23 喫茶店
夕焼けがビルの色を変えている。ガラスに映し出される雲が美しく見えたのも初めてで、なぜか帰りたくないという考えがシャロンの頭をよぎる。
一歩が重くなったシャロンとは対照的に、ヒューゴが「あ〜」と呑気な声を出した。
「腹減らね? どっかでおやつ食おうぜ」
「おやつって……そろそろ夕飯の時間ですよ」
「奢るからさぁ」
「行きます。シャロンはどうする?」
「……行く」
眩しい。夕日の反射も、彼らの笑顔も。
眩しくて、もっと欲しい。このまま光の当たる方向へ進んでみたい。
シャロンは彼らを追うように、軽くなった足を前へ踏み出した。
喫茶店に入り、メニューの冊子を開く。
一緒に行きたいと言っておきながら、何を食べれば良いのか見当もつかない。
「カナタは、何食べるの」
「俺はこの、ふんわりホイップのストロベリーパフェだ!」
「……ヒューゴは」
「う〜ん、考え中」
「私、カナタと同じものにする」
しばらくして、テーブルに運ばれてきたパフェは、まるで芸術品のように美しかった。
白いクリームにイチゴの赤色、そしてダークブラウンのチョコレートソースのコントラストが映え、スティック状の菓子を絶妙な位置に刺したことでアシンメトリーになっている。
一方、ヒューゴが注文した黒っぽいゼリーは、ミルクとのツートンカラーで、非常にシンプルな色合いの食べ物だ。
「あ、おいカナタ、もう食っちまったのかよ! なあシャロン〜食べる前にそれ写真撮らせてくんね?」
「うん」
「先輩、またウタッターですか」
「ったりめぇだろ〜! こんな映えそうなパフェなんだから」
カシャカシャとシャッター音を鳴らしてはパフェの角度を変える。
数枚撮った後、パフェはまたシャロンのもとに戻って来た。
スプーンで一口すくい取り、口に運ぶ。
甘い。
ヒューゴは黒いゼリーの撮影を終えると、シャロンの視線に気が付いてにこりと笑う。
「こっちのも味見するか?」
「でも」
「写真の礼だよ。ほら、あ~ん」
正面に座るヒューゴの手にあるスプーンがシャロンの方へ向けられる。
ここまでして貰い、断る理由もないのであーんと口を開ける。
「……ん」
苦味となめらかなミルクのほのかな甘み。その後に来る酸味は爽やかだ。
香り高いそれは、お気に入りのキャンディと同じ味がする。
キラキラと世界が輝きだし、飲み込むのも惜しいほど好みの味が舌の上に溶け、口から消えてしまうのを切なく思う。
「おっ、美味いのか? 交換してやろうか?」
「……でも」
「こっちの方が好きなんだろ?」
「……いいの?」
「ああ、いいぜ。へへへ、シャロンの食べかけを食えるなんて、俺って超ツイてるよなァ……ククッ……しかもこのスプーンで、間接チューまでできるぜ……」
「先輩、本当に、めちゃくちゃキモいですよ」
シャロンは聞き慣れない言葉に、スプーンを眺める。
「間接チュー、何? それが、ヒューゴは楽しいの?」
「おいおい、2人がかりで俺を虐めんなよ〜」
「……そんなつもり、なかった。ごめんなさい」
「いやいやいやいやいや、どう考えても謝るのは先輩の方だ。謝って下さい! 謝れ!」
楽しいというのはこのような状態をさすのだろう。
使命や義務を忘れ、幸福という甘美な沼に身を沈めていく。
そしてそれを束の間のものと知りながら、もっともっとと縋ってしまう。
だからシャロンはこれまで、何も得たりしないようにしていたのだ。そうしないと、苦しくなってしまうと知っている。
「ところでさ、シャロンはウタッターやんねえの?」
「ウタッター……何?」
「SNS……コミュニケーションツールってか、オンライン上で見れる一言日記みたいなもんかな? 独り言書き込むだけみたいな感じだけど……お、カナタのアカウントはこれか? フォローしとこ」
「俺あんま書き込まないですよ……怖いし……」
SNSというものがどういうものかは知っている。
父親の投稿した内容が、たまに情報番組に取り上げられるのだ。
だが、シャロンはジェラードや彼らのように、誇れるようなことは何もしていない。書き込むことがない。
そんな考えを見透かしたように、ヒューゴが浮かべた笑みをより深くする。彼はなぜか、他の人物よりもシャロンの考えや行動を読むことができる。
だから、本当は少し警戒をしていた。彼はヒーラーなのでパートナーに向かないうえ、計画の内容に気付かれることも避けたかった。
その勘の良さが、今はむしろほんの少し心強い。
「読むだけってのもできるぞ。これを読むためにもアカウントが必要なんだ。SNSは情報収集にうってつけだから、やっておいて損はないぜ」
「情報収集……したい。アカウントは、どうやって発行するの?」
「よしきた! 任せろ! スマホ出せ出せ〜」
ヒューゴに指示されるまま、アプリケーションをインストールする。端末の番号とパスワードで簡単にアカウントが発行できた。
スマートフォンの連絡先と同期させているため、番号を知っている人物のアカウントが通知欄に表示される。
「とりあえず俺とカナタだけフォローして、他の奴は相手からフォローされたら返すので良いんじゃね?」
「うん、そうする」
今まで連絡手段、位置情報を発信できる道具としてしか使っていなかったスマートフォンに、初めてそれ以外のアプリケーションを入れた。
フォローしたカナタのアカウントは大分前に更新が途絶え、訓練校の卒業式の写真が投稿されている。
「これ、俺の地元で撮った写真……みんな元気だといいな……」
このバラムから出たことのないシャロンにとっては、彼の地元はまるで異国のように思う。
特に珍しい景色が映っているわけではないが、世界が広く、行ったことのない場所が確かに存在しているのだと実感し、思わず憧れを抱く。
ヒューゴのアカウントは彼自身の写真や衣服、食べ物などが多く投稿されている。つい先程のパフェとコーヒーゼリーも『後輩ちゃんと』から始まる短めのテキストに、絵文字やハッシュタグがいくつも並んでいた。
「先輩、人生楽しそうですね」
「まあな〜、俺は快楽主義者なんでね。お前らも、せいぜい今を楽しんどけ。ヒトって死ぬ時はあっという間だしな。こうやって写真置いときゃ、データとして、少しはこの世に留まれるだろ」
いつもと変わらぬ表情で彼が語った言葉は、シャロンには少し重たく感じる。カナタにとってもそうだったのだろう。少しの沈黙の後、シャロンは自分からヒューゴに話しかける。
「投稿はこのボタン?」
「おう、それそれ」
シャロンの問いに、ヒューゴが頷く。
もう何も入っていない皿の写真を撮り、投稿ボタンを押す。
二人と出かけてゲームをし、食べたコーヒーゼリーが美味しかった。この幸せな時間を、いつか未来の自分と誰かに共有できるよう、短い文章をつける。
『食べました』
――第1区カトル マンション
シャワーを浴び、寝間着に身を包んだクライヴは、テレビのチャンネルを順に切り替えていく。
『脱・違法薬物……』
『……れたオガワ容疑者が、警察へ身柄を引き渡す直前に獄中死したとの情報が……』
『今夜19時からは、若者に大人気のヒットソングをメドレー形式で2時間……』
『私はあなたを愛していたのに、ずっと愛していたのに、どうしてその人を選ぶの……』
何もかも、くだらなく思える。
苛立ちも憎悪も増す一方で、こんな醜い感情を抱いたままヒーローになどなれるのだろうか。
(僕は……ヒーローになりたいのか?)
ヒーローになりたい、ならねばいけないと思い続けて、あれほど努力を重ねてきたというのに、今クライヴの胸の中は空っぽになり、肉体は抜け殻のようだ。
ヴーッとスマートフォンが鳴る。
ハッと顔を上げ、テーブルの上で白く光るそれを手に取った。
『あなたの知り合いが、ウタッターを始めました(1)』
表示される画面の内容に心臓が跳ねる。
UIの中で縮小されていたサムネイル画像をタップする。画像を表示して、映された皿が空になっていることに気付くと、投稿主が何を食べたのか、どんな顔で食べたのかを想像した。
無愛想にも見える短い文章に睫毛を伏せて、渦巻く怨嗟の感情と怒り、それでも消えない愛着。詰まる息を、なんとか吐き出す。
膨れ上がる憎愛に、クライヴはスマートフォンを強く握りしめた。
「……シャロン」