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アンラヴドヒーローズ  作者: トシヲ
▼後編(クライヴ)

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12 自宅

 クライヴの部屋での二人暮らしは、少し狭い。

 それに研修生の身で婚約をしているわけでもないのに同居生活を続けるというのは、あまり褒められたことではないらしい。

 シャロンは知らぬ間にクライヴが出していた女子寮への入寮申請が認められたことを知らされるやいなや、すぐに引っ越し作業を強いられることになった。


 クライヴはシャロンのおねだりを全て聞いてくれる。撫でて欲しいと言うと撫でてくれるし、キスをして欲しいと言ったらしてくれる。

 シャロンはこれからもクライヴの腕の中に潜り込んで寝たいし、毎日すりすりとくっつきたい。一時も離れたくない。離れていると寂しく、切なく、不安になる。


「引っ越し、嫌。帰るのも嫌」


 普段あまりこういった否定的な願望は口にしないようにしているのだが、我慢ならずに言い放つ。

 しかしクライヴだけでなくヒューゴとカナタまで困った顔をするので、むむうと口をつぐんで渋々車に乗り込んだ。

 今からヒューゴの運転する車で自宅へ向かい、荷物を運び出してもらう。


「シャロンさぁ、お前と付き合い始めてから幼児退行してね?」

「そ、そんなことは……いや、あるかもしれないけど……」

「俺は、自分の思ったことを口に出せるのは良い事だと思う」

「おいおい……カナタまで、あんまりシャロンを甘やかすなよ」

「いいや、一番甘やかしてるの先輩ですよ。この前こっそりおやつあげてるの、俺、見ましたよ。人を食べ物で釣るの良くないです。あと、実は俺もチョコが大好きです」

「ヒューゴ、苦いチョコくれる。苦いチョコは美味しい。珈琲豆のやつ、好き」

「よしよしチョコあげるから引っ越し作業頑張ろうな」

「嫌」


 久々に着いた家の玄関で出迎えたジェラードの顔には、いつものキラキラと眩しい笑顔が貼り付けられている。

 腕を庇うように触りながら、シャロンはなるべく彼と目を合わせないようにした。


「実はこれから会議があって……ヒューゴ、よろしく頼んだよ。君、力持ちだから」

「はいはい、お任せあれ」


 幸いなことに、すれ違うように出ていったジェラードにシャロンは安堵する。

 そして、自分の部屋とされている場所に向かい、引越し先に必要であろう物を探すことにした。



挿絵(By みてみん)



 この家は、クライヴにとっても懐かしい場所だった。

 幼い頃、なぜか自分で読む本を選ばないシャロンのために、クライヴは挿絵の綺麗な絵本や詩集、一度自分が読んだ本の中で美しいと思ったものを彼女にすすめた。


 今になって思い返してみれば、出会った頃のシャロンには自我が無かったように思える。

 何を考えているのかもわからず、どこを見ているのかもわからない。それが神秘的で美しいと思っていた。嘘で塗り固めた偽物の笑顔とも知らず、その表情を愛していた。


 今のシャロンは真顔が多いが、なぜか眩しく笑っていた頃より心の存在を感じる。瞼や目線、小さな表情の変化がたまらなく愛おしい。


「な〜クライヴ、ちょっとこっち手伝ってくんねえ?」


 ヒューゴに声をかけられ、衣類を詰めたダンボールの蓋を閉じて立ち上がる。

 持っていくものを仕分けしているシャロンと梱包しているカナタを横目に、クライヴは返事をした。


「わかった」


 2人いれば困ることはないだろう。カナタはヒューゴと違ってシャロンに変なことをしないだろうし、シャロンもカナタがいれば重いものを運んだり、高いところにも手が届く。

 寮暮らしに必要なものも、カナタならばよく知っているはずだ。


 部屋を後にしたクライヴはヒューゴと共に、そう多くない荷物を車に運び込んだ。

 そしてまた、ジェラードが用意していた食料品を運ぼうと屋敷内に戻る。

 すると途中、不意にヒューゴが足を止めた。


「あのさ、トイレ行きてェんだけど……」

「えっと、トイレは……」


 クライヴは幼い頃に過ごした記憶を頼りに廊下を進む。

 だがトイレに辿り着く前に、後ろを付いてきていたヒューゴの足音が止まって、ガチャ、と何か金具が外れるような音が耳へ届いた。


「トイレはあっちの……おい、ヒューゴ?」

「やべ、肘が何かに当たっちまった……」


 クライヴも詳しくないが、壁にいくつか飾られている絵画はどれも高価そうなもので、うっかり壊してしまったら弁償できるのかわからない。

 どちらかというと活発な方ではなく、慎重だったクライヴも幼い頃からこの廊下は気を付けて歩いていた。


 青褪めるクライヴと、悪びれているのか、眉を顰めて情けない笑みを浮かべるヒューゴ。固まっている2人の横で、絵画とは別のチェストが勝手に動き始め、その後ろに隠されていた扉が姿を現した。

 何が何だか分からない。クライヴは声も出ず、怪しげな扉を見つめた。


「……なんか、いかにもな隠し扉だな……」


 驚きすぎたのか、かえって冷静なヒューゴにクライヴは怒るべきなのか笑うべきなのか、はたまた嘆くべきなのかもわからない。

 何年も住んでいたのに、クライヴもこのような仕掛けは初めて見た。


「ど、どこを押したんだ。元に戻せ!」

「……なあ、クライヴ……なんか階段があるぞ」

「おい、勝手に開けるな! シェルターか貯蔵庫だろ」

「別に何か盗ろうとかそんなんじゃねえしさ……むしろこれ、なんつうか……プロの勘なんだけど……ヤバそうなにおいがするな。行ってみるぞ、クライヴ」

「なっ、なな、な、ま、待て、ヒューゴ!」

「お前も来い! 教官の命令だぞ!」

「っ……わ、わかった。責任はとれよ」


 コンクリートを塗り固めただけのような、壁紙も貼られていない冷たい空間に、下り階段だけがある。その先にはもう一つ扉があった。

 施錠されていないその扉をさらに超える。想像よりもずっと広いその空間は、照明や機械類によって明るかった。毎日人が出入りしているのか、放置されているという状態ではなく、よく掃除も行き届いていて隅まで綺麗だ。


 クライヴはそこをシェルターか何かかと信じたかった。防災システムの完備された避難用の一室。保存食や医療品、趣味で買った骨董品や高級車、楽器、レコードの並ぶ防音室でも良かった。そういう部屋であることを願った。

 しかし用途のわからない機械の動作音のようなもの、ファンの回るような音が虚しく響く部屋に、人が買い集めて鑑賞するようなものは無いように見えた。


 手術台にライト、デスク、医療機器、薬棚。また反対の壁際には扉も仕切りもないのにシャワーのようなものがある。排水溝の方は乾いているものの、やはりつい最近まで使われていたのか目立つ埃などはない。


 さらに奥の部屋へ進むと、モニターやサーバーらしきもの、業務用の大型冷蔵庫のようなものが並んでいる。周辺はコードが床や壁を蔦のように這っていた。

 歩くたび、ヴーンと動いている機械の音が次第に大きくなり、コポコポと液体の動くようなものの音まで聞こえる。


「水槽……か?」


 青のような緑のような黄色のような……ライトで照らされた大きなガラス張りのそれは、水族館で見るクラゲの水槽と似ている気がした。

 中にも電極のようなコードが垂れ下がっているが、何かに繋げられることもなく泡に当たられて揺れている。


「水槽っつーか、これ……」


 ヒューゴが呟いたその瞬間、キンと床が一瞬で凍り付いた。

 コツ、コツ……と靴の音が鳴る。


 ヒューゴとクライヴは咄嗟にそれぞれ近くにあった棚や装置の陰に隠れたが、足音の主は接近し続けている。

 冷気が漂い、あっという間に真冬のように室温が下がった。

 氷の魔法だ。


 コツ、コツ……靴音は尚も近付いてくる。

 クライヴの心臓が大きく鳴る。まるで体の外にまで音が漏れて出そうだ。


 足音は、クライヴの隠れる水槽のような装置のすぐ裏までやって来て、止まった。


「息、見える……。どうしてここにいるの」


 寒い部屋で、クライヴの吐き出した息が白く見える。それを見つけて、話しかけてきた声は愛おしいものだ。


「……シャロン?」


 それは、そうか。ジェラードは会議に出掛けたはずだ。

 クライヴは少し警戒したまま、のぞき込んでくるシャロンを見上げる。


「……ヒューゴも出てきて……」


 シャロンの言葉にヒューゴがそろりと出て来る。後頭部を掻きながら笑うヒューゴに、シャロンはわずかに目を細めた。


「勝手に入っちゃ、だめ……」


 魔法を解いたシャロンの付近から氷が消失し、少しだけ室温が戻ったが肌寒さは残った。

 怒っているわけでも悲しんでいるわけでも無さそうなシャロンに、クライヴは問うか問わざるべきか悩んで、それから言葉を紡ぐ。


「この機械は……何なんだ?」

「医療機器」

「シャロンはこの部屋を知っているのか? ここは一体何のための部屋なんだ? 医療機器って……何のために」


 クライヴの言葉に、シャロンは黙ったまま表情も変えない。根拠もなく不吉な予感がし、体が震え始める。


「これ、培養槽だよな」


 答えないシャロンの代わりに、ガラスの表面に手のひらを置いたヒューゴが言い放った。

 薄暗いから、培養槽のライトがヒューゴの髪や肌、瞳をその色に輝かせている。


「培養槽?」

「……魔法に比べたら時間もコストもかかるが、傷を治したり……生き物を作るやつだよな。なんでこんなとこにあんだ? これ、法律違反だよな。バラムでこの装置の所持は禁じられてる」


 生き物を作る。その言葉に心臓が鼓を叩いたかのようにドクンと震える。

 背筋が寒くなり、肌が粟立っていく。血の気の引いた顔をシャロンに向け、その手首を掴んだ。


「シャロン、一体ここで何をしているんだ? ま、まさかモンスターと関係があるのか? 君は何を知っているんだ!?」


 シャロンの表情に、かすかに影が落ちる。動揺か恐怖か、掴んだ手首が僅かに震えている。


「モンスターは、知らない……これは、私が……パパに、仕置きをされたら……ここに……モンスターは、わからない。わ、私……私は、違う……私は、私はっ」


 シャロンの目がカッと開かれ、眉間に深くしわが刻まれる。

 この顔を見るのは二度目だ。

 クライヴは咄嗟にシャロンの手首を引いて、その強ばる体を強く抱きしめた。


「シャロン、大丈夫、大丈夫だよ、早く外に出よう」

「ちがう、私……ちがうの、私は」

「戻るぞ!」


 うわ言のように同じ言葉を繰り返すシャロンを抱き上げ、ヒューゴと共に来た道を駆け戻る。

 開けっ放しにしていた扉から出て階段を上がって行く途中、足音が減った。一度振り返って、なぜか足を止めてしまったヒューゴを呼ぶ。


「ヒューゴ!」

「ああ、すぐ行く」


 3人で元いた場所に戻ると、シャロンを追って来たのか、カナタもチェストの近くで隠し扉を見つめていた。


「なんか映画のセットみたいな……って、シャロン? どうしたんだ? 大丈夫なのか?」


 クライヴに抱かれてぐったりとしているシャロンに、カナタが顔を顰める。

 クライヴはカナタの顔を見ると一気に緊張が解けて、荒い呼吸を落ち着けるように唾を飲み、大きく大きく息を吐いた。


「た、多分、貧血だと思う……」

「とりあえず部屋戻って横になった方が」

「……車、乗る」


 クライヴは力無く呟いたシャロンの背中をぽんぽんと叩いて、ヒューゴに視線を移す。

 ジェラードに受けた暴力を思い出して錯乱しているのならば、一刻も早くこの場所を離れるべきだ。

 いつになく落ち着いた、静かな表情のヒューゴが頷く。


「ああ、外の空気吸いに行こうぜ」


 4人は邸宅を後にして、車に乗り込んだ。

 暫くシャロンはクライヴにしがみついてじっと動かなかったが、遠回りをしてタワーに着く頃にはいつもと変わらぬ様子で外を眺めていた。


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