04 クライヴの部屋
クライヴに連れてこられたのは、タワーからそれほど遠くないマンションの一室だった。
それはバラムのヒーロー本部が用意した寮ではなく、クライヴが自分で借りている賃貸マンションで、性別関係なく入居できる住居のようだ。
クライヴの部屋は整頓されていて、生活に必要な最低限のものしかない。
家具もカーテンも全てシンプルなもので統一されていた。
「どうしてミリエルを侮辱したんだ」
クライヴの声は低かった。
手を繋いで貰えたことで不安が和らいでいたシャロンはきょとんとして、再び彼を怒らせてしまったことを実感して俯く。
「お前は、ジェラードさんの娘である自分を、特別と思っているんだな。相応しいとか相応しくないとか……それを他人に評価されるのは不快だ。それも、好き嫌いではなく、子供への遺伝がどうたらと……」
「……でも、事実だから……愛とか、感情は目に見えないけれど、遺伝子は評価に基準がある。運動能力、知能指数、魔力とその属性、全部数字や文字列に置き換えてデータを出すことが可能、だから……」
クライヴの視線がシャロンを突き刺す。そのあまりの鋭さに足が竦み、恐怖していることを表情では隠せても体温は低下していく。
言い訳がましく自分が正しいなどと主張したことを、シャロンはひどく後悔した。
「……クライヴは、私が、嫌い?」
「は?」
「どうして、そんなに嫌うの? 私が成長して、可愛くなくなったから?」
ずっと視線は鋭かったが、冷静さを保っていたクライヴの顔にくしゃっとしわが刻まれ、シャロンを一層強くぎろりとねめつけた。
心情的に、本来泣きたくなるのはシャロンの方だというのに。
「君が判断したんだろう? 僕を相応しくないと」
ああ、とシャロンは思い出す。
クライヴと再会した日のことだ。
あの日、シャロンはクライヴに、クライヴだけを婿候補として考えているわけではないと話した。
以前クライヴは学校という場所に通い、しまいには寮という別の場所に移り住んでしまった。
それはクライヴが強く望んだことであったとジェラードから聞いている。シャロンはクライヴの望みや喜び、幸福を否定しない。
そしてシャロンはジェラードの望むとおり、子種の選択肢を増やすべくクライヴ以外の男たちに好かれようと努力をした。
シャロンはただそのことを、再会した時にクライヴ本人へ告げた。この計画を詳しく教えることはできないが、協力はしてほしいとどこかで思っていたのだろう。シャロンには親しい人物がクライヴしかいなかったから。ただそれだけだ。
それをクライヴが面倒事に巻き込まれたように感じて、謝罪もなく、煩わしく不快と思うのならば、もういっそ関わらない方が良いのかもしれない。
クライヴが関わってほしくないと願うのなら、そうすべきなのだ。
シャロンはクライヴを嫌いではない。むしろ大切で、愛着がある。だからこそ望みを叶えてやりたい。これ以上嫌われたくない。
「クライヴは、もういらない」
これでシャロンの子種リストから、クライヴを除外したと伝わっただろうか?
協力も求めない。責務から解放されて喜ぶだろうか?
シャロンの胸はなぜか苦しくて、締め付けられるようだ。その痛みを顔には出さず、シャロンはクライヴの方を見る。安堵する彼の顔が見たかったのだ。
「……お前、やっぱり野放しにしたらだめだ。カナタ、ヒューゴ、ウドムにボドワン……それに他のみんなも、僕と同じように弄んで捨てるつもりか? 人の心を玩具にするな!」
予想と違う形相のクライヴにシャロンは瞠目し、そしてぐっと歯を食いしばる。
どうして怒らせてしまうのだろう。
昔見た、あの笑顔をもう一度近くで見つめていたい。それだけなのに。
忘れていた幼い記憶が次々と蘇って、シャロンに悲しみや寂しさを自覚させていく。
シャロンにも不便なことに心がある。子を産む道具として作られた存在であったとしても、人間の体には脳があって、そこには心がある。
初めて外に出て、そこで一番美しいと思ったのは月でも花でもなかった。
金色の髪をした少年の、笑う顔。
シャロンは今も、それを求めている。
「この部屋にお前を連れてきたのは、こうしてちゃんと話す必要があると思ったからだ。タワーもカフェも他人の目がある。もしかしたら何か事情があって、説得できるかもしれないと思っていた。でも無駄だった。お前と話す度、虫図が走る。反吐が出る。お前は最低だ」
怒りに歪んでいるクライヴから視線を外したシャロンは、もう帰ろうと玄関の方へ向いた。そして、無言のまま部屋を出ていく。
外に出ると、いつの間にか日も低くなり、昼間に比べて気温も少し下がっていた。
シャロンはまっすぐタワーに戻り、ランドリーへ急ぐ。
洗濯機に入れっぱなしの運動着を早く乾燥機にかけなければ。湿ったままではいけない気がした。
一番奥の洗濯機の蓋を開けて、洗濯槽に何もないことに気が付くと、嫌な汗が吹き出した。中を覗き込んだが、何も入っていない。
誰かが中身を出して乾燥機に入れてくれたのではないか。低温風乾燥モードにしてくれただろうか。そもそも、使った洗濯機を間違えたのではないか。どこかに干してあるのではないか。そう自分に言い聞かせて探し回るが、どこにも見当たらない。
タワーの夜間セキュリティシステムが起動するまでうろうろ探し回ったが、手がかりすら見つけられずに帰宅を余儀なくされる。
重たい足取りで帰路をたどり、ろくに食事も喉を通らず、それから眠る時までずっと、無くなってしまった運動着とクライヴのことばかりを考えた。
シャロンはタワーの事務室へ、忘れ物や落とし物として運動着が届けられていないかを確認しに向かった。
だが、内勤の職員に声をかけようとしたその時、ヒューゴがタブレット端末を片手にふらりと現れて、シャロンの存在に気が付いてしまった。
「よっ、シャ〜ロン」
ずいっとシャロンの視界に顔を出すヒューゴに驚くが、瞬きだけにしてカウンターに視線を落とす。
「どうかしたのか? なんか借りに来たとかか?」
「……ううん。なんでもない」
嘘つきがバレると嫌われる。だからもう、なるべく嘘はつかないようにとしていたが、何でも正直に話すと昨日のように怒らせてしまう可能性もある。
ヒューゴに正直に運動着を無くしたことを話すべきか、シャロンは迷ってしまった。迷って、また嘘をついてしまった。
言っても言わなくても嫌われるのならば、嫌われることを後回しにしたい。
シャロンはもともと好かれるための嘘に慣れている。だからこれで良いのだ。
講義の合間や休憩時間を使って、シャロンは運動着を探し続けた。だが結局見つかることはなかった。
靴下も一緒になくなってしまい、ストッキングにスニーカーを履いても良いものかと悩んだ末、結局ワンピースとパンプスのままパトロールに向かう。
その途中、シャロンをハスキーな女の声が呼び止めた。
「あ、あのさ、シャロン」
すらっと長い足に、筋肉質でスレンダーな体付き。きりっとした目元はそれをさらに強調するような黒のアイラインで飾られ、赤く塗られた唇は蠱惑的だ。
シャロンの思い浮かべる「可愛い」とはかけ離れているが、彼女には彼女特有の魅力がある。シャロンはその姿に、少し見とれてしまう。
「シンイーさん……先日はわざと転んで、あなたのせいにしてしまい、申し訳ございませんでした」
「えっ、ああ、あれ……良いわよ、もう。まあ、ちょっとムカついてはいるけど。それよりウドム知らない? 連絡がとれないの。カナタもこのタワーの寮に入ってるわよね? あいつから何か聞いてない?」
「……いいえ、何も……お力になれず、申し訳ありません」
「そう……。あと、さ……あーっ、もう! あたし、こういう陰口とか告げ口とか本当に嫌なんだけど……ミリエルに気を付けなさいよ。あいつ、昨日あんたに対抗する仲間集めてたわよ。大事になる前に適当に謝ってきな。もともとの原因はあんたなんだし」
ミリエルに嫌われている。
シンイーの言葉にぞくりと肌が粟立つ。
(シンイーさんは……?)
見上げると、ネコ科の動物のような吊り目がぱちっと瞬きをする。
「あんたね……そんな顔してもダメよ。あたしだって、別にあんたの味方じゃあないんだからね。同期の女じゃあんたが一番強いんだから、自分で何とかしなさいよ。じゃあね」
自分はシンイーを貶めた。嫌われて当然だ。
しかし女に嫌われても問題ないのだ。そう自分に言い聞かせ、シャロンは早足で待ち合わせの場所へ向かった。