10 旧市街
シャロンのインカムの位置情報にあった廃ビルから少し距離を置いた場所で、カナタたちはエリオットの率いる研修チームと合流した。
研修生は紅一点で風のシンイーと炎のウドム、そしてヒーラーのボドワン。
シンイーはシャロンとは違うタイプの美人で、シャープな印象を受ける涼しげな目で、髪は黒い。
ウドムは艶のいい暗色の肌で、カナタにも劣らぬ強靭な肉体を持つ黒豹のような男だ。彼もまた、カナタと同様に別の地域の訓練校から引き抜かれて来て、セントラルタワーの寮を借りている。
そしてボドワンは華奢なタイプだ。ふんわりとした若草色の髪はヘアワックスでセットされていて、流行のブランドのスニーカーから、彼のファッションへのこだわりが感じられる。
ヒーラーといってもヒューゴとは違い、傷の修復ではなく他人の体力や魔力の回復を早める力を持つ。
「ちょっと」
集合してすぐ、一番に声を発したのはシンイーだった。見た目通りに気が強いのだろう。ウドムとボドワンを押し退けて、身を乗り出すようにカナタやヒューゴ、そしてクライヴも順に睨み付ける。
「一体どういう状況? なんであのこが犯人に捕まってんのよ。犯人は魔法使いじゃないんでしょ?」
「ああ、本部から転送されたデータにその記述はない。恐らく容疑者は一般市民と思われる」
エリオットに返答を得たシンイーが髪と同じ黒色の眉を顰める。
常に笑顔のシャロンとは髪色も性格も正反対で、眉がぴんと吊り上がりっぱなしだ。
「じゃあ、協力者がいるか……武器とか持ってるかもしれないってこと?」
「可能性はある。だが最も可能性が高いのが、人質の存在だ。一般市民の命を最優先に考え、シャロンさんが能力を使えずにいるのかもしれない」
魔法を使いこなせるであろうシャロンが一般人を相手に、そう簡単に危害を加えられることはないはずだ。そう、カナタも初めのうちは思っていた。
だが、位置情報を知らせぬようにスマートフォンを容疑者によって奪われ、捨てられた可能性は否めない。実際、スマートフォンは生け垣の中に落ちていた。
犯人はシャロンを、何らかの力でねじ伏せた可能性がある。
すでに何かしら危害を受けているかもしれない。そう思うとひどく胸が痛み、沸々と怒りが湧き上がってくる。
落ち着かねば。こういう時こそ、ヒーローは冷静であるべきだ。
「本来なら四方からビルへ近付くのがいいと思うが、班が2つだから、挟み込むように向かおうと思う。ヒューゴはどう思う」
「研修生の単独行動にゃあ、まだ早いしな……いいぜ」
「よし、では行くぞ」
エリオットの言葉に一同は頷いた。
犯人はグループでの犯行ではなく、ごく少人数か、もしくは一人のようで、廃ビルの付近に協力者らしき人物や見張りなどはいなかった。
一人での犯行だからこそ、これまで見つからなかったのかもしれない。班は2つとも妨害もなく表口と裏口から突入し、再びビルのエントランスで合流した。
このビルは長らくの間使われず、時間が止まったままひっそりと滅びの時を待っている。
第3区にある旧市街は、再開発のために商業施設などは数年前に撤退していた。
だが今も再開発の反対を訴える住人らの抗議活動によって、まだ本格的に解体や施工は始まっていない。
このビルも立ち退きに応じない……応じる余裕のない貧困層の多く住む居住区が近いため、手付かずのまま放置されていた。
治安維持のために、この近辺でももちろんヒーローによるパトロールは行われている。だがビルなど建築物の内部は、一部を除いて所有者に管理を丸投げしている状態だ。
警察と違い、ヒーローは結局のところ戦闘訓練を受けている便利屋に過ぎない。警察の要請や所有者の許可無しに私有地や家屋に侵入することは法で禁じられている。
だからこの滅びゆく街にパトロールは行き届いておらず、麻薬の取引きや売春、暴行などの事件が度々起きる、いわば無法地帯だ。
一口に怪しい場所といえばわかりやすいかもしれないが、ここには住人が少なく、目撃者がいないに等しい。
また、立ち退きの件で警察や行政に不審を抱く住人らの協力を得られるとは到底考えられない。
この広い旧市街の建物を、毎日一軒一軒すべて見て回ることはほぼ不可能だ。
例え連続殺人犯がこのどこかにいるとしても、ここにはごろつきだけではなく警察や政界関係者にパイプを持つ悪党も身を隠している。彼らを刺激するわけにはいかないと、警察は総動員での大規模捜査を避けている。
だから、実のところシャロンが位置情報の発信機を拠点に持ち込んだことは、まさに大手柄なのである。
実際、一連の拉致監禁事件で拠点の可能性があるとしてこの旧市街があげられていたものの、ここ数日で見つかったものは浮浪者の遺体、違法ドラッグの取引現場と、直接この事件と関係ないものだけだった。
しかし、だからといって、囮捜査は褒められたことではない。
彼女はまだ研修生の身であり、教官であるヒューゴの命令も無いのに、勝手な行動でその身を危険に晒しているのだ。
そのためなのか、ヒューゴの顔はこれまでに見たことがないほどに冷たい。妙な威圧感のようなものさえ感じさせる彼の表情に、カナタも息がつまる。
時々、シンイーにだけ見せるいつものようなデレッとした態度だけが、彼がヒューゴであることを示しているように思えた。
カナタはシャロンを『良い子』だと思う。
これまでシャロンと何度も会話をしたが、彼女の口から、たとえ冗談であっても他人を貶したり、見下したりというような、悪意のある発言が出たことがない。
クライヴがあれほど顔に嫌悪感を出し口汚く罵っても、それに言い返したり、誰かを味方につけてやり返そうともしない。それどころか、いつも柔らかい笑みを浮かべて痛烈な言葉を受け止めていた。
シャロンは、異常なほど我慢強い女性なのかもしれない。
しかしヒューゴまでもが彼女を嫌ってそれを態度に出してしまったら、今度こそシャロンが壊れてしまうのではないかと不安に思う。
カナタにとってシャロンは、か弱くて可愛らしい人だ。守ってやらねば消えてしまいそうな、雪の結晶のような人だと思っている。
ヒーローは私情を表に出してはならない。
常に笑顔で、正義のために生きるものがヒーローなのだ。誰に対しても平等に誠実でなければならない。
だが、カナタの中にあるシャロンへの庇護欲は、他の市民や仲間たちへ抱くものと、はっきりと異なっている。
カナタにとって、シャロンは特別な存在だ。
初めは浅はかにもその外見を理由に惚れてしまったのだが、よく人を褒める言葉を口にしたり、誰にでも気さくで話しやすかったり、声や仕草の綺麗なところも好きだ。そしてどことなく影を感じるような、危うい雰囲気にも惹かれている。
女好きのヒューゴに関してはわからないが、おそらくクライヴにとっても、シャロンは特別は存在だろう。
カナタは改めて、決意を胸に強い眼差しで先へと進む。
ヒーローとしてはまだ未熟かもしれないが、シャロンのことを守ることに関して、誰かに負けたりはしたくない。
誰かに負けぬように学び、鍛えたい。誰よりも強いヒーローになりたい。そう思った。




