような複雑な響きで、全く頭に入ってこないのだ。


 どうしてこんなに難しいの……? 薬草の名前って、もっと覚えやすいものだと思ってたのに...。


 困り果ててガーベラさんに相談すると、彼女は作業の手を止めることなく教えてくれた。


「それは当然です。薬草の正式な名称は、古ファミル語に由来しているものが多いのです。私たちが日常で使っているホルミ語の名前とは、全くの別物と考えた方がいいでしょう。」


 ガーベラさんはさらに、自分がかつて書き留めたという「古ファミル語とホルミ語の草の名前対応表」をくれた。それがあれば、少しは理解が進むはずだという師匠の配慮を感じる。


 それからの日々、私は受付でリスト、事典、そして対応表の三点を広げ、暗記に没頭した。


 もちろん、患者が来ればそちらの対応を最優先にした。


 ゲリスの街の人々は、新参者の私を快く受け入れてくれた。港町特有の開放感があるのか、皆気軽に話しかけてくる。


「よう、新人さん。今日も頑張ってるな。」


「ありがとうございます! お薬、用意できてますよ。」


 私の接客は、街の人々の間で評判になっているようだ。ある常連の患者は、こっそりとこう漏らした。


「あんたが来る前、ここは本当に近寄りがたい雰囲気だったんだ。ガーベラさんは腕はいいんだが、あんなに無愛想だろう? 用件だけ済ませてさっさと帰るしかなかったんだよ。でも、あんたが来てから店がパッと明るくなった。ここに来るのが楽しみになったよ。」


 分かる。私は今でも師匠と話すのが少し怖いと感じてるもん。


 ガーベラさんも、ある日の営業終了後にマーヤへこう告げた。


「マーヤ。あなたが来てから、この店の空気が変わりました。患者さんたちの表情が和らいでいるのを感じます。あなたがいてくれて良かったです。」


 師匠の役に立っているという実感。それが、今の私を支える何よりの糧だった。


 それから数日が経ったある日の午後のこと。私がいつものように受付で薬草の効能を復唱していると、一人のキンミ族の男性が店に入ってきた。


 この店にはたまにキンミ族の客も訪れる。私は、彼らに対して生理的な苦手意識を持っていたが、医者を目指す者として、差別をせずに接しようと努めていた。


 しかし、その男性は今まで見てきたキンミ族とは明らかに雰囲気が違っていた。


 多くのキンミ族は卑屈な態度を取ったり、何かに怯えたりしているものだが、彼は堂々と胸を張り、周囲を値踏みするような鋭い視線を向けていた。


「ガーベラはいないのか?」


 男はカウンターに手を突き、尊大な態度で尋ねた。師匠を呼び捨てにするその横柄な物言いに、私の負けん気が顔を出す。


「今、少し裏で作業をされています。どのようなご用件ですか?」


 私は意識的に語気を強めて答えた。だが、男は臆することなくニヤリと笑った。


「ガーベラに話があると言ったんだ。お嬢ちゃんには関係ねえ話さ。」


 そのやり取りが聞こえたのか、奥の暖簾が上がり、ガーベラさんが姿を現した。


「……サムダじゃないですか。」


「よう、ガーベラ。元気そうで何よりだ。」


 ガーベラさんは眉をひそめ、私に告げた。


「マーヤ、彼は私の知人です。失礼な態度をとってはいけませんよ。」


「えっ……でも、彼があまりに失礼な言い方をするから……」


「いいから、謝りなさい。」


 私は納得がいかなかったが、師匠の命に従い、渋々頭を下げた。サムダと呼ばれた男は、満足そうに鼻を鳴らした。


「それで、サムダ。わざわざ店まで来るということは、例の件に進展があったのですね?」


 ガーベラさんの問いに、サムダは顔を近づけて声を潜めた。


「ああ。あんたに頼まれていた、あのキンミ族の若造……ユウトだったか? そいつを見つけたぜ。」


 ユウトの名前を聞いた瞬間、私の心臓が跳ね上がる。


 家出した彼が、どこで何をしているのか。最悪の事態も想定していただけに、手足に力が入りそうになるのを必死で抑えた。


「ユウトが……! 彼は今、どこにいるんですか? 無事なんですか?」


 私が詰め寄ると、サムダは可笑しそうに肩を揺らした。


「落ち着けよ、お嬢ちゃん。あいつはピンピンしてるさ。何をしてると思う?」


 私には見当もつかない。街のことも知らず、魔法も使えない彼が、一人でどうやって生きていくつもりなんだろう。


「あいつは今、港で働いてるよ。キンミ族が集まる積み荷降ろしの現場だ。あのひょろっとした体で、荒くれ者たちに混ざって必死に働いてやがる。」


 私は耳を疑った。自堕落で、家事さえも手伝おうとしなかったあのユウトが、港で肉体労働をしているという。


 驚きと、そして少しの安堵が混ざり合った複雑な感情が、私の胸の中に渦巻いていた。ユウトは自分の言葉に「誠意」を見せようとしているのだろうか。それとも、ただ生きていくために必死なだけなのだろうか。


「ほんじゃ、またよろしくな~。」


 サムダは報告を済ませると、足早に店を出ていった。


 私は彼が出ていった扉を眺めていた。


 ユウトが仕事......。


 呆然とする私に向かってガーベラさんは優しく話しかけた。


「会いに行きますか?」


「はい。」


 私は小さくうなずいた。

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