17 喫茶店
「はあああぁぁ……」
カナタの盛大なため息に、正面に座るヒューゴがひらりと手を振るような仕草をした。
「おーい、これでも面談だぜ? 元気出せって〜」
「ああ……すみません。面談って何やるんですか」
「あ〜、何って言われるとなぁ……」
第1区、カトル。セントラルタワーや役所など、バラムの要所が集められている。
大都会の洒落た喫茶店に呼び出されたカナタは、大きな疲労感に、ヒューゴが頼んでくれたショートケーキにも手を付けられずにいた。
シャロンのあの様子を見て悩まずにいられるわけがない。
可愛らしいショートケーキは、見れば見るほどシャロンを思い出させるような真っ白だ。
「食う前にそれ写真撮っていいか?」
「えっ、良いですけど」
「じゃ、ウタッターに載せよ」
ショートケーキの皿を引き寄せ、何度か角度を変えてスマートフォンのレンズを向ける。
5枚ほど写真を撮ったヒューゴが、片手でスマートフォンを操作しながら、ケーキを元の位置へ戻した。
ウタッターとはSNSの一つで、世界で最も利用者の多いものだ。
カナタも一応アカウントは持っているが、訓練校の卒業式で撮った集合写真以来、何も投稿していない。
ヒーローの中でもウタッターでファンを増やしている者もいるが、扱いが難しく、万が一不適切な投稿でもすれば、ヒーロー人生に幕を下ろすことにもなる。
そのため、カナタも学生時代からSNSなどの類にはあまり積極的ではなかった。
(この人、大丈夫なんだろうか……)
ヒューゴのヒーローとしての能力はカナタも高く評価している。そのうえ明るく話しやすいので、一緒にいて楽しい。好感は持っている。
だが、言動の全てまで評価しているわけではない。
「で、面談なんだけどさ、何か俺に相談したいこととかある? 下ネタでもいいぜ」
「話したいことっていうか……話しておかないといけないことが」
「おすすめのグラビアアイドルのこととか?」
「ちょっ、先輩……真面目な話ですよ」
「俺は至って真面目だぞ。俺が真面目になんのは女の子の話だけだ」
「……ええと……まあ、いいか……シャロンのことなんですけど」
カナタはシャロンが子を作る相手を探しに来たというのは伏せて、他の同期と上手く関係性を作れていないことを話しだす。
だが、笑みを浮かべたままのヒューゴはカナタの伏せた内容も全て知っていた。
「あー、シャロンが婿探しに来たのがバレたって話だろ?」
「知ってたんですか?」
「まあ、俺はな。で、カナタはシャロンのことを嫌いにでもなったのか?」
それまでずっと笑みを浮かべていたヒューゴが目を細める。ガラの悪さが際立ち、目にかかる前髪の隙間からこちらをのぞく鋭い視線に怯んだが、カナタは目を逸らさない。
「俺は、シャロンを嫌いにはなりません」
「……まあ、実際シャロンは一人の伴侶を探してるにすぎねえしな。プロでやってる俺が何人もヤリ捨てて良くて、まだ正規のヒーローでもないシャロンが婚活しちゃだめなんて、そんなの理不尽だからな」
ヒューゴの言った内容に一部聞き捨てならない部分もあるが、シャロンのことに関しては理解ができる。むしろモヤモヤしていた部分が言語化されてすっきりした。
シャロンはただ選択肢を増やしただけに過ぎない。
「ていうか先輩……パートナーを捨てるとか、ヒーロー失格です。シャロンがいないと平気でそういう話しますよね」
「ちゃんと避妊してるしヘーキだろ。シャロンが変な言葉覚えてパパに意味を聞いたりしたら、俺ぜってえ殺されちまうぜ」
先程までの鋭い眼差しが急に柔らかくなり、いつもの陽気な笑顔に変わる。
シャロンの変化もものすごかったが、ヒューゴもなかなかのものだ。
クライヴも、シャロンの前では人が変わるのだが……。
「ま、カナタが優しい奴で安心したわ。シャロンはちょっと変わってるけど、俺に比べればかなりお利口さんだから、これからも優しくしてやれよ」
「はい」
「俺もなるべく様子見るようにしてんだけど、パトロールとかこういう時以外は基本別行動だしなぁ」
「先輩は引っ張りだこみたいですね」
「まあな。俺もいろいろあんだわ……ストレスも性欲も溜まりまくって大変大変。あー、次はクライヴちゃんの面談か。めんどくせえな」
ヒューゴと話して不思議と肩の荷が降りたような気分になり、カナタはようやくショートケーキにフォークを刺す。
一口食べると、そこから食欲が沸き立って止まらない。
「美味い! 美味いですここのケーキ!」
「だろ〜? ここ俺のオススメの店。今度は女と来いよ」
「はい。母が観光に来た時に連れてきます」
「いやいやいや、そこはシャロンだろ……マザコン野郎かよ……」
夢中でケーキを口に運ぶ。
しかし突然鳴り始めたブザーによって、平穏な時間は終わってしまった。
スマートフォンを含めたあらゆる端末が鳴り響く。喫茶店の窓ガラスはモニターモードに切り替わって、非常事態を知らせる赤い表示がされた。
けたたましい警報が街に鳴り響き、カナタは冷静に残りのケーキを口に流し込んでから、ヒューゴに視線を向けた。
インカムの先から指示を下されたヒューゴが「了解」と答え、普段と変わらぬ表情でカナタを真っ直ぐ見る。
「近くで銃を持って騒いでる奴がいんだと。俺は招集されたからそっちに行く。カナタはここに待機して、この店に変なやつが来ないか見張っといてくれ」
「承知です」
「お前は研修生の中じゃあ、ずば抜けて優秀だ。プロとも遜色ねえと思う。魔法も必要ならバンバン使え。命を大事にな」
「わかりました」
真面目なヒューゴに褒められると、少し照れくさい。
カナタは両頬を自分で叩いて、気合を入れた。
警報はあまり長く続かなかった。
無差別に襲いかかる未知のモンスターではなく、相手が人間であるためか、喫茶店の客にそれほど緊張感もなかった。
市民がパニックにならないことには安堵も覚えるが、あまりにも人々がこういった事態に少し慣れすぎているようにすら思う。
バラム市はカナタの故郷とは違う。
たった1人、ナイフを持った者が暴れただけで大騒ぎになる田舎とは違い、多くのヒーローを抱えているからか、人々はどこか他人事のようだ。
ウェブ上の生放送チャンネルやテレビ中継の映像に、好きなヒーローが映っているかいないかだけを語る若者の姿には、まるでショーでもやっているかのように思わされる。
『もしも〜し、カナタ、聞こえるか?』
インカムから聞こえるヒューゴの声に、カナタはマイクのスイッチを押す。プロの使っている新型だとジェスチャーや登録した言葉で起動させることもできるらしいが、研修生に配られたのはジャンク屋にも売っていそうな旧型だ。正直なところ音質も良くない。
「はい。聞こえます」
「オーケー。警報止まったからわかるかもだけど、容疑者は全員確保された。怪我人がいるから、俺はこのまま医療班の方に合流する。面談の途中でわりいな。また今度飯行こうぜ」
「了解です」
「つーか、敬語使うのお前だけだぜ? 楽に喋っていいんだぞ〜……っと、通信切るぜ。じゃあな」
遅刻も多く不真面目なのに、律儀に連絡をしてくるヒューゴは決して悪人ではないのだ。信頼感もある。女性問題は別として。
カナタもマイクの接続を切り、伝票と共にヒューゴが置いていった現金で会計を済ませる。レジで本部に提出するための領収書も貰った。
「……あ」
経費でケーキなどを頼んで、本当に良かったのだろうか。
少し不安になった。