14 回想
「できましたよ、試作品」
実験を始めた頃から、もう3年から4年ほど経っただろうか。
人を襲うだけの力と生命力を持ち合わせた、大型の生命体、モンスターは完成した。
「ああ、期待通りの活躍をしてくれたね。礼を言うよ」
シャロンも成熟し、まだ少しばかり細いがヒューゴ好みの体型に近付いてきている。
彼女の方からぽつりぽつりと会話を試み、ヒューゴにも懐いていた。
もうすぐで、ようやく手に入る。
暴力を振るわれて孤独感に心を閉ざしたシャロンは、年上の男に対して、父親から得られなかった愛情を求めるだろう。
頭を少し撫でただけで、硬く凍りついている表情を少し緩めるのだから。
『先生、キス、してみたい』
恋愛感情もわかっていなさそうなシャロンから発せられた言葉が、ずっと脳に焼き付いている。
ヒューゴはキスくらい誰とでもしてきたが、流石に雇い主の娘に手を出すほど脳を空っぽにはしていない。
(……別に、キスなんざバレやしねぇけど、お楽しみは後にとっておくタイプなんだよなァ)
ウキウキと、ジェラードの言葉を待つ。
「さて……約束通り、君にプレゼントだ。受け取るといい」
ジェラードが放ったものが、照明の光を反射しながら空中で弧を描いた。
どこかの部屋の鍵だろうか。今から抱いてしまって良いのだろうか。
心が無さそうに見えても、シャロンだって遺伝子はジェラードのものだ。思考して、何かを感じる普通の人間だ。そして一人の女だ。
警戒せずに甘えてくるようになった女の絶望する顔は面白いだろう。ヒューゴにとっては何よりも興奮を煽るものだ。
シャロンには何をしたところで、被害を訴えかける人間もいない。
偉そうに、良いようにヒューゴを使ってきたジェラードと同じ顔をしているから憂さ晴らしにもなる。
だが不思議と、笑顔を思い浮かべもする。笑った顔に興味がある。
きらきらと光を反射する銀色の小さいものが、ヒューゴの手に収まった。
鍵にしては小さく、コントローラなどのようにも見えない。
「……これ、何すか?」
やはりどう見ても鍵ではないし、当然シャロン自身でもない。
ヒューゴの引きつった笑顔に、ジェラードは耐えられないとでもいうように笑い出した。
憎らしいほどシャロンに似た顔で、彼女がヒューゴに見せない眩しい笑顔だ。
「言っただろう? シャロンとの間に子を作る機会をあげると……それはね、シャロンの冷凍卵子だよ。君も知っているだろう、定期的に婦人科医を呼んで摘出しているのを。そのカプセルは私か私のクローン……シャロンの全員が死なない限り効力の続く、魔法の冷凍カプセルだ。君の子も受精させてあげるから、いつでも言ってくれ」
ヒューゴは手のひらの中に佇む、小さなカプセルを見つめていた。
苛立ち、憎しみ、殺意までもが沸き立っているが、それも全て抑えてこみ、穏やかな笑みを浮かべてみる。
本当は今すぐ殺してやりたいほどだ。綺麗な顔を歪ませて、泣き叫んで命乞いをする様を見て笑いたい。
ヒューゴが欲しかったものはこんなものではない。
だが、こんなカプセルであっても、中にシャロンの体の一部だったものが……自分の愛情を受けるはずであったものが入っていると思うと、どうしても地面に叩きつけたりできない。
シャロンをこの外道から盗み出したい。
いろいろな食べ物を与えてみたい。狭い庭では見られないものを見せてやりたい。
シャロンを壊したいという欲求が消えたわけではないが、同等くらいに、幸せにしてやりたいと思っていた自分に気が付く。
しかしヒューゴには壊すことしかできない。肉体を治癒させたところで、彼女の父親と同様に外道である自分はきっと酷い傷を負わせてしまう。ずたぼろになるまで弄んで、最後は飽きて捨ててしまうに違いない。
「おっ、あざーっす! かわいこちゃんのタマゴ持ち歩けるとかマジでエッロ〜」
「君は……怒らないんだね。殴られたりして、なんて思っていたよ……でも、まあ、君はそれほど女性に困っていないか」
「いや、流石にジェラードさんそっくりの女とか、畏れ多くて抱けませんよ。ただこれがあれば、ジェラードさんに死ぬまで養育費貰えるっつうことッスもんね」
「……ああ、もちろん」
ヒューゴは毎日、ペンダントとして首にかけているカプセルにキスをする。
シャロンの代わりに愛おしみ、一時も離しはしない。
古びて子宮内膜と共に流れ落ちる終わり方さえできず、自分を見つけてくれる誰かを待ち続けて、命が終わる時まで氷漬けにされている、可哀想な卵。
我が子でも何でもなく、誰にもなれないただの卵に、少ししか持ち合わせていない普通の愛情を注ぐ。
「……おはよう」
ペンダントを放し、同じ布団の中で目尻を擦りながらそう言ったシャロンを見下ろした。
感情豊かとは言えないが、わかりやすく顔に出すようになったシャロンが不機嫌そうに口を尖らせる。
男の気をひくために身に着けたぶりっこの、怒った時の表情だ。つまり怒っていることを伝えるのと同時に、ヒューゴの気をひこうとしている顔だ。
「おっと……ご機嫌斜め?」
「そのペンダントにはちゅうするのに、私にはしない」
「シャロンにしてるつもりでチューしたんだけどなぁ」
「……なら、私にもして」
「しませ〜ん」
「どうして?」
どうしてだろうか。
「あのさ……シャロンは俺のこと、何で好きなんだよ。恥ずかしい写真売り飛ばしてんだぜ? マジで意味わかんねえんだけど」
「それは、ヒューゴが……美味しいもの教えてくれたり、ゲームセンターや海、連れて行ってくれたり……初めてのこと、楽しいこと、全部教えてくれた……辛い時、いつも助けに来るから」
「でも誘拐されて、嫌なことされてんだろ」
「二人でいると幸せ、だから……我慢できる。お金も、大事」
いい加減、そろそろ怯えて助けを求めたり、逃げ出そうと暴れると思っていた。シャロンにとって、ヒューゴを氷漬けにしたり、ドアや壁を破壊して逃げ出すのは難しいことではないはずだ。
だというのに、自分から距離を縮めてくっついてくるシャロンの頬は淡く色付き、耳も赤い。
台無しだ。恐れ、嘆く愛おしい女を汚す様は、きっと何よりも良かったのに。
もう、いっそキスをしてみようか。
キスをしてからでも……いいや、キスをした方が、シャロンは十分ヒューゴの望む失望の表情をしてくれるはずだ。
そう思い、もっと密着するように抱き寄せる。
「ヒューゴ?」
髪の間に手を刺し込んで上を向かせ、薄桃色の唇に狙いを定めて顔を近付けていく。
緊張しているのか体を強張らせるシャロンを片手で抱いた。だが、もうあとほんの少しで唇が触れそうなところで、ヒューゴは急に恐ろしくなって身を引く。
手が震える。
恐怖など、爆弾を背負わされてもさほど感じなかった。生き物を殺す時も、自分が殺されそうになった時も。回避するために必要な判断は行ったが、そこに恐怖は無かった。
「な〜んて、な……腹減ったし、飯食うか」
逃げるようにベッドから出て、冷蔵庫へ向かう。
柄にもなく、たかがキスごときで。
それも未遂だというのに、心臓が煩かった。