墓守と死霊遣い ①
泡沫ヒマツは墓地を歩いていた。
辺りを見回せば百を超える墓石の数々。信仰する宗教は決まっておらず、一つ一つが特徴的な形をしている。墓地を囲む不気味な暗い森からは、時折、野良犬の遠吠えが聞こえた。空には大きな丸い月。あれが沈むところを、ヒマツは見たことがない。
湿り気を帯びた地面にボロボロの靴を沈ませながら、いつものようにぼさぼさの髪とだらしない服装をしたヒマツは、この墓地の管理人であるヌビアを探す。
本名はヌビアス・シリス。闇夜に溶けるような長い黒髪と、すらりとした手足を持つスタイルのいい女だ。そんな女が、いつも墓地のどこかで昼寝をしているというのだから不気味なことこの上ない。もっとも、この次元に昼なんてあるのか分からないが。
ここはX次元――墓地にのみ使用されているという、数多の次元の中でも非常に稀有な場所だ。正確には墓地くらいにしか使い道がなかっただけなのだが。
「やっと見つけた。ヌビアさん、交代の時間ですよ。起きてください」
「ん……もうそんな時間か。ふぁ、寝足りないな」
あくびを漏らすヌビアを呆れた目で見つつ、ヒマツはもうこれで何度目になるか分からない注意をする。
「墓石を枕にするなんて、墓守としてどうかと思いますよ」
「相変わらずヒマツ君は頭が固いな。この墓石くらい固い。どれ、こんど君も枕にしてやろう」
「墓石よりも素晴らしい寝心地をプレゼントできる自信はありますが、遠慮しておきます」
「ふふっ、まあそう照れるな」
得意げに笑うヌビアをヒマツは冷たい目で見る。
「照れてませんよ」
「何を言っている、頬が赤く……なってないな」
小首を傾げるヌビアだったが、事実ヒマツの顔は相変わらず土気色のままだ。そんなこと、ヒマツ本人からすれば鏡を見ずともわかる。
「まったく、どうしていつも墓で眠るんですか? ベッドならハウスにあるでしょう」
ハウスとはこのX次元にある唯一の建物で、墓守達が住んでいる広い屋敷だ。ちなみに居住者はたったの三人。部屋は手入れが行き届かないほどには余っている。住み込みで働いてくれる人間を絶賛募集中だ。
「誰しも死んだら墓の中で永遠に眠るんだ。今のうちに寝心地くらい確かめてみてもいいだろう」
愛おしそうに墓石をなでながらそんなことを言う姿は、どこか狂気じみていたが、死神のように真っ黒な服と病的なまでに色白な肌が不思議と違和感を抱かせなかった。
「その、『ダン・ウェード』とかいう人に祟られますよ」
枕にされていた墓に書かれた名前を見つつ、ヒマツが冗談交じりに言う。
「なに、こいつは私の旧友だからな。そんなことはしないさ」
聞いてはいけないことだったかとヒマツは思ったが、死んだ旧友の話でもヌビアは気にした様子はない。きっと本人の中で気持ちの整理がついているのだろう。
相も変わらず墓を愛おしそうになでつつ、ヌビアはきいてもいないのに墓の主について語り始める。
「変な奴でな、死霊遣い(ネクロマンサー)の技術を一般向けに商品化しようなどと言いだす奴だった」
『死霊遣い』とは、文字に沿って説明するならば、『死』体に精『霊』を宿らせ『遣』う者たちのことだ。もとは死者蘇生の方法を求めた人間達だったらしいが、今はもうそんな夢物語ではなく、操った死体で犯罪行為を働く集団と化している。中には正しいことのためにその技術を使う死霊遣いもいるが、そんなのは極まれで、加えてそもそもが死体を使っていることから、忌み嫌われることが多い。
それゆえに、死霊遣いの技術が一般受けしないことなんて子供でも分かることだ。
「そんな話聞いたことがないってことは、成功しなかったんですね」
「ああ、死んだペットを操ることで一生一緒にいられるだとか、そもそも死んだ生き物をペットにすることで一生死なないペットを作るとか、本人からしてみれば実にファンシーで夢のある話だったらしいが、当然の如くペットに死体を飼おうとする一般人はいなかった」
「それは……凄い発想ですね」
「そんなわけで、貧乏暮らしと研究の毎日を続けていたこいつは、哀れにも過激な反死霊遣い主義者に殺されたよ」
「はあ、なんというか、悲しい話ですね」
「そうだな。まあ、一般人からも死霊遣いからも変人扱いされていたやつだ、目に見えていた結末とも言える」
そうは言いつつも、少しだけ物寂しそうに墓をみつめるヌビアは、軽く背伸びをするとヒマツに向き合った。
「さ、湿っぽい話はここまでだ。枕を提供してくれたダンに感謝して見回りを始めるとするか」
ごきごきと首を鳴らすヌビアを見て、どう見ても寝心地がいいとは思えない墓石の枕について最後にヒマツは皮肉っぽく尋ねてみた。
「寝心地はどうでしたか?」
「癖になるくらいにはよかったな」
良かったのか。
「起きた後に鳴る首の関節が、こう、なんとも言えん気持ちよさだ……生きていることを実感する」
「……そうですか。じゃあ僕はハウスでしばらく休憩するので、見回りよろしくお願いします」
墓の見回りは墓守の大切な仕事の一つだ。ここらは野犬が出て墓を掘り返そうとすることがある。もっとも、野犬の方は対策がしてあるのでそこまで心配する必要はないのだが、なにも墓を掘り返すのが野犬だけとは限らない。
この世界には存在するのだ――墓を掘り返し、死者を冒涜する存在――墓荒らしが。
研究材料として死体を求める死霊遣い、それらに依頼され死体を盗もうとする専門家……種類は様々だが、墓から死体やそれ以外のものを盗もうとする輩を総称して『墓荒らし』と呼ぶ。
そんな存在から墓地を守るため、墓守であるヌビアとヒマツは交代制で見回りをしている。
ヒマツは交代の旨をヌビアに伝えると、休憩のためにハウスへ戻ろうと踵を返したが、ふとその足が止まった。
いや、右足が動かなかった。
「あれ?」
持ち上がらない右足に視線をうつしてみれば、動かないのも当然だ――なにせ、ヒマツの右足を地面に縫い付けるように一本の矢が刺さっていたのだから。
どすっ、と鈍い音を立て、獲物の動きを止めた次は確実にその命を刈り取るために、ヒマツの背中に第二の矢が突き刺さった。
どさっと音を立ててヒマツがその場に倒れる。
「ヒマツ君、大丈夫か?」
返事はない。矢は急所に刺さっていた。
次いで、ヌビアを狙って飛んできた矢を、彼女は軽々とよけてみせる。
「返事がないな。ただの屍のようだ」
顎に手を添え、呑気にそんなことを言っているヌビアの後ろから、刀を持った長身の男が切りかかった。
「墓荒らしか。久しぶりだな」
ヌビアは近くにあった縦長の墓石を乱雑につかむと、それをまるでこん棒のように振るって背後から迫る凶刃をはじいた。
「お姉さん墓守だろ? 墓をそんな使い方していいのかい?」
「構わんさ。墓はまた建て直せばいい。だが、盗まれた死体は二度と帰ってこないからな」
「そりゃそうだ」
男は不敵に笑うと、一歩後ろに下がってわずかに距離をとる。そしてその瞬間、ヌビアめがけて矢が飛んでくる。ヌビアがそれを躱すと、今度は刀使いが距離を詰めて襲い掛かってきた。しかし、これもヌビアにとっては躱せる範疇――むしろ反撃すら可能なレベルだ。
だがしかし、ヌビアの反撃の意図を見計らい、絶妙のタイミングで矢が飛んでくるため、ヌビアは中々反撃に移れないでいるようだった。
「刀に意識を集中していれば矢に射貫かれ、かといって矢に集中していれば刀に切り捨てられる……ふふっ、下手をすれば君にも矢が刺さるかもしれないというのに、中々のコンビネーションじゃないか」
「そりゃどうも。だが、あんたも相当の手練れだな。これほど攻撃を躱されたのは初めてだ」
刀が舞い、ヌビアの持つ墓石が徐々に削れていく。もし防御に使っている今の墓石が壊れてしまえば、次の墓石を拾う隙などないだろう。刀か弓矢のどちらか、あるいは両方の攻撃をその身で浴びることになる。
そしてついに、墓石に致命的なひびが入ったその時――どうしてか、弓矢の攻撃がやんだ。
援護射撃がなくなったことに気付いた刀使いがヌビアから距離をとり、弓矢使いがいるはずの森の方をちらりと見る。
「何が起きた……?」
すると森の中から、背中に矢筒を背負った男を引きずって、毛皮のような衣装に身を包んだ小さな女の子が姿を現した。頭からは猫耳を生やし、尻尾まで揺らしている。
意識を失った弓矢使いをずるずると引きずりながら、見た目相応の可愛らしい声で猫耳少女は言う。
「ヌビアさん、こいつら誰にゃ? とりあえずなんか怪しそうだから捕まえてきたんにゃけど」
「ご苦労テト。そいつはハウスの地下牢にでもぶち込んでおいてくれ。この刀使いは私がやる」
「このまま挟み撃ちでもいいと思うんですにゃ」
ギラリと獰猛に目を光らせ、テトと呼ばれた少女が鋭い歯をのぞかせる。
「この男は近距離戦だとそこそこの手練れだ。テトだとやり過ぎてしまう恐れがある」
「まあままそう言わず、墓が一つ増えるくらい大したことないにゃ」
獲物を狙う猛獣のような瞳の二人に挟まれ、命の危険を感じた刀使いは、刀をその場に置き、ゆっくりと両手を上げた。
「……降参だ」
「賢い選択だな」
ヌビアは満足げに笑うと、どこからともなく取り出したロープで刀使いをぐるぐる巻きにし、ハウスの地下牢へと向かったのだった。
そして誰もいなくなった墓地で、むくりとヒマツが体を起こす。
「あー、僕の出番なくて良かった」
体に刺さった矢を抜く。
傷口からどろりとした赤黒い液体がこぼれ出たかと思うと、すぐに塞がり、明らかに致命傷だった傷はきれいさっぱり消えた。
「たぶんヌビアさんはこれから尋問とかで忙しいんだろうな……しょうがないから、また僕が見回りするか」
ヒマツは誰が聞いているわけでもないのにそう呟くと、まるで墓地を徘徊するゾンビのような足取りで見周りを始めたのだった。
「なんか歩き方おかしい……って、あ……矢じり、足の中に残ってる」