02 第1区
待ち合わせの場所に到着するなり、遅刻をせずに済んで胸を張っているヒューゴを見事にスルーして、カナタはシャロンの正面へ寄った。
「シャロン、その……そのジャージ、可愛いな。似合ってる」
花やリボン、レースなどで飾られたスカートではなく、飾り気のないシンプルな運動着だというのに何が可愛いのだろうか。
疑問には思うが、カナタは軽率に嘘を吐く人物ではない。
ほんのりと頬を染めている彼の表情からお世辞というものでもなさそうだと結論づけ、シャロンは少しむず痒いような気分になって視線を落とした。
「俺が選んでプレゼントしたんだぜ~?」
「さすがです、先輩。クライヴも良いと思うだろ?」
「……フン」
クライヴは相変わらず機嫌が良くないが、カナタの言葉を否定もしなかった。
パトロールが終わるとヒューゴは仕事へ、クライヴはジムに行くと言って別れた。
シャロンはカナタと共にセントラルタワーのランドリーで運動着を洗っている間、彼の提案で共に喫茶店に行くことにした。
甘党のカナタは悩んだ末にクリームソーダとパンケーキを注文し、それはそれは幸せそうに食べている。
それを眺めていると、なぜだかシャロンは気持ちが軽く弾むように思えて、コーヒーゼリーもいつもよりさらに美味に感じる。良い気分だった。
コーヒーゼリーは確かに好んでいるが、常に頭の中にあるわけでもなく、シャロンの心臓の脈を早めたり、素手で触りたいとも思わない。
「私、コーヒーゼリーも、カナタも好き。でも、カナタの好きは、少し違う」
「……ズッ、んグッ!? ゴボッ!!」
ストローでバニラアイスの浮かぶ緑色の炭酸ジュースを飲んでいたカナタが驚き、派手に噎せた。口元を手で覆って下を向いて何度も咳き込む。
他人を心配に思うことに慣れていないシャロンも、顔には出さないが狼狽し、そわそわとその様子をうかがった。
変なことを言って驚かせてしまったようだ。
「食べ物と人間を比べるのが、おかしい?」
「ゴホッ……いや、そういうわけじゃ……シャロン、俺も君のことが……好き、だから……その……俺は、シャロンに幸せになって欲しい。幸せな君を、誰よりも近くで見られたら良いなと思ってる……」
カナタに不快な思いをさせていたらと危惧していたシャロンは、それが杞憂であると気付いて視線を彼の瞳からずらしていく。
じっと見つめられると、心臓の鼓動がなぜだか大きくなって息が苦しくなってしまう。
カナタの言葉はこの世界でどんな言葉よりも優しく、シャロンが何よりも欲しかったもののような気がした。
(カナタも、私のことが好き……)
それは必然的というか、そう仕向けていたのに。いざそれが実現してしまうとどうしたら良いのかわからない。
はたしてカナタにとっても、それは良いことなのだろうか。
シャロンは心が感情でいっぱいになる感覚に慣れていない。混乱したように、返す言葉が出てこない。
「シャロンが強いヒーローと結婚したいって気持ちを、俺は否定はしない。しないけど、シャロンには幸せになって欲しい。だから、もし俺が君の納得がいくくらい強くなったら、俺を選んでくれないか? なんというか、その、ほら、人はだいたい結婚する前に恋人になるだろ? もし俺で良ければ、だが……恋人に……なれたら嬉しい……お、俺が君を幸せにしたい」
カナタは真っ赤に火照る頬を冷まそうと、また緑色のソーダを飲む。その表情は不安げで緊張がうかがえた。
ややあって、シャロンはようやくのどのつかえが取れて、カナタの名前をささめいた。
その小さな声も、たった一文字も聞き逃さまいと、カナタが少しだけ前のめりになる。
「恋人、よくわからない……」
恋人などというものは、参考資料を読んだ程度にしか把握していない。
恐らくは好き同士で、キスをする関係性なのだが、それはキスをして初めて恋人なのか、それとも恋人だからキスをするのかもわからない。
シャロンがヒーローの研修生を目指して学んでいた期間に得た知識というのは、特定の1人と交際する内容ではなく、多くの異性に好かれるための言動と言ったものだ。
だから具体的に恋人というものがどういう関係なのか、どうしたらそれになるのかよくわからない。
それに、勝手な判断は自分を後で苦しめ、追い詰める結果となるかもしれない。
浅はかにも、今という束の間の幸福にすがりつこうだなど考えてはならない。
「家族の始まりの関係というか……一緒にいる時も、そうじゃない時も想いあう仲というか……一緒に幸せになれるように頑張りあう仲……か? 確かに、言われてみるとちょっと難しいな」
カナタの言う幸せとは何なのだろう。
強い子を産み、ヒーローとして活躍させる。
そして、魔力を持って産まれてきた人々を蔑み、利用し、使い捨てて、自分たちだけが安寧の時を過ごしてきた無能な人間を支配し統率するような、次のリーダーを育成する。
魔法優位の世界こそが人々の幸せなのだ。
真に強い者によって弱者が守られる世界。それが本当の平和なのだとジェラードはずっと言い続けており、その意志は血肉を介してシャロンにも受け継がれている。
ジェラードの目的はシャロンの目的。ジェラードはシャロンで、シャロンはジェラードなのだ。
たかが一時の高揚感、一世代の安定した暮らしを幸せと呼んでも良いのだろうか。
だが、魔力も身体能力もカナタがシャロンにとってふさわしいというのはも事実だ。
「カナタは、今の世界をどう思う?」
「せ、世界!? 世界って、どういう……」
どうやらぴんと来ていないのであろう。
だが今はそれでいいのかもしれない。
カナタがこのままナンバーワンヒーローとなり、シャロンの子の父となってもらう。
それだけが彼の役目で構わない。深く知り、プレッシャーを感じるのはあまり良くない。
「私は、私だけではなくて、世界中の人を幸せにしなければならない。私は選ばれたから。カナタも、自分を選ばれた人と思う?」
「えっと……シャロンは、その夢を子供に託したいのか? 選ばれたっていうのは、英雄の母親にってことか?」
「そう」
「……シャロン、俺は子供じゃなくて、俺自身が一番になりたい……いや、シャロンと俺で一番になりたい。そうだ、シャロン、研修が終わってプロになったらコンビを組んでほしい。俺の水とシャロンの氷で、世界一を目指そう!」
恋人になりたいと言ったりコンビになりたいと言ったりと、今日のカナタの意見は定まっていない。
ヒーローの中には確かに2人組や、グループでの活動を主としている者もいる。
その中には夫婦で活動している者もいる。
かつて殉職したらしいクライヴの両親もそうだった。
「……恋人、妻になった後も、私はヒーローを続けるということ?」
考えたことが無かった。
シャロンは子供を産む以外、使命がない。そのために作り出された存在だ。
それどころか、カナタは自身の力で一番に……統率者になろうと言うのだ。
「こ、恋人は、シャロンがなりたいって思ってくれたらで良いんだ。だからまずはそういう関係じゃなくて、今の延長線みたいな感じでコンビを……ってなんか、これだと俺たち、お笑い芸人になるみたいだな」
「……私、お笑い芸人、わからない。コンビを組めるかもわからない」
「芸人の道は険しいからな……じゃなくて、シャロン、なんとなく俺思ってたんだが、ジェラードさんが問題なのか? ジェラードさんが許可したらコンビを組んでくれるのか? ならジェラードさんへのアポを取りたいんだが……」