15 セントラルタワー
あんなことがあった翌日も、シャロンは驚くほどいつもと変わらなかった。そのことが、カナタにはやはり異常なものに思えてならない。
男女別に分かれて行った水難救助の訓練のため、シャロンと合流しないまま、カナタとクライヴの2人はタワー内の食堂に足を運んだ。
カレーは半額でないものの、比較的安価なメニューの多いこの食堂は、まだ訓練生で収入がほぼ無いカナタにとってかなり生活の助けとなる。
地方から引き抜かれてきた特待生扱いのカナタは、受講料も家賃も無料となっているものの、食事やその他の生活で必要となるものは学生時代のアルバイトで稼いだ貯金、また実家からの仕送りでなんとかやりくりをしている状態だ。
プロのヒーローとなったら、女手一つでここまで育ててくれた母親に何か恩返しをしたいと考えている。
正面に座るクライヴはシャロンがいない時間は驚くほど落ち着いており、人懐こく爽やかな男だ。
もともと友人が多いカナタだが、クライヴはその中でも最近は特に一緒にいる時間が長く、仲が良いのではないかと思う。
クライヴはどこか気品の漂う真面目な美青年……といえば漫画に出てきそうな男なのだが、年齢相応に笑う普通の男だった。それにシャロンやヒューゴを除いた人間に対しては非難もあまりしない。
「ハンバーグとエビフライとグラタンとオムライスを一皿で食べれたらいいのにな」
「カナタは、たまに強欲になるよね……そんな夢みたいなセット……ハッ……まさか」
「ああ……お子様セット……お子様セットが食べたい」
「人は成長とともに、大切なものを失うんだね……」
笑って、カナタは悩みに悩んで注文したオムライスを口に含む。そして、ちらちらとクライヴの機嫌をうかがった。
シャロンのいない今、クライヴへ聞かねばならないことがある。
(でも絶対、雰囲気、悪くなるよな……)
楽しい食事の時間に水を差すのは、正直気が引ける。
どうしたものかと悩んでいると、サバの味噌煮をナイフとフォークで貴族のように食べているクライヴがふんと鼻で笑った。
「お節介を焼きたいって顔だね、カナタ」
「……悪い。お節介なのはわかってるんだが、気になってて」
「別に良いよ。僕もカナタの色恋ごとに口出しをしたいと思ってた」
クライヴはカナタの想像に反して、優しげに笑みを浮かべている。
やはりシャロンに見せる姿の方が異質で、本来の彼はこういう人物なのだろう。ヒューゴに対しての態度もなかなかのものだが。
「クライヴは、シャロンの……その……なんというか、本心を知ってるのか?」
「本心というか、あの女の本当の目的は知ってる。あいつはヒーローになるつもりなんて毛頭ない。研修生になったのは、子供を作るパートナー探しだ」
「えっ!?」
ゴホゴホと咳き込み、本来咀嚼したものが入ってはならないところに行ってしまった。オムライスに喜び以外で涙ぐむことになろうとは。
クライヴの方は至って冷静で、呆れたというよりも純粋にカナタを心配し、飲料水の入ったカップを差し出した。
受け取ると一気に水を飲み干し、手の甲で口元を拭う。
「な、なんで、そんなこと」
「憶測で言ってるんじゃない。本人から聞いたんだ」
「ほ、本人から?」
「ああ。訓練校を卒業してすぐ、養父とシャロンのいる……実家っていうのかな……家に帰ったんだ。その時に、あいつが自分から言ってきた。赤ちゃんを産むための相手を探しに行くのーってね。カナタには悪いけど、シャロンはカナタに気があるんじゃない。あいつは君の成績しか見てないよ」
クライヴの言葉で、シャロンの言動に納得がいった。
シャロンが明るく純粋で可愛らしいのは、自分やクライヴ、ウドム、エリオットなど、目当ての男の前だからなのだ。
誘拐されたあの日も、シャロンは女であるシンイーと、ヒーラーであるヒューゴの2人の前では、少し無愛想に感じた。
あれは気のせいでも、シャロンが緊張状態だったからでもなく、結婚の相手として見ていないからなのかもしれない。これまでの経験上、相手によって態度をころころ変える人間はあまり人柄を評価できる印象にない。
「あ、赤ちゃんって……じゃあ、シャロンは」
「ああ。自分がジェラードさんみたいになれないから、自分の子供を強制的にヒーローにするつもりみたい。それで、僕たちみたいなアタッカーの魔法士の中から優秀な男を探してる」
雪の結晶のように儚げで美しく、見た目よりずっと温かくて可愛らしい笑顔を見せる女の子が、そんなことを考えていたとはにわかには信じがたい。
それでもカナタはやはり納得せざるを得ない。合点がいく。
「動きづらそうな靴もスカートも、髪を束ねないのも全部……」
「そうだよ。だからカナタ、あいつだけはやめておけ」
「……けど、俺……それでも、シャロンのこと、す、好きかも」
自分でもおかしいと、カナタは思う。
クライヴが落としたフォークが皿に当たる音が、彼の沈黙を際立たせた。
「俺がもっと強くなって、一人前のヒーローになったら……シャロンのことを好きでもなんでもない奴が、あのこの夫になるくらいなら……俺はシャロンに好かれなくても良いかもって」
「僕は……そうは思わないよ、カナタ。君はあいつに、子供を道具のように扱われて良いのか?」
「それはだめだ。でも、俺は……」
「子供は、親の目的を果たすための道具じゃない。そんな親、僕は嫌だ。きっとジェラードさんだって悲しむはずだ。僕はシャロンを止めるよ。どんな手を使っても、絶対に。カナタ、君だって愛し合える人間と幸せになるべきなんだ。今まで君は人に好かれなかったという経験が少ないと思うけど、あいつは異常だ。まともじゃない」
クライヴがシャロンの妨害をする理由がわかった。
だからといって、彼のやり方は少し……いや、かなり乱暴だろう。客観的に見ると、クライヴが失恋した腹いせに嫌がらせをしているようにさえ見えてしまう。
このことは、教官であるヒューゴにも伝えた方が良いのだろうか。
ヒューゴは決して根性悪というわけではないのだが、しかし善人かと問われるといまいちだ。
普段の言動からするに……とくに下半身周りに不安要素が多い。
シャロンの中で彼は対象外かもしれないが、誰でも良いという彼女の考えを知って、遊び半分で手を出す可能性は十分にあり得るようにも感じる。
だが、流石のヒューゴも自分の指導する研修生……それも上官であるジェラードの娘に手を出すだろうか。
無言で昼食を続けていると、まるでタイミングを測っていたかのようにヒューゴが食堂に入ってくる。
研修生が授業を受けている間に、プロとして一仕事こなして来たのだろう。
「おっ! お前ら2人で仲良くランチかよ〜! デキてんのかぁ?」
げっとあからさまに嫌悪感を表に出すクライヴにわざと寄ってきて、挨拶代わりに肩をバシバシと叩くヒューゴの顔はやけに楽しげだ。体だけでなくメンタルが異常に強い。
「お疲れ様です、先輩」
「この人が疲れるとか、そんなわけないだろ」
「おうおう、毎日お前らにいじめられて、俺は疲労困憊だぜ……で」
満面の笑みを浮かべるヒューゴが、まるでシャロンの真似をするように頭を傾げる。
「何でシャロンは一緒じゃねえの?」
「今日は男女別の講習だったので」
「ハア? まじかよ。ボディーガードしてやれよォ……あら痛いわ何かしら〜? まあっ、わたくしのシューズに画鋲が〜って展開が読めるぜ」
ヒューゴは勝手に空いている椅子に腰掛け、頬杖をつく。
それから、クライヴの定食の漬物を勝手につまんで口に放り込んだ。
「僕のたくあん!」
「……シャロン、女子と上手くいってないんですか?」
「シャロン本人も、女の子たちと仲良くしようなんざ、思ってないみたいだしなぁ」
ヒューゴがしっかりシャロンを見ていたことに少し驚く。
だが、腐っても教官なのだから当然のことかもしれない。
「で、そこに俺がこう……かっこよく登場するわけだ。俺がシャロン姫を守ってやるぜ。キャアッ、ヒューゴかっこいい〜! ってな〜! そうと決まれば、お前ら邪魔すんなよなっ」
「……少し見直したんですけど、やっぱだめですね、先輩」
「下心のみで生きてるんだろうね」
「ハッ、何を今更。俺はな、一に女、ニに女、三、四も女で、五にも女だからな」
「ええぇ……」
シャロンの真の目的についてすでに気付いているかもしれないが、やはり念の為言わない方が良い。黙っておこうと決める。
ヒューゴなら手を出しかねない。もしかしたらすでに手を出しているかもしれない。
カナタがじとりと睨むような視線を向けていると、ヒューゴはわかりやすく肩をすくめて笑った。