14 公道
クライヴは己の目の前でシャロンが傷付けられることに怒り、悲しみ、憎んで、崩れて、獣のように咆哮をあげる。
行く手を阻む氷の格子に電撃を浴びせ、固く結んだ拳から血が出るのにも構わずひたすら殴りつけた。
シャロンは強い。檻はびくともせず、それどころか亀裂が入ったところからまた新たに氷が産まれて復元していく。
時間稼ぎやそんなものではなく、シャロンの魔力が何らかの形で消えるまで、確実にクライヴを閉じ込めておくつもりのようだ。
なぜ自分は弱いのだろうか。
訓練校での拷問に絶え、試験では良い成績を残して首席にいた。だがそれは、同じ訓練校にシャロンやカナタ、ウドムなどの天才がいなかったからだ。
あの学校に行かなくても特別な力を得た魔法士たち。どうしても、彼らに敵う気がしない。
自分には人を守ることができない。
きっとプロになったところで、クライヴは彼らに守ってもらうしかないのだろう。ずっと、足を引っ張るのだろう。
いつまでもヒューゴの後ろでウジウジするのだ。
せめて意地を張らず素直に頼み込んで、たくさん稽古をつけてもらえば良かった。一人でジムに通ったところで強くなんてなれなかった。
プライドばかり高い自分が嫌いだ。
しかし、だから何だというのか。
今ここで弱さを認めて、諦めて、それで良いわけがない。
――殺せ
どこからか声がした。その声に、クライヴは苛々して、歯ぎしりをする。
そうだ、殺してしまいたい。シャロンを傷付ける者も、役に立たない自分も。
「殺したい……」
悪魔に魂を売っても構わない。どうせ正気でいても彼女を助けることなどできない。
シャロンを救えるのならば、シャロンが助かるのならば、自分は自我を失ったまま死んでしまっても構わない。
名誉も何もいらない。研修中に暴走した、ヒーロー失格の化け物に成り下がって構わない。
「殺しちまえよ」
憎悪が胸の中で膨らんでいく。魔力が漲って、抑えきれない感情の渦が暴れだす。体の痛みも消え去って、清々しいまでの狂気が満ち溢れた。
理性が消えていき、クライヴの心は血に潜む魔物に飲まれていく。
氷の檻は術者の意識と共に弱り、溶け始めるようにして脆くなっていた。数回殴りつけるとひびが入り、崩れ始める。
「グルル……」
ビリリ、と電流を纏い唸り声をあげたそれは、いつか彼が恐れた魔女と同じ顔をしていた。
激しい雷鳴は爆発音に近い。
その音を聞くなり、ジェラードはチッと舌打ちをした。
ジェラードの用はあらかた済んでいた。
あとは生殖機能に欠陥を持つ自分の代わりに子を産むことのできる偽物を、自分の屋敷に連れ戻したい。
欲を言うなら、モンスターの種子も採取し持ち帰りたい。サンプルは多ければ多い方が良いのだ。
糧の尽きたモンスターは既に狂乱し、理性を失って幼子のように喚き散らしている。この合成モンスターには弱点があり、その一つがこれだ。
次の閃光はジェラードのすぐ目の前だった。
瞬時に地面を滑って後退しようとしたが、せっかく長い時間と人を使って手に入れた『たまご』を失うのは、ジェラードにとっては許しがたい。
モンスターを庇うため、その巨体を強く押して、共に地面へ倒れ込んだ。
光に包まれ、放電しながら寄ってくる化け物の方へ、ジェラードは氷の矢を放つ。
優秀なヒーローを殺すのは勿体ないが、たまごの方がずっと大切だ。これは己の中にある何か……大切であった何かを壊し、犠牲にまでして得たものだ。ジェラードの生きる意味そのものと言っていい。
シャロンの腹の中にあるそれは、英雄のたまごなのだ。
ジェラードは同じ家系で、複数の魔法を使える若い肉体が欲しい。その子どもに魔法を使いこなす事ができなかったとしても、その遺伝子を、肉を、シャロンのように調整して作り直せば、いずれ理想の個体が出来上がる。
ここまで来たのだ。もう後戻りは決してできない。
自分の血肉、遺伝子から作り上げたシャロン。自分と異なる名前を考えたせいか、それとも培養槽を毎日見守ってしまったせいなのか、つい、■着が湧いてしまった。
だからシャロンに手を上げ、■していないのだ、これは自傷行為をしているだけなのだと自分に言い聞かせてみた。
シャロンは娘でも何でもない、自分自身であり、偽物だ。だから刺して、切って、撃って……不快な気分になる度に、それをあえて繰り返した。そうしているうちに、シャロンに暴力を振るうことに慣れていった。
何年もかけて、シャロンをようやく道具として使えるようになった。
もうこの個体がどんな種子を植え付けられようが気にしない。この雌の個体は、ただの全自動培養槽なのだ。
ジェラードは自身の平穏も幸せも、■情のようだった何かも仲間も全て犠牲にしてきた。
だからなんとしても、絶対に目的を果たさなばならない。
記憶ごと大脳の一部を移植し、子孫として長く生きねばならない。この世界を牛耳る無能を切り捨て、排除し、魔法使いこそが統率者として相応しいと思い知らせてやらねばならない。同胞たちのために、強い個体である自分たちがやり遂げねばならない。その時を見届けるまで、老いて死ぬわけにはいかない。
「私の、邪魔をするなァァア!!」
氷の矢は電気で生み出された熱で溶かされた。ならば瞬時に溶けぬような、大きなもので攻撃する他ない。ジェラードは稲妻の発生源たる男へ狙いを定める。
そこで、魔力に飲まれて正気を失っている眼前の化け物が、自分の養子であると気付いて目を見開いた。
「クライヴ! なぜ君が正気を失ってまで闘わねばならない……落ち着きなさい!」
「シャロン……シャロンシャロンシャロン!!」
「シャロンはここにいる! 君がモンスターに攻撃をすると、巻き添えを食らってしまうんだ! とにかく、落ち着きなさい」
バチバチと音を立てながらも大人しくなったクライヴに、ジェラードはにたりと笑う。
クライヴをここで失うのは惜しい。クライヴは血液型が違うので雄のパーツとして不適合としたが、養子として迎え入れたという美談がある。■着がある。
もうシャロンの傷を見られてしまったかもしれないが、妄想と自傷癖があるということにすれば良い。
シャロンの正式な夫として迎え入れ、子も育てさせる。クライヴは孤児で、子供に何の魔力が遺伝しようとも、祖父母やさらにその上にどんな魔法使いがいたかわからない。だから我が子として育てさせることもできそうだ。
赤子がどんな外見であろうと、シャロンの母親をでっち上げればそれで済む。
やはり、シャロンを自分の手で育てたのは間違いだった。説明すらできないままここまで来てしまった。
だがシャロンの子供はきっと大丈夫だ。自分は関わらず、他者に面倒を見させれば余計な情は湧かない。体を奪うことに、躊躇いなど抱かないはずだ。
ジェラードはすべてが計画通りに進んでいると自らに言い聞かせ、安堵し、踏みつけたモンスターのたてる耳障りな音を聞かないようにした。
「う、ぐぅっ」
ぐしゃ、とモンスターの潰れる音にまぎれて、うっかり一緒に踏みつけたシャロンが呻き声をあげる。
すると次の瞬間、ジェラードの体が空中へ放り出された。
遅れて感じた痛みに、ジェラードは顔を蹴られたのだと気付いた。
■していた者と同じ、大切な顔が痛む。
10年前に、初めて可■いと思った顔が。
獣のような唸り声を上げる怪物と化したクライヴに、理性はもうない。
魔力は人を化け物にする。だからかつて魔法使いたちは魔女、悪魔、ヴァンパイア、鬼、狐憑き、妖怪などと恐れられてきたのだ。
電気を纏った化け物は地面に落ちたジェラードを放ったまま、肥大化した植物と肉を混ぜ合わせたようなモンスターの体を爪で抉るように掘った。
本能のまま、何かを求めて掘る。電気で自身も焦げ付いて黒くなっているのに、そんな痛みも化け物は気にせずに掘った。
やがて細い腕を見つけ、夢中でその周りを抉り出す。引っ張り上げた女の顔を見ると、化け物はそれを喰らうのか育てるのかもよくわからず見つめた。
女の腕にはひどい火傷があり、かろうじてしている息は今にも止まってしまいそうだ。
化け物は女の顔にぽたりと落ちてきた液体が自分の目から出ているものと気付くと、それをどかしてやろうと黒ずんだ指先で撫でてやった。
ぴく、と瞼がうっすら開き、空の色をした瞳が化け物を見つめる。
「クラ、イヴ……」
化け物は、彼女が自分のことを呼んでくれているのだと気付き、それから慌てたように女を抱きかかえてモンスターの上を退いた。
化け物はぐったりとした女を抱いたまま、再び動き始めた植物のような肉のような何かに威嚇する。
そして、その向こうでゆっくり、よろりと立ち上がった血だらけの魔法使いにも吠えた。
「こ、ろ、してやる……私の顔に、よくも傷をォォ!!」
抱いている女と同じ顔をした男が絶叫し、空中に大きな氷の塊が生成されていく。
それを叩きつけられたらひとたまりもないと、化け物の頭でも理解はできた。
「殺してやる!!」
化け物は、自分よりもずっと化け物のようなそれを睨みつけ、フーフーと息を吐きながら大切な物を強く抱きしめる。
逃げなければ。
本能のまま一歩足を踏み出した刹那、それまでもたもたと動かなかったモンスターの右の手のひらが天空を仰いだ。
火炎が勢いよく、空中にある氷を焼いて溶かそうとする。その勢いは留まるどころか徐々に増していく。
モンスターの右手だけに意志があるかのようだ。呻いたりシャロンの方へ蔦を伸ばそうとする自身の肉体をも焼いて、カラメルのような色の右手はまっすぐに空の氷へ向かっていた。
「おのれェ! ゴミ風情が!!」
騒ぐ白色の男へ暗色の腕が伸びる。高くから落とされた、まだそこそこの大きさのある鋭利な氷を受けて、その腕は千切れて飛んだ。
燃えながら飛んだ腕はジェラードに掴みかかり、そのままぶらんと垂れ下がる。
「クソ! クソ! クソがァ!!」
胸元で燃え広がっていく紅蓮の火炎。それごと凍らせて逃れようとするジェラードの肉体もあっという間に焼けていき、地面をのたうち回りながら彼は酷い声を上げた。
化け物はガアッと声を上げながらそれに背を向けて走る。それでも焦げた足では遠くまで走れず、何度も何度もよろけては、腕に抱いた大切なものを守るために前へ進んだ。
進んで、進んで、足がだめになる。
転んでも化け物は脆い淡雪のような女を放さず、庇うように自らを地面にぶつけた。
鼻先をその皓月色の雪を紡いだような髪に埋めると、その色とは対照的な温かさと、甘いような香りがあった。
愛おしい。
その想いに釣られて、化け物の中に眠っていたクライヴが目を覚まし始めていた。
「シャロン、クライヴ……お前らのことは、俺がずーっと守ってやるからな……」
チカチカと点滅して消えそうな世界から聞こえる声に、なぜかほっと安堵する。
知らぬうちに大きな傷を負ったのか、どくどくと心臓の音と共に血液があちこちから流れ出てくる。その中から救い出すかのように、誰かの手がクライヴの頭を撫でた。
痛みと共に、化け物は眠りについた。




