03 ショッピングモール
黒い運動着と白のシューズまでヒューゴに買い与えて貰い、シャロンは顔には出さないがふわふわと舞うような気分だった。
試着室で袖を通し、そのまま会計も済ませたのだが、運動着というものはなんとも歩きやすく、動きやすい。
ジェラードさえ許してくれるのならば、普段着はすべてこれが良いというくらい着心地が良いし、靴も歩きやすくて今にも走り出したい気分だ。
車へ戻ろうと歩いていると、ショッピングモールのあらゆる店の商品が視界に入る。
ファッションフロアに差し掛かると、きらびやかなマネキンや店員が眩しげに見えた。
シャロンは無意識に、あるマネキンの前で足を止める。
マネキンが着ていたのは、ノースリーブのワンピースドレスだった。タイトな作りで、透け感のあるネイビーの生地には冷たい印象がある。
いつもワンピースばかり着ているが、シャロンが着用しているものとはデザインが全く異なっていた。
「こういうの着てえの?」
ヒューゴに問われて、はっと我に返る。
そんなはずがない。シャロンの腕は父親でさえ顔を顰めるような、酷い有様なのだ。
ヒューゴもカナタもクライヴも、そんなものを見たら自分を嫌いになってしまうかもしれない。
ファッションやらブランドやら、シャロン自身はあまり興味がなく、与えられたものだけを持っていればいいだけなのだ。
「……ううん、着ない」
「ふ〜ん、でも似合うと思うぜ? あ、俺的には童貞を殺す服ってやつも着てほしいんだけど……ま〜俺、童貞じゃねえんだけどさ〜! あ、どんな服かわかるか? ノースリーブのピッチリ系ニットでここんとこに穴が」
「殺すの、良くない」
「え〜良くね?」
「殺すの、だめ」
「そっか……殺すのダメかぁ……」
ヒューゴが珍しく約束の時間に間に合うも、運動着姿のシャロンを目にしたカナタとクライヴは彼には目もくれなかった。
「似合ってるぞ、シャロン! な、クライヴもそう思うよな」
「ま、まあ……にしても、どういう心境の変化……」
目を煌めかせるカナタと、何か疑問に思っているクライヴにヒューゴがつまらなさそうに口を尖らせる。
「カナタ〜クライヴ〜、俺時間ピッタリに来たんですけど〜」
「いや当然ですよね」
「当然だね」
「いやー、褒めろよ! 俺は褒められて伸びるタイプなんだぞ」
にっこり陽だまりのように笑うカナタが、ヒューゴの肩に手を乗せる。
「ていうか先輩、ちゃっかりしてますね」
「ああ、ちゃっかりデートして来たぜ」
「しかもシューズのブランド、お揃いじゃないですか」
「そうなんだよ! シャロンがこれが良いって言うからさ〜もう俺感激。結婚式、絶対来いよな」
「いや、正直行きたくないです。俺とクライヴもタキシード着て、ちょっと待ったーって式場乗り込むくらい祝福したくないです」
「どうして僕まで一緒なんだ……」
シャロン自身もヒューゴの子を産むつもりはなかったが、そこまで否定されてしまうと胸がモヤモヤと不快な状態になる。丸みのある心臓の中で、角張ったものがあちこち引っかかりながら回っているような気分だ。
ヒューゴに特別好かれる必要は無かった。
ヒューゴはヒーラーで、せっかく子に魔法が遺伝しても、ヒーラーではジェラードの跡を継げない。
だから、シャロンもヒューゴを好きになってはいけないのだろうか?
そんな疑問がちくちくと心を刺す。
「私はヒューゴのこと、好きになったらだめなの?」
シャロンの言葉にカナタとクライヴがぎょっと目を見開いて、そして互いに一度見合う。
「だ、だめではないけど……ヒューゴだよ? 貞操観念はあれだし時間は守らない。チャラチャラしてるし……酒と煙草とギャンブルは?」
クライヴの言葉にキリッと眉を吊り上げたヒューゴが両手を腰に当てて胸を張った。
「酒は少々、煙草は卒業、ギャンブルはほどほどでセックス最優先であります!」
「本命の彼女できたら、流石の先輩も浮気なんてしませんよね」
「……」
「しないですよね?」
「……」
「いや、黙らないでくださいよ! 最低ですよ先輩!」
「最低だ……やっぱりだめだ、シャロン。ちゃんと考え直した方が……」
3人のやりとりを眺め、シャロンはむうっと不機嫌に眉を寄せた。
普段あまり気持ちを顔に出さないが、わざとそうして不機嫌を伝える。
「ヒューゴ最低じゃない。浮気、別にいい」
サーッと血の気の引いていくカナタに、いつものようにむすっと不機嫌になるクライヴ。ヒューゴはヒュウと口笛を吹いて呑気に笑う。
「じゃあ、良いんじゃないか。ビッチとヤリチンでお似合いだよ」
ふんとそっぽを向いたクライヴに、カナタが困惑して眉を寄せた。
「クライヴって時々ほんと口汚いよな……」
一方で呑気なヒューゴはニヤニヤと笑って、シャロンの肩をぽんと撫でる。
「おお、良いのか〜? じゃあシャロン、今度ラブホ行こうな〜!」
「ん」
「シャロン、だめだ、危ない! その、そのラブホってとこは、多分先輩とは行っちゃだめなやつだ!」
「海、良かった。また行く」
「ラブホは砂の城のことじゃないぞ!」
パトロールはいつものように、シャロンにとっては楽しい時間だった。
そんな楽しい時間というものはあっという間に過ぎ、脱いだジャージをシャワー室の側のランドリーで洗う。
回る洗濯機をただ眺めて待つことにメリットを感じず、ランドリーから出ると、シャロンはすぐ前のベンチで寛ぐヒューゴを見つけた。
胸がとくんと鳴り、思わず早足で近付いていく。
自分を待っていてくれたのだろうか。
そんな期待を胸にヒューゴの前へ行くと、彼はスマートフォンの画面から視線を外し、シャロンににっこりと笑いかけた。
「シャロンも、隣座れよ」
「ん」
こくこくと頷いて横に座る。
じいっと整った横顔を眺めていると、やや赤みの強い瑪瑙の瞳がシャロンの視線に気付く。目が合うと、シャロンの脈が更に少し早くなる。
「シャロンさ、俺のことマジで好き?」
「……好き」
「ふ〜ん……カナタとクライヴも好き?」
「うん」
「そ。ならいいか」
再びスマートフォンに視線を戻したヒューゴが、素早く誰かへのメッセージを書いている。
シャロンには沈黙も心地良く、ヒューゴが文字を打つ度に少し触れる肘の感触に、何となく何かを眩しく感じた。
その感覚に幸福感を得たシャロンは、少しだけ距離を詰めて、ヒューゴの二の腕に自分の肩のあたりをくっつける。
無意識の行動だったが、それがヒューゴにとっては意外な出来事だったらしく、再び視線をシャロンへと向けた。
邪魔をしてしまったと気付いて、シャロンはまたヒューゴとの間に少し距離を置いた。
ヒューゴはじっとシャロンを見つめて、何やら考えているようだ。
これくらいのことでヒューゴは怒らないだろうが、シャロンは先に謝罪をする。
「邪魔して、ごめんなさい」
「……いや、邪魔じゃねえけど、さ」
スマートフォンを逆の手に持ち替えて、シャロン側にある手でまた側に抱き寄せられる。
ぴったりと密着し、ヒューゴの鼻が前髪の生え際付近に触れてスンと吸われた。
すぐに解放されたシャロンはその一瞬の間に何が起きたのかもわからず、心臓が早鐘を打つのに思考は止まっていた。
息も止めて、動悸に瞬きさえ忘れてしまう。
「あー、これもしかしてガチのやつか? ハハ、ウケる」
「が……がち? なんで、笑うの」
「いやあ……この前水被った時さ、俺が腰触ったらぶるぶる震えてたのに、今はそういう顔すんだなァ、ってさ」
「それは……」
連続殺犯に服を破られ、舌で肌を触られた記憶が蘇る。その男を執拗に痛めつけ、治してはまた殴ったヒューゴの鋭い表情が恐ろしかった。
あの時はシャロンに対しても少し怒っていたように感じていたので、暫くはヒューゴを自然と怖がっていたのだ。
今は、もう一度同じように抱き寄せてほしくて、なんと伝えれば良いかとばかりを考え始めていた。
そんなシャロンの気持ちに気付いているのかいないのか、ヒューゴは手のひらを頭にぽんと乗せてくる。
頭を撫でられるのが気持ちよくて目を細めると、あの医師に撫でられているような気にもなった。
鼻をくすぐるありきたりな香水のせいだろうか、とろんと思考が溶けてしまう。
この匂いはシャロンを少し弱くしてしまう、毒のようだ。
「私、先生、好き」
口走った言葉はヒューゴにも届いていただろうが、それについて聞いてはこない。
聞き流して貰えたことにも感謝をしながら、シャロンは猫のようにヒューゴの手のひらに甘えた。




