13 セントラルタワー
昨日は怖い目にあってしまったが、明るさが取り柄のシャロンは、これしきのことには負けていられない。
今日も可愛くて大好きな白のワンピースに、上品な淡いピンク色のパンプスで家を出る。
お化粧は最低限。ハンカチには薔薇の高級石鹸の香りをほんのり移して、お手伝いさんに編み込んで貰った髪は毛先までちゅるんと艷やか。
ジェラードが王子様みたいだと言われているのなら、肉体が女のシャロンはお姫様。みんなに大切に守られて、愛される、か弱いお姫様。
「……今日も、可愛い」
街も、昨日や一昨日と何ら変わらない。今日もたくさんの人間が生活している。シャロン1人では街を変えることなどできない。
セントラルタワーのエレベーターの中で鏡を見て、シャロンは笑顔の練習をする。
笑顔はヒトとして生きるのに最も必要なものなのだ。
笑わねば。
「可愛い」
シャロンが拉致され、危うく乱暴されそうになったことは、既に同期たちに伝わっているようだった。
講習室の中で同情の目を向けてくる者たちに笑いかける。
後ろの方の席には、既にカナタとクライヴが座っていた。
カナタはシャロンを見るなり目元を細めて微笑み、軽く手を振ってから手招きをする。いつもように隣に座れと言っているのだとシャロンは気付いた。
「カナタ、クライヴ、おはよう」
「ああ、おはよう。昨晩はちゃんと寝れたか?」
「うん、寝れたよ。えへへ、心配してくれてありがとう。2人とも昨日はかっこよかったね」
隣の席に腰を下ろして、カナタの奥に座るクライヴにも笑いかける。
クライヴはシャロンを見ようともせず、今日の救護活動講習の資料を眺めていた。
電気を生み、操る彼はヒーロー界では引っ張りだこだろう。
実の両親を喪い、ジェラードの養子となった彼は同業者によく名前を知られている。
昨日の様子を見るに、ただ格闘するだけではなく、救助活動や社会に対する奉仕の方面での活躍が期待されるだろう。
カナタもかなりの成績であるが、クライヴはそれに加えて顔立ちも整っているとプロに評判だ。
ふわりと柔らかそうな金髪に鼻梁、目元、唇も、恐らくジェラードの後を継ぐのに相応しい形をしている。
無視を決め込むクライヴに、シャロンはカナタと苦々しく笑い合って己も資料に目を落とした。
たくさんの視線がこちらへ向けられていることに、純粋なシャロンはきっと気付かないだろう。
担当講師はすでに現役を退いた、元ヒーラーの婦人だった。
釣り上がった眉、きらきらと光を反射するチェーンのついた眼鏡をずり上げ、彼女は研修生の顔を順番に見る。
シャロンはいつもどおりに微笑を浮かべて座っていたが、婦人の視線が自分のところでぴたりと止まり、眉を顰められたことに肩を竦めた。
「そこのお嬢さん、お洒落をしたい年頃なのはわかるけど、ヒーローである自覚をしっかりとなさい。全く、なんですか? その格好は」
「……申し訳ありません」
「ここはねえ、リゾートやお見合い会場ではないのよ」
彼女に同意し、存じている、と即答すべきだっただろうか。
シャロンはその言葉が咄嗟に出てこなかった。スカートの裾を掴んだまま俯く。
くすくすと笑う声もして、それが自分に向けられた嘲笑と気付いて笑顔を崩す。
女は苦手だ。男とは違う反応をする。
「今日のところはもう良いです。次回からヒーローらしい服装を心がけなさい。それから、その髪も縛りなさいね。この講習では救護活動の基礎を、実際に体動かして覚えて貰いますからね」
「……はい。申し訳ありません。以後気を付けます」
被害者に向けられる痛々しいものを見るような視線に、軽蔑の視線が加わり始めた。
シャロンは落ち込んだ顔をして、今は誰の顔も見ないように過ごす。過ちを咎められて悲しんでいるシャロンはどうすべきなのかと悩みながら、ほろり、と試すように一粒だけ涙を資料に落としてみた。
「遅れてさ〜せ〜ん」
しかし、タイミングが悪かった。
無遠慮に教卓の方の扉を開けて入って来たヒューゴのせいで、笑っていないのに前を向いて、しまいには彼と目が合ってしまった。
面倒なことにならぬようにする方法がわからず、再び自然と俯く。
「さ〜せ〜んじゃありません! ヒューゴ君、アンタはいつもいつも」
「いや〜すみません。ご婦人……いや、アデルちゃんにお会いできると思ったら、俺ワクワクして昨晩寝られなくて。この後ランチとかどうっすか、俺のファム・ファタール」
「またアンタときたら! 行くわけないでしょうが! さっさと授業の準備をなさいよ。ほらほら、そこのプリント配って」
「ああああ、またフラれちまった……シャロ〜ン! やっぱ俺にはお前しかいねェ〜! ってよく見たらそこの君はシンイーちゃん! 俺を婿にどう?」
「ウエッ」
「アンタ!! 教え子たぶらかすんじゃないよ!!」
資料の束を丸めた棒で老婦人がヒューゴの頭をパコンと叩いた。
シャロンが淀ませてしまった空気を笑いで包み、ヒューゴが明るくしてしまう。もう誰もシャロンのことを見ていない。
「タワーの食堂、今日カレーが半額なんだよな」
タブレット端末やノート、筆記用具を片付ける音に紛れてぼそっと呟かれたカナタの言葉に、クライヴが小さく笑う。
「カナタはカレーが好きなの?」
「ああ、俺はカレーが大好きだ。カレーも俺を好きだろうと思っている」
「ははっ、じゃあ今日は食堂でカレーにしよう。僕もカレーは好きだよ」
すっかりカナタに懐いているクライヴの様子にシャロンは少し驚いた。
それまで止まっていた己の思考に、まだ子供だった頃のクライヴの姿が紛れて、古い映像のようなものが頭の中で再生されていく。
さらさらと風が髪を揺らすガーデン。太陽の光のように眩しい笑顔の少年が、シャロンの側にいた頃の記憶だ。
『大好きだよ』
それ以上は思い出さないように思考を止める。
なぜだか、昨日服を裂かれた時に感じた感情までもが蘇って、具合が悪くなりそうだった。
何も考えずに適当に笑みを浮かべて、アデルがホワイトボードに書き込んだ内容をプリントやノートに書き写す。
ホワイトボードの横にいるヒューゴは、講義が終わってもまだ書き写しきれてない研修生のために、急かすことなく消すのを待っていてくれた。
思考を止めても止めても、鮮明に記憶はシャロンを苦しめようと体の内側で燻り続けた。
それに蓋をし、またプリントとホワイトボードを眺め、再び蘇る感情に蓋をする。
結局シャロンは別のことを考えることにした。
焦燥しているのに自覚がないまま、これからどうするかを考える。
今日のワンピースは白色。
カレーを食べるにはそぐわない格好だが、カナタとクライヴに視線を向ける。
「わたしも、一緒について行ってもいい?」
ようやく書き終えたシャロンの言葉にカナタは笑顔で頷き、クライヴは不機嫌そうにそっぽを向いた。