08 ファミリーレストラン
シャロンはカナタと共にファミリーレストランで食事を終えると、どこか他に行くあてがあるのか少し不安を抱いた。
カナタがスマートフォンで司令部に電話をし、シャロンの外泊の許可を求めてジェラードへ取り次いで貰った。
その後、案外あっさりと許可を得られたようで、カナタがシャロンへ微笑みかける。
通話を終えたカナタはほっと息をついて、今度はシャロンが悩んでいる行き先についても考え始めた。
カナタは「うーん」と唸るような声を上げていたが、すぐにもう一度スマートフォンを持ち上げてどこかへ電話をかけ始める。
「もしもし、先輩、お疲れ様です。カナタです」
カナタの言葉にシャロンは頭を傾げる。
カナタが先輩と呼んでいる人物は、一人しかいない。
「実はご相談したいことがあって、今から先輩のうち行っていいですか? シャロンも一緒なんですけど……ありがとうございます、すぐ向かいます」
「うわ、まじで来た」
地図とにらめっこをしてようやくたどり着いた、世辞であっても綺麗と言い難いアパートの一室。
その玄関ドアを開けて顔を出したのは、黒いタンクトップにいつものペンダントを垂らしたヒューゴだった。
部屋の中からはルームフレグランスと香水を混ぜたような匂いがし、玄関にはやたらとカラフルなビーズの暖簾が垂れ下がっている。
シャロンの住む家とは違い、ヒューゴのアパートは外靴を脱いで上がるタイプの内装だ。バラムの借家では多いタイプの物件だ。
シャロンも帰宅後は玄関でパンプスを脱ぎ、ルームシューズに履き替えることが多いため、特に混乱せずに靴を玄関の隅に揃えて置いた。
箱のまま積まれているいろいろなブランドの靴、ヴィンテージなポスターやよくわからないオブジェのような物を眺めながら短い廊下を進むとすぐ居間だった。
シャロンの身近には無いような色、柄のものがいろいろとあって目を奪われる。
カナタの方はとくにキョロキョロとせず、ヒューゴがぽんと置いた豹柄の座布団に腰を掛けた。シャロンもその隣の、チェス盤のような柄の座布団に座ってみる。
想像よりふかふかしているものの、地べたに座るのに慣れていないシャロンは、足をどこにやれば良いのかわからない。
正座をしたり足を崩したりしながら居心地のいい体勢を探しているうちに、テーブルの上にペットボトルの水が置かれた。
「粗茶もねえわ。わりいな」
「いえ、急に来てすみません」
「だよな〜! まじで来るの急すぎだよな。で、相談って……あっ! もしかしてあれか? ちょっと待ってろよ」
「先輩、もしかして持ってるんですか?」
「ったりめ〜だろ! 常備してるぜ」
戸棚や引き出しを漁ったヒューゴが何かを手に戻って来る。
「これだろ〜? アフターピル」
「ちょっ、違います!!」
「えっ、ちげーの? あっ、ああ……もしかしてそういう夜のグッズ的な……あ〜、中古はやめとけよ、ビョーキになるぞ……」
「違います。俺が欲しかったのは入寮申請書です。女子寮の」
「あー……なるほどな。それはねえわ。つーかジェラードさんは知ってんのか?」
「シャロンの歳なら、もう親の同意無しでも寮に入れますよね。プロの先輩がサインしてくれれば」
「まあな……けど、シャロンは一人で生きていけんのか? 金は? お嬢様がいきなり一人で家事できるかよ」
シャロンはようやく話を理解し、ぱちぱちと瞬きをする。一人暮らしなど考えたこともなかった。
けれど家に帰りたいと思わないシャロンは、このまま寮に入るのも良いような気がする。女子寮には、さすがのジェラードも入っては来れない。
だが、ヒューゴの懸念する点にもおおいに賛同できる。
シャロンは一人で生きていくすべを知らない。一人で生きていけないよう育てられたと言って過言ではない。
子さえ産めば良いと育てられたシャロンにできることといえば、血で汚れた部屋の掃除くらいだ。
それにしても、なぜ男児が必要なのだろう。カナタの言うとおり、カナタが一番になればいいのではないかとシャロンは思う。
カナタだけでは難しくても、コンビとやらを組んで協力して一番になればいい。ジェラードの後継者を、血筋の男がやるべき理由がわからない。
魔法使いに対する差別や抑圧を無くす。簡単な魔法も使えない弱者が強い者に守られる正しい社会を作る。それがジェラードの目的だ。
しかしその具体的な方法も計画も、何も提示されていない。シャロンは一体何のために産まれて、何のために彼に従っているのか。なぜ好いてくれるカナタより、好いてくれない父を優先せねばならないのか。
「カナタ、お前が独身寮を出て、シャロンと暮らしたら良いんじゃねえの? ジェラードさんも援助してくれるはずだぜ? ジェラードさんはお前を結構気に入ってるからな。お前が貰うべきなのは女子寮の入寮届じゃなくて、転居届と家族寮の申請書、あと婚姻届だよ」
妙案であった。シャロンが生きていくのに必要な援助を受けながら、あの家を出ていく。家事は今から勉強して、カナタにも教わる。
ジェラードも優秀な孫のためとあれば、それを拒否することも無いだろう。
それにもともとの目標である、優秀なヒーローとの婚姻を達成することができる。
計画上、初めからこうなるはずだったのだ。少し早いというだけで。
「……シャロンは、どう思う?」
「カナタと住む」
シャロンは嬉しいと思う。顔には出さないが、カナタと眠り、共に目覚める生活は幸福なものだろう。一緒に帰って、その後もカナタが家にいてくれるなんて、想像しただけで胸が躍る。
「わかった。じゃあ、そうしよう」
てっきりカナタも喜ぶものと思っていたのに、妙にあっさりと承諾された。
「で、同棲開始目前のカップルさん、今夜はどうすんの? ラブホなら駅の方に」
「泊めてください」
「は?」
「泊めてください」
「いや、狭いし、俺今失恋したばっかなんだけど」
「泊めてください」
「シャロンだけなら」
「俺とシャロンの2人を、今夜ここに泊めてください!」
結局カナタの押しに負けて、ヒューゴが渋々一泊することへ許可を下した。
古いアパートの浴室は狭いユニットバスで脱衣所が無いので、3人で最寄りの銭湯に行った。
シャロンは下着だけコンビニで購入した新品に替えて、ヒューゴから借りたダボダボのTシャツとズボンを履いた。風呂上がりには2人の間に座って一緒にコーヒー牛乳を飲み、涼しい夜風に火照った顔を冷ます。
以前にもゲームセンターに連れて行って貰ったり、喫茶店で過ごしたりもした。
あの時撮った小さな写真は今も大切にしまってある。
思い返してみれば、最近楽しいと感じた時間はいつもカナタとヒューゴが近くにいた。
SNSの自分で考えた投稿は消えて、また綺麗な嘘だけになっている。
色とりどりのフルーツで飾られたスイーツより、ずっとコーヒーゼリーの方が好きなのに、父にとってはそれが恥だった。
何が好きでどれが嘘なのか、シャロンは今なら判断ができる。
好きなものを好きと言って喜んでくれる人がいる。その幸せに気がついてしまった。
気がついてしまったら、もう手放せない。
それが幸せというものなのだろう。
「寝ますよ先輩! 明日は遅刻させませんから!」
「わーった。わかったよ! お前は俺のお母ちゃんかよ!」
居間にあったテーブルを廊下へ運び出し、布団や座布団、服を置いて寝床にする。
「シャロンはそこ、先輩はこっちで寝てください」
「え〜、シャロン真ん中じゃねえの?」
「は? 何を言って」
「私、真ん中がいい」
「ほら! よし! シャロン真ん中な!」
パシパシとヒューゴが叩く布団の上に横になる。決して寝心地が良いわけでは無いはずなのに心地よく、すぐにうとうとしてしまった。
何やらシャロンを挟んでカナタとヒューゴが言い合ったりしているが、誰かが側にいて守ってくれる寝床は安心する。
ずっと今日のような日が続くようにと願いながら眠りに就いたシャロンは、ぬくもりに甘えるように擦り寄ったことにも気付かないほど、深い夢の中にいた。