魔王を崇拝する教団 1
パーティー会場に残されたヴィオラが泣き崩れている。むちゃくちゃ目立っているが、誰も近づこうとしない。それどころか、遠巻きにヒソヒソと話している始末だ。
だけど、それも無理はない。ヴィオラはさきほど、主催者の娘にしてパーティーの主役、リディアにワインを引っ掛けたばかりか、そのことを糾弾されて泣き崩れた。
そんな娘に積極的にかかわりたいと思う者はいないだろう。
……とはいえ、それは周囲の人間の印象だ。ワインを零したのは背後からぶつかられたからだし、リディアにあれこれ言ったのだっておそらく悪気はない。
これは俺の憶測だけど、ヴィオラはリディアを嫌っている訳じゃない。それどころか、ツンデレ的な感じでリディアを慕っているように思う。
平民の俺がリディアの側にいるのは相応しくない――とか、そのまんまだ。リディアみたいな高貴な人間には、高貴な人間が相応しい。という意味だと思う。
だから――
「ヴィオラさん、大丈夫ですか?」
俺はいまだへたり込んだままの彼女に声を掛けた。
「……なによ。リディア様に見放された私を笑いにでも来たんですか?」
「いいえ。でも、そこで泣いていると笑われますよ」
だから――と、右手を差し出した。彼女はその手を驚いた顔で見つめ、それからぷいっとそっぽを向いて自力で立ち上がった。
だけど、無粋な視線はいまだヴィオラに向けられている。いや、リディアのパートナーだった俺が話しかけたことで、周囲の視線をさきほどよりも集めてしまっている。フォローをするべきだと思うんだけど、このまま目立つのは逆効果かもしれない。
「ヴィオラさん、少し会場の外に行きませんか?」
周囲の視線が――と言外に示せば、それ気付いたヴィオラがそうですねと頷いた。
そうして彼女を会場の外、人気の無い廊下へと連れ出した。本当なら休憩室まで案内するべきだけど、それを男の俺がすると誤解を招きかねない。
休憩室はあちらですと場所だけ示して立ち去ろうとする。
だけど――ヴィオラが俺の服の袖を摑んだ。
「……なんですか?」
「貴方、アルトさんと言いましたわね。リディア様とはどういった関係なのですか?」
「どうと言われましても。さきほど言った通り、パートナーですが」
「いえ、どうやって知り合ったのかとか、そういう話です」
「ホーリーローズ伯爵家で剣客としてお世話になっています。それ以上のことは……すみませんが、俺の口からは言えません」
「そうですか……」
平民のくせに生意気な――みたいなことを言われるかと思ったけど、ヴィオラは素直に引き下がった。こうして話していると意外にまともだ。
リディアのことが絡まなければ、わりと常識人なのかもしれない。
ともあれ、最低限のフォローは終えた。
今度こそと踵を返そうとすると、またヴィオラに袖を摑まれた。
「……今度はなんですか?」
「いえ、その……リディア様は怒っているでしょうか?」
「それは……かもしれませんね」
リディアも、ワインを引っ掛けられたことは事故だと分かっているはずだ。
ただ、あの怒り方は、ヴィオラが俺を平民として侮ったことで、女伯爵として苦労している母親を揶揄されたのだと思って怒った節がある。
だとするなら、いまも怒っている可能性は高い。
「後悔しているのなら、謝罪したらいかがですか?」
「……それは」
ヴィオラは唇を噛む。
その煮え切らない態度に焦れったさを覚えた。
「ヴィオラさんは、リディアと仲良くしたいと思っているんですよね?」
「は、はぁ!? な、なななにをおっしゃっているのか、わかっ、分かりませんわ!」
分かりやすすぎて吹きそうになった。そうして生暖かい視線を向けると、さすがに彼女も自覚したのだろう。「そんなに分かりやすかった……ですか?」と俺に視線をチラリ。
「……まあ、俺のことは揶揄しても、リディアのことは揶揄していませんでしたから」
俺がそう口にした瞬間、ヴィオラの表情がぱーっと輝いた。
「まさにその通りです。実はわたくしの実家は子爵家とは名ばかりの、成り上がりの家なんです。それで他の貴族から成金と侮られていたんですが、リディア様だけは私の家を侮らなくて、実力がある証だ――と。だから私、リディア様のことを心から尊敬しているんです。高貴な人間とは、彼女のことを指す言葉だとすら思っています!」
「そ、そうなんですか?」
なんか彼女のスイッチが入ってしまった。そうして圧倒される俺に対し、ヴィオラは「ですが――」と、再び表情を陰らせた。
「彼女が平民の貴方と仲良くしていると知って……その、彼女の高貴さを損なうと思ってしまったんです」
「生まれで人を見下さないからこそ、リディアを高貴だと思ったんですよね?」
「ええ、その通りです。冷静になったいまなら、私の怒りは筋が通らないと分かります。たぶん私は、アルトさんに嫉妬していたんだと思います。だから、その……さっきは失礼なことを言ってごめんなさい!」
そういって頭を下げた。ヴィオラはリディアが高貴だと褒めちぎっているけど、自分の過ちをそんなふうに認められるヴィオラもすごいと思う。
もちろん、リディアに素直になれないことは別だけど。
「俺は最初から気にしていません。でも、リディアには謝った方がいいですよ」
「……それは分かっているんです。でも……彼女を前にすると」
「素直になれない、か。気持ちは分かる。でも、仲良くしたいなら変わるべきだ」
「……変われるでしょうか?」
「さぁな。でも、変わろうとしなければ、変われるものも変われないんじゃないか?」
「そう、ですね。ありがとうございます。私、変わりたいです」
「そうか……じゃあがんばれ。心から謝れば、リディアは許してくれるはずだ」
「はい、ありがとうございます!」
やはり根は素直だ。
ツンデレなのはリディア限定、と言ったところかな?
そうなると、またツンデレをこじらせないか心配だ。謝罪の場には立ち会った方がいいかもしれない――とそこまで考えた瞬間、視界の隅にメッセージが浮かび上がった。
『メインストーリーが開始されました』
これは……俺がこの世界に来たときに見たシステムメッセージ? でもメインストーリー【魔王を崇拝する教団】って……まさか、リディアの身になにか起きるのか?
そう気付いた瞬間、俺は一歩を踏み出した。
「ア、アルトさん?」
「リディアのところへ向かいましょう」
「え、いや、さすがにいまから謝りに行くのは――って、アルトさん!?」
驚くヴィオラを置き去りに、俺はリディアがいるであろう休憩室を全力で目指した。廊下の一番奥にある、ホーリーローズ伯爵家が使う休憩室。
急いでノックをする。
「リディア、いたら返事をしてくれ!」
どんどんと激しくノックするが反応がない。
「くっ、悪いが開けるぞ!」
非常時だとドアを開け放って部屋に飛び込んだ。
そこにリディアの姿はない。
だが、床にはリディアのドレスが脱ぎ捨てられ、窓が開け放たれている。
「……っ、遅かったか」
2
リディアを攫われてしまった。そして、さきほどのメッセージから考えるに、攫ったのは魔王を崇拝する教団の関係者としか思えない。
だけど、襲撃があったにしては部屋が荒れていない。近接戦闘を苦手にしているとはいえ、聖女としての彼女は世界最強といっても過言じゃない。
たとえ不意を突かれたとしても、簡単に攫われるはずはないんだけど……って、そういえば、エリスの姿もないな。そうか、彼女が人質になったのか。
だとすれば――と、サーチの魔術を使う。
……見つけた。馬車に運び込まれる二人の反応がある。
状況から考えてリディアとエリスだろう。
「アルトさん、貴方、一体なにを……って、これは?」
遅れて駈けてきたヴィオラが部屋の様子を見て目を丸くする。
「ヴィオラ、エリザベスさんに伝言を頼む。リディアとエリスが馬車で連れ去られた」
「……はい?」
いまはまだ捕捉できているけれど、距離が開くとそれも危うい。ゆっくりはしていられないと、俺が開け放たれた窓に足を掛けた。
瞬間、ヴィオラが俺の肩を摑む。
「――って、アルトさん、なにを!?」
「詳しい話をしている暇はない。とにかく、俺の話をエリザベスさんに伝えてくれ」
「待ってください。攫われた? それは本当なんですか?」
「この部屋に二人がいない。それが答えだ」
「だ、だとしても、説明ならアルトさんがすればいいじゃないですか! 私のさっきの醜態を見たでしょう? 私がそんな話をしても、エリザベス様が信じてくださるとは思えません」
ヴィオラの泣き言を聞きながら馬車の位置を捕捉する。
屋敷を出た馬車が、東に向かって走り始めた。
「ヴィオラ、変わるって決めたんだろ!」
一喝すればヴィオラは目を見張った。
それから拳を握り締め、強い意志を秘めた目で俺を見返した。
「……分かりました。エリザベス様には私が伝えます!」
「ああ、信じる」
そう言い残して、俺は二階の窓から飛び出した。スキルで跳ね上がった身体能力を駆使して難なく一階に着地。厩舎で馬を借り、そのまま正門へと駈ける。
それに気付いた馴染みの門番が行く手を遮った。
「……アルトさん、そんなに急いでどうなさったんですか?」
「さっき馬車が出ただろう? その馬車でリディアとエリスが攫われた。後から来る者達に、馬車の特徴と、俺が先行していることを伝えてくれ。それと――剣を借りる」
「え、あ、ちょっと!?」
馬に乗ったまま門番から剣を受け取り、一方的に後は任せたと屋敷の外へ飛び出した。
そうして馬を走らせながらサーチの魔術を使用した。
馬車は目立つことを嫌ってか、夜の帳が下りた表通りを普通の速度で移動している。おそらく、まだ拉致が発覚していないと思っているのだろう。
であれば、追いつくことは可能だ。
それに、攫われたのなら、二人はまだ無事と言うことだ。というか、リディアのスペックを考えれば、彼女自身が酷い目に遭う可能性は低い。
攫われたのはおそらく、エリスを助ける機会をうかがうためだろう。
だけど、安心は出来ない。
だって、虚空に浮かんだメッセージによれば、これがメインストーリーだ。
これがゲームのストーリーのようなものだと考えるなら、当事者は間違いなくリディアだろう。そして、リディアは聖女で、聖女の天敵は魔王だ。
魔王を崇拝する教団に攫われたリディアが、魔王を打倒すると決意する。物語の始まりとして、王道を考えればこんなところだろう。だが、リディアは過去にも一度攫われている。もう一度攫われただけなら、魔王を討伐すると決意する動機には弱い。
そこまで考えれば、エリス持つ異質な過去が浮かび上がってくる。
エリスはリディアの腹違いの姉だ。
家庭の事情で名乗ることが出来ず、だけどいつかリディアに姉だと名乗ることを夢見ている。そんな彼女が人質になって、リディアが連れ去られる原因となった。
ゲームで似たようなパターンならいくらでも見たことがある。そのパターンに当てはめれば、自ずとこのイベントの結末も予想できる。
たとえば、エリスを人質に取られて追い詰められるリディア。
それを見たエリスは、自分の身を犠牲にリディアを救う。どうして庇ったのだと泣きじゃくるリディアに、エリスは「私は貴女の姉だから――」と打ち明けて力尽きる。
姉のように慕っていたエリスが本当の姉だった。それを知ったリディアは、最愛の姉を奪った魔王を崇拝する教団――延いては魔王を討伐すると決意する。
――とか。
ありそうだ。すごくゲームにありそうな展開だ。
もちろんこれはゲームじゃない。だけど、ゲームを模した世界。ゲームのようなシステムメッセージが出る世界だということの意味を、もう少し気に留めておくべきだった。
どうか間に合ってくれ――と、俺は祈るような想いで馬を走らせた。
3
ワインで汚れたドレスを脱ぎ捨てたあの後、侵入者達にエリスを人質に取られた。
私だけならいくらでも切り抜ける術はあったけど、それをしたらエリスの命の保証は出来ない。だから私は、素直に連中に従う決断を下した。
――結果、私は馬車で連れ去られ、倉庫街にある古びた屋敷の一室に閉じ込められた。
私の魔術を警戒しているのか、ロープで縛られ、猿ぐつわをされている。いつもの服装なら暗器の一つも持っていたけれど、ドレスの下に来ていたキャミソール姿ではそれもない。
でも、それでも、私一人逃げ出すくらいならどうとでもなる。
だって、私の習得スキルはほとんどがレベル6だ。
そしてレベルが6あれば英雄にだってなれる。レベル10の魔王には遠く及ばないけれど、魔王を崇拝する教団のメンバーに後れを取るつもりはない。
だから、問題なのはエリスが人質に取られていること、なんだよね。
敵が隙を見せたらエリスを救出して逃げようと思っていたのに、敵はそれを警戒しているかのように、最後までエリスから目を離さなかった。
そうして屋敷に連れ込まれたいまも、別々の部屋で拘束されている。
いますぐにでもエリスを助けたい。
でも、一度でも失敗したら今以上に警戒される。チャンスは一度きりだと思った方がいい。だから焦燥感を抑え込み、エリスを助けられる機会をうかがっていた。
そしてほどなく、状況に動きがあった。
私を閉じ込めている部屋に、誘拐犯の仲間とおぼしき者達が姿を現したのだ。
やってきたのは二人だ。一人は教団の司祭らしき男性で、もう一人はフード付きのローブで顔を隠している。シルエットからしておそらくは女性だろう。
「いままで手を焼かせてくれたな」
司祭が声を掛けてくるけれど、猿ぐつわをされたままの私は喋れない。それに気付いたのか、司祭が私の猿ぐつわを外した。
「――エリスはどこ? 彼女は無事なの!?」
「エリス? あぁ、あの女なら、他の部屋に閉じ込めてある。そして、無事かどうかという質問だが……もちろん無事だ。聖女、おまえが大人しくしているあいだは、な」
「――っ」
思わず唇を噛んだ。
司祭は私が聖女であることを知っている。その上で、エリスが私の人質として有効なことまで知っていた。それはつまり、私の情報を漏らした人間がいる、ということだ。
……まさか、アルトさん?
違う……と思う。
だけど、アルトさんは魔王の名を継ぎし者――つまりは魔王だ。彼がこの件にかかわっていない可能性を否定する材料はなに一つとして存在しない。
「……どうして私が聖女だと知っているの?」
「なぜ? あの事件のときからそれは周知の事実だ。もっとも、知っているのは、俺を含めても数えるくらいしかいない。上層部の者だけだがな」
「……そう。なら目的は? 私を攫った目的はなんなの?」
「目的? そんなものは決まっているでしょう。魔王様を復活させることよ」
答えたのは、司祭の横にいたフード付きローブを目深く被った女性だ。彼女はその言葉と共にフードを脱いだ。その下から出てきた頭には小さな角があった。
――魔族だ。彼女の容姿は、伝え聞く魔族の特徴に一致している。つまり、魔族が魔王を復活させようとしている、ということになる。
普通なら、その事実に恐怖するか、あるいはたちの悪い冗談として信じようとしないだろう。だけど、私は……
「なにを笑っている? 魔王の復活と聞いて、恐怖で気でも触れたのかしら?」
魔族に指摘されて、私は自分の頬が緩んでいることに気が付いた。
でも……仕方ないよね。
彼らとアルトさんが無関係だって分かったんだから。
「魔族のくせに、魔王のことをなんにも知らないのね」
魔王の敵として、聖女を排除しようとするなら分かる。だけど魔王を復活させたいのなら、私ではなく、魔王であるアルトさんにコンタクトを取るべきだった。
なのにそうしなかった。
それはつまり、彼らがアルトさんの存在を知らない、ということに他ならない。
「魔族である私に向かって、魔王様のことを知らないと、そう言っているのかしら?」
「あら、そう聞こえませんでしたか?」
「ならば、貴女はなにを知っているというのかしら?」
「それ、は……」
今更ながらに口を滑らせたことを自覚する。
魔王を崇拝する教団がアルトさんのことを知らないのなら、そのまま隠すことで大きなアドバンテージを得ることが出来る。なのに、私はなにをやっているのよ。
「……なにか隠しているようね。痛い目に遭いたくなければ素直に話しなさい」
「お断りよ」
「そう。なら仕方ないわね。……せいぜい後悔しないことね」
魔族が司祭に意味深な視線を送った。それを受けた司祭が私に近付いてくる。
どうしよう? サーチの魔術でも、肝心のエリスが見つからない。この状況から部屋を逃げ出し、エリスを見つけて、一緒に逃げられる?
……ダメ。私はそこまで自信家じゃない。
でも、このままじゃ……っ。
「くくっ、聖女の悲鳴は、さぞかし魔王様の糧になるでしょうな」
司祭の手が私の頬に触れた。
気持ち悪い。いますぐにも魔術で拘束を焼き払い、司祭の顔をぶん殴りたい。でも、そうしたらエリスがまた人質に取られるかもしれない。
私は、どうしたらいいの?
「……誰か、助けて」
そう呟いた瞬間、廊下へと繋がる扉が蹴破られた。
4
リディア達を乗せた馬車は、町外れの倉庫街にある屋敷の敷地に入っていった。それを確認した俺は、後から来た騎士団に分かるように目印を付ける。
そうして満を持して、二人を助けるために屋敷へと忍び込んだ。
ここは魔王を崇拝する教団のアジトの一つなのだろう。信者らしき者達が何人も屋敷に詰めている。それを掻い潜り、まずはエリスを救い出した。
見張りを昏倒させた俺は、エリスを抱えて二階の窓から飛び降りる。そうして少し離れた場所にまでエリスを抱えて運び、猿ぐつわと拘束を解いた。
「アルト様、リディアお嬢様を助けてください!」
「心配するな。もちろんそのつもりだ。……あぁ、それと、後から騎士団が来るはずだから伝言を頼む。中に魔王を崇拝する教団の連中がいる。俺がリディアを助けたら合図するから、突入して連中を捕まえてくれって」
「かしこまりました。どうか、お嬢様をよろしくお願いします」
エリスに見送られ、俺はエリスを逃がした二階の窓から屋敷の中へ再潜入を果たした。サーチの魔術で見回りを回避して、リディアが捕らえられている部屋の前へと到着する。
部屋にはリディア、それに誘拐犯の一味が二人いることを確認済みだ。出来れば、彼らが部屋から出た後にリディアを助けたい。
そう思ってドアの隙間から部屋の中をうかがう。
その瞬間にそれは起こった。
誘拐犯の手がリディアの頬に触れた。それを目の当たりにした瞬間、俺は後先考えずに扉を蹴破っていた。リディアに手を伸ばしていた司祭が驚いて振り返る。
その横で、ローブを纏った女が即座に警戒態勢を取った。
――って言うか、魔族!?
「な、何者だ!?」
俺が魔族に驚いている一瞬の隙、司祭がリディアを盾にするように俺から距離を取った。
……失敗した。各スキルレベルが10のリディアがどうにかなるはずがない。なのに俺は、司祭の手がリディアの頬に触れたという理由だけで貴重な機会をドブに捨てた。
――いや、落ち着け。
リディアが大人しくしているのはエリスが人質に取られていると思っているからだ。エリスを解放したことを教えれば、リディアは敵を蹴散らすだろう。
まずは司祭の気を逸らすところからだ。
「俺は彼女の護衛だ」
「護衛? 外にいた連中はどうした?」
「さあな。居眠りでもしてるんじゃないか? あぁそれと、エリスは助け出した」
後半はリディアに伝えるために付け加えた。これで、リディアが遠慮する必要はなくなる。
そう分かってはいた。
分かってはいたんだけど……
「貴様のような護衛がいるのは計算外だ。だが……考えてみれば当然か。この娘は――」
司祭がみなまでいうより早く、いきなりリディアが立ち上がった。
彼女を拘束していたロープは焼き切れている。
「なっ、縄を焼き切っただと!? くっ、さすがはせ――」
「黙りなさいっ!」
「――ぐはっ!?」
司祭は聖女と言いたかったのだろう。
でも、それより早く、司祭の顔面にリディアのグーパンがめり込んだ。
……って言うか、グーパンって。エリスが人質じゃなくなったと知れば、リディアは動くとは思っていたけど……グーパンはさすがに予想外だ。
「ま、待て、小娘、それでも、せい――」
「黙ってって、言ってるでしょ――っ!」
リディアが司祭をぶん投げた。
どう見ても怨恨があるようにしか見えない。……っていうか、え? リディアって、ここまで魔王を崇拝する教団に恨みを抱いていたのか?
「……リ、リディア? 彼らに、なにかされたのか?」
「え? あ、その……これは、その。違うんだよ!」
「そう、か? その割には……その、なんというか、私怨っぽいけど。魔王を崇拝する教団に対する恨みじゃなければ、その……魔王を怨んでいるとか?」
もしも魔王のこともそれくらい怨んでるなら、俺は今夜中に荷物を纏めて夜逃げする。なんて思っていたら、リディアは首を大きく横に振った。
「ま、まさかっ。魔王に私怨なんてありませんよ! ほんとです、絶対です!」
「……本当に?」
ムキになって否定する辺りが逆に怪しい。
「はい、私は魔王に恨みなんてありません! いまのは……そう。司祭が、アルトさんに攻撃しようとしていたんです! だからそれを防いだだけなんです!」
「そう、なのか?」
「はい、そうに決まっています!」
「……そっか」
リディアの習得スキルは10だ。6の俺が気付かなかっただけで、リディアは司祭の敵意に気付いたんだろう。……なんて、さすがに思うはずがない。
けど、これ以上の追求は自分の首を絞めそうだから納得した振りをしておこう。
「リディア……その、助けてくれてありがとな」
「い、いえ、気にしないでください」
リディアが小さくはにかんだ。司祭を殴ったときの返り血が頬に付いていなければ、その笑顔に惚れていたかもしれない。いや、違う意味でドキドキさせられたけどさ。
「……貴方達、私のことを忘れてないかしら?」
魔族の女性が口を開いた。
だけど、俺に視線を向けた直後に目を見張った。
……あ、これ、ヤバイやつだ。
「あ、貴方様はもしや、ま――」
「黙れ!」
鳩尾にグーパンを叩き込んで魔族の口を封じる。
「かはっ!? な、なにをするのですか、まお――」
「黙れって言ってるだろ! この、魔王を崇拝する教団の手先めっ!」
腹部に当て身を喰らわせて口を封じ、当て身の衝撃でくの字になった彼女の懐に飛び込んで投げ飛ばす。受け身を取ることも出来ず、魔族の女性は昏倒した。
5
……あ、危なかった。
俺が魔王なんてバラされたら、聖女のリディアに殺される。
リディアは否定したけど、さっきの行動は魔王を崇拝する教団に恨みがあるようにしかみえなかった。少しは仲良くなったと思うけど、あの恨みを上回れるほどとは思えない。
魔族が俺の正体をバラすまえに昏倒させられて本当によかった。
「あ、あの、アルトさんはもしや、魔王を崇拝する教団に恨みがあるのですか?」
「え? あ、いや、その、それは……」
や、ヤバイ。ここはなんて答えるのが正解だ?
私怨で殴ったと思われるのは心証が悪い。でも、相手は魔王を崇拝する教団だ。聖女相手に、彼らを庇うのもまた心証が悪いかもしれない。
「……もしかして、聖女にも恨みがあったり?」
「はっ!? な、なぜそんな話に?」
「あ、いえ、いまのはちがくて、思わずというか……その、わ、忘れてください!」
「わ、分かった」
――と口では納得をしたフリをするけれど、納得なんて出来るはずがない。リディアは思わずと言ったけど、それには思わず口にしてしまうような理由があるはずだから。
だけど、リディアは俺が魔王であると知らない。だから、魔王である俺に、聖女をどう思っているかこのどさくさで聞いた、なんてことはあり得ない。
――つまり俺の行動を見て、聖女に恨みを抱いているかもと思った、ということになる。どうしてそう思ったかは分からないけれど、このままだとよくないことだけはたしかだ。
なにか理由、リディアを納得させられるだけの理由が必要だ。
「その……この魔族がリディアを攫ったと思うと、つい」
「それはつまり、私のために怒った……ということですか?」
聞き返されると恥ずかしい。
でも、完全な嘘という訳でもない。最初に部屋に飛び込んだのは、リディアが司祭に触れられているのを見てかっとなったからだった。
だから――
「まあ、その……そういうことになる、かな?」
「そう、ですか。その……ありがとうございます」
どうやら納得してもらえたようだ。
ひとまず、一難は去った。だけど、まだ俺の正体を知っている魔族が残っている。こいつが捕まると、俺が魔王であるとリディアにバレてしまう。ゆえに、理想は口封じに消してしまうことだ。リディアを攫い、俺を破滅に追い込むような魔族に手加減をする必要はない。
だけど、リディアが見ている状態で、無抵抗の相手を殺すのは難しい。
さっき始末しておくべきだった。だけどいまになって悔やんでも遅い。これからどうするべきかと考えていると、リディアが俺の腕の中に飛び込んできた。
「アルトさん、助けてくれてありがとうごいざいます」
「え? あぁ、どういたしまして。でも、いきなり、どうし――」
みなまで言い終えるより早く、倒れていたはずの司祭が飛び起きて入り口から逃げていった。それに驚いた瞬間、魔族までもが飛び起きた。しかも、魔族はまっすぐ窓に向かって駈け出した。とっさに追い掛けようとするが、リディアに抱きつかれている俺は動けない。
リディアを振りほどいてでも追い掛けるべきか? ――と、逡巡した一瞬の隙、魔族はあっという間に窓から外へと逃げてしまった。
「……ああっと……リディア?」
「あ、その、ごめんなさい。タイミングが悪かったですよね?」
「いや、まぁ……そうだな」
タイミングとかいう問題だろうか? まるで、リディアが司祭や魔族を逃がそうとしたかのようだけど……あの怨みっぷりを考えるにそれはあり得ない。
やはりタイミングが悪かっただけだろう。
でも……考えようによっては最悪を免れたとも言える。あいつが他の魔族に俺の正体をばらす危険はあるけれど、あの場で俺の正体をリディアにばらされるよりはマシだ。
ひとまず、俺は窓から見を乗り出して合図を送る。
「アルトさん、なにをしているんですか?」
「ああ、リディアには言ってなかったな。そろそろ、外にホーリーローズ伯爵家の騎士団が来てるはずなんだ。だから、たぶん――ああ、突入してきたな」
俺の合図を受けて、騎士団が屋敷に突入を開始した。
「え、じゃあ、この屋敷は包囲されているんですか!?」
「ああ。だから、魔族はともかく、司祭は捕まえられるんじゃないかな?」
「そんな、困ります!」
リディアが思わずといった感じで声を上げた。
っていうか……
「困るって?」
「え、あ、いや、その……そう! 『捕まえられるかも』じゃ困るっていう意味です! いますぐ見つけ出して殺――いえ、捕まえましょう! 私は探しに行きますね!」
「え? あ、ちょ、リディア!?」
呆気にとられているあいだに、リディアは部屋から飛び出していった。
……まあ、リディアのスキルレベルを考えれば、魔王を崇拝する教団の信者程度にやられることはないと思うけど……そんなに、魔王を崇拝する司祭に恨みがあるのか?
……当分、自分の正体は明かせそうにないな。
そんなことを考えながらリディアの後を追った。
それからほどなく、屋敷に騎士団が雪崩れ込んで来る。魔王を崇拝する教団の信者達も抵抗するが騎士団は強く、あっという間に制圧してしまった。
だけど、そうして捕らえられた者達の中に、司祭と魔族の姿はなかった。もっとも、窓から逃げた魔族の姿がないのは無理もない。だけど、司祭の姿がなかったのは意外だった。
リディアがゼルカの報告に疑念を抱く。
「ゼルカ、本当に司祭は見つからないのですか?」
「申し訳ありません、リディアお嬢様。どうやら、非常用の隠し通路から逃げてしまったようです。いまその通路をたどらせていますが、捕まえられるかは……」
「そうでしたか。逃げてしまったのなら仕方ありません」
仕方ないと言いつつ、その顔に浮かんでいるのは笑顔。でも、状況を考えれば喜んでいるはずがない。ということは、あれは作り笑いだろう。
……マジで、あの司祭は一体リディアになにをしたんだ?
もしかして、頬を触る以外にも不埒なことをしたのか? サーチの魔術で確認した限り、そんな機会はなかったはずだけど、もしかしたら言葉によるセクハラがあったのかもしれない。
そう考えるとふつふつと怒りがわいてきた。
「……リディア、なんなら俺が探そうか?」
「ふえっ!?」
「俺ならサーチの魔術で司祭を探せるかもしれない。だから、生きたままリディアのまえに引きずり出して、色々と尋問を――」
「ひ、必要ありません!」
「でも……」
魔王を崇拝する教団への恨みは魔王を崇拝する教団へ。司祭への恨みは司祭へ返して欲しい。その恨みを募らせて、魔王に向けることがないように――と。
「お願いだから止めてください。いえ、その、今日は私の側にいてください」
「……分かった」
失敗した。いくらリディアが聖女で、チート級のスペックの持ち主だったとしても、彼女の中身が心優しい女の子であることには変わりない。
エリスを人質に取られ、自分もまた危機に瀕し、心が傷付かないはずがない。
もう少しリディアを気遣うべきだった。
「気付かなくてごめんな。もう大丈夫だから」
「司祭のことを諦めてくれるんですね!」
「……ん?」
「あ、いえ、側にいてくれるんですね。ありがとうございます!」
――とまあそんな訳で、リディアが攫われたこの一件はひとまず幕を閉じた。
だけど、潰したのは魔王を崇拝する教団が所有するアジトの一つ。司祭や魔族には逃げられているし、捕らえられたのは大半が末端の連中だ。
メインストーリーは終わっていない。
むしろ始まったばかりだ。
6
屋敷へと戻り、一夜が明けた早朝。
招集を受けた俺は、エリザベスさんの待つ執務室を訪ねた。部屋の真ん中にあるローテーブルを挟み、エリザベスさんとリディアが向かい合って座っている。
それと、部屋の隅にはエリスを含めた使用人が何人か控えていた。俺の視線に気付いたエリスがぺこりと頭を下げる。それを横目に、俺はエリザベスさんへと視線を向けた。
「お待たせしましたか?」
「いいえ、ちょうどいいタイミングですわ。話があるからそこに座ってちょうだい」
エリザベスさんが示したのは、リディアの隣。だけど俺はその言葉に反して足を止め、エリザベスさんに向かって頭を下げた。
「……アルトさん?」
「申し訳ありません。リディアの護衛を任されていたのに、その役目を果たせませんでした」
「そ、そんな、アルトさんのせいじゃないよ!」
そう言ってくれたのはリディアだ。
だけど、俺はエリザベスさんからリディアに危険が迫っていると聞かされていた。だから側にいるようにと言われていたのに、リディアの側を離れてしまった。
俺がもう少し警戒していれば防げたことだ。と、頭を下げ続ける。
ほどなくして、エリザベスさんが「頭を上げてください」と口にした。それに従って頭を上げると、彼女は凪いだ瞳で俺をまっすぐに見つめていた。
「たしかに、リディアから目を離したことは失態ですね。ですが、事情はリディアから聞いています。それに、貴方がいなければリディアは助けられなかったかもしれません」
「でもそれは……」
「結果論、ですか? たしかにそうかもしれません。でも、貴方がリディアを救ってくれたことに変わりはありません。ですから……」
エリザベスさんが立ち上がり、俺に向かって深々と頭を下げた。
「アルトさんに娘を救われるのはこれで二度目ですね。ホーリーローズ伯爵として、そしてリディアの母として、貴方に感謝します」
「あ、いえ、そんな。頭を上げてください。さっきも言いましたが、俺はミスをしました。それに、助けたのは護衛として当然のことをしただけですので……っ」
慌ててお願いすれば、エリザベスさんは頭を上げて「謙虚なんですね」と微笑んだ。直後、今度はリディアが立ち上がった。
「お礼が遅れたけど、私とエリスを助けてくれてありがとう。貴方は当然のことだって言うけど、貴方がいなければどうなっていたか分からない。だから、感謝しているわ」
リディアが頭を下げ、背後に控えているエリスもまた頭を下げる。それを目にした俺は、今更ながらに二人を救ったのだという実感を抱いた。
「……どういたしまして。二人が無事でよかったよ」
これは俺の本心だ。
その言葉に二人は頭を上げたのだけど――
「あら、娘のお礼は素直に受け取るのね?」
「えっ。いや、それは……」
「ふふっ、冗談よ」
エリザベスさんはクスクスと笑う。
どうやら、からかわれたらしい。
「勘弁してください」
「ごめんなさい。貴方達をみていると微笑ましくてつい。でも、もうからかわないわ。だから、席に座りましょう。いくつか話があるの」
「分かりました」
今度は素直にリディアの隣に座る。
ほどなく、メイド達の手によって、テーブルの上に紅茶とお菓子が並べられた。そのティーカップを片手に一息を吐いて、横目でリディアを盗み見る。
さっきの様子から、誘拐事件を未然に防げなかったこと自体は怒っていないと思う。だけど、魔王を崇拝する教団や、崇拝される魔王に対する感情は別だ。
俺が知らない幼少期のことに、俺と出会ったときのこと。そして今回のこと。その三つの出来事と、リディアの司祭に対するあの苛烈な態度。なんとも思っていない――なんて楽観できるはずがない。むしろ、相当な恨みが募っているとみるべきだ。
……はあ。
リディアをどれくらいベタ惚れさせれば、俺のことを見逃してくれるかなぁ?
分からないけど、先は長そうだ。なのに、俺の正体を知る魔族が逃げてしまった。なんとかしないといけないんだけど……と、そんな風に考えながら、視線をエリザベスさんに戻す。
「ところで、お話しというのはなんでしょう?」
「あぁそうだったわね。話と言うのは他でもない。魔王を崇拝する教団の信者達を尋問した、第一報を伝えておこうと思って」
その言葉にびくりと身を震わせた。
……いや、大丈夫だ。俺の正体に気付いた魔族はすぐに逃げた。だから、捕らえられた者の中に、俺の正体に気付いた者はいないはずだ。
判決を待つ容疑者のような気分で待っていると、リディアがティーカップをソーサーの上に叩き付けるように置いて立ち上がった。
「――お母様!」
「分かっているわ。私が話そうとしたのは、逃げた者達の行方についてよ」
続けられた言葉に俺は息を呑む。
「――まさか魔族を捕まえたのですか?」
「――まさか司祭を捕まえたのですか?」
俺とリディアが聞き返したのは同時だった。
リディアがどうして司祭の行方をこんなに気にするんだろう? やっぱり深い恨みがあるんだろうか? と視線を向けると、同じように振り向いたリディアと目があった。
……なんかリディアも俺を探るような目で見てるんだけど、なんでだ? ……いや、いまはそれより、魔族が捕まったかどうかが問題だ――と視線を戻す。
俺達の問いに、エリザベスさんは首を横に振った。
「残念ながら、どちらもまだ見つかってはいないわ。でも、手がかりならあるの」
「そう、ですか……」
それはつまり、俺の正体がばれるかも、ということだ。
だとすれば、座して成り行きを見守る訳にはいかない。
「エリザベスさんにお願いがあります」
「あら、なにかしら?」
「その者達の行方を摑んだら教えていただきたいんです」
「私も知りたいです!」
俺に続き、リディアも願い出る。
なんて言うか、司祭に対する執念じみた怨恨を感じるな。ますます、俺の正体を知られる訳にはいかないな。絶対、リディアより先に魔族を捕まえて口を封じよう。
と、そんな熱意が伝わったのか、エリザベスさんは「お約束しましょう」と応じてくれた。
その後は、あらためてお礼を言われて話は終了し、俺とリディアは執務室を後にする。そこに、遅れて執務室から出てきたエリスが追い掛けてきた。そうしてエリスは、リディアではなく俺を呼び止めた。廊下に敷かれた赤い絨毯の上、俺はクルリと振り返った。
「エリス、俺になにか用なのか?」
「はい。アルト様、昨日はお嬢様と私を救ってくださってありがとうございました」
「ああ、そのことか。さっきも言ったけど、俺は自分のやるべきことをしたまでだ。だからエリスも気にしないでくれ」
というか、自分が殺されたくなくてがんばっているだけだ。だから、そんな風に感謝されると申し訳なくなる――と、声には出さずに口にした。
「アルト様ならそうおっしゃると思いました。ですから、アルト様が負担にならない範囲で、しっかりとお礼をさせていただきます、リディア様が」
「――私なの!?」
リディアが反射的に聞き返す。どうやら、さっきの意見はエリスの独断のようだ。
やっぱり、ただのお嬢様とメイドという感じではない……と、そういえば、エリスはメイドはメイドでもレディースメイド。いわゆる侍女のような立場らしい。
まあ、それでも、メイドが主に気軽に話すのはどうかと思うんだけど、この世界ではそれが許されているからなのか、はたまたエリスが腹違いの姉だからか。
おそらくは両方だろう。
それはともかく、
「私がお礼をするより、リディア様がお礼をした方が、アルト様は喜ぶと思いましたので。ですから、私からのお礼は、リディア様にお礼をするように仕向けることです」
「……貴方ねぇ」
エリスの舌は今日も絶好調で、リディアは呆れている。出来ればかかわりたくないと他人の振りをしていると、別のメイドに案内されてこちらに歩いてくるヴィオラを見つけた。
彼女は俺の姿を見るなり駆け寄ってくる。
「あ、アルトさん、無事だったんですね」
「おかげさまで。ところで、ヴィオラさんはどうしてここに?」
「もう、アルトさんったら。先日みたいに普通のしゃべり方でいいですわよ」
「……いいのか? じゃあそうさせてもらおうかな」
「ええ、ぜひそうしてください。それで、私がここにいる理由でしたわね。実はリディア様にお話があって、面会できるようにお願いしたんです」
「あぁ、それで移動中に出くわした訳か。――という訳らしいぞ」
説明を省いてリディアに教える。
けれど、視線を向けると、リディアは物凄く驚いた顔をしていた。
「ア、アルトさん、いつの間に、そんな……っ。昨日、あの後? でも、そんなに時間はなかったはずよね? まさか……一目惚れ? ライバル登場? ――いや、そんなはずは……っ」
「……リディア?」
「は!? い、いいいいえ、なんでもありません! それで、ヴィオラの話ってなにかしら? 言っておくけど、また難癖を付けるつもりなら許さない――」
「――昨日はすみませんでした!」
リディアのセリフを遮って、ヴィオラが深々と頭を下げた。それは完全に予想外だったのだろう。リディアは呆気にとられたような顔をする。
「……え?」
「私、本当はリディア様のことを尊敬しているんです。でも、素直になれなくて、いつも心にもないことばかり口にしてリディア様を怒らせて。でも、それじゃダメだってアルトさんに指摘されて、変わろうって思ったんです。だから、その――ごめんなさい!」
ちゃんと素直に言えたな! と、ヴィオラの頑張りに感動する。これならば、リディアもヴィオラのことを認めるだろう。
そして、その立役者は俺だ。
その功績で、魔王を崇拝する教団が起こした一件に対する怒り、その一部でも相殺できればいいなぁと思いながら、俺は二人の様子を見守った。
7
あのヴィオラが、会うたびに私に突っ掛かっていたヴィオラが頭を下げた。
それはたしかに衝撃だった。でもそれよりも、続けられた言葉『ヴィオラが素直になったのはアルトさんのおかげ』という話の方が衝撃だった。
というか、私が知っている限り、二人の関係は最悪だったはずだ。
なにしろ、ヴィオラはアルトさんを平民だと見下して、事故とはいえワインまで浴びせるところだった。半ば本気で、ヴィオラが暗殺されたらどうしようと心配してたくらいだ。
なのに……私はなにを見せられているの?
いまも、ヴィオラはアルトさんのおかげで勇気を出せませた! みたいな顔をして、アルトさんはアルトさんで、よくがんばったな。みたいな顔をしている。
え、もしかして本当に一目惚れ?
そ、それはダメよ!
あ、いえ、その……嫉妬じゃなくて。
これは……そう、私の命を守るため。アルトさんには、私に惚れてもらわないといけない。なのに、ヴィオラとアルトさんがくっついたりしたら困る、という意味だ。だから決して、助けに来てくれたアルトさんが格好よかったとか、そういうのとは関係ないのよ!
って、誰に言い訳してるのよ私は。
これじゃまるで、私がアルトさんに惚れてる見たいじゃない。
違うからね。そもそも、私の目的は、アルトさんを私に惚れさせ、惚れた弱みで死亡フラグを叩き折ることだ。命が懸かっているのに先に惚れるとかあり得ない。
……と、少し落ち着こう。
ええと、まずは……そう。ヴィオラを許さなきゃ。
「と、取り敢えず、貴方の謝罪は受け入れます。いままでの言動が愛情の裏返しというのは、にわかには信じがたいことでありますが、それはこれからの貴方を見せていただきます」
だから、これからは、アルトさんに相談しないでくださいね――と、心の中で念じる。
なのに、彼女は「ありがとうございます」と私に笑顔を向けた後、「アルトさんのおかげです!」と彼の手を握った――って、どうしてそこで手を握る必要があるのよ! しかも、正面から近付くなんて、さてはパーソナルスペースを意識してるわね!
……そう、分かったわ。これは私をダシにアルトさんと仲良くなる作戦ね。
アルトさんは騙せても、私は騙されないわよ!
私が攫われた事実は箝口令が敷かれ、表向きはなにごともなく平和な日々が進む。こうして、私が誘拐された事件はひとまず閉幕となった。
とはいえ、すべてが終わった訳じゃない。教団が再び私を攫おうとする危険はあるし、またエリスや家族が人質に取られるかもしれない。
だけど一番危険なのはアルトさんのことだ。
魔王を崇拝する教団は、私を生贄にすることで魔王を復活させるといった。
でも、私がキャラメイクで様々な能力を好き勝手に上げた結果、アルトさんの称号は『魔王の名を継ぎし者』となっていた。であれば、すでに魔王は復活していることになる。
だから、彼らの言い分は的外れだ――と、あのときは思った。
だけどよくよく考えると、いまのアルトさんはちっとも魔王らしくない。正体を隠していることを加味してもお人好しがすぎる。いまの彼を魔王とは呼べない。
でもそれが、魔王としての意識が覚醒していないからと考えれば辻褄があう。
つまり、アルトさんに惚れた弱みを作るだけじゃ弱い。私が生き延びるには、アルトさんの魂だけでなく、その心までもが魔王に変わることを阻止する必要がある。
そのためにも、魔王を崇拝する教団は潰すべきだ。もともと、私の正体を知る者達でもあるし、世界を混沌に陥れようとする悪の組織でもある。
だから、まずは魔王を崇拝する教団について調べる必要がある。
そう思った私は、午後からエリスを伴って資料室へと向かう――道の途中、中庭でお茶とお菓子をまえにおしゃべりしているアルトさんとヴィオラを見つけた。
「……エリス、どうしてヴィオラがまだここにいるのかしら? 今朝の一件のあと、帰ったんじゃなかったの?」
「なんでも、昨日の一件で馬車を壊されたそうで。代わりの馬車を手配するあいだ、この屋敷に滞在させて欲しいと、エリザベス様にお願いしたそうですよ」
「……それは、口実ね」
考えるまでもない。
彼女は子爵の中でも裕福な家の娘だ。馬車の一台や二台、すぐに替えを用意することが出来る。それなのにそうしていないのは、この屋敷に留まるために違いない。
「まぁ……そうでしょうね。彼女はずっと昔から、リディアお嬢様に不器用な好意を向けていましたから。……なんて、言うまでもないでしょうが」
エリスはこう言っているが、私の耳には「私の作ったクッキー、どうですか?」なんて、アルトさんに感想を求めるヴィオラの声が聞こえてくる。
ヴィオラの目当てがアルトさんであることは明白だ。
「エリス、貴方……意外と恋の機微に鈍感なのね」
「リディアお嬢様にだけは言われたくないセリフですね」
「はあ? 私のどこが鈍感だって言うのよ?」
「どこもなにも……」
エリスが答えようとするのとほぼ同時、私に気付いたヴィオラが飛んできた。彼女の手には、ラッピングされた小さな包みが収められている。
「リディア様、お詫びの印にクッキーを焼いてみたいんです。アルトさんにも味見をしていただいたので、味は大丈夫だと思います。ぜひ、食べてください!」
私に向かって捲し立てる。ヴィオラの頬がちょっぴり赤い。……なるほど、アルトさんに迫っているところをみられて焦っているのね。
私に渡すお礼のクッキーの味見を口実に、アルトさんにクッキーを食べてもらう。上手い手ではあると思うけど、あいにくそういうのがゲームやラノベでは定番なのよ。
アルトさんやエリスは騙せても、私は騙せないわよ!
――と い う 訳 で、ヴィオラからクッキーを受け取った私はお礼を言って立ち去り、行き先を資料室から厨房へと変更した。
目的はもちろん、手作りクッキーを作るためである。
……え、どうしてそうなるのかって?
それはもちろん、ヴィオラにお礼のクッキーを渡すためよ。別に、ヴィオラの小賢しい手を真似して、味見を口実にアルトさんに手作りクッキーを渡すのが目的じゃないからね!
8
リディアともっと仲良くなりたい――と、ヴィオラに相談された俺は、自分でクッキーを焼いてみたらどうかと、ヴィオラに進言した。
クッキーは比較的簡単に作れるお菓子であり、なおかつリディアが好んで食べているからだ。それを教えてやると、ヴィオラはすぐに厨房を借りてクッキーを作った。
ついでに、リディアの好みを知るであろう俺に味見をお願いしてきた。そうして俺から合格をもぎ取ったヴィオラは、リディアにクッキーをプレゼントした。
それをリディアが受け取るまでは予想通り。
だけど、リディアまでもが、お返しに手作りクッキーを作るのは予想外だった。
ついでに言えば、リディアも試食係に俺を指名したのも予想外だ。一瞬、本当に一瞬だけ、試食を口実に俺に手作りクッキーをプレゼントしてくれたのかな? なんて思った。
だって、ゲームとかラノベじゃ、王道の展開だからな。
……なんて、俺みたいに前世の記憶がある訳じゃないし、リディアがそんなことをするはずもないか。たぶん、ヴィオラのクッキーを試食した俺の意見が欲しかったのだろう。
もっとも、これは俺の推測だ。
実は俺にクッキーを焼く口実という可能性も零じゃない。けれど……その場合はなんの問題もない。俺の目的は、俺を殺せなくなるほど、リディアを俺に惚れさせることだから。
多少の好意程度ではどうにもならない状況だ。
だから、俺の正体がばれるまえに、そして出来れば、俺がリディアの正体を知っていると、リディアにバレるまえに、いまよりも強い絆を結ぶ必要がある。
そう思っていたから――
「アルトさん、実のところ、娘は聖女なのです」
「な――っ!?」
俺はエリザベスさんの告白に咳き込んだ。
ここはエリザベスさんの執務室。手作りクッキーの騒動があった日の夕方、エリザベスさんに呼び出された俺が顔を出すと、開口一番にそんなことを言われたのだ。
「驚くのは無理もありません。ですが、娘が聖女としての素質を持っているのは事実です。だからこそ、あの子は魔王を崇拝する教団に狙われているのです」
繰り返されたエリザベスさんの言葉に、俺は心の中で待ってくれと悲鳴を上げる。
俺が魔王の後継者であるという、絶対に隠しておきたい事実がバレた訳じゃない。だけど、その次に隠しておきたいことと言えば、俺がリディアが聖女だと知る事実だ。
最悪、俺が魔王であることを隠し、聖女に取り入ろうとした――と思われかねない。少なくとも、いつか俺の正体がばれることを考えれば、知っているとバレてはいけない事実だった。
なのに、エリザベスさんから教えられてしまった。
これはむちゃくちゃピンチなのでは?
「……あの、リディアはそのことを隠しているのではありませんか?」
「ええ、その通りです。特にアルトさんには知られたくないと思っているようです。おそらく、貴方を危険な運命に巻き込みたくないと思っているのでしょう」
リディアなら考えそうなことだ。そして、そのおかげで俺はリディアの正体を知らないフリを続けられた。それなのに――と、エリザベスさんに視線を向ける。
「どうして俺にその事実を話したのですか?」
「貴方には悪いと思っているわ。でも、今回の一件で再びあの子が攫われた。だからなりふり構っていられないのよ。あの子を護って欲しくて、この秘密を打ち明けました」
「……それは」
分からなくはない。リディアを護ることを考えれば、事情を知っている方がいいだろう。でも、俺はリディアが聖女であると知ったことで行動が制限されてしまう。
リディアの正体を知りながら、己の正体を隠して側に居続けた。一体なにを企んでいたのか――と、そんな疑いを持たれないために出来ることは限られている。
たとえば、リディアのもとを離れる――とか。
もちろん、それがよくない結果を招くことは分かっている。でも、魔王の俺が、リディアが聖女であると知りならが側に居続けた。そんな事実が後になって発覚するよりはマシなはず。
だから――
「あぁ、言い忘れていましたが、もちろん私があの子の正体を明かしたことはここだけの秘密にしておいてください。それがあの子の望みですから」
「――分かりました。俺は貴方からなにも聞いていません」
光の速さで応じる。と言うか……九死に一生を得た。これなら、俺がリディアの正体に気付いていると、リディアに知られることはない。
ある意味で現状維持と言える。
「ええっと……そのように安請け合いしていいのですか? 教えておいてなんですが、あの子が聖女であると言うのは、とても重い事実です。その事実を知りながら、あの子にも知らないフリを続けるのは、とても苦しいことだと思うのですが……」
「問題ありません」
もとからそんな状況だから――とはもちろん口に出さない。
「覚悟は出来ている、と?」
「はい。いつか彼女が自分で話してくれたとしても、既に知っていたと打ち明けることはありません。ですから、エリザベスさんもそうしてください」
「……分かりました。貴方の言うようにいたしましょう」
――しゃあっ! これで、俺がリディアの正体を既に知っていた――という事実は闇に葬ることが出来る。首の皮一枚で繋がった!
「アルトさん。これからも娘の護衛をしてくださいますか?」
「もちろんです。魔王を崇拝する教団にはこれ以上、リディアに指一本触れさせません」
そうして、俺の死亡フラグを絶対に叩き折ってやる。
9
ひとまず、俺がリディアの正体を知っている事実を、リディアに知られるという最悪の事態は避けられた。だけど、エリザベスさんの話はそれで終わりではなかった。
あの後、逃げた司祭と魔族の手掛かりを摑んだ――と聞かされたのだ。
「……魔族の行方が分かったのですか?」
「ええ。捕虜を取り調べた結果、東にある森の中にもう一つアジトがあることが分かったので先遣隊を出したのですが、二人の姿を確認した。という情報が入りました」
「それは……怪しいですね」
捕虜が知っているアジトなら、相手も襲撃を警戒しているはずだ。一介の信者ならともかく、司祭や魔族がそんな危険なアジトに留まるのは不自然だ。
「アルトさんの仰るとおり、罠という可能性は高いと踏んでいます。ですが……」
「アジトが実際にある以上、行かないという選択はないでしょうね」
「ええ。夜明け前に、騎士団を差し向ける予定です」
当然の結論だ。
罠だとしても、教団の力を削ぐチャンスを見逃す理由はない。
それに、俺個人としても見過ごせない。魔族が騎士団に捕まり、俺の正体をリディアのまえで口にする、なんて事態は絶対に阻止しなくてはいけない。
だから――
「分かりました。俺も参加します」
「いいえ、貴方は留守番よ」
参戦を拒絶されると思っていなくて困惑してしまう。
「ど、どうしてですか?」
「さっき言ったでしょう。狙われているのは娘だと。貴方には娘の護衛をお願いしたいの」
「……あぁ、なるほど」
と言うか、最大戦力のリディアを留守番させるつもりなんだ。もしかして、聖女であることは知っていても、世界最強クラスの力を持っていることまでは知らない、とか?
……さすがにそんなこと、ないと思うんだけどな。
でも、リディアが留守番なのは事実だ。
……困ったな。騎士団が敗北したら、リディアが魔王に恨みを抱くだろう。だけど、魔族が捕まったら、俺が魔王であるとバレてしまう。
でも最悪なのは、騎士団に被害を出しながらも魔族を捕らえることだ。その場合、リディアが魔王に強い恨みを抱いた直後、俺が魔王であると知られることになる。
そんなことになったら確実に殺される。
……騎士団に任せる訳にはいかないな。
ひとまずこの場は指示に従う振りをして、騎士団を出し抜く方法を考えよう。
エリザベスさんのもとを離れた俺は、まずはヴィオラを訪ねた。
幸いなことに、彼女はまだ屋敷に滞在している。
「あら、アルトさん。さきほどはありがとうございました。おかげさまで、リディア様に対し、素直な気持ちを打ち明けることが出来ました」
「それはヴィオラががんばったからだ。それより、もう一歩踏み込んでみないか?」
「もう一歩、ですか?」
「ああ。出立するのは明日なんだろう? なら、せっかくの機会だ。リディアにパジャマパーティーでも申し込んでみたらどうだ?」
「パジャマパーティー、ですか?」
小首をかしげるヴィオラはパジャマパーティーを知らないらしい。まぁそうか、貴族が知る訳ないよな。という訳で、俺はパジャマパーティーがなにかをざっと説明した。
「なるほど、パジャマで夜更けまでおしゃべりですか、いいですね! さっそくリディア様に申し込んでみます。アルトさんも参加なさいますか?」
「え、俺?」
「はい。リディア様と仲直りさせていただいたお礼と、あのとき平民と見下してしまったお詫びです。それに、リディア様のパートナーを務めるほど仲がいいのでしょう?」
反射的にパジャマ姿のリディアを思い浮かべてしまう。
……ヤバイ、意識を持っていかれそうになった。
「アルトさん?」
「あぁいや、遠慮しとくよ。ご令嬢達のパジャマパーティーに、男の俺が混ざる訳にはいかないからな。それに、今夜は少し所用があってな」
「そういえば、さきほどから慌ただしいですね。……なにかあったのですか?」
ヴィオラが声をひそめる。リディアが攫われたことは一般には伏せられている。けど、現場を目撃したヴィオラはその事実を知っている。不審に思うのは当然だろう。
「ここだけの話だけど、リディアを攫った連中の残党が見つかったんだ」
「まあそうでしたの? では、騎士団は?」
「ああ。想像の通りだ」
「それでは、リディア様の安全のために、側にいればいいんですね?」
俺の提案をそう解釈したらしい。でもそれはちょっと違う。
「屋敷の警備は強化してあるし、リディアの部屋には結界を張る予定だ。だから、心配はいらない。純粋にリディアとおしゃべりを楽しんでくれ」
俺の本当の目的は、リディアを部屋に足止めして、俺が屋敷を抜け出してもバレないようにすることだから――とはもちろん口に出さない。
「分かりました。では、リディア様に伝言は――」
「俺が引き受けるよ」
「分かりました。お願いいたします」
という訳で、ヴィオラと別れた俺はその足でリディアの部屋を訪ねた。
扉をノックするとエリスが扉を開けてくれた。
「アルト様、このような時間にどうなさいましたか?」
「少しリディアに話があるんだ」
「――かまわないから入ってもらって」
俺達のやりとりが聞こえていたのか、部屋の中からリディアが答えた。
「しかしリディア様、そのような恰好で」
「なんのために買ったと――いえ、なんでもないわ。とにかく大丈夫だから」
「……かしこまりました」
どこか諦観したようすのエリスが、どうぞと部屋に招き入れてくれる。そこには、ベッドサイドに腰掛けたリディアの姿があった。
しかも――リディアは薄手のネグリジェを身に着けていた。
うっすらとだが、手足やお腹の辺りが透けている。というか、柔らかい生地のせいで、彼女の身体のラインが浮かび上がっている。なんというか……すごい破壊力だった。
「……アルトさん?」
「え、あぁ、似合ってるよ」
「ふえっ!? あ、その……ありがとう。それで、アルトさんはこんな時間にどうしたの? 私はかまわないけど、他の人に見られたら誤解されちゃうわよ?」
「え? ああ……そうだった。実はヴィオラからの伝言で」
なぜか急に寒気がした。
なんだ、風邪でも引いたのかな?
「――へぇ、つまりアルトさんは、さっきまでヴィオラと一緒だった、ということかしら? こんな時間に? 二人っきりで?」
あ、あれ? なんかリディアが怖い。なんか地雷踏んだ? まるでヴィオラと二人っきりだったことに嫉妬してるみたいな反応だけど……いや、そんなはずはないか。
いや、でも、手作りクッキーのときもおかしかったし……そうか、ヴィオラに嫉妬してるんじゃなくて、ヴィオラをとられるかもって、俺に嫉妬してるのか。
まあそうだよな。リディア様が好き! とか言った側から、ヴィオラが俺に手作りクッキーを作ったり、夜におしゃべりしてたとか聞いたら嫉妬するのも無理はない。
ライトな百合、尊い。
「大丈夫。リディアが心配することなんてなに一つないぞ」
「えっ、それって……っ」
ヴィオラが好きなのはリディアだ――という意味を込めて頷く。
とたん、リディアの頬がほのかに赤く染まった。
「そ、そうなんだ。……どれだけ押しても手応えがないと思ってたけど、意外と効果があったのかな? ふふ、そう考えると少し嬉しい、かも」
「押す? 向こうがツンツンしてただけの話だろ?」
「……え、なんの話?」
「だから、ヴィオラはリディアが好きって話だけど?」
俺がそういった瞬間、リディアの表情がすん――と抜け落ちる。
「……アルトさんさ。将来、私に刺される未来とか想像したこと……ある?」
「どういう意味だ!?」
え、怖っ!? まさか、俺が魔王の後継者だってバレた!?
い、いやいやいや、おかしいだろ。俺はヴィオラがリディアに好意を抱いているって話をしてただけだぞ? なのになんで、いきなりそんな話になってるんだ!?
というか、刺される未来を想像したことがあるか、だって?
そんなの、ありまくるに決まってるだろ!?
「ま、待て、落ち着いて話し合おう」
「うん、私はとても落ち着いてるよ?」
「なら、笑顔で握りこぶしを作るのは止めてくれ!」
10
アルトさんにとって、気になる女の子は私だけだから妬かなくていい――という意味だと思って照れていたら、ヴィオラが好意を抱いているのは私――という話だった。
正直、女心を弄ぶアルトさんは死ねばいいと思う。
いや、殺そうとしても死なない相手だってのは分かってるけどね。
というかさ? 私の理想を体現した男の人が、私の女心を弄ぶとか、それはもう犯罪だと思うんだよね。そう思って恨みがましい目を向けていたら平謝りされた。
きっと、アルトさんは私がどうして怒っているかも分かっていない。アルトさんにぜんぜんその気がないと分かって虚しくなる。
「……それで、重要な話って、なに?」
「あぁそうだった。エリザベスさんから聞いたんだけど、捜索していたアジトで、司祭や魔族の姿を確認したらしい」
「……え?」
びっくりした。
尋問で連中が使っているアジトの一つを聞き出した、という話はお母様から聞いていた。でも、捕虜から情報が漏れることは、司祭だって承知しているはずだ。
なのに、逃げずにそのアジトにいるなんて、なにを考えているんだろう?
「もしかして、罠じゃないかな?」
「その可能性は高いと思う。とはいえ、教団の連中がそのアジトにいるのもまた事実だ」
「そっか、そうだよね」
そうなると、放置は出来ない。
と言うか、ホーリーローズ伯爵領の、それも領都の近くにアジトがあるのを見過ごせるはずがない。お母様なら、すぐにでも騎士団を派遣するだろう。
「……あ、ヴィオラの件で私に話って、もしかして?」
「ああ。リディアとパジャマパーティーをしたらどうかって勧めたんだ。それで、リディアの部屋に結界を張っておけば、万が一にも安心だろ?」
「……そうだね」
前回のように、大切な人を人質に取られる――なんて失態を繰り返す訳にはいかない。そういう意味では、一ヵ所に集まって結界で守ってもらうというのは正解だ。
だけど……私、あの司祭や魔族がアルトさんの前に引きずり出されるのは、なんとしても防がなくちゃならないんだよね。
司祭は言わずもがな、私の正体を知っているからだ。アルトさんの前で、私の正体を暴露されたら困る。と言うか、私がアルトさんに殺されるまであり得る。
もっとも、そうはならないかも? とは思い始めている。
いまのアルトさんは思ったより魔王っぽくない。というか、ヴィオラと私の仲を取り持ったり、攫われた私を助けに来てくれたりと、かなりのお人好しだ。
そして、あの魔族が言っていた、私を殺して魔王を復活させる――という話。
アルトさんの持つ称号は、魔王の名を継ぎし者だった。それは、キャラメイクをしたときに確認している。能力を上げる過程で、魔王の後継者からランクアップしたのだ。
でも、アルトさんの性格はどう見ても魔王っぽくない。つまり、心という面で、アルトさんはまだ魔王として覚醒していない、という可能性がある。
ついでに言えば、あの魔族、アルトさんが魔王だって気付いたみたいだしね。このままアルトさんと魔族を引き合わせたら、アルトさんが魔王として覚醒してしまうかもしれない。
それを防ぐためには、私がこっそりあの魔族や司祭を始末するしかない……よね。
でも、ヴィオラと一緒にいたら、屋敷を抜け出せない。どうしようかな……と、私は屋敷から抜け出す算段を立てつつ、ひとまずアルトさんの申し出を了承した。
その後、私はエリスに準備をお願いして、ヴィオラをパジャマパーティーに招いた。そうして世話係という名目でエリスを同席させた。またエリスが狙われたら困るからね。でも、アルトさんが結界を張ってくれたので、この部屋にいる限りは安全だ。
そうして三人でパジャマパーティーを始める。
「という訳で、リディア様に本心を告げられたのはアルトさんのおかげなんです!」
お酒は出していないのだけど、ヴィオラはもう何度目かも分からない話を繰り返している。
内容は少しずつ変わっているけれど、本当は私に憧れていた。でも素直になれなくて悪口を言ってしまっていた。なのに、アルトさんのアドバイスで素直になれた――というものだ。
私への憧れは嘘じゃないと思う。
でも、いまはそれと同じかそれ以上にアルトさんに憧れているのは一目瞭然だ。なのに、アルトさんはまったく気が付いていないんだよね。手作りクッキーの試食だって、アルトさんである必要はないって……分かりそうなものなのにね。
まあ……鈍感だから、私があれだけ攻めても落ちないんだと思うけど。……いや、ちょっと待って。まさか、私が好みのタイプじゃないから、とかじゃないよね?
ちょっと心配になってきた。
「リディア様、聞いていますか?」
「聞いているわよ」
そう言いながら時刻を確認する。そろそろ頃合いだろう。
そう思った私は、魔術を使ってヴィオラとエリスを眠らせた。
「……これでよしっと」
二人をベッドの上に運ぶ。二人は揃って穏やかな寝息を立てている。これで、この部屋で騒がない限り、朝まで目を覚ますことはないだろう。
それを確認した私はパジャマを脱ぎ捨て、黒を基調とした動きやすい服に着替える。目的はアジトに忍び込んで、魔族と司祭の口を封じることだ。
……正直、不安がないといえば嘘になる。
聖女である私は、魔族に特化した能力を持っている。反面、人間に対しては攻撃力に乏しい。防御面では問題ないけれど、大規模な戦闘になれば不利になる。
見つからないように忍び込んで、司祭と魔族を始末する……出来るかな?
分からない。けどやらなくちゃいけない。最悪なのは、アルトさんが魔王に覚醒し、性格が変わってしまうこと。それだけは……絶対に阻止しなくちゃいけない。
だから――と、私は部屋の窓を開け放ち、その身を虚空に躍らせた。
11
屋敷から抜け出した私は、事前に聞いていた教団のアジトを目指した。黒を基調とした、訓練に使っていた戦闘用の服を身に纏い、月明かりに照らされた森の中を駆け抜ける。
闇夜の森を駆けられるのは各種スキルのおかげだ。パッシブ系のスキルで身体能力が大幅に上がっている私は夜目が利くし、ライトの魔術を使えば足元だけを照らすことも可能だ。
私はそうして森の中を駆け抜け、教団の隠されたアジトを探す。身体能力を活かして森を走り回った私は、ほどなくして森の中にひっそりとたたずむ洋館を発見した。
見張りは……うん、いるね。
屋敷を警護している教団の者が数名。
そしてもう一グループ。こちらは、屋敷を取り囲むように配されている。おそらく、お母様が派遣した騎士団の先遣隊が見張っているのだろう。
「両方の目を盗んで、屋敷に侵入……出来るかな?」
いや、出来るか出来ないかじゃなくてやるしかない。なにか方法は……あ、そうだ。私が攫われたアジトには抜け道があったよね。もしかして、この屋敷にもあるんじゃないかな?
普通なら見つけ出すのは難しいけど――と、私はサーチの魔術を使用した。
キャラメイキングでアルトさんに習得させた魔術の下位互換。あまり便利なものじゃないのだけど、それでもレベルが6は伊達じゃない。
私は地面の下に走る空洞を見つけた。
片方は屋敷に繋がっており、もう片方は少し離れた場所にある枯れ井戸だ。つまり、そこから屋敷に入ることが出来る。それを確認した私は、慎重に井戸の底へと降り立った。
魔術で生み出した、最小限のライトで辺りを照らし、井戸の底から続く横穴を進む。ほどなくして階段を上れば、屋敷の中とおぼしき小部屋にたどり着いた。
「どこかに隠し扉があるはずだよ……って、え?」
周囲を見回した私は思わず息を呑んだ。壁にもたれ掛かるように寝ている男がいたからだ。
まさか、見張りが眠りこけてる? そう思って警戒するけれど、すぐにそれは杞憂だと分かった。男は寝ているのではなく、手足を拘束された上で気を失っていたからだ。
「……つまり、私の他に侵入者が?」
嫌な予感がする。
急いで、司祭と魔族を見つけないと。言い様のない焦燥感に駆られた私は周囲を調べ、外へと続く隠された扉を発見した。私はその扉を開け放ち、部屋の外へと飛び出した。
周囲に人は――いない。
……と言うか、驚くほどに静かだ。
もしかして、先にここを通った侵入者が敵を排除した? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。と言うか、これが罠という可能性を忘れてはならない。
しばらく廊下を進んだ私は、行き止まりにある部屋の前にたどり着いた。その扉は少しだけ隙間が空いていて、中から話し声が聞こえてくる。
私はその扉の前に立ち、こっそりと中の様子をうかがった。
◆◆◆
リディアの部屋に結界を張って安全を確保。ヴィオラを同席させて、万が一にもリディアが出歩かないようにする。そうして万全を期した俺は、万が一にも顔を見られないようにローブに付いたフードを目深に被って屋敷を抜け出した。
目的地は、森の中にあるという教団のアジト。そこにいる魔族を捕まえ、俺の正体を知る者達の口を封じる必要がある。
アジトがある場所はサーチの魔術で確認する。パッシブ系のスキルで強化された身体能力に物を言わせ、暗闇に包まれた森を駆け抜けた俺は、ほどなくして洋館の前にたどり着いた。
洋館に配された見張りは数名。それに、おそらくは騎士団の斥候が、洋館を取り囲むように配されている。その監視網をすり抜けて屋敷の中に入るのは難しい。
だけど――前回のアジトには隠し通路があった。
おそらく、あの司祭が保身に長けているのだろう。であれば、この洋館にも脱出用の隠し通路がある可能性は大きい――とサーチを使えばすぐに発見できた。
俺はその入り口である枯れた井戸に飛び込んだ。そうして地面に着地した瞬間、とっさに身を翻す。目前を数本の矢がすり抜けた。
「……罠か。まあ、それくらい設置してあるだろうな」
脱出用の通路だ。つまり、外部の人間が中に潜入するのを拒む造りになっている。おそらく、罠を解除する仕掛けは、屋敷の出入り口側にあるんだろう。
もっとも、戦闘系スキルが軒並みレベル6の俺にはあまり関係がない。罠を感知して回避、ときには破壊して、なんなく隠し通路を進む。
ほどなく、俺は屋敷へと続く階段へとたどり着いた。
「……おっ、解除の仕掛けはこれか」
帰りもここを通ることを考えて罠を解除する。これで、帰りは問題なく屋敷から抜け出すことが出来る。そうして退路を確保した俺は階段をあがった。
階段の上は小部屋になっていた。
なにもない部屋に見えるけど……もちろんそんなはずはない。周囲を調べれば、隠し扉を発見することが出来た。その扉を開けた俺は――思わず目を見張った。
廊下を歩く男と出くわしたからだ。男の首には教団のシンボルを象ったネックレスが掛けられている。間違いなく、魔王を崇拝する教団の手の者だ。
「何者だ――っ」
男がみなまでいうより早く、その鳩尾に拳を叩き込んだ。そうして意識を失った男の猿ぐつわを噛まし、手足を縛って隠し部屋へと運び込んだ。
そうして時間稼ぎをしてサーチの魔術を使う。
だけど、一階の部屋には誰もいない。まさか、逃げ出した後か? そう思って二階を調べれば、そちらには一人だけ気配があった。
俺は周囲を警戒しつつ、その部屋に向かう。
部屋の前にたどり着くが、中の気配は動かない。覚悟を決めて部屋の中に踏み込むと、そこにはうやうやしく頭を下げる魔族の姿があった。
「お待ちしておりました、魔王様」
「……待っていた、だと?」
「はい。ここでお待ちすれば、魔王様がお越しになるだろうと予想しておりましたゆえ」
「なるほど、そういうことか」
捕まった信者が、このアジトのことを白状する。それを見越して、あえて滞在する。なにかの罠だと思ってはいたけど……なるほど、俺が来ると予想してのことだったか。
「一つ聞かせてくれ。どうして俺が魔王の後継者だと分かった?」
「私には、魔王様の気配が感じられるのです」
「それは、お前なら、ということか? それとも、魔族なら、か?」
「魔族なら、すぐに貴方様の気配に気付くでしょう」
「……そう、か」
あまり好ましくない返答だが、予想していた答えでもある。誰も俺の存在に気付かないなら、俺が隠れ住めば済む話だからな。
「ところで、俺の正体を誰に話した?」
「誰にも」
「……誰にも? あの司祭はどうだ?」
「あぁ、ご心配なく。あの司祭なら処分しましたから」
「処分?」
「永遠に口を封じた、という意味です」
「いや、それは分かってるけど……」
というか、この魔族はさっきから、どうして俺の質問に丁寧に答えているんだ?
「俺に攻撃されたのを忘れたのか?」
「あのときは……申し訳ありませんでした」
「……は?」
魔族が俺に平伏している。
「魔王様が正体を隠し、人間と行動をともにしているとは思いもよらず。正体を口にしようとした私が愚かだったのです。どうかお許しください」
「……あれは」
「分かっています。魔王様の力はまだ完全ではないご様子。だからこそ、人間に紛れて力を付ける算段なのでしょう?」
なんだか色々と誤解されているらしい。でも……待てよ。力を取り戻すまで人間に紛れて生活している――と言い張れば、魔族を大人しくさせることが出来るのでは?
「……違いましたか?」
「いや、その通りだ。ゆえに、俺はしばらくは人間と共に暮らす。おまえ達が人間に手出しすることも許さない。だから――リディアには手を出すな」
俺の言葉で魔族の行動を縛れるのなら、長い猶予を得ることが出来る。そんな打算で魔族に向かって言い放った。それとほぼ同時、俺が入ってきた扉からリディアが姿を見せた。




