05 大通り
待ち合わせ場所にはすでにカナタとクライヴが到着していた。
不機嫌そうなクライヴにじっと服装を見られて、シャロンは黙ったまま俯く。
その不穏な空気の中、気を遣ったカナタが「あっ」と間の抜けた声を発した。
「ジャージ洗うの忘れたのか? 俺もたまに忘れそうになるんだよな……ははは」
シャロンはカナタの言葉に首を横に振る。この嘘は吐いたところでメリットが無い。そう判断した。
「洗った……洗ったら……」
「乾燥機にかけて、縮んだとかか? フン、お前のことだ。どうせまたスカートで来ると思ってたよ」
クライヴの空気を引き裂くような鋭い声に返事をすることもできず、走りづらいものなのだと知ったパンプスを見下ろした。
シャロンにとって、あの運動着は大切なものだった。着ている間、本当に彼らと一緒にヒーローになれたように思えたのだ。ようやく仲間に加われたように思えて、着られることが嬉しかった。
「なあシャロン、大丈夫か? 顔色が……」
カナタに顔を覗き込まれ、心配されていることが伝わってくると、余計に胸が苦しくなってしまう。
俯くシャロンの前でしゃがみ込むようにして、今度はクライヴが様子をうかがってくる。彼はずっと冷たい目をしていたというのに、少し困ったような顔をされ、喉の奥から熱く、何かがこみ上げてきてしまった。
シャロンの中にある感情の渦が大きくなった。だが、まるごと飲み込むように堪える。
何も顔に出さないようにして、求められる姿を演じる。健康で、元気で、何の問題もないシャロンを演じることしか許されないように思った。
黙秘を決め込んだシャロンをしばらくクライヴはすみれ色の硝子玉のような瞳で見ていたが、やがて約束の時間を過ぎてヒューゴの声がし、彼は視界から消えた。
「おっと……シャロン、着替える時間無かったのか? でも今日も可愛いし、良しとするか〜」
「……私、昨日……洗濯をしたら……」
「あっ、もしかして部屋干し臭か〜?」
「ちが――」
反論しようとしたその刹那、シャロンの言葉を遮ったのは緊急事態を告げるサイレンだった。
街のあらゆる窓や看板、広告用の空間モニターなどが赤く染まり、自動の防護シャッターが降ろされる音もする。
「カナタ、シャロン、ここを障壁で囲め」
いつもより低く言うヒューゴに従い、即座にカナタが4人を囲むように滝のような壁を生成する。それをシャロンが瞬時に凍結させ、分厚い壁で四方を囲った。
「クライヴは俺の正面に向かって構え」
「はい」
ドン、とまるで地震がおきたかのように地面が揺れる。
「3……2……」
続けざまに大きな地響きがし、パキパキと氷の壁にひびが入る。
どこからともなく、ブーンとプロペラを回しながら報道用ドローンが現れ、高くから4人を撮り始めた。
クライヴの全身にぴしぴしと電流が流れ始め、眩しいほどの光が体から放たれ始める。
「1……撃て!」
ヒューゴの合図と共に、クライヴを纏っていた光が手のひらから放たれ、前方が激しく光った。
目を痛めそうな閃光の直後、そこだけ障壁が消えて、巨大なネズミのようなものが金属を擦り合わせたような声を上げる。
後方へ4人とも跳躍し、出現したモンスターから距離をとる。
海で見た蟹のようにいくつもの脚を生やし、胴体にコブのように小さな同族の頭を複数持つそれは、なんとも禍々しく、人々の恐怖をかたどった悪魔のような姿をしていた。
「あー、マスコミいるし……わざと弱めに攻撃して、ピンチのとこをプロに助けてもらう系が数字とれるかもな……」
「す、数字……」
「まあ、怪我なら俺が治してやるし、頑張ろうぜ」
呆れた声を出すカナタにヒューゴが苦笑する。
ネズミ型のモンスターは海で遭遇した蟹とはまるで違い、優れた脚力を持っているようで、素早い動きでこちらを狙って飛び込んでくる。
それを回避しつつ、わざとモンスターに当たらぬよう、シャロンは障害物として氷の柱を作った。
一度クライヴの電撃を食らって彼を警戒しているモンスターは、クライヴやカナタを避けるように走り、高く跳躍した。
だがその正面に飛び込んだヒューゴに一撃、鼻先を殴られると凄まじい歯軋りの音を立てて再び距離を取る。
顔立ちの整ったクライヴに報道用のカメラが搭載されたドローンがやや接近していたが、電気の魔法士であるためか触れるほどまでは寄らない。
カメラを避けるように動くうえ、ヒーラーであるヒューゴにドローンは向かわず、研修生であるカナタの映像も撮ろうとはしていない。
またどこからかドローンがいくつも現れ、他社よりも良い映像を撮ろうとせめぎ合いが始まる。カメラが異様に接近を試みる獲物はシャロンだった。
ジェラードに良く似ており、その容姿から研修生の身でありながらファンを獲得し始めているシャロンは格好の的だ。
初めのうちは少し妙な動きをするものだと、それほど警戒していなかったが、テレビ局など大衆向けのものではなく、シャロンの知らない社名、ロゴマークをつけたドローンはやたらと低空を飛行していた。
そのレンズがシャロンの脚やスカートの中へ向いていると勘付くと、得も言われぬ気色悪さ、恐ろしさが湧き立つ。
男が3人、モンスターと対峙しているにも関わらず、大人しくて無抵抗なイメージを勝手に抱かれているシャロンは、こんな状況だと言うのに市民のドローンに妨害され始めていた。
ずっとジェラードの庇護下で育ち、男とも、性を消費するコンテンツとも関わりを持たなかったシャロンには、なぜドローンが自分を囲んでいるのかわからない。
その少し戸惑うような様子が面白いのか、ドローン操縦者からの嫌がらせはエスカレートしていき、囲まれ、至近距離からの撮影を始めた。
「シャロン!!」
クライヴが絶叫した。
ドローンがシャロンを囲んでいるその場所に大きな影が落ちる。
恐怖とは体の自由を奪う、目に見えない拘束具だ。
動き始めるまでに時間を要してしまったシャロンのすぐ目の前に、モンスターが飛び降りた。
「くっ……」
なんとか直撃を避けて後退したものの、モンスターの鋭い爪が、空気を含んで広がったスカートの裾をビリッと引き裂いた。
それには動じず、シャロンはモンスターの顔面に薄い氷を張りつけ、プロに手柄を譲ることを優先して怯ませるだけの防御に出る。
顔に軽い凍傷を負ったであろうモンスターが鳴き声を上げて暴れる。シャロンに対して恐れを抱いたのか、来た道を戻るようにカナタたちのいる方向へ走っていく。
だが、いくつものドローンはそれを追いもせず、シャロンの足元から見上げるような角度で集まった。
「い……や……」
裂けた服を手で押さえて身を強張らせる。
「シャロン逃げろ! そのドローンは……ッ!」
上官であるヒューゴの声にすら従えず、頭の奥底に刻み付けられている誘拐犯の男の顔が思い浮かぶ。
シャロンはあの時、感情を抑え込んでいたが恐ろしかった。怖くて怖くて、殺してでも早く逃げたかった。
わざと犯人を男たちに捕まえさせて、弱ったところを助けて貰うことで、男たちの気を引こうとしてのことだったが、初めて男の劣情を目にしてすくみあがっていた。
(どうして? みんな、このドローンの操縦者も……みんな、私のことが嫌いだから?)
足が震えてその場に座り込んだシャロンに、ドローンの1つが距離を縮めてくる。
間近に見たそれには、シャロンには意味も理解できないような低俗な言葉のステッカーが貼られている。だが、それがシャロンや女性魔法師にとって侮辱的な内容であることだけは察しがついた。
ドローンはシャロンの胸元をめがけてぶつかってくる。
怪我をしてもおかしくないその衝撃も、とっさに氷で鎧を作ったことで少しばかり弱めることができた。
だが衝撃に耐えられず、シャロンはそのまま後ろに崩れ落ち、そのはずみで握っていた服の裂け目を放してしまう。
地面に尻もちをついて、下着を晒したシャロンにたくさんのレンズが押し寄せた。
シャロンはこみ上げる感情が大きすぎて、かえってオーバーフローして心を投げ出す。
虚ろな瞳でただ浅く早く呼吸をする。
防衛本能だけを残し、水鉄砲の仕掛けられているドローンのその銃口を凍らせた。何も考えず、感じず、静かに冷気を放つ。
「クライヴ、やれ」
遠くなっていく意識のどこかで、かすかにヒューゴの声を聞く。
閃光が弾け、ゴトゴトと地面に硬いものが落ちていく。
それから、シャロンは綺麗な金色を目にした。
その温もりにすがりつき、目を閉じる。
「きらいに、ならないで」
小さく呟いた言葉に、愛おしい人が喉を鳴らしたのを肌で感じる。
この男と共にいる時だけ、甘くて酸っぱい気持ちがあった。
この男だけがいい。物心がついて間もないシャロンに微笑みかけてくれた、クライヴだけがいい。どうしても子を産まねばならぬというのなら、この彼がいい。
だが彼には嫌われてしまった。
そんな世界で、シャロンはもう生きているのはつらい。このまま二度と目覚めたくない。
そうして意識を手放し、暗闇が訪れた。