11 第4区
虫や魚介類、小動物から、モンスターはとうとう猫の姿のものまで現れた。
同時にヒーローの失踪事件も相次ぎ、7人目がいなくなったところでようやく警察とメディアが動き始めた。
ヒーローの癖に負けるな。負けるような者はヒーローではない。何のための魔法か。社会を守っている立場のモノがヒトを巻き込むな。もっと強いヒーローはいないのか。魔女狩りの復活……そういった言葉に心を病み、引退を決めた者まで現れ始めると、バラム市のヒーローの弱体化を危惧した一般市民は更に騒ぎを大きくする。
そんな忙しない日常の中、ヒーローの失踪と、過労やストレスによる急病での休職、引退も相次ぎ、ヒーローは数を減らしていった。そしてプロヒーローに代わり、研修生にも協力要請が出るようにもなった。
ほとんどはパトロールや慈善活動といった危険性の無い内容の職務だが、研修生でもプロと遜色ない能力を持っていると上の判断したヒューゴ班、失踪中のウドムを除いたエリオット班はモンスターの出現率の高い地域のパトロールを担当することになった。
モンスターは魔法使いによって作られたものと断定しての捜査が行われていたが、ウェブ上では一般市民によるもの、魔法使い殲滅のための生物兵器などと真偽不明の情報も流れ始めた。
モンスターを悪魔とし、悪魔崇拝を行う者が、仮装をして騒ぎを起こすなど、事件も数を増していく。
都会的で人も多いバラム市第1区カトルの治安は著しく低下し、連日シャロンたちも職務にあたるようになっていった。
車が炎上しているとの通報を受け、シャロンたちは第4区へと駆けつけた。
事故による爆発とされていたものの、辿り着いた現場で目にしたのは焦げた黒い地面と燃えた残骸、そして人にしてはやや大きい生物だった。
その生物は限りなく人間に近い形をしている。
手足は2本ずつで顔も1つ。だがその大きな体は、縫い目もないのに色の異なる肌がいくつも繋ぎ合わされているようだった。
それは唾液を溢しながら何かを探すような素振りをしている。姿形を自在に変化させる魔法使いか、その魔法を使われた人間……いくつか考えつくものはあるが、シャロンはそれを一目でモンスターと認識した。
逃げ惑う一般市民らに危害を加えさせぬよう、カナタがモンスターと対峙する。
だがモンスターはカナタになど目もくれず、ギョロギョロと眼球を動かして何かを探している。
シャロンはそのモンスターの頭部に見覚えがあった。
そのモンスターの顔はシャロンを誘拐し、辱めたあの男のものとよく似ている。似ているというよりも、恐らく本人と言ってもよい。
ヒーローに身柄を確保され、警察組織へ引き渡す直前に獄中死したという報道をテレビで聞いたが、なぜここにいるのだろう。
シャロンの存在に気がつくと、モンスターはにたりと笑みを浮かべた。
「かハァ……イ……はアァ……髪ィ……」
どろりと粘着質な唾液がモンスターの口からこぼれ落ちる。
あの男にされたことを思い出し、シャロンは一歩引き下がった。
「……こちら第4区グリズリー、正体不明の生命体出現を確認。至急応援を頼む」
ヒューゴが淡々と本部へ通信を入れている中、モンスターが地面を蹴って前進した。
まるで弾丸のように空気を裂いて、自らの正面へ来るそれを目で捉えていたシャロンは、咄嗟に氷の障壁を張る。
だがそれも貫き、突破して、モンスターはシャロンのいた場所へと到達した。
モンスターが一直線に進んでいる間に高く跳んだシャロンは、空中で身を翻して、人のいない場所を選んで着地した。
モンスターに突破された障壁は砕けたというよりは溶かされたように滑らかな穴を空けていた。
「……炎の魔法」
シャロンは呟く。
その小さな声は聞こえなかっただろうが、同じく障壁を見たカナタが渦を巻く蛇のような水を操り、器用にモンスターを捕らえた。
そして畳み掛けるようにクライヴが電撃を放ち、水を導線にして的確にモンスターへダメージを与える。
プロの見せ場を作るため、クライヴは手加減をしていた。
それが研修生の仕事なのだ。足止め程度のことをして時間を稼ぎ、マスコミのカメラとヒーローが集まるまで待つ。
「チッ、ノロマが……」
普段から言葉遣いが綺麗とは言えないが、それでも比較的陽気で温和な性格のヒューゴがついた悪態にクライヴが不安げに眉を寄せた。
「す、すみません……」
あまりにもヒューゴの声が冷たかったためか、クライヴは他の教官を前にした時のような口調で謝る。
「あっ!? いや、クライヴじゃねえよ! プロのこと! つーかクライヴ様が俺なんかに謝んなよ……調子狂うぜ……」
「ぼ、僕は……一応ヒューゴのことも、ちゃんと、教官だと……」
「んー……まあ、一応は、な」
ヒューゴは喋りながら、ホルスターから取り出したハンドガンをクライヴの方に向けた。
シャロンも同じ方向へ手をかざし、狙いを定めるが、あのモンスターの頭部のせいで動揺しているからか、その動作に遅れが出た。
クライヴは銃口を見つめ、ヒューゴの名の最初の音を出そうと唇を動かす。
「ヒュ……」
パンッ――
銃声の後、シャロンは構えを解いて手を下ろした。
ヒューゴの撃った弾はクライヴの頬の真横を通って、すぐ背後に忍び寄っていた植物のような蔓状のものを破壊していた。
「あっぶね〜」
電撃によって麻痺してうずくまっていた様子であったモンスターが左手から地中へ根を伸ばして、クライヴへ攻撃しようとしていたようだ。
シャロンが魔法で凍らせるよりも早く、正確に撃ったヒューゴに経験の差を感じざるを得ない。
心のどこかに魔法は一人につき一種類という油断があった。二種類の魔法を使いこなす者もいるというのに。
その点、やはりプロであるヒューゴの反応は早い。
それにしても、あの誘拐犯の顔を持つモンスターは一体何なのか。あの人間は魔法使いではないと、身元の確認も済んでいたはずだ。
その上、頭や腕など、部位によって皮膚の色が異なっている。
これまでのモンスター同様に、複数の人間が組み合わさっているとでも言うのか?
その考えに至った瞬間、あまりにも気味が悪く残酷で、胃の中身が逆流してしまいそうな感覚がして青褪めた。
そして同時に己の体のことも脳をよぎる。
醜い傷だらけの己の体。
シャロンは自分を抱くようにして、二の腕に爪を立てた。
「キヒィッ、オン、ナァアア!」
獣の唸るような声を発して、体勢を立て直したモンスターはシャロンへ向かって突進してきていた。
それを目で認識しつつも、シャロンは魔法を使うことはおろか、逃げようともしなかった。できなかった。
本能が敵の接近を告げるべくけたたましく警鐘を鳴らしているが、それでも足は凍ったかのように動かない。恐怖が枷となり、足を地面に縛り付けていた。
「シャロン!!」
一閃。
眩しく目の前が光る。
ドン、と凄まじい勢いで雷槌がシャロンの正面へ落ちたのだ。
地面を焦がす臭いにようやく足が動くようになったシャロンは、すかさず後方へ退く。
そして、それまでシャロンのいた場所にクライヴが飛び降り、まるで閃光のように、ほんの一瞬でモンスターに詰め寄って腹を蹴り上げた。
「……クライヴ」
足を引っ張ったことを詫びねばならない。シャロンは強いのに、また実戦演習の時のように手を抜いたと、クライヴに不快な思いをさせたかもしれない。
腹部にダメージを受けつつも、モンスターはニチャリと粘っこい唾液を垂らしながら笑みを浮かべ、強く地面を踏んだ。
次の瞬間にはその場からモンスターの姿は消え、地面に亀裂だけが残っていた。
気配も無くなり、砂塵だけが舞って、妙な静けさにシャロンは体の力が抜けていく。
「あー、逃げられちまったな」
ヒューゴの言葉に、クライヴがぶるぶると拳を震わせながら俯いた。
「……すみません」
「いや、プロが来んのがおせぇからだ。クライヴはよくやったよ。俺も正直、手ェ抜きすぎた。俺のミスだから気にすんなよ」
ヒューゴが涼しげに笑い、尚も俯くクライヴの頭をくしゃりと撫でた。そして、同じように肩を落とすカナタ、シャロンの頭も順に撫でる。
「おーよしよし、気にすんな。大丈夫。カナタも超良く動けてたし、シャロンも怖いだろうに頑張ったな〜!」
のんきに笑うヒューゴに、シャロンは小さく頷く。
クライヴとカナタも同様で、ヒューゴに乱された頭を整えながら、ほんの少しだけ安堵したように緊張を解いた。
しばらくして到着したプロのヒーローの中にはジェラードの姿もあった。
モンスターを取り逃したことを責めるどころか、ジェラードは落ち込んだ様子のカナタやクライヴの肩を何度も優しく叩いて笑いかけている。
それに同調するように、怪我もなく無事でいられた研修生を責める者はおらず、ヒューゴにだけ文句が飛んでいた。
「お前の馬鹿力で捕まえとけよ!」
「ま~た、女の子のこと考えてボーッとしてたんだろ」
「いやいやいや……下手に手出ししたら、こいつらの氷水雷って全部喰って流石の俺も死ぬわ! 女の子のことは常に考えてっけどな」
軽口を叩くヒューゴにヒーローたちが呆れたり笑ったりする。
シャロンは静かに、嫌な鼓動を落ち着かせようとため息を溢した。