14 旧市街
「遅れてすまない……状況は、インカムから聞こえていた。応援を呼ぼうとしたけど誰かさんが細工をしたのか、カナタとその誰かさんの声しか聞こえない……シャロン!」
魔法の有効範囲があまり広くないクライヴは隠れていたところで攻撃に参加できない。インカムが使えない今、接近してカナタに加勢することを選んだのだろう。
廃ビルの壁に寄りかかっているシャロンに気付いたクライヴがヒューゴへ視線を移した。
「……何が目的だ」
「ああ? んー、この生物兵器見せびらかして、お利口ちゃんのお前らをぶっ殺しに来ただけ〜」
「僕たちを殺して、お前に何のメリットがある」
「動機ってやつゥ? ヒャハハッ! んなモンねェ〜よ! 殺してえから殺す……俺さァ〜、治すより壊す方が好きなんだ。壊れた人間見るとさァ、気持ち良くなんだよな……」
右手に拳銃を持ったまま、ヒューゴは素早く左手でナイフを取り出した。くるくると空中で回して握り直し、再び構えの姿勢をとる。
「オイ、クソノロマ! 何ビビってんだ! 殺せ! 俺が青い方殺すから、お前はそっちの金髪だ!」
面罵されたモンスターがヒステリックに頭を掻きむしり、唾液を撒き散らして獣のように吠えた。
クライヴに妨害されたことにも怒りが湧いているのか、左手から蔓を出して鞭のように振り回す。
だが怒りに任せて振った鞭などクライヴには当たらず、ひたすらに空気を裂いた。
「この失敗作が……あ~、もうお前いらねぇわ……先に死ね!」
カナタの拳を避けながら、ヒューゴがナイフをモンスターへと投げつけ、連撃を食らわすように銃声も鳴る。
ザグ、と肩に刺さったナイフのある場所、弾丸の掠めた脇腹からも血液が吹き出し、モンスターの金切り声が辺りに響き渡る。
モンスターは左手の鞭を振り回し、右手から炎を放射しながらでたらめに走り回り、もがいて、暴れる。
標的はクライヴからヒューゴに変わり、そちらへ蔓を素早く伸ばして体に巻きつけた。
「お前、ガァ!! お前ガァ!! 邪魔をすル!! 死ネ!! お前ガ死ね!! 死ネェ!!」
まるで赤子が玩具を手に泣くように、ヒト型のそれは喚き散らしながらヒューゴを地面に何度も叩きつける。酷い音が聞こえてくる。
シャロンも内臓にダメージを受けたこと、魔力をかなり消費したことで頭しかまともに動いていない。その凄惨な光景に言葉を失い、浅い息をしながら、例え裏切り者であっても、犯罪者だとしても、ヒューゴを救いたいと手を伸ばす。
だが蔓を切る氷を生成するよりも早く、真っ赤な血に塗れた体は放り投げられた。
物凄い勢いで、大砲玉のように重く速く、シャロンの方へ向かって。
「シャロン!!」
カナタの叫ぶ声がする。シャロンにはその声も光景も、スローモーションのように感じる。
避けようとしても体は動かない。魔力はわずかにしか残っておらず、疲労と内臓に受けたダメージがシャロンの意識を奪おうとしていた。
痛み、苦しみには慣れている。だから静かに自分の弱さを受け入れ、見ているだけにすることを選んだ。
離れたところでカナタが水の網を伸ばし、投げ出されたヒューゴの体を捕まえようとしている。だが、ぎりぎり魔法の有効範囲外だ。
コントロールを失った網はただの水になり、ヒューゴの血と混ざるだけ。
この速さで飛んでくるヒトの体から与えられる衝撃は以下ほどか。
もう動けないのだと何度目かの自覚をしたシャロンは目を閉じる。
カナタもクライヴも、シャロンとヒューゴに夢中で隙だらけだ。
この戦いは負けてしまうかもしれない。モンスターがあの2人を殺し、自分はヒューゴの体とぐちゃぐちゃに混ざって死ぬ――
ドンと強い衝撃があった。
鼓膜まで震わして、危うく聴覚を失いそうだった。
砂煙の中、瓦礫、割れた硬いものがパラパラと小さく崩れる音もする。
「ッ、ぐヴヴッ――」
そう、耳元で声がした。ごぽごぽと水分と空気が混ざる音がして、温く、シャロンの体を濡らす。
シャロンは死ななかった。
ずたずただが、まだ人の形を留めている男は脚を地面に擦って速度を落とし、衝突の威力を下げていた。
両腕はシャロンを閉じ込めるように顔の横の壁に突き刺さっている。
傷だらけ顔がシャロンのすぐ正面にあった。
整っていた彼のあの顔は無惨な形になり、かすかな面影くらいしか残っていない。
シャロンの顔の横の壁にめり込んだ腕をヒューゴが無理矢理引き抜くと、シャロンの頬に彼の血がかかった。
その血を拭うように、ボロボロの上着の辛うじて残った袖で顔を擦られる。
「かく……んで……きえ、に、ひら、のにな……」
そして口からごふっと血を吐きながら、ヒューゴはシャロンの腕を撫でた。
誰に向けた言葉だろうか。小さすぎて言葉も正しく聞き取れない。
シャロンの体から痛みが消えていく。じんわりと温かくなった部分から順に傷が消えていき、呼吸が整っていく。
同時にヒューゴの顔の口と喉の周りだけがやや元の状態に近く治癒していた。しかしそれだけで、他はちっとも治らずぐちゃぐちゃのままだ。
「ヒューゴ! 私はすぐ治るからいい……自分の体を治して!」
これほど大きな声を出したのは初めてだ。
魔力は戻らないが、内臓は正常な活動を始めている。意識がはっきりとしたからか、言いたいことが次々と溢れてくる。
「カナタと住んでる部屋に、遊びに来て。カナタの料理、美味しい、から」
だから元に戻して欲しい。罪を償って、また一緒に遊んでほしい。また皆で海に行きたい。クライヴも連れてゲームセンターにも行って、今度は4人で写真を撮りたい。
ふわりとヒューゴの口元に笑み浮かんで、そしてズタズタの足で踵を返した彼に背を向けられる。
「行かねぇよ」
カナタとクライヴよりも、ヒューゴへの憎しみを優先してとどめを刺しに来たモンスターの左腕が木の槍へと変形し、ヒューゴの腹部を貫いた。
なぜかそこでモンスターの動きも鈍り、ヒューゴと共に地面へ崩れ落ちた。木が朽ちるようにしてモンスターの左腕が元の姿へ戻っていく。
まるでヒューゴと命を共にしているかのようだ。いいや、きっとそうなのだろう。ヒューゴによって作られ、生かされるモンスターは、その回復魔法によって生きていると錯覚させられていただけなのだ。魂の無い抜け殻とでも言うべきか。
やたらとモンスターを挑発していたヒューゴの姿が脳裏に蘇る。
ヒーラーとはいえプロのヒーローとして戦闘経験を積んできた彼が、わざわざ仲間割れの発端を担った理由に気が付いたシャロンは、もう後数分のうちに息絶えそうなヒューゴの側に膝をついて、その血塗れの体を優しく抱き起こす。
カナタ、クライヴもヒューゴを囲むようにして集まり、彼が最後に直した口と喉から発される小さな声に耳を澄ます。
「しくったァ……」
「……先輩、どうしてこんなことを……」
「壊そうと思った……けど、しくった。それだけだよ……ははっ、なんか、手ェ、つめてぇ……」
ずたぼろで、見るに堪えない手をカナタが握る。もう感覚など残っていないだろう手を温めようとするカナタに、クライヴが目を背けた。
「……もし、生まれ変わりがあんなら……ここの、誰かのガキになりてえな……そしたら、ちょっとはまともに生きれるかも……なんてな……なあ……クライヴ、俺のネックレス……持ってて欲しい……おまえに、やる」
ヒューゴとはカナタの方が親しく関わっていた。だからクライヴはその言葉に驚いて、ヒューゴの肩の辺りにそっと触れた。
「どうして、僕に? 僕、あなたに文句ばかりで……僕は相応しくない……」
「……だから……ただの、嫌がらせ……ああ……楽し、かった……」
まどろんで、これから眠りについたら、また数時間後には起きて背伸びでもしそうな優しい声だった。
その言葉を最後に永久に喋らなくなったヒューゴは、モンスターを作り出した大罪人の亡骸となった。
動物の時はクローンを繋ぎ合わせていたものだったが、最後のヒト型はクローンでなく複数の人間を繋ぎ合わせて作られていた。そのためか、首の辺りにヒューゴの毛髪が縫い付けられ、胃からも彼の毛髪が大量に出てきた。
また、のちにモンスターとして使われた被害者が全員同じ血液型であることも判明した。
ヒューゴはありふれた回復魔法の使い手であったにも関わらず、周りを軽く凌駕した能力の持ち主だった。そして、世紀の大罪人だ。
しかしその名は闇に葬られることとなる。
ごく一般的な回復魔法士にも、モンスターを作ることができるかもしれない。そのことが世に知られれば、過ちは繰り返され、世界中にモンスターが溢れかえることになるだろう。
この星の人口の10%にも満たない魔法使い。その魔法使いの多くが回復魔法を使う。そして、その回復魔法士の多くがヒューゴと同じ、肉や血管、組織を繋げ、傷の治癒を早める力を持っている。
回復魔法士は抑圧され、長く搾取されてきた。ヒーローになれるのはほんの一握りで、病院などの医療スタッフになるにもコネがなければまともな職場には入れず、時間外労働に夜勤、ほとんど同意の無い出向や転勤でやりがいばかりを強調される。
医師免許取得の道も遠く、医大を受験したところで普通の人が優遇され辞退者を待つしかなく、そもそも親も回復魔法士であると高額な学費を工面できない。
一般市民と呼ばれるヒトへ恨みを持つであろう彼らが決起して、各地でモンスターを作ったら。あるいはその標的が、同じ魔法使いでありながらヒーローやらアイドルとして注目され始めた魔法士へ向いたならば、世界は混沌に包まれるだろう。
ヒューゴの犯した罪は隠蔽され、大罪人でありながら、彼はヒーラーの身で研修生を守って死した勇気ある教官として葬儀が執り行われた。
モンスターを作り出した架空の犯人は逃走中で、方法もわからないまま。魔法使いではない可能性もあると発表された。
モンスターが現れなくなって1年、2年と経過すると人々の記憶や興味も風化していった。