13 回想
少しグロテスクです。
「ヒューゴ、シャロンの顔を見たことがあるかい?」
ある夜、ジェラードから発せられた言葉だ。
「……初日はアイマスクしてなかったと思いますけど」
「でも、動いていなかったよね。ちょうど今、テラスにいるよ。遠目に見てみるといい。すごく可愛いから」
「なんで急に親バカ……じゃあねえか。ナルシストってやつですか」
「そうかもしれないね」
いつもならばすぐ地下室へ通されて、血の海からシャロンを救い出す。しかし何か思惑があるのか、それとも単なる気まぐれか、今日は地下室ではなくジェラードの執務室へ通されていた。
ヒューゴは言われるがまま、渋々とカーテンの隙間から窓の外を眺めてみる。
見下ろした先に石畳を歩く少女の背中が見えて、そのまま観察を続けた。
月明かりとガーデンライトを反射しているのか、純白の髪はきらきらと光っているようにすら見える。
さらっとその髪を揺らして、少女が色素の薄い顔をこちら側に向けた。
ヒューゴの視線には気付いておらず、ガーデンライトに釣られてやって来た虫を眺めているようだ。
あれくらいの年頃の少女だと、虫を必要以上に恐れる者もいるというのに、シャロンはチョウもガも特に区別しないのか、何かを指の上にとまらせるような素振りをした。
遠目に見ているから分かりづらいというのもあるが、相変わらず感情や思考といったものを感じさせない女だ。
それからは微動だにせず、顔を己の指へと向けている。
虫でも観察しているのか、ただぼうっとしているだけかはわからないが、ヒューゴにはそれがガラス細工のように美しく見えた。
(欲しい)
もともと女であれば、特にこだわりもなく抱いてきた。暇潰しや性欲処理のためにナンパをすることもあるが、自分からこれほど強く欲しいと思った人間はシャロンだけだ。
傷を治してやりながら、わざわざ顔など見なくとも欲しいと思っていた。
きっかけというきっかけは無い。定期的に通い続けて1年も経って、愛着のようなものを感じていたにすぎない。
ヒューゴはこれまで、素肌を触っておいて抱かなかった女はかなり少ない。
だから当然、自分はシャロンを抱きたいと思っているのだろうと漠然とした確信があった。
一日のうち、外の散歩はシャロンにとってはとても大切で、貴重な時間なのだろう。ライトに照らされて雪のようにちらついて見える虫たちの中、やることも無いだろうに、少女はベンチに座ってしばらく帰ろうとしなかった。
「君に新しい仕事を紹介したいと思っている。いろいろと考えたのだけれど、やはり君が適任なんだ」
ヒューゴの中で嫌な予感と期待とが入り混じる。
ジェラードは違法な機器、装置をいくつも保有している。それに妻の存在も無いのに娘がいて、その娘が生き写しのように容姿が似ていることから、ヒューゴもシャロンが普通の娘ではないと察している。
クローンの生成のみならず、他の科学者や回復魔法士とも結託して、シャロンという新しい人間を一人作り出したのだ。
セントラルタワーにあるラボのメンバーがやたら回復魔法士ばかりで、彼らがジェラードに心酔している様子から、関与していることは明白だった。
シャロンのかかりつけ医のようになっているヒューゴは、すでに深淵を覗いているというより、どっぷりと片足を漬け込んでいる。きっともう逃れることはできないし、何よりも死地を生き抜いてきたヒューゴは、この生ぬるい平穏にも少し飽きてきていた。
皮肉なものだ。幼い頃は安寧を求めて人を見殺しにし、嘘をついてここまで生き延びてきたというのに、結局死ぬような刺激を求めている。
もう何度も来て見慣れた地下室の、更に奥の部屋へと進む。
シャロンの母親というべきだろうか、大きな培養槽の奥に、その改造前のものであろう小型の培養槽がいくつか並んでいた。
デスクに置かれた檻の中には全く同じ見た目をした実験用のげっ歯類が何匹かいる。ジェラードはその檻の前で一度振り返ってヒューゴに微笑みかけた。
「君の魔法は、生き物の傷を塞ぐものだったね。それも内臓や骨に至るまで治癒させる……とても優れた能力だ」
「はあ」
「この子たちはクローンで、皆同じ遺伝子を持っている。つまりこのこたちは同じ生き物と言って良いだろう。内臓を取り替えても、何ら問題なかった」
「あー、はい」
「同じ肉体ならば、繋げられるのではないかと私は思っている。今から私はこのこたちに傷を負わせるよ。だから、死ぬ前に君に繋げて、助けてあげてほしいんだ」
その直後、なんの合図もなくジェラードが実験動物の体を破壊して、ヒューゴは眉を顰めた。
とんだ変人と知り合ってしまった。いずれ自分の体とシャロンの体を繋げろとでも言い出しそうだと思いつつ、ヒューゴ自身の好奇心もあったので、かろうじてまだ生きている動物に魔法をかけた。
その実験は成功した。即死した個体はそのままだったが、脳の活動が続いていた個体の肉体はジェラードの言うとおりに混ざりあって癒合し、奇妙な生き物が出来上がった。
数匹が合成された上、足りない皮膚も急速に細胞分裂してくっつこうとするので、もとの大きさよりも大きなものが出来上がり、ジェラードが歓喜の笑い声をあげる。
「素晴らしい! ヒューゴ、やはり君は僕の見込んだ特別な人だ。能力もさることながら、精神力と探究心が人一倍強い。君は、自分の知識欲やあらゆる欲のためなら、こういうことも楽しくやってくれるだろう? ああ、ヒューゴ、君は本当に素晴らしいよ。今日の報酬は奮発しよう」
(楽しく?)
言われて初めて、自分の口元に満足げな笑みが浮かんでいることに気がついた。
死にかけていた生き物と生き物を繋げて助け、元に戻さず別のものに作り変えたことが、想像以上に愉快だったのだ。
まるで、自分が新しい才能に目覚めたかのようで……。
「それはどーも」
「今後のことも話し合いたい。もし全てうまくいったら、君には特別なものをプレゼントしよう」
「特別な、もの……」
性別と年齢の違いからか瓜二つというほどでもないが、生き写しのようだと言っても遜色無い。シャロンと同じ美しい顔をしたジェラードがふわりと微笑む。
同性でも見惚れてしまうような、畏怖してしまうような美貌に思考が鈍る。
「ああ、そうだよ。シャロンとの間に、君の子を作る機会を与えてあげよう」
こんな時、普通はどんな顔をするのだろう。
目の前の男の遺伝子情報を元に作った人工生物に、子を産ませる機会を与えて貰うなどと、どう考えても狂った思想だ。
だがヒューゴは純粋に喜びを感じ、あまりにも魅力的なその話にくしゃりと笑顔を浮かべてしまう。
自分は少々乱暴で適当なだけで、それほど変わった人間ではないと思っていたが、どうやらかなり狂った方の人間らしい。
「良いんですか? 本当に? 俺がシャロンと」
「ああ、きっと素晴らしい子が産まれる。君は選ばれた人間だ。私は君のことを、とても気に入っているんだよ」
シャロンの意思も何も確認していない。男二人の口約束に、ヒューゴは非人道的ともされる研究、実験にのめり込んでいった。
修復は好きで好きでたまらない行為だ。破壊も好きだ。幼い頃からずっと、赤色の世界を生きてきたのだから。
クローンだけでなく、動物によっては別の個体とも繋げて、数日生かすことができた。
キメラとキメラを繋げて大きくしたり、培養した肉と肉を繋げたりもした。
そうして実験を繰り返すうち、ある発見へとたどり着いた。
クローン同士に比べると寿命自体は短くなるものの、血液型が一致していれば肉体の合成ができたのだ。またその寿命は、術者であるヒューゴの体の一部……毛髪や爪などを植え付けたり食べさせることで、少し伸ばすことも可能であった。