18 二人の家
ヒューゴはあの甘くて苦い日々を忘れられない。
何年も放置され、レトロチックなネオン看板や料金表のライトも点灯しない廃ホテル。曇り空の下で見上げると、古びて黒ずんだ外壁や、剥がれかかった看板の骨組み、その不気味さからまるで亡霊でも棲んでいそうな場所だった。
実際には死んだ人よりも恐ろしい生きた人間が出入りし、市場に出回らない商品の売買や、ヒューゴのように人を監禁して脅したり、集団リンチ、売春などを行う場所だった。
ここ数年は違法なポルノ作品の撮影場所としても使われていたため、部屋の一部は定期的に掃除されており、寝泊まりしたところで何ら問題ない状態だった。
部屋があまりにも営業中のホテルと変わらなかったせいで、恋人と共に夜を過ごしているような気分にもなった。しかし結局、あの日々はヒューゴの背負う罪でしかない。
シャロンには今まで抱いてきた女が皆怒り散らして、刃物や鈍器を振りかざして来るような言葉をいくつも投げつけた。それにも関わらず、事情聴取ではあの監禁生活を、まるで新婚生活でも語るような口ぶりで伝えたらしい。
好きの反対は無関心と言う。
嫌いという言葉よりもいらないという言葉の方が、道具のように扱われてきて、無意識に自分をそのように思っているだろうシャロンには響くだろうと考えて伝えたはずだった。
それも全く届かないほど自分に執心していると思うと、他の女であれば鬱陶しさも感じただろうに、まるで初恋に溺れた少年のように愉快な気分になってしまう。
純粋に、シャロンが己の意思を尊重したことも嬉しかった。
それでも、時間は物事を風化させるものだ。独房の中で時間の止まっているヒューゴと違い、シャロンはその後、元の日常で生きている。
(流石に2年もたっちゃあ、もう別の男とイチャイチャしてるよなァ……)
それを証拠に、シャロンから手紙や差し入れが届くことは無かった。
衣服や靴、アクセサリーなどの装飾品、髪型にこだわっていたのは、その先に待つ異性との交流のためであると思っていたものの、実は一番の趣味であった。
禁錮生活ではもちろん許されず、カナタとクライヴから時々差し入れられるファッション誌を眺めて、初めて楽しんでいたことに気が付いた。
それから、もう二度と運転をすることも無いだろうが、車やバイクも好きだったようだ。写真を見ていると小さな高揚感があった。
禁欲生活ももう終わる。
今後も監視がつき、司令部の敷地外へは出られず、派手な女遊びは勿論ドライブもできないが、ファッションと食事は好きなものを選択できる。
そのうち快楽に任せて騒動を起こすかもしれないが、しばらくは監視役の刑務官と仲良しごっこでもしてのんびり過ごすと決めた。
ごく普通の教官のように、短い期間だったが教え子として接した後輩たちの活躍も、直接ゆっくりと耳にしたいという思いもあった。
「今日からあなたは司令部において、医務活動および研究室職員として生涯尽くして頂きます。あなたには既に位置情報などを確認するためのチップを埋め込みましたが、今後も監視役として刑務官があなたと生活を共にします」
「ああ、はい」
話を聞きながら、ヒューゴは獄衣からシンプルなシャツとパンツに着替えた。
独房を出ると、専用エレベーターから通常のエレベーターへと乗り換え、新しい部屋へ向かった。
医務室のあるフロア。その奥にある玄関と思わしきドアを見るに、自分は今後24時間ここの医療スタッフとしてこき使われるのだろう。
扉を開けて入ってみると、刑務官も共に生活するからか、一人で使うにはかなり広い部屋だった。
それでも玄関にあるセンサーが人の出入りを記録するシステム、出てすぐの場所にある監視カメラから、やはり刑務所のようなものだと実感する。
居間へ入ると、ここまで共に来た刑務官が振り返り、ヒューゴの背後に寄った人物へ会釈して「それでは私はここで」とその場を去っていった。
2年間外敵のいない個室に閉じ込められていて感覚が鈍ったのか、それとも背後にいる監視官が気配を消すことに慣れているのか、全く存在に気付かなかった。
「えーっと、これからどうぞ、よろしくお願いしま――」
ヒューゴも挨拶でもするかと振り返る。てっきり男の監視官がいるものと思っていたのに、自分よりも背が低い人物の真っ白な髪が視界に入って言葉を失った。
「……よろしく」
落ち着いていて、しんと降る夜の雪のように儚げな声。
感情のわからない真顔の女の顔は、2年前に別れた最愛の人と同じで、あの頃と何一つ変わらない。
黙ったまま見つめてしまったからか、女はこてんと頭を傾げた。その仕草も全て変わっておらず、ヒューゴは思わず手を伸ばす。
「シャロン……」
さらりと艷やかで繊細な髪が手の甲に触れ、手のひらにはすべすべと柔らかな頬の感触があった。
夢にしてはあまりにもリアルな触り心地で、口内でこっそりと舌を噛んでみて、その痛みに現実なのだと思い知る。
「……なんだよ……これじゃ、俺、死ぬまで悪いことできねえな」
氷がゆっくりと溶け出すように、シャロンの表情が緩んでいく。
「私と一緒に住むの、嫌ではない……?」
「シャロンこそ、厄介払いされて俺と住むことになったんじゃねえの? 今からでも、ちゃんと上に抗議した方が身のためだぜ」
そう言いながらも、そんなことはさせまい、逃すまいと腕の中に閉じ込める。
抵抗もせず、胸にすり寄ってくるシャロンを掻き抱いて、形を確かめるように体中を無遠慮に触った。
「あのね、ヒューゴ……ちゅう、してほしい……」
たどたどしく、不安と期待の入り混ざる声音で紡がれた言葉に箍が外れた。ヒューゴは噛み付くように、貪るように唇を奪って、シャロンの漏らす吐息に陶酔する。
そして小さくて可愛い耳たぶに、ずっと言いたくてたまらなかった本音を囁いた。
「シャロン……愛してる」
ヒーローのみが駆け込んでくる医務室の椅子に腰掛けたヒューゴは、まさか観察処分という名の終身刑に服する者などとは思えぬ眩しい笑顔で、コンと缶コーヒーをデスクに置いた。
「よォ〜お前ら! 随分派手にやったな!」
武装した銀行強盗と格闘のすえ、一般人相手に魔法も使えず、殴られて顔に痣を作ったカナタが不機嫌そうに口を尖らせている。その横で同じように殴られでもしたのか、唇の端を切って出血し、患部をハンカチで押さえているクライヴも不機嫌だった。
2人に付き添って来た無傷のウドムは礼儀正しく背筋を伸ばし、一度会釈をしてからじっと不機嫌な2人の様子を伺っている。
ヒューゴの横で微動だにせず、シャロンはロボットのようにしていた。その視線は監視対象の方を向いたままで、表情は無、そのものだ。
「ヒャハハ! カナタ、パンダみてェだな!」
「笑ってないで早く治してください! めちゃくちゃ痛いんですよこれ」
「なあなあ、記念写真撮ろうぜ」
「撮りません!」
「おいヒューゴ、早く治せ! シャロン……君も見てないで、この不真面目なヤツを注意しろ!」
「ヒューゴさんにも、何か考えがあるのだろう……」
「ウドム、このサイコパスを信用しちゃだめだよ」
賑やかで楽しげではあるものの、シャロンも痛そうなカナタやクライヴの治療を早くしてやって欲しいと思う。
しかし毎日は会えない彼らを、少しでも長く医務室にいさせたいのであろうヒューゴの楽しみを奪うのも可哀想だ。
「シャ〜ロン、写真撮って」
「……でも」
「頼むよ、撮ってくれたら、何でも言うこと聞くからさ」
「……本当? ちゅうも?」
「ったりめえだろ! もうチューどころか、シャロンのしてほしいこと全部するぞ」
「わかった……撮る」
「こんなところでイチャつくな!」
カナタが珍しく声を荒げ、悲しそうに眉を寄せた。クライヴも凄まじい形相で「おい!」と怒鳴る。
ヒューゴのポーズを見てから同じように親指を立てたウドムも枠に収まるように、シャロンはスマートフォンのカメラで4人の写真を撮った。
2人は傷だらけなのに、その写真はきらきらと輝いてさえ見える。
シャロンが口元に小さな笑みを浮かべると、スマートフォンの画面から視線を移した先にいる彼らも、同じように眩しく笑っていた。
「それ治して、ビフォーアフター撮ろうぜ。ほら、シャロンも一緒に!」
「うん」
笑顔を浮かべた悪魔を囲む魔法使いたちの未来は、いつまでもきっと輝きに満ちている。
ヒューゴは快楽主義者で自己中心的。若干サイコパス(ソシオパス)気味なキャラにしたかったので、彼の言動を考えるのが難しかったです。
快楽に身を任せて、時には論理的でない行動をとりつつ、表面上は魅力的で周りからは好かれている男……とくに全年齢版を作成するにあたって、シャロンとの精神的な繋がりをどう書くか本当に悩まされました。
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。
ブックマークはどうぞお外し頂いて構いません。
本作と私に出会って下さった皆さんに心からお礼申し上げます。
皆様がもっと楽しくてもっと面白い作品に出会って、幸せな時間を過ごせますように!
砂糖トシヲ