07 裏庭
モンスターの出現頻度が高くなってきている。その結果、モンスターの共通点がはっきりとしていった。
ここ最近市内に現れるモンスターは、どれもが元になる動物が小型の生命体だった。
警察側の専門家が遺伝子などを解析したところ、母体になる体に、同じ種の動物が複数合成されている状態だそうだ。
そして驚くことに、合成されている動物の全てが、皆同じ遺伝子を持ったクローンであった。
母体からクローンを産み出す途中の産物なのか、はたまたクローン同士の体を魔法か何らかの形で合成し一つにまとめたのかは定かではない。
ただ、クローンの作成を行えるということだけは確かだ。
クローンを作成する装置の所持はバラムでは原則禁止されている。一部、研究を目的に所持を許可された機関へ捜査が入ったものの、稼働中、また最近稼働した形跡のあるものは無かったという。
それにより、犯人がクローンを生み出す魔法……つまり、危険な魔法を使う可能性も出た。炎や水、草木を操る魔法があるのだから、生き物を複製する魔法の存在も否定できない。
母体となる一体から、生殖以外の方法で産み出そうとしているのではないか。その途中の段階で今はヒーローがなんとかモンスターを処理しているが、そのうち巨大化した動物の体からあの頭たちが独立化し、巨大な生物兵器が量産されるのではないか。
その脅威がどれほどのものか、マスコミが憶測を立てて騒ぎ始める。
また同時に、もう一つ事件も明らかとなった。
ヒーローが数人、連続して不可解な失踪をしているのだ。
戦うことへの恐怖や心労、成果が得られないなどの理由で逃げ出すものはよくいるが、何の前触れもなく、立て続けに行方不明になることは、異常と言って良い。それが現段階、判明しているだけで男性が3人。
皆忽然と、食事の支度をしていたり、エアコンをつけたままであったりと妙な消え方をしている。
一般人であれば警察が捜査を始める案件だが、魔法が使えるうえ、その道のプロであるヒーローがまさか被害者になっているとは考えもしないのだろう。ニュースにすらならない。
一部のファンが特定のヒーローを見かけないことに怪我や引退の疑念を持って、SNSやインターネット掲示板などで討論会のようなものをしている状況だ。
失踪した3人の中には1人、まだ無名な研修生もいた。人気の出そうな炎の魔法士で容姿も整っており、ヒーロー内部でも将来を期待されていたウドムだった。
ネズミ型モンスターの事件の後、手を繋いだあの時から、シャロンはカナタとの距離を縮めていた。
シャロンがカナタに触ると嬉しそうにするので、もっと好きになって貰えるだろうかと毎日触ることにした。
2人になった時など、初めはシャロンから手を繋ぐようにしていたが、今ではカナタの方から手を差し出してくれる。
今日も2人、シャロンはカナタと手を繋いで少し遠回りをし、人のいない道を通って自宅へ向かっていた。
今夜はジェラードが自宅で食事をとる。つまり、夜に父と家の中で会うことになるだろう。
腕を切り落とされたあの日、シャロンはジェラードに対して初めて明確に不満を抱いた。
いいや、正確にはネズミのモンスターと邂逅した日かもしれない。
カナタは敵であり害であるモンスターに対して、苦しめたくないと言った。
それまで正しいとずっと思い続け、正義と信じて生きていたジェラードからの躾が、腕を切り落とされたことが、耐えてきた苦痛の全てが間違っていたのではないかと思ったのだ。
シャロンは己が間違ったから、仕置きとして苦痛を味わうことは当然と思っていた。しかしカナタはそうではないとはっきり示したのだ。
苦しみが短く済むように殺めたモンスターに、手を合わせていた。
間違っていても、過ちを犯したとしても、必要以上に苦しめる必要はない。そして、命は等しく尊い。
シャロンはあのモンスターに自分を重ねていた。
カナタであれば、いつかシャロンを敵と判断したとしても一思いに眠らせてくれるだろう。
伴侶として長く共に暮らすならば、やはり彼が良い。
シンイーのように清く正しい女性は誤らないから、父親や夫に仕置きを受けないのだろう。
だが自分はそうではないとシャロンは思う。
自分は家庭に入った時、必ず夫に迷惑をかける。その迷惑の内容がどんなものかわからないシャロンは、過ちを回避もできない。
(カナタは、私が間違えたら教えてくれる。カナタは私を叩かないし、蹴らないし、切らない……)
筋肉質で体の大きなカナタに暴力を受ければ、きっとひどく痛むだろう。だから初めは華奢に見えるクライヴの方が良かったのだが、今は違う。カナタでないと嫌なのだ。
見上げたカナタはシャロンの視線に気が付いて微笑みかけてくれる。それが嬉しくて、切なくて、シャロンは別れが惜しくなってしまった。
また明日も朝から会えるというのに、一秒も離れたくない。ずっと側にいたい。
その気持ちを愛と言うのだろうか。カナタの言う『好き』とは、これと同じ気持ちだろうか。
「……着いたな。今日もおつかれさま」
いつの間にか家の裏門の前にいて、シャロンは足が竦んだ。
ここしばらくジェラードはヒーロー失踪事件に関する捜査や会議で家を空けていたり、帰っても短時間で会わずに済んでいた。
それが、今日は……
「……もう少し、いて」
自分の手を放してしまったカナタを引き留めようと、シャロンはその逞しい腕にしがみついた。
「わっ、しゃ、シャロンっ……!」
ぼっと火山のように顔を赤くするカナタに、シャロンは逃さまいと必死にその腕を抱きしめる。
「ええと……シャロン、実は俺も聞きたいことがあって。ちょっと話していくか」
「話す……座る? 中にベンチ、ある」
シャロンはカナタの手を握ったまま、虹彩を読み取るセンサーを見つめて鍵を開けた。裏庭のガーデンベンチへと案内し、カナタを引っ張って隣に座らせる。
「なんだか、今日は随分とその……なんというか、可愛い……いや、可愛いのはいつもなんだが、可愛いの度を越してる、な……と思う」
「可愛い? それは、良かった」
触られるのが嬉しいのであろうカナタと同様に、シャロンもカナタに触れると胸がドキドキと高鳴って、他では感じることのできない快感がある。
触ることを許して貰えることが嬉しい。嬉しいという感情を自分でもはっきり認識できるくらいに嬉しい。
「なあ、シャロンは、もしかしてジェラードさんに言われたのか? 強いヒーローと結婚しろって」
突然ジェラードの名前が出たことに、シャロンは頭を傾げた。
「俺、父親がいないから他所の家庭の親子の関係……というか、そもそも、お父さんと娘の関係とか、わからないんだ。けど、なんとなく……シャロンはジェラードさんと、少し余所余所しいような気がして。ジェラードさん、その……怒ると怖そうだしな」
苦笑するカナタに、シャロンは目を伏せる。言われて初めて考えたが、家庭はそれぞれ家庭の数だけ形があり、皆違うのかもしれない。
父親が娘に仕置や罰を与えない家庭もあるのかもしれない。父親がいないと言うカナタも、それに当てはまっているのかもしれない。
「カナタの父親……」
「ああ……消防士だったんだ。俺と同じ水の魔法士で……俺が3歳くらいの時に仕事中に死んだんだ。魔法で火は消せても、流石にガスが爆発したら死んじゃうんだよな」
カナタの瞳が少し揺らいで見えた。
いけないことを聞いただろうか。
シャロンには死別した人はいない。母親もいないので、親がいないことを寂しいと思ったことがなかった。
クライヴは家を出て行ってしまったが、死別ではないので寂しさの種類も違うだろう。
それに彼がいなくなった後、しばらくの間シャロンは寂しいだとか悲しいだとかも含め、無駄なことを思考したり感じたりしないようにしていた。
けれど、もしもヒューゴやクライヴが死んでしまったら……万が一カナタがいなくなってしまったらと思うと胸が張り裂けそうになる。
その悲しい気持ちをカナタに思い出させてしまったのなら、過去へ戻って会話を変えてしまいたい。
謝るべきか、もう話を逸らすべきなのか思考するが、シャロンには答えを導き出すことはできなかった。
そして、カナタの唇が先に開く。
「シャロンは……ジェラードさんが怖い、のか?」
「……?」
父親が怖いか。その質問は、シャロンにとってはごく当然、わざわざ問われる意味がわからないほど当たり前のことに感じる。
そもそも「怖い」というものを特別意識して考えなかったかもしれない。
やはりカナタの中で父親というものは怖いものではないのだろう。それがほんの少しだけ羨ましいような、憧れるような気持ちがある。
もしかしたら、怖いのはジェラードだけで、親というものは怖いものではないのかもしれない。
「こわい……とても」
初めて口にした。
当たり前のことであるから、わざわざ言葉にしたことがなかった。
街のヒーローであるジェラードのプライベートを他人に話してはならないとも思っていた。
彼の私生活は、シャロンとほんの一部の人物しかきっとしらない。もしかしたら、シャロンしか知らないのかもしれない。
「シャロン……今からどこか行くか」
「……でも」
「ジェラードさんには俺が連絡する。行こう」
先にベンチから立ち上がったカナタに手を引かれて、早足に来た道を戻っていく。
裏門から連れ出され、人気のない歩道を走って街に戻った。
人気が多くなったところで歩くスピードがゆったりとして、一瞬離れたカナタの手が、互いの指を交差させるようにシャロンの手を握り直す。
触れる部分が多く、簡単には放せないその握り方にまた胸の鼓動が早まっていく。
シャロンはこのまま、本当にどこか遠くへ行きたくなった。
カナタと共に、ジェラードのいないどこか遠くへ。