27 グリズリービーチ
あまりにも広く、大きすぎる海。
この惑星が球状であるため壁がなく、果てのない無限のものに思えても仕方がない。
実はまだ、人類はこの海の最も深い場所のことも知らないと聞く。
人類にとって、未知の場所と言ってもいい海。
シャロンにとってはもっと未知だ。
浮き輪を頼りにただ浮いているだけのシャロンは、どういう仕組みで動いているのか、目の前を行ったり来たり泳いでいるカナタとクライヴを眺めていた。
競争はカナタが連勝している。魔法を使っていないらしいが、水への恐怖が一切無いのだから有利に決まっている。
クライヴは悔しいと口にしつつ、楽しげに笑っている。シャロンには向けられない表情だ。
ぷかぷかとのんびり浮いているのも楽しいのだが、泳ぐのは、競争をするのはそれほど楽しいのだろうか。
シャロンは流氷になった気分で、浮いているだけでもかなり心地よいものと感じているのだが、水中を自らの意思で前へ進むというのは、確かに必要な技能ではあるかもしれない。
ぼうっとしているうちに、彼らから離れてしまった。
浮いているだけで何もしていないからか、いつのまにか波に乗って足の届かない場所まで来ていた。
それでも特段、シャロンは気にならなかった。このまま義務や己のことなども忘れて、海に浮かび続けて死んでしまうのも一興かと思った。
何もせず、何も考えずに浮いていることは、きっとシャロンにとっては楽だからだ。
「シャローン! 泳いで、脚をバタバタさせるんだ!」
不意に離れたところからカナタの声がして、ようやく生存本能が目を覚ました。
うっすらと細めていたまぶたを開いて、言われたとおりに脚をバタバタと動かす。波に押され、戻され、ずっと同じ場所でバチャバチャと水を蹴り続けた。
「全く進んでないよ」
「ああ、進んでないな……」
クライヴもシャロンを見ている。だから再び脳がしっかりと思考を始め、水を蹴らねばと思った。
「お前らー! よくも俺を置いていったな!」
シャロンより先にカナタ、クライヴの近くに着いたのはヒューゴだ。
すいすいと泳ぐ姿に疑問を抱く。男というのは、浮き輪もなく泳げるようにできているのか。それとも浮き輪があるから泳げないのか。
「ああっシャロン! あんまし遠くに行くな! こっち来い!」
ヒューゴの声にこくこくと頷き、シャロンは水を蹴り続ける。バシャバシャと音も立っているのに、ちっとも前に進まない。
なぜなのか……。
「進んでねェな」
「ああ、進めてないですね」
「びっくりするほど進んでないね」
手でも水を掻き、表情には出さないが必死に前進しようとしている。
大抵のことは、やり始めたらすぐにコツを掴んで上手くできるようになるというのに、ちっとも進まないので、疲れてしまった感情が諦めたように再び遠のいていく。
何も考えず、感じず、必死に動かしていた手足も無意識に同じ動きを繰り返させた。
このままではシャロンが沖の方まで流されると感じたのだろう。カナタが泳いですぐ側に来た。
浮き輪を引きながら、決して嘲笑ではない優しい笑顔を浮かべる。
「ただ動かすんじゃなくて、水の抵抗を利用するんだ」
こくんと頷く。カナタに引かれながら、シャロンはようやくクライヴ、ヒューゴの元へ辿り着いた。
にかっと笑ったヒューゴが、海岸を指さす。
「景品かけて競争しようぜ!」
シャロンが頷くと、クライヴが呆れたようなため息をついた。
カナタが1番だろうと、結果などわかりきっているというような様子だ。
だが、ヒューゴの実力は計り知れない。筋力を活用して、ものすごい速さを出すことができるかもしれない。
「よーい、ドン!」
ヒューゴの声に、シャロンは再びバシャバシャと水を蹴った。
前方をクロールで進むクライヴは、あっという間に距離が離れていく。
すぐ横でゆっくり泳いでいるヒューゴのにやけ顔に一瞥くれてから、シャロンはまっすぐ砂浜を向いた。
その瞬間、水の流れが優しくシャロンの背中を押し始める。摩擦のない水中を、シャロンの肉体は徐々に速度をあげ、まっすぐ砂浜へ向かって進んだ。
まるで水を切り裂く矢のように、ものすごい速さになってクライヴを追い越す。
それからはまた少し速度が落ちて、柔らかい砂に足がついた。
浮き輪を持ってぴょこぴょこと海を出て振り返ると、シャロンの勢いに驚いてペースを奪われたクライヴが、ヒューゴとカナタに追い越されている。
1番だ。カナタに言われたとおり、水の抵抗を肌でしっかり感じ取ったらあっという間に砂浜にいた。
「シャロン、海怖くなかったか?」
「ん。怖くない……良かった」
2位のカナタに笑いかけられる。3位のヒューゴにも頭を撫でられ、気持ちがいい。
「一番」
「ドヤ顔まで可愛いな〜」
ヒューゴに頭だけでなく頬やこめかみを撫でられ、少し頬が緩む。シャロンは褒められるのが好きだ。これが好きという気持ちだ。
「ひ、卑怯だ……カナタ、魔法使っただろ」
ゼェゼェと息を荒げたクライヴの肩に、カナタが手を乗せる。
「ツカッテナイゾ」
「そうだぞ〜、クライヴ、負け惜しみとかかっこわりいゾ〜」
クライヴは今回も褒めてはくれないようだ。
少し寂しいが、想定内なので顔には出さない。どうやら不正の疑惑も出ているようなので、シャロンはカナタを見上げて黙っていた。
「賞品決めた! ビリのクライヴが1番のシャロンにおやつを奢れ!」
「……チッ、わかったよ。海の家に行くのか?」
「そうだな。カナタもそろそろカレー食いたいだろうし」
「カレーも良いが、ラーメンも……」
「両方食っちゃえば?」