命の分配
「佐藤が死んだ」
佐藤が死んだ……らしい。しかし私は佐藤のことをよく覚えていない。覚えているのは、中学二年生の頃に同じクラスだった子で、いつも独りでいた。誰かを笑うことも、誰かに笑われることもなかった子だった。それだけだ。それなのに、今更になって誰かの会話のダシにされているなんて。
「どういうふうに死んだのかな」
彼女の遺体には外傷がなかった。いや、それだけではない。死んでいると言われなければただ眠っていると思う状態だそうで、死因はまったくわからないらしい。
「私たちは、気をつけようね」
くだらない。佐藤が死んだことではない。特に自分と親しくもなかった人間の死にかこつけて、何の味もしないメッセージを送ってくる人間がくだらないのだ。
「久しぶり。それは怖いね。また何かあったら連絡してね」
そして自分自身も、大概くだらない。心にもないことを書いてしまう愚かさも、誰かが死にでもしないと気にも止められない哀れさも、全部くだらない。嫌になってスマホを伏せた。
なぜ、どうやって、佐藤は死んでしまったのだろう。外傷がないなら自殺なのか。何の形跡も残さずに自殺する方法など、あるのだろうか。伏せたばかりのスマホをもう一度手に取り、Googleの検索窓に「自殺」と入力すると、その瞬間サジェストの欄からすべての語が消え画面は不自然に白くなった。この言葉は禁句なのだ、「自殺」は。例えば今にも自殺しようとしている人間を助けると、感謝状が与えられるらしい……つまり、極端な話、自殺は悪だ。
検索をかけて最初に画面に表示されるのは、自殺防止用の相談窓口の電話番号だ。下に続くのも同じようなページばかりで、思うようにいかない。次はTwitterに訊ねてみると、端に私の大嫌いな文言が映り込んでしまった。
「生きたくても生きられない人もいるのに、死にたいなんて言うな」
ああ、また。また見てしまった。気分が悪い。
「──こんなくだらない人生、出来るもんならこっちだって是非くれてやりたいね」
戯言を自慢気に見せつけてくるスマホに向かってそう呟いたあと、再びそれを伏せた。今度はもう、眠りにつくまで手に取ることはなかった。寒くなってきたのでふかふかの羽毛布団を引っ張り出してきたのだが、そのせいだろうか。多少の寝苦しさを感じた。
「わあ、健康そうで、嬉しいです」
せっかく眠りについたのに、誰かが話しかけてきている。子どもみたいな声だ。誰もいない、まして子どもなんて間違ってもいるはずのないこの部屋で、いったい誰が? 瞬間、恐怖がどっと押し寄せてきた。目を開けられない。怖い、怖い、怖い……。口はからからになり舌は上手く動かせないが、なんとか絞り出した小さな声で私はこう問いかけた。
「誰ですか? なぜここにいるんです?」
「回収しにきたんですよぉ、分配のために。あなたきっと、こう思ってたんでしょう、誰にも聞かれてないって」
私の意志に反して、脳がこの状況とこの答えを完全に理解してしまった。ただの悪い夢なら良かったのに、本能が「これは夢なんかじゃない」と訴えてくるから、受け入れることしかできないのだ。早くも指先からは体温が消えた。あんなもの、ただの独り言なのに。
「あなたの口から出た言葉ですからね。口から出た言葉ってのは、簡単に取り消せるもんじゃないんですよぉ、うん。思った以上に、あなた、状態がいいですね」
こうなってしまえばもう二度と、この私として目を覚ますことはできないだろう。でも、そうなったとして私は何に困る? この世に、この私に、どんな未練がある? どうしようもなく焦っているくせ、まだ私には妙な冷静さが残っている。
「私はこれからどこに行くの? どうなってしまうんです?」
「ええと、どちらのことを言っているか分からないな。もしあなたの命のことを言っているんなら、ボクらがちゃんと必要な人のところへ配りに行きますよ。順当に行けばあと五〇年くらいは生きられそうだったから、若い人のところへ行くでしょうねぇ」
五〇年。それだけの時間を、今と同じように生きていく想像をしてみた。朝が来るたびにうんざりして、環境を変えたいと仕事を転々とする。心も金もすり減らしていく一方だ。ひょっとすると、私は明日の朝目覚めることができなくても、何も怖くないのではないか。最後に会いたいと願う人だっていない。散々「くだらない」とすべて切り捨ててきたのは私だ。ここで無駄足掻きなどしなければ、残り五〇年もの長い時間を無駄にせずに済む。
「でも、知りたいのはあなた自身のことでしょう。何も苦しくないから安心してください。あなたのおかげで生きられる人がいるんです、これは善行ですよぉ。きっと良いところへ行けますからね、大丈夫です」
気付けば指先の体温が戻ってきていた。やっと、自分では決心のつかなかったことを叶えられるのだ。私はきっと長いこと、漠然と「生きたくない」を抱えていた。そしてこの命は、収まるべきところへ収まることができる。
「そろそろ時間です。用意は良いですか?」
「できてなくても、持っていくんでしょう」
「わかってきましたね? ちゃんとしたお別れ、させてあげられなくてごめんなさい」
「私にはそんな相手もいないから、いいの。それに、このチャンスを逃したら私はもっと時間を無駄にしちゃいますから。最後にあなたと話せて良かったです」
そう言うと、相手は微笑んだ。私にはその姿は見えないけれど、この暗闇のどこかで確実に微笑んだ。
「それでは、また」
身体に覆いかぶさっていた羽毛布団の重さが消え去った。瞼の先には、未知の景色が広がっているのだろう。まずは、彼女を探しに行こう。
私はゆっくりと目を開いた。
電車に乗っているときふと思いついただけのお話なのですが、如何せん小説を書いた経験があまりにもなさすぎるのでルールが分からないし、話の展開もなんだかずっと唐突です。どうやって上手くまとめるんでしょう?