13 旧市街
「ヒューゴ!」
助かった。そう確信して思わず微笑んだシャロンに、なぜかヒューゴが肩を揺らして笑い始める。
そんな隙だらけのヒューゴにモンスターは襲いかからず、ボタボタと唾液を垂らして立ち尽くしていた。
「……ヒューゴ……?」
「ククッ、ヒャハハハッ!」
白い歯を見せてげらげらと品の無い笑い方をするヒューゴは、ふらふらとした足をもつれされて、モンスターの方によろけた。
ドス、とモンスターにぶつかっても、どちらも互いを攻撃しない。
片手で顔を隠すように覆って笑うヒューゴが不気味で、シャロンも地面にへたりこんで、動くことができない。
まさか、まさか、まさか――
そう心の中で繰り返して、戦慄くことしかできなかった。
ようやく息を整えたヒューゴが指の間からシャロンを見る。ニタニタと笑っているその目がギラギラと光ったようにさえ見えて、息もまともに吸えない。
ただ純粋な恐怖に混乱し、冷たい汗が吹き出した。
「どうして……?」
「なあ、すごくねぇ? 俺の作ったこれ……クッ、ハハハッ! ほら、材料わかるかァ? こっちの足は風の魔法士でさァ、すげえ脚早かったろ? あ〜でもシャロンは若い同期の奴しか知らねっかァ……あっ! じゃあこの右手ェ〜!」
ヒューゴに右手を引っ張られ、モンスターがずりずり地面を滑ってシャロンのもとへ近付けられる。
シャロンのすぐ目の前にかざされた浅黒い大きな手。炎の魔法士の手。その手を以前にもシャロンは見たことがある。
「そんな……」
「おっ? わかったか? 正解は〜〜ッ、ウドムでした!! すごくね? な、驚いた? ヒャハハッ! 驚きすぎて何も言えな〜いってか?」
シャロンは絶望し、両手で己の耳を押さえて音を遮断する。もう何も聞きたくない。ヒューゴの口から、そんな惨たらしい言葉を聞きたくない。
ギャハハと再び笑い出し、シャロンをからかうように「うそっ、うそ〜っ、ヒューゴはそんなことしないも〜ん」と女の声真似でもしているのか、わざとらしい高い声で繰り返す。
なぜ? いつからヒューゴは敵だったのか。あの海で出くわしたカニも、街で襲いかかってきたネズミも、全てヒューゴが作ったというのか。
それは一体、どうやって?
「なあ〜俺って、今すごい邪魔しちゃったよなァ……なあ、シャロ〜ン……どうだった? モンスターのおっさんに舐め回されてさァ……つーか俺が買ってやった服ボロボロじゃん。なんかくっせぇし……」
耳を塞いでいるシャロンにもわざわざ聞こえるように、近くで話しかけてくる彼を強く睨みつける。
するといつもの優しい目と目があった。目を伏せたヒューゴの瞳が揺らいだように見えて、言葉を失う。
「俺が作ったとも知らずに、ずっとモンスターモンスターって大騒ぎしちゃって……ほんっと、みんな面白すぎるぜ……こんなこと、俺でも簡単に思いつくのになァ、バカばっかだよな」
「ヒュー……」
なんとか声を絞り出してその名を呼びかけようとした刹那、水の音が耳に届いた。海で感じたものと同じ、優しい自然の音が近付いてきて大きくなっていく。
「っぶね!」
地面を蹴って後退したヒューゴが吐き捨てる。
トン、トントン、とリズムよく着地のステップを踏んだヒューゴの向こうには、見たこともないような鋭い目つきをしたカナタが立っていた。
ヒューゴに当たらなかった水の塊が地面にぶつかって弾ける。
「先輩……言うとおり来てみたら、これ、どういう状況ですか。俺が作ったって……何を……」
「お前、来んのおせぇんだよ」
「その言葉、いつもの先輩に、そっくりそのままお返しします」
ギロリとカナタの視線がモンスターへ向けられる。
地球の重力など魔法には何の関係も無いとでも言うように、カナタの周囲にある水は水のまま、形状を数千本の針へと変えていく。
「説明してください」
「く、ククッ、アッハハハハッ! 何だよその顔! あー説明とかめんどいな〜、なんとなくわかんねェ? 俺、肉とか血管とか治すの得意だからさァ、人間と人間の断面を治す感じでくっつけてやったんだ」
「……クローンは? なぜ元より大きくなっている」
「ハハッ、クククッ、怪我して足らなくなったとこ、魔法で塞ぐと皮膚増えんじゃん? ほら! 増えるしさ、デカくなんだよ生き物ってさ! ほおら、見せてやるよ!」
ヒューゴはそう言うと、モンスターの二の腕の表面の皮膚をちぎり取った。
「ギィイアアアアッ!!」
モンスターはまさか作り手に傷付けられるとは思わなかったのだろう。痛みに酷い呻き声をあげてヒューゴから離れようとするが、その足を蹴り崩され地面に倒れると、踏みつけられて自由を奪われた。
ヒューゴがちぎった肉を放り捨て、モンスターを眺めて笑う。
傷ついた部分はぼこぼこと盛り上がり、傷口はあっという間に塞がれた。
ただでさえ険しかったカナタの顔が、みるみるうちに憎悪に染まっていく。
「お勉強になって良かったなぁ……さーて、カナタも来たことだし、遊ぼうぜ? 俺ら3人、お泊り会するくれえ仲良しだもんなァ?」
「っ、ヒューゴ先輩。あなたのことは、本当に尊敬していた。先輩は女性に対してとてつもなく失礼な人だが、悪人ではなかった。指示は的確でわかりやすいし、頭ごなしに相手を否定もしない。明るくて、強くて……」
「だからさァ〜言っただろ? 俺、結構嫌な奴だって。お前らのことず〜っと、ずっと、ずっとずっとずっと、殺すの我慢すんの大変だったぜ……それも、今日で終わりだけどよ!!」
ヒューゴが上着のポケットに手を入れ、黒光りする拳銃を取り出した。
銃口がシャロンへ向くと、カナタが浮かしていた水の針が一斉に降り注ぐ。
シャロンは伏せたままのモンスターごと地面を凍らせて動きを封じ、少しでも攻撃が当たるよう手助けをする。
ヒューゴはモンスターを踏み台にして跳んで旋回し、その体勢のままシャロンへ向かって発砲した。
だが距離が離れているので、シャロンは銃弾の描く真っ直ぐな道に氷の障壁を置き、それに当たって速度を落とした銃弾を氷結させる。至近距離、または視界の外でないと銃は怖くない。
氷の重みで地面に落ちた銃弾を見て口笛を吹くヒューゴに、カナタが拳を打ち付ける。
カナタは肉弾戦でヒューゴに勝てるわけがないが、足元を大きな球状の水で包み込んで、部分的に水中戦へ持ち込もうとしていた。
水中でも速度を落とさないカナタとは違い、ヒューゴの動きは鈍る。水を吸って重い衣服が体へ纏わりつき、有利不利が目に見え始めた。
やがてヒューゴは抵抗をやめ、カナタの強烈な一撃を正面から受けた。わざと、防ぎもせずに受けたことで、ヒューゴの体は人間2人を包み込む大きな水の塊から放り出される。
血を吐いても、ヒューゴはほんの一瞬、血を吐き終わった時には治癒している。
軽やかな足取りで距離をとった彼の顔はうきうきとはしゃぐ子供のようだった。
カナタの水の針をまともに受けたダメージで動かなくなっていたモンスターが、手を地面についたまま四つ足で昆虫や爬虫類のように這いずり、ゴキゴキと首を鳴らす。
頭部は怒りからか血管が浮き出て、濁った瞳は自分を攻撃したり足場に使ったヒューゴを睨みつけていた。
ヒューゴもモンスターの怒りの矛先が自分に向いていると察して、短くなった前髪を掻き上げて顎をしゃくるようにして睨みつける。
「もしかして俺に怒ってんのかァ? ゴミの分際で生意気だな……お前の敵は俺じゃなくてこいつらだろうが。何睨んでやがんだ? アアッ?」
ヒューゴが蹴飛ばした地面に細かな亀裂が入り、小石となったアスファルトがモンスターに当たる。それがさらにモンスターを刺激し、ブルブルと震える手から焦げた臭いと共に木の根が伸びた。
だが、そこで一閃――
電流が弾けてモンスターが後ろ側に吹き飛び、地面に叩きつけられて倒れる。
ジジッと鳴る電気の音と共に現れた人影に、カナタがその名を呼んだ。
「クライヴ!」




