15 ???
今朝、もう少しで唇が触れそうなところで逃げられてしまった。
悲しいが、悲しみ以上にあの甘い余韻が残って、そればかりがシャロンの頭の中を支配している。
あれからずっと思考力は低下したままで、頭の中で言葉をうまく文章にできなくなってしまった。
「あー、おいおい……シャロン、ちゃんと髪乾かさねェと風邪ひくぞ」
「髪……風邪……困る」
「ほら、こっち来いよ。乾かしてやるから」
キスをしようとしたということは、嫌われてはいないのだろう。もしかしたら、少しは好意があるかもしれない。
髪を乾かして貰いながら、ヒューゴの態度がこうしてコロコロと変わる謎について考える。もちろん答えはわからない。
「わりと真剣な話あんだけど、良い?」
「真剣……話……良い」
色々と考え事もしているのに髪を触られて目が回っている。そこで真剣な話をされても、正直困ってしまう。
何の話をするのだろうか。誘拐されている理由も、何もわからないことだらけだ。
「まだ俺のこと好きとかある?」
「うん」
「……今から色々白状すんだけど、ぜってェ〜嫌いになると思うんだよな〜。俺、チューしてからシャロンに嫌われるのマジで無理だから、もし全部話しても好きだったらチューするでオッケー?」
「それで問題ない」
「うわ……今の流れでも引かねェのかよ……だから変な男にひっかかるんだぞ」
仕上げに冷風と櫛、ヘアトリートメントで髪を整えてもらい、ベッドに移動する。様子が変わって静かになってしまったヒューゴの手を握って、早く白状とやらをしてくれないかなと頭を傾げた。
「……まず、俺の話なんだけど……ガキの頃、テロ組織? みてェなとこの自爆テロ要員だった。何人か殺したことある」
シャロンは殺人は良くないと思う。しかし自爆テロを幼い回復系魔法使いにやらせた事件は聞いたことがあった。
10年ほど前……シャロンに物心がつく少し前に起きた、魔法使い連続殺戮事件の加害者組織でも同様のことが行われていた。
逆らえば殺される子どもたちだ。大人に異議を唱えるのは難しい。それはシャロンにも痛いほどわかる。
「ヒューゴも、怪我、したの? 自爆なんて……」
「俺の怪我はすぐ治る。で、この街に来て被害者のふりして養護施設入った。それからも法律に反したバイトとかしたし、人殺しなのにヒーローにまでなって……モンスターを作った。切断された体治すのと同じ感じで、生き物の断面と断面をくっつけんだ。な、俺最悪だろ」
「……モンスターを?」
培養槽から出て、家と庭、数人の人間しか知らなかったシャロンの10年。その期間に、ヒューゴが様々なことをしていたことに純粋に驚いた。
そしてもちろん、ここしばらくバラムで騒ぎを起こしているモンスターを彼が作ったということにも吃驚している。
シャロンは正義などという大きな理念を持っていない。そもそもバラム市で禁じられている方法で生を受けたのだから、シャロンの存在そのものが罪なのだ。
ヒューゴの行いを否定など、シャロンにはできない。
「パパと、同じ」
ジェラードはシャロンを自らの遺伝子を元に作り上げた。
本来クローンは空の卵子に遺伝情報を組み込んで、代理母の腹の中でヒトとして成長し、産み出される。
しかしシャロンはその過程を無視し、脳となる部分から培養して形作られ、臓器、体を足していった。シャロンの中の産まれるという定義は曖昧で、初めて物事を認識した時、最も古い記憶のある部分を物心がついた時と解釈している。
赤子から幼児へかけて、親や他の子供から知識を得るヒトと違い、機械による電気信号で知識を身につけてきた。
元々が人間で、人間を繋ぎ合わせただけのものですらモンスターと呼ぶのならば、ゼロから産み出されたシャロンは……
「ちげーよ。俺とジェラードさんは違う。俺は人を襲うモンスターを作ったけど、あの人には作れねえの。シャロンはモンスターじゃない……シャロンはただの、普通の人間だろ」
「……本当に、そう思う?」
「思う。シャロンはフツーに可愛いだけの、ただの女だ。で、俺はモンスター作るし殺人犯のうえドラッグの密売に売春斡旋、しかもお前のエッチな写真を売り飛ばすような奴。な〜、シャロン、今から俺、何をすると思う?」
自分よりも長くて、辛かったであろう過去を持つヒューゴに、いつの間にか慰められていた。
自分はモンスターではなく、人間の女であると、目の前にいる最愛の人がはっきりと言ってくれたことがこそばゆく、嬉しい。
「……シャロン、俺さ、ジェラードさんが憎くてたまんねェんだわ……殺したいくらいにさ……良いかな、殺して」
「殺しは、良くない」
「そっか、やっぱ殺しって良くないよなァ……」
そうぼやきながら、ヒューゴの手がシャロンの両肩を掴んだ。そうしてゆっくりとベッドの上に押し倒されて、シャロンは唾を飲み込む。
ヒューゴの手でベッドの真ん中の方へ移され、逃げないようにするためにか、馬乗りになってきた彼にシャロンは手首も押し付けられた。
甘くて苦いような香りがシャロンの鼻へ届く。ヒューゴの香りだ。とくとくと早まっていく心臓の鼓動と衣擦れの音が、やけに大きく聞こえるような気がした。
「聞いてたか? あのヒト型も俺が作ったんだけど」
「うん」
「あれ、お前の知ってる奴の体で作ったんだぜ。言ってることわかる?」
「うん」
「お前を見て興奮するように作った。お前を襲わせるために」
「……うん」
だが結局、シャロンはそのモンスターから匿われている。ヒューゴに閉じ込められて、結果的に助けられている。
写真のことは、もうあまり気にしていない。金がヒューゴに入るのならもう構わない。撮られているあの時間が恥ずかしかった。それだけだ。
ヒューゴの役に立っていると、その事実があれば良い。
シャロンはこれまで、過去1年以内に現れたモンスターの特徴を思い出し、深く考えぬようにしていたクローンの存在について問わねばと思った。
「モンスター……クローンを材料に使ってた……パパが、ヒューゴにやらせたの?」
「……きっかけはそうかもしんねェけど、楽しかったぜ? 俺、ぶっ壊すのも好きだけど、治すのも大好きだからさァ」
ヒャハハと笑うヒューゴの顔に、ほんの僅かなものだが彼の不安が滲み出ているように見えた。
シャロンはヒューゴを安心させてやりたい。その思いで、ふわりと笑いかける。
「私、ヒューゴのこと、好き。優しいのも、怖いのも好き。私のことも、壊して、いいよ」
「ふーん、あっそ……意地になってんのかな。ま、どうせすぐに嫌いになる」
そんなことはないと返事をする間も与えられず、唇に柔らかいものが押し付けられた。
それがヒューゴの唇だと気付いて、ぎゅっと目を瞑る。
(ヒューゴにキスされてる……)
一度触れただけで、まるで彼にも愛があるかのように思えてしまった。
ヒューゴの少し震えている手がシャロンの手首から離れて、指を絡ませるように握ってくる。
いつも飄々としていて、何を考えているのかわからないヒューゴの息が荒い。彼は一度のキスで箍が外れ、獣のようにシャロンの唇を貪り、喰らうように全てを奪っていった。
「……ごめんな」
聞こえてきた言葉が現実か、それとも夢か、いまいちわからなかった。だが、どちらにせよシャロンはヒューゴの妻にはなれないのだと、もうはっきりと認識していた。
例え結ばれなくとも、恋が叶わぬとも、想いは変わらない。
今だけの幸せな時間をシャロンは夢の中にまで持ち込み、永久に忘れまいと心に刻みつけた。
目が覚めた時、シャロンはベッドにひとりでいた。
ふわあ、とあくびをして、顔を洗おうと床へ降りる。ぶかぶかのスリッパでのそのそと、流石にもう使い慣れてきた洗面台に赴く。そこには見慣れない男が立っていた。
「……ヒューゴ?」
髪型が変わっているだけで、その男が愛おしい人だと気付いて微笑みかける。
「髪……切っても、格好いい」
男を喜ばせるために覚えた言葉だが、自然と本心から口を出た。
前髪で全く隠れなくなった切れ長の目も、整えられた眉もシャロンをどきどきさせる。
「ほんと? 良かった〜、やっぱ俺って髪型変えても超イケメンだよなー! まあクライヴとかお義父さんには負けんだけどさ」
「オトウサン」
「冗談冗談! あんなクソ野郎に娘さんをくださいとか頼まねえわ! もう誘拐して、やることもやったし」
ヒューゴは切った髪をかき集め、髪で髪を縛るように束をいくつか作る。
それを紙にくるむのを、シャロンは意図も聞かずに手伝った。
「あのヒト型さあ、俺の髪食わねえとそろそろ死ぬんだ」
「そう」
「多分今頃、頭の中までバケモンになって、俺とお前のこと探して暴れまくってるぜ。持ってあと3日くらいか……俺ちょっと出かけてくるわ。飯何がいい?」
「ヒューゴが好きなもの、食べてみたい」
「じゃ、デザートにコーヒーゼリーも買わねえとな」
ドアまでヒューゴを見送りに行き、その首にいつものペンダントがかかっていないことに頭を傾げる。
海で、自分の腕を後回しにしてまで探して拾った大切なもののはずだ。
「ペンダントは……」
「ああ、あれはもう良いんだ。ほんとに欲しかったのはあれじゃない」
「……どういう、意味?」
にこりと笑ったヒューゴが手を振り、ドアを閉めた。




