07 自宅
シャロンに危害を加えたドローンは卑猥な写真や動画などの売買を行う企業のものだった。
一社が犯行に及び、他の企業のドローンも便乗した結果、シャロンは辱めを受けることとなった。
シャロンの写真、映像を撮ったドローンはクライヴが全て破壊した。既にオンラインストレージを介して一部のデータは操縦者へと送られていたが、ヒューゴを通して連絡を受けた司令部がオンラインストレージの管理会社に通報したことで削除されたらしい。
シャロンはその後療養のため、一週間ほど研修を休んだ。
研修再開日の朝、邸宅の裏門の方にヒューゴが車で迎えに来ていた。
助手席にはカナタ、後部座席にはクライヴも乗っている。
「おはよ、シャロン。コーヒー飲むか? 缶だけど」
シャロンは窓から顔を出したカナタの言葉に少し悩んで、こくんと頷く。
カナタから缶コーヒーを受け取ると、クライヴがドアを開け、すっと手を差し出した。
「……いいの?」
「え?」
「手、触られたら、や、でしょう」
短い期間のうちに、シャロンには嫌いなものがたくさんできてしまった。
好いてくれず、仕置きばかりで撫でてくれないジェラードに、シャロンを追い回して邪魔をし、屈辱的な写真を撮ったドローンの操縦者やそういったコンテンツを購入する者……どれにも触られたくない。
嫌いとはそういうことだ。シャロンを『大嫌い』と言ったクライヴも、きっと触れられたら嫌に決まっていると判断した。
「……君が、嫌でなければ」
シャロンは運動着を着ていかなかったこと、紛失したことを責められると思っていたというのに、誰もそのことには触れない。
まるでただの怪我や病気で休暇をとっていた人への対応だった。
「嫌ではない……」
差し出されたクライヴの手に自分の手を乗せる。
車に乗り込むと、クライヴがうるうると目に涙を浮かべていて、シャロンは頭を傾げる。
「クライヴ……?」
クライヴはかぶりを振ったが、答えなかった。
タワーにつくと、先に降りたクライヴに甲斐甲斐しく世話をされるように車を降りた。
クライヴはシャロンから一歩離れたところを歩く。
エレベーターに乗り、仕事があるヒューゴとは途中で別れ、講義室へ向かう。
講義室に入ると、ぎょっとミリエルが目を見開いた。シャロンを見て、なぜそれほど驚くというのか。思考は上手く回らない。
そんなシャロンをじろじろと見ていた女の研修生の一人が、不安そうにまつ毛を一度伏せて、ミリエルの方を向いた。
「ミリエルちゃん……大丈夫?」
「うん、ミリエルは大丈夫です。頑張ります!」
ミリエルの周りに座る者たちの顔つきには見覚えがある。転んだことをシンイーのせいにした時、シャロンのそばにいた者たちと同じ顔をしていた。
「クーくんっ、その人から離れてください! そのこは、クーくんのことも遊び感覚なんですよ!」
シャロンは少し、まるで他人事のように感心する。ターゲットが複数いたシャロンと異なり、ミリエルのターゲットはクライヴのみのようだ。
ミリエルも電気の魔力を持った遺伝子を欲しているのか、それともクライヴという人間そのものに好意があるのか……シャロンにはどちらか判断がつかない。
ミリエルは言葉選びと表情作りが上手い。
シャロンはミリエルとクライヴを交互に見る。
クライヴはシャロンのことは大嫌いだが、ミリエルのことは好きかもしれない。ミリエルのために、シャロンへ怒っていたのだから。
そう思うと胸がちくちくして辛い。だがクライヴを好きなのにチームメイトになれず、その上別の女と行動を共にしている様を見せつけられたミリエルは、もっと辛いのかもしれない。
「ミリエル……その呼び方はやめて欲しいと、ずっと言っているはずだ」
シャロンは驚愕した。論点がずれているように思う。会話が成り立っていない。ミリエルの要求……シャロンから距離を開けるか否か、そのことについてまず答えるべきではないのか。
しんみりと、普段考えないようにしていた別の女の心のことを考えていたのに、それらもクライヴは無視して呼び方の話をしだしたのだ。
「ううーっ……ごめんなさ〜い」
「それより、要件は何?」
「はいっ! これです!」
ミリエルが手提げの紙袋から、白を基調とした布を取り出した。丸めていたそれを広げると、ミリエルはクライヴへよく見えるように向ける。
それに見覚えがあるのはシャロンの方だ。瞳をきらきらと輝かせて、返してと言わんばかりに両手を伸ばすと、カナタにぽんと肩を軽く叩かれて止められてしまった。
「男子寮のあるフロアの、ゴミ箱に入っていたそうです!」
「……そういうことか」
「これってシャロンさんの上着ですよねぇ?」
シャロンはまたもや始まった奇妙奇天烈なその会話について行けず、カナタに制止を解いてもらい、ミリエルの掴んでいる運動着の裾を控えめにつまむ。
なぜミリエルがシャロンの上着と知っているのだろうか。上着を着た状態で会った覚えがない。
クライヴも、何が「そういうこと」なのか。
シャロンは少し間を置いてから、直前にミリエルに問いかけられた言葉に返事をすることに決める。
「はい。それは私のもの、です」
「ミリエル、返してやれ」
口を尖らせながら頷いたミリエルに返して貰ったジャージを抱きしめるようにして、素直に嬉しく思って目を輝かせながらカナタの隣に戻る。
意味のわからない二人の会話への興味より、運動着への興味が勝る。返ってきたそのトップスをぴろーんと広げて満足気に眺めた。
運動着は汚れたり傷付いてもおらず、ミリエルが丁寧にたたんでくれていたことが見て取れる。
不安そうにしていたカナタも、シャロンが嬉しいことに気付いてか、その表情を少し和らげた。
「それで、そのジャージがどうかしたの?」
「ですから、男子寮のフロアに捨ててあったんです! つまりシャロンさんが男子寮に入ったということです。タワーの、異性の寮に入るのは禁止されてます!」
「……君はなぜ、これがシャロンのジャージだとわかる?」
「それは……着てたからです」
「こんなありふれた運動着を……名前でも書いてあったか? シャロンが着ていたのはほんの数時間だ。それも、一週間以上前。男子が盗んで捨てた可能性もあるのに、なぜシャロンのジャージを、彼女自身がそんな所に捨てると断定している?」
シャロンはぼんやり、クライヴに責められているミリエルを見つめる。妙な会話をしていると思ったら、どうやらミリエルがシャロンの運動着を許可なく持ち出してしまったことを、遠回しに供述していたようだ。
ミリエルはシャロンの言葉で傷付いて悲しんだ。そのうえ気を引きたかったクライヴが連れ出したのが自分ではなかった。そのことに腹を立てて、衝動的に盗み出したのだろう。
シャロンの自作自演にしたてあげ、そのうえ別の罪まで背負わせようと男子寮の内部に侵入し、捨てた。
いや、捨ててあったと言っているだけで、シャロンが研修を休んでいる間もずっと隠し持っていたのだろう。全く汚れていないし、変な臭いもしない。
いっそ本当に捨ててしまえば嫌がらせに成功していたのに、なんとしても罪を被せたいと焦った結果がこれだったのだが、シャロンはむしろ運動着を返してくれたミリエルに少し感謝していた。
「でも、私の方がクーくんのことを好きなんです! その人、他の女の子を貶めたりして、いろんな男の子に好かれようとしたんですよ! 女の子が話しかけても素っ気ないし! 悪いのは全部この人なんですよ! クーくんだって、ビッチって呼んでますよね!?」
好き嫌いや感情など数値化できないものを、どちらが大きいか具体的に示すことは不可能ではないか。
いいや、だからこそ堂々と主張できるのかもしれない。
そしてシャロンも『私の方が』という部分になんだか納得がいかず、運動着から視線をクライヴに向ける。
シャロンだってクライヴに好意がある。思い返してみれば、昔からずっと、クライヴの笑った顔が好きだった。
「シャロンは法に反したわけじゃない。僕らは償うべきだ。窃盗も名誉の毀損も、法に反している」
クライヴの言う『僕ら』に違和感を覚える。名誉毀損など、身に覚えがない。嫌われるような行いをした自分こそ、人の名誉を傷付けている。ミリエルだって、シャロンが初めから興味を持って誠実に接していればこんなことをせずに済んだかもしれない。
クライヴでさえ法に反するというのなら、ジェラードの行いは……。
「私は気にしてない。服、返して貰ったから、もういい。ミリエルさんが話しかけてくれた時、何も考えなかったのも本当。クライヴの変な呼び方も気にしてない」
「……でも、僕は君を口汚く罵倒して……大きな声も出したし……」
「違う。ただの喧嘩。私の方が強いから手を抜いてあげた」
「なっ……」
「私に危害を加えられる人は、ここにはいない。ここでは私が最も強い。だから気にしない」
やろうと思えば、人の口など凍らせることもできる。体もまるごと氷漬けにできる。クライヴもそれをわかっていたはずだ。
クライヴの言葉を遮ったシャロンのはっきりとしたその言葉に、しんと静まり返っていた講義室に笑い声がし始め、それがどんどんと大きくなっていく。
皆はシャロンの正直な言葉が可笑しかったようだ。
こてん、と頭を傾げるシャロンの肩をとんと叩いたカナタも笑っている。
「シャロン、今日からそのキャラで行こう」
「……どこへ行くの?」
「テッペンだ!」
カナタの指先がどこかへビシッと向けられる。
シャロンはしばらくその方向をぽかんと見つめていた。