15 公道
「ア? まだ生きてんの?」
聞き慣れた男の声に、それは返事をしようとするも、体は思うように言うことをきかない。
骸になりかけの脆い体では、身じろぎ一つまともにできやしなかった。
「た、たの……む……」
「アァ?」
「シャ、ロン……を……」
「……ハァア? アハハッ! ほらこれ……俺さぁ、普段から持ってんだよなァ、緊急避妊薬~! って、目ェ見えてねぇからわかんねえか」
「……そう、か……良かった……」
「ククッ、ヒャハハハ! 何だよそれ、超笑える! 急に父親ヅラかァ? ヒ〜ッ腹イテェ〜ッ! ああ〜……スッゲー泣けるわ、これが家族の『愛』ってやつか? イイなァ、結構パパってのもさァ……あのおっさんの気持ちもわかるぜ……あぁ、オイ、聞こえてる?」
英雄と呼ばれていたそれは、男の笑い声にももう興味など無いようで、口を閉ざして二度と話さなくなった。
亡骸を見ても笑いの止まらない男は愉快気ままに鼻歌を歌いながら、ポケットから取り出した手袋をはめた。
上半身に深い火傷を負って絶命したそれの、燃えなかったズボンのポケットに一枚の紙切れを入れる。男は鼻歌を止め、酔ったような溜息をついて、うっとりと笑みを浮かべた。
全てが男の思い通りと言うわけではないが、彼はこの事態に満足していた。
苦労して作ったヒト型モンスターの方はほとんどが煤となって、落ちている肉叢に回収すべき己の毛髪も残っていない。
想定していたより被害も大きかったが、これからたくさんのヒーローたちを治すことは、彼にとってはむしろ快感を得るものでしかない。彼は、壊して治すことが好きなのだ。
それにしても、ただ、疑問が残る。その疑問もまた、男にとっては好奇心を煽るだけの面白い情報でしかない。
あの炎の魔法士の腕は、なぜ攻撃を続けたのか。なぜ敵をジェラードと定めたのか。そこに意思はあったのか。脳と切り離しても尚?
「魂ってやつかァ? 魂も、切り分けられんのかな……でも、まあ、今のままで良いか……パパ、だもんな」
男は愛おしげに首からかけたペンダントのカプセルを手にし、口付けた。
「……愛してる」
シャロンは心地良い世界にいた。それは物心がつく前……羊水代わりの培養液の中にいた頃の記憶だ。
体はもう言語を扱って違和感のない大きさまで育っていたが、知識は無く、赤子のように無知であった。言葉はわからないし、見たもの全てが何かもわからないし、わからないということすらわかっていない。
それでも何が心地良く、何が不快だけはわかった。
シャロンを毎日見に来る人物……親が、親であり、己のオリジナルの存在であるともわからないが、この者がいなければ生きていけないと本能が告げていて、彼を見ると良い気持ちになる。
体がどのような形か、どこがどのように動くかも知らない。だが、『手』と呼ばれるものが動く。もちろんそれが手とはわかっていない。
手を伸ばすと、透明なガラスに阻まれて止まる。そのつるつるとしたガラスの感触も初めて知ったので、シャロンはそれだけで面白く思った。
ガラスの感触を覚えたことで、シャロンは疲れて目を瞑る。心地が良くて、幸せだからうとうとしてしまう。
親がガラス越しに、シャロンと同じように手をかざした。
それを薄目でぼんやり見たが、眠気に耐えられず眠ってしまった。
ぽこ、ぽこ、と泡が水中を踊る音。それがシャロンにとっては子守唄だった。
生きていることが幸せだった。生まれることを待っていてくれて、生きていることを望んでくれるその人がいたから。
たとえ、ただの道具でも。
『おはよう』
シャロンが目を覚ましたのは、バラム市の中枢部に位置して、今やシンボルとなったセントラルタワー。その地下にあるラボだった。
いつの間にか衣服は清潔なものに取り替えられているが、装飾の無いワンピースのようなそれは、まるで囚人服のようだった。
「おはよ」
その挨拶はいつも絶望の始まりを告げるものだが、耳に届いた声はシャロンを安心させてくれるものだ。
「……ヒューゴ? 私……く、クライヴは……クライヴはどこ」
「クライヴは上階のベッド。あいつはジェラードさんの養子だけど、6年間学生寮にいたし、年齢的にも一連の事件とは無関係ってことになった」
一連の事件。
ジェラードが自宅の地下室でクローンを作り、何らかの方法で合成してモンスターにしていたことか。
詳細どころか、モンスター自体はシャロンも知らなかった。だからといって全くの無関係ではないと、自覚もしている。
「シャロン、起きてすぐでわりィけど、いくつか質問するぞ。魔法使いには黙秘が認められていない。わかんねぇことは、知らないと答えてくれ。終わったら、シャロンからの質問全部聞いてやるから」
「はい」
「まあ形式上必要ってだけだから、リラックスして答えろよ」
にこり、とヒューゴが笑う。タブレットにペンを走らせ、恐らく質問内容の確認と、その返答を記録する準備をしているのだろう。
「えーっと……シャロン、お前婦人科医に定期的に卵子を摘出されてるな。知ってたか?」
「……知らない……けど、心当たりはある」
「自分の出自については知ってるか?」
「知ってる。私はジェラードの遺伝子を元に作られた……およそ、10年ほど前に肉体と知性が完成した。地下室で最も大きなポッドNPUFS-7171から生まれた」
シャロンは自分が眠っている間に、捜査に参加していろいろ知っているのであろうヒューゴに問いたいことがあった。
自分よりもずっと、自分のことを詳しく知っていそうだと思ったのだ。
自分のことだけではない。他にもたくさん問いたいことがあったが、ヒューゴからの質問全てに答えた後に、自由にこちらから質問をして良いと言われたのでそれを待つしかない。
「ジェラードさんは、何の目的でお前を作った?」
「赤子、作って欲しいと……跡継ぎにしたいと言われていた。その相手がモンスターだったとは、初めて知った」
「だよな。シャロンはモンスターのことを知らなかったから、いろんな男に好かれようとしてたんだもんな……これについては他の奴らも証言してる」
「……はい」
「シャロン、お前はジェラードさんに暴力を振るわれたことがあるか?」
「暴力……躾として、傷を負ったことは何度かある」
「いつも長袖着てたもんな。恐怖からジェラードの命令に従うほかなかった。母親もおらず、他に味方がいなかったから……ってところか」
声音は優しいのに、ヒューゴの瞳は恐ろしほどに鋭くシャロンに突き刺さる。
監視カメラやレコーダーには何も残らないだろうが、間近にいるシャロンにはヒューゴの放つ圧力のようなものがひしひしと伝わって、緊張に肩をすくめた。
これがプロのヒーローによる尋問なのだろうか。
まるで殺気だ。彼の望む答えへと導かれている気がする。
答えねば、と口をはくはくと動かすが、思ったように声が出ず、シャロンは咳き込んでしまった。
「けほっ」
「魔法使いに黙秘は認められていない。答えるんだ。例の婦人科医とかに相談できる機会も無かったのか? シャロン、お前は父親に、どうしても逆らえなかったのか?」
「……さ、逆らえ、なかった……そ、それが普通だと思って……」
「あの家でお前の味方になってくれた人は、クライヴだけだった。でもあいつが家を出ていって、お前は恐怖で父親に従うしかなかった。逆らえば暴力を受けるから……これに間違いないな?」
「はい」
こくっとヒューゴが頷いて笑う。先程までの強い圧もなく、いつになく爽やかな笑顔にむしろ違和感があった。
シャロンはざわりと嫌な感触がした気がして、少しの間、息を止める。
「あの屋敷に出入りした人間で、お前と交流があったのはクライヴと婦人科医の2人。よし、報告報告っと……」
否、もう1人だけいる。
だがその言葉はヒューゴの笑顔に制されて消えた。
「次はシャロンの番だ。質問していいぞ……何でも」
囁きかけられて、鼓膜を空気で撫でられたような感覚がする。
何でも質問してもいいなんて、彼は思っていないだろう。ならば余計な話は避けようと、シャロンはもう1人の医師の存在を頭の中から葬り去った。
ジェラードが自宅の地下室でクローンを作っていたことは、ごく一部のヒーローと警察組織の幹部数名のみで隠蔽された。
ナンバーワンヒーローを失ったバラム市で、ヒーローへの信用が無くなれば魔法士は居場所を失うかもしれない。
少なくとも、新たな英雄が生まれるまでは。
モンスターについては、クローンを作成していたという証拠はありつつも、どのように合成したのかはわからずじまいであった。
警察本部でも暴動やテロはなんとしても避けたく、またヒーロー司令部との贈賄が横行している警察庁上層部は、ジェラードの死をモンスターと交戦による名誉あるものとした。
警察も市政もとっくの昔から腐っている。腐敗し、怠惰を貪る人々の目を盗んで、ジェラードの住んでいた邸宅の地下室の機械類や資料は、全てヒーロー司令本部に秘密裏に回収された。
ジェラードの亡骸のポケットから出てきた紙には、ヒーローの血液型と属性が記入されており、その中には行方不明となっている者たちの名前があった。
記載されていた行方不明者の特徴から、ヒト型のモンスターが魔法士の肉体を合成して作られたものと仮定して捜査は行われたが、行方不明者の遺体も見つからないまま時間だけが経過していった。
事件は未解決のまま、やがて捜査は徐々に打ち切られて、モンスターのことも人々の記憶から薄れていった。
シャロンは彼の作ったものの中で唯一生存し、言語を操れる。それ故にタワー内のラボに隔離され、しばらくは生活を監視されることとなった。
その間、テレビやインターネットなどで外部の情報を得ることは許されなかったが、シャロンを容疑者の一人として数えてはいなかったためか、幸いにも監視下での面会は自由に行えた。
クライヴやヒューゴ、カナタだけでなく、シンイー、エリオット、ボドワンも度々会いに来て、取り戻した元の日常の話を面白おかしくしてくれるのも、毎日楽しみとなっていた。
夏も秋も終わって冬になる頃、シャロンはラボを出ることとなった。
腐敗しているのはヒーロー本部も同じで、密かに回収した地下室の装置を新たな研究に活かすらしい。怪我の多いヒーローたちの移植用の手足や眼球、臓器などの作成を行うという話だが、シャロンはそれを必ずしも真実とは思っていない。
ジェラードの罪状などよりも、ラボの者は皆シャロンの出生と生い立ちの方への関心が強かった。
性に奔放すぎるヒューゴもなかなかのものだが、ラボを構成するメンバーの回復魔法士たちは揃いも揃って変わり者ばかりだった。
ジェラードに比べればかなり温厚な者たちだが、そのうち魔法士の生産にでも手を出すだろう。
それどころか、もしかするとジェラードの計画にもすでに一枚噛んでいたのかもしれない。そうとしか思えないほど、彼らは培養ポッドの扱いに慣れていた。
正義は増殖し、きっとまた変異種が現れて歪む。人々に個々の知能がある限り争いはなくなりはしない




