76.色色②
携帯が大きな音で着信を知らせる。そこでやっと、自分たちが台風が直撃している中、外にいるという現実を思い出した。
「も、もしもし! 見つかった、見つかったよ!」
白石さんに『待って』と言ってから電話に出ると、余裕のない調子で話す姉の声が届いた。俺以外の捜索に出ている人は誰も、白石さんが見つかったという事実を知らないのだから仕方がない。
「無事だけど、すごく寒そう。戸松原の、どこだろ。なんか木がたくさん生えてる大きい公園の中……あ、うんタクシー会社も見えるよ」
大体の場所を把握出来たのか、迎えに来ると言って姉は早々に電話を切った。恐らく、すぐに他の2人にも連絡が行くだろう。
連絡役を担っていた姉は、自宅で俺や良樹、那珂さんの状況把握に務めていたのだ。
ミィ
子猫は完全に靴の中から体を出して、白石さんの手に頭を擦りつけている。彼女はそれに、優しく応じていた。俺は子猫を驚かせないよう、優しく彼女の肩を叩く。
『ねこ、どうしたの』
「驚くことに、上から降ってきてね」
「上から降ってきて……?」
そんなことがあるのだろうかと、自分の耳を疑う。しかし、こんな状況で彼女が嘘を吐くとも思えない為、事実なのだろう。
もしかしたら自分で木に登って、下りられなくなったとか。台風の風で枝が揺れって落ちたとか、そんな感じなのかもしれない。多分。子猫が大きな木に自分で登れるかは、ちょっと分からないけど。
「それでね、私の頭の上に落ちてきたんだけど、この子、怪我とかないかな?」
子猫を手のひらに乗せて、こちらへ差し出されるが、生憎の視界と薄暗さによく見えなかった。元気に動き回っている姿を見るに、怪我はなさそうだが、あとで車の中で確認してみよう。
『あとで、見る』
「あ、そっか。もう結構暗いんだよね」
彼女の手は変わらず冷たいのに、その態度は寒さを全く感じさせない。長時間、外に居過ぎて感覚が麻痺しているのだとしたら、早く温かい場所へ移してあげたい。
俺は、彼女の手と子猫を手で包み込みながら、迎えの到着を待った。
◇ ◇ ◇
結論から言うと、白石さんは風邪を引いた。これは当然だと思う。しかし、なぜ俺まで風邪を引いているのか。見飽きた自室の天井を睨みながら、大きく溜息を吐き出した。
確かに雨には濡れたし、温まらないで部屋に籠った上に、追い雨をしたのは事実だ。だからと言って一週間も寝込むつもりは毛頭なかったのだ。
「那津、大丈夫?」
「もう全然平気、熱も下がったよ」
ノックの後に、部屋の外から姉の声が聞こえた。随分体も軽くなったため、ベッドから起き上がると、正午を過ぎた時計が目に入る。ガチャリと扉が開いた。
「顔色も良さそうだね。下でお昼食べる?」
「食べる」
先に下へ下りて行った姉を見送り、ベッドから出る。そこで、机の上にあった携帯がピカピカと点滅してるのが目に入った。オフにしていた着信音をオンにして、メールの相手を確認すると案の定、那珂さんだった。
「えーっと……白石さんも風邪、よくなったんだ」
白石さんの近況報告と、元気になったら近々、会おうというお誘いだ。向こうが大丈夫なら、今日にでも会えないだろうか。
あの日以来、お互い体調を崩して会えなかったため、俺はちゃんと彼女へ謝罪ができていない。だから、早く会って謝りたいのだ。彼女にだけ謝らせたままだし。
「誤解を解くのは、早い方がいいし」
黙っていて拗れても何もいいことがないという事は、痛いほど身に染みている。白石さんに限っては、優しいから誤解した所で、そのまま受け入れてしまいそうで逆に怖い。
「那津ー?」
「あ、すぐ行くー!」
携帯を片手に、急いで1階へ下りて、俺は姉さんと昼ご飯を食べた。久し振りにおかゆじゃない味の濃いご飯を、噛みしめながら昼食を終えたのだった。
食べ終えてから気付いたが、珍しく良樹が来ていなかった気がする。夏休みに入ってから、しつこいくらい毎日来ていたというのに、どうしたのだろうか。
「まぁ、そういうこともあるか」
「どうしたの?」
「いや。じゃ、行ってきます」
「全く慌ただしいわね。行ってらっしゃい、気を付けて」
という事で、俺は那珂さんと待ち合わせをしている、いつもの公園へと向かう。天気は晴れ。雲一つない空は、青々としていて眩しいほどだ。台風が過ぎて、本格的な夏が始まったなという感じだった。
炎天下の下を一生懸命に自転車を漕ぎ、汗を垂らしながらも公園へと到着した。いつもの場所に車は駐車してあったが、よくみると運転席にも人がいないようだ。
「なつくん」
「うわぁ!」
視線を車の方へ向けながら、その近くに自転車を停車させていると、後ろから声をかけられた。あまりの驚きに、自転車を抱き寄せる。
「あはは、驚きすぎだよ」
声の方を見れば、那珂さんが楽しそうに笑みを浮かべていた。俺は、知っている人だったことに深く安堵して、息を吐き出す。
「勘弁してくださいよ」
「ごめんごめん。まさか、そんなに驚くとは」
確かに真昼間に、驚きすぎだと思うかもしれないが、お化けが昼には出ないなんて一体どんな根拠があって言っているのか、俺は問いたい。呪いに昼も夜も関係ないのだ。
「いや、別にお化けが怖いわけじゃないですけどね?」
「お化け怖いんだ?」
「あ、いや、そう言えば白石さんは?」
俺は、興味深そうにこちらを眺める、彼の視線から逃げて話題の転換を図る。彼は、しばしこちらをジッと見つめてから「まず」と話し始める。
「僕、まだ妹を雨の中に取り残したことに対しての謝罪を聞いてないんだけど?」
俺は思わず、あ、と声を漏らした。
そう言えば、そのことについて話そうと先週言われたけど、白石さんが行方不明になったことで、予定がなくなっていたっけ。
台風の中で彼女を見つけた時も、迎えにきてくれた那珂さんと、そういう話をする余裕もなかった。決して忘れていたとか、そんなんじゃない。ことここに至るまで、その機会に恵まれなかっただけだ。
「あ、あの。その節は、えっと本当にすみませんでした!」
勢いよく頭を下げて、そのままの体勢で那珂さんの反応を待つ。しかし、一向に何かを言う気配はなく、蝉の鳴き声だけが公園に響いていた。
正直、ずっと腰を折っているのは辛い。やってみれば分かるが、重力に反抗している感が半端ないのだ。
「なつくん、ありがとう」
「え?」
突然のお礼に困惑して顔を上げれば、彼は俺の前で深く頭を下げた。
「妹を見つけてくれて、ありがとう。僕もお礼を言ってなかったから」
顔を上げた彼は、優しい笑みを浮かべていた。どことなく白石さんと似ている雰囲気に、俺も笑みをこぼす。
「俺、色々あって白石さんとも少し距離を取ってたんです。でも今は、少しずつ寄り添って行けたらって思ってます」
「うん、よろしくね」
那珂さんは嬉しそうにはにかんだ。助けてほしいと、必死に言っていた彼は、俺の申し出にどう思ったかは分からない。ただ、悪い印象ではなかったと、それだけは確かだった。
白石さんの横へ腰を下ろして、公園を眺める。那珂さんは車の中へと戻っていた。
相変わらず天気のいい空の下には、子供の姿はほとんど見当たらない。こんなに暑い日は、クーラーのついた家でゲームをする方がいいと俺も思うから、仕方がない。
「黒岩君?」
温い風が頬を撫でれば、まだ肩を叩いていないのに白石さんが、こちらを向いていた。たまに彼女は驚くほどの索敵力を見せる。
『〇』
「こんにちは。黒岩君の匂いがしたから、そうかなって」
「俺の匂いって何?」
慌てて自分の匂いを嗅ぐが、イマイチよくわからない。汗臭い以外の感想が浮かばないのだが、俺は年中汗臭いのだろうか。それは良くない。だが、彼女に「どんな匂い?」と聞いて、「汗」なんて言われた日には、俺は外を歩けなくなってしまうだろう。
「あ、臭いって意味じゃないよ? 柔軟剤かな、いつも良い匂いがするから」
「良かった」
胸を撫でおろし、家にいるであろう姉に感謝の念を送る。柔軟剤は姉の好みのものを使っており、俺は興味を示したことがない。洗剤で汚れが取れれば十分だろうと思っているタイプだ。
「いやいや、それより」
今日はまず謝罪をしにきたのだ。白石さんに癒されるのはもう少し後にしなくては、また言い出せなくなってしまう上に、また不意に彼女からの謝罪がありそうだ。
俺は背筋を伸ばして、彼女の手を取る。そして、謝ろうと言葉を考えるが、どう伝えればいいのか分からなくなった。
「どうかした?」
優しく問いかけてくれる彼女は、俺を急かす意図はなく、俺も急かされているとは思わない。彼女はいつでも優しいのだ。俺が何を言っても、何をしても怒らないし、いつも穏やかに見守ってくれる。
『あやまりたい』
「誰に?」
『S』
「私?」
彼女の言葉を肯定すると、一瞬驚いた様子で首を傾げていたが、すぐに体をこちらに向けて向かい合う体勢で俺を見つめた。それは、ちゃんと聞くよと言われているようで、なんだか泣きそうになった。
そりゃ風邪引くよ(セルフ突っ込み)
最近思うんですよ、白石さんってもしかして天然なんじゃないかって。
私の友人に天然記念物の子がいるんですけど、私の鞄に着いてるモフモフしてるキーホルダーなんかを、知らないうちにモフモフしてたりするんです。
私はそれを眺めて「うんうん、気持ちええな?」って親目線で眺めてます。
次回は(多分)最終回です。
11月9日22時更新予定です。
よろしくお願いします!