11 ???
十分すぎるほどに寝たからか、シャロンは気持ちの良い朝を迎えた。
随分と体調も良く、清々しい。
もぞもぞと布団の中から出てきて、そこで誰かの腕を枕にして眠っていたことに気がついた。
「ヒュ……」
眠る前のことを思い出す。腕を焼くと言い出したヒューゴの笑顔が恐ろしくて、裏切られたように思ったりもした。凄まじくショックを受け、生きる希望そのものを失ったかのようにさえ思えた。
まさか本当に腕を焼かれたのだろうか?
自分の体を見てみると、知らぬ間にネイビーのワンピースドレスを身にまとっている。
袖のない服で、両腕は晒されている。だがそのどこにも醜い傷はなかった。
シャロンはヒューゴの恐ろしい言葉も忘れて、つるつると滑らかな己の肌に見入ってしまった。細かな傷どころかしみの一つもない、陶器のような肌に息がつまる。
「……っ」
ヒューゴと2人でいると感情がよく芽生えて、動いて、生きている実感をする。個として存在していることを思い知る。
シャロンは眠たげにうーんと呻いたヒューゴを置き去りにベッドから出ると、急いで部屋を見回し、鏡を探した。
ととと、と駆け足で洗面台の前に行き、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
鏡の中のシャロンは、眠っていたせいで髪がぼさぼさと乱れていたが、そんなことよりも、その服装に驚いて息を止めた。
以前、つい足を止めて見つめたマネキンが頭をよぎる。シャロンの着ているそれは、あのネイビーのワンピースドレスだった。
体のラインの出る作りで、いつもより大人びて見える。
年上のヒューゴの隣に並んで立ちたい。彼好みの女になりたい。自然とマネキンを見て抱いた気持ちが蘇る。あの瞬間を彼が覚えていて、そのうえ自分に着せてくれた。それが嬉しくてたまらない。
ぱたぱたと早足でベッドに戻り、毛布の上からヒューゴにぎゅうっと抱きつきに行く。
怖くはあったが、結果的に全く痛い思いもせずに傷跡が消えていて、衣服まで買ってもらった。その礼を言いたかったのだが、それよりも先に愛おしさが出てきてしまった。
「ヒューゴ好き、大好き」
笑顔をうまく作れなくなっていた顔がふにゃふにゃに緩んだ。シャロンには自分がどんな顔をしているのかわからない。
こんなことをしてくれたヒューゴのためなら、写真など喜んで差し出す。命すら渡しても構わない。だからもっと、ずっと共にいたい。役に立ちたい。
「んんーっ……おはよ……お〜可愛いな、似合ってるぞ」
「うん、ありがとう、ヒューゴ、好き」
「そっかァ、そりゃ良かった良かった……アレしてすぐ寝たからなんも着てねえや……パンツ、パンツ……」
「あれ?」
「いや〜、いいオカズが目の前にあったからさ……なあ俺のパンツ知らね?」
「おかず……夜食? パンツ、なぜ」
「裸で食う飯も美味いってこと」
ペンダントしか身につけていなかったヒューゴは下着と衣服を身につけると、シャロンの髪も綺麗に整えた。
ヘアセットをすると、鏡の中のシャロンはとても誘拐されているとは思えない。それどころか、まるでパーティにでも来たかのようだ。
時計の針が昼の12時をさす頃、ヒューゴは食事の準備をし始めた。
途中、何か手伝えないかとそわそわするシャロンをスマートフォンのカメラで撮ったり、撫でたり、褒め言葉を口にしながら、彼はカセットコンロに鍋を置く。
ヒューゴはスパゲティを茹でると、かけて合えるだけのソースとやらを荷物の中から取り出して味をつけた。
壁際にあるソファに座り、テーブルの上に置かれたパスタにシャロンは目を輝かせる。カップの即席ラーメンの方は口に合わなかったが、パスタからは良い香りがしていた。
食べている間もヒューゴはスマートフォンを取り出して、度々シャロンの写真を撮った。
口を開けて食べる瞬間の写真は気恥ずかしいような気がして、手で顔を隠すような動作をする。そんなシャロンにもヒューゴは笑いかけて、たくさん幸せな気持ちを抱かせた。
一日中、ただヒューゴと生活を共にしているだけで、研修や講義はもちろん、やらねばならないこともない。
ヒューゴに頭を撫でられたり、話をしたり、普段見ないようなテレビ番組を見たりして過ごした。
夕食も風呂も済ませたシャロンは、大きく広いベッドに座って、壁に取り付けられているテレビモニターを眺めていた。
恋愛を題材として扱っているらしい映画には、愛し合っている男と女が互いの唇を合わせるシーンがあった。キスシーンにシャロンは胸がドキドキする。
「……」
触れるほど近く、すぐ隣でスマートフォンをいじっているヒューゴの横顔を見る。ヒューゴの唇とテレビモニターを、シャロンは交互に見た。
画面の中で顔やら耳、首などをかじり合う二人はもつれ合うように布団の中に隠れ、なにやら格闘し始める。その衝撃的な映像にシャロンは本能で何かすごいものを感じ取った。
まだシャロンはヒューゴに赤子の作り方を聞いていないが、これではないだろうか。
今こそ聞くべき時だと、なんとなく確信を持つ。
こちらを見てくれないかと期待を込めて見上げていると、ヒューゴはスマートフォンを置いてシャロンの期待通りに視線を移した。
「ん?」
「……ヒューゴ、ギューとチューとやら、これ? ヒューゴとチュー、したい」
「はァ? なんで俺がシャロンとチューすんだよ……」
呆れたように笑い始めるヒューゴにじくじくと胸が痛み、苦しくて、視線を落とす。
シャロンはヒューゴのことをこの上なく好きだが、彼はそうではないのだ。
研修中、何度もヒューゴはシャロンに好意を持っているような素振りを見せていたが、真摯に向き合わなかったから気が変わってしまったのかもしれない。
「……さーてと、そろそろ今日のお礼して貰うか〜」
「うん、なんでも、する」
「マジ? なんでも? やったあ。じゃあ、あそこのどれか着ろよ」
ヒューゴが指さした棚には籠が置いてあり、なにやら安っぽい布が折り重なっていた。
籠を持ってベッドに戻り、シャロンは一枚一枚広げてみた。
学校の制服らしきものや、やけに裾の短い安っぽいワンピース、欠陥品か現代美術かわからないが穴だらけの服、水着といったものだった。
「おっ、メイド服あんじゃん。これ着ろよ」
「メイド?」
シャロンが承諾する前に、寝間着として着ていたガウンをヒューゴが引っ張った。
肩を晒したシャロンは少し緊張しながら、手早くその白と黒のワンピースに袖を通す。
薄っぺらい生地でスカートの裾も短すぎる。とても惨めな格好だとさえ思った。
「良いんじゃね? じゃ、その椅子座ってアイマスク」
ヒューゴの言葉の真意はよくわからない。
だが従順にアイマスクを受け取り、椅子に座って視界を封じた。