74.壊色④
窓に打ち付ける雨は相変わらず止まない。昨日の夜は散々だった。
一体どれだけの時間、お説教をくらっていたか分からない。しかし、正座していた足が痺れるを通り越して痛覚無効になったくらいの長さだったことは分かる。
それでも反論しなかったお陰で短くすんだと言っても過言ではないだろう。というか、反論しようとしたら物凄い眼力で睨まれて、反論できなかっただけなのだけど。
「いやまじで、姉さんに言い返せてた自分がすごいな。勇敢すぎる」
「蛮勇の間違いだろ」
「煩い」
テーブルで、まったりとお茶を飲んでいる良樹へ言い返しながら、俺は卵焼きが焦げないように火加減を調整する。そして、炊飯器が出来上がりを知らせる。
「おはよぉ、2人とも」
「おはよう」
ポケ〇ンのイラストを胸にかたどる、シンプルなパジャマに身を包んだ姉が欠伸をしながらリビングへとやってきた。短い髪の毛は、寝ぐせで所々が跳ね上がっている。
「おはよう姉さん、、もう少し寝てればいいのに」
「良い匂いがしたから、起きてきちゃった」
眠たげに笑う姉は、そのままソファーに腰を下ろした。その頭は前後にカクカク揺れているが、本当にまだ寝ていなくて大丈夫なのだろうか。
「雪那さん、コーヒー飲む?」
「こぉひぃ? 飲むのむ」
姉の返事を聞いて、良樹が自分の使っていたコップを持って立ち上がる。卵焼きを盛り付け、小松菜の煮びたしを作っている俺の後ろで、彼は棚からインスタントコーヒーを2つ取り出した。
「俺には聞かないのか」
「お前は飲めないだろ」
鼻で笑う良樹に、何も言い返せないことが悔しい。
彼は俺の気なんて知らずに、お湯を沸かすためにヤカンを置いてコンロに火をつける。
「てかお前、帰らなくていいのかよ」
「連絡は入れてるし、どうせ父さんは明日まで帰ってこないからな」
それは、今日も泊まると言うことだろうか。別にいいんだけど。
「それなら、いいけど」
グツグツと煮えてきた鍋の火を消し、食器棚からお皿を3つ出して煮びたしも盛り付ける。出来上がった卵焼き共々をテーブルへ運び、最後に味噌汁の味見をしたら朝食の完成だ。
「姉さん、ご飯できたよ」
台所で味噌汁をよそいながら、姉へ声をかけるが反応はない。恐らく座ったまま二度寝しているのだろう。こんな風に寝ぼけている姿を見るのは随分久し振りな気がする。
ヤカンが甲高い音を出した瞬間に、コンロの前で待機していた良樹が火を消す。コップに注がれるお湯は、熱そうにモクモクと湯気を上げていた。
「匂いはいいのになぁ、コーヒー」
「牛乳と砂糖があれば飲めるだろ」
「そうだけど」
すごく馬鹿にされている気がしたが、気のせいだろうか。
良樹は、コーヒーを持ってソファーの方へと向かった。そして、ソファーテーブルの方へコップを置いて、姉さんの顔を覗き込む。
「完全に寝てるわ」
「だろうね。どうしよう、寝かせておいた方がいいかな」
3人分を準備した朝食は既にテーブルに並んでいるのだが、こんなに疲れているのなら寝かせておいた方がいいかもしれない。
「起こさなかったら起こさなかったで、文句言われそうな気もするけど」
「……確かに」
「雪那さん、おーい」
良樹は姉の足元にしゃがみ込み、顔を覗き込みながら肩を揺らす。俺はそれを横目に麦茶をコップに注いで、席へと先に座った。
「うぅん……うわぁ!」
「ゴホッ、うぇ。何?」
突然の叫び声に驚き、一気に煽った麦茶が気管へ侵入した。俺は止まらない咳を、残った麦茶で喉を潤しながら涙目で2人を見る。
「ご、ごめん那津。良樹君、なんか、えっと……何でもないわ」
視線を彷徨わせて、明らかに挙動不審な姉に首を傾げる。何でもないことなさそうだが、良樹が変な起こし方したようにも見えなかったのだが、何が起こったと言うのか。
「鼓膜破けるかと思った」
「そ、それは本当にごめん」
「別に、いいけどね。覚えてるなら」
フッと笑みを零した良樹はテーブルに置いたコーヒーを持ち直して、こちらの方へ持ってきた。その顔はなんだか満足げだ。そして姉は、一歩も動く気配がない。
「姉さん、まだ寝ぼけてる?」
「へ? あぁ大丈夫。ご飯よね、食べよう食べよう」
良樹は俺の隣に座り、姉さんはバタバタと俺の向かい側へ座った。様子が可笑しいが、顔色もいいし体調が悪いわけではなさそうだ。
寧ろ、俺の方が風邪を引きそうでドキドキしている。せめて今日まで乗り切ってから、風邪を引いてほしい。俺は喉の痛みを感じながら、朝ご飯をみんなで食べたのだった。
◇ ◇ ◇
昼を過ぎた。約束の時間までもう少しだが、気が重い。隣でゲームをしている親友と、姉が羨ましくて仕方がない。俺も一緒にしてるんだけど。
2人を見ていると、良樹が顔を上げたため目が合った。その瞬間、彼は時計を見る。
「そう言えば、もうそろそろ行かないとじゃん」
人を揶揄う時の笑みで言う良樹は、今から俺に待ち受けている現実を面白がっているのだろう。昨日のあの優しいイケメンはどこに行ってしまったのか。
「え、どこか行くの?」
「ちょっと白石さん公園に」
「夕方から天気が崩れるんだから家に居なさいよ」
「そんなに?」
姉がゲームから目を離し、眉間にシワを寄せて行かせたくなさそうな顔で言う。俺が雨の時に出かけないで欲しいと頼むことはあるが、姉が止めるのは台風の時ぐらいだ。
「だから、ほら。台風が当たるから」
言い辛そうに、そう言葉にした姿を見て俺は思わず苦笑する。
昨日は、お互いの思っていることを話した。それはみんなが俺に気を遣って避けていた言葉や、前に捨てたテレビのこととかだ。
正直、未だに事故とか台風とか聞くとドキッとしてしまう。でも、それは近くに姉さんや良樹がいないときだけで、目の届く範囲にいればそこまで動揺しないのだ。
「テレビがないと、不便だね。天気予報とか見れないし」
「この家の人間、2人揃ってガラケーだし尚更だろうな」
俺の言葉に、良樹が続ける。彼の言う通り、ガラケーも便利ではあるがスマホに比べると不便なこともある。それは良樹のスマホを触ってみて感じたことだ。
「スマホは高いんだよ」
「テレビも高いだろ」
「はいはい静かに。どっちも中古なら買えないこともないと思うけど、その話はまた今度ね」
パンパンと叩かれた手の音で、俺たちの言い合いは一先ず止まる。
「台風ってもう来るの?」
窓の外は雨が降っており、庭の草が風で揺れていた。まだ台風だと言うほど風は強くなさそうだ。それに、那珂さんが天気を知らずに約束を取り付けるとは思えない。
「夜には本格的になるみたいだけど、今のうちから対策しておかないと」
「そっか。じゃあ、今日は家にいようかな」
白石さんにはすぐにでも謝りたい。しかし、その手段がない俺は彼女に直接会いに行くしかない。ただ、今日は難しいということは那珂さんも分かってくれるだろう。
俺は、床に置いていた携帯を取って那珂さんの名前を電話帳の中から探す。すると、丁度探していた本人から電話が来た。
「もしもし」
[なつ君! 那津を見てない!?]
すすり泣く声と、切迫した声が電話口から聞こえた。あまりの大きな声に、思わず携帯を耳から離すと、近くにいた2人も怪訝そうに俺を見る。
「いや、ずっと家にいたので……白石さん、いなくなったんですか?」
[ちょっと色々あって、俺も今実家に来たんだけど]
那珂さんの話では、恐らく母親が白石さんを連れて外出をした。その後、母親は帰宅したが、一緒にいたはずの白石さんが居なくなっており、玄関で泣き崩れていたところを那珂さんが発見した。ということだった。
とりあえず、不審な点がいくつかありますね(探偵風)
「車で出かけたわけではないんですよね?」
[この人、免許持ってないから]
[那津、どこに行ったの……なんで私ばっかり!!]
電話の向こうで悲しむ声と、叫び声が交互に聞こえてきた。それに困惑していると、扉を開ける音が聞こえた後、静かになる。
[煩くてごめんね。ただ、あの人があの状態だから詳しい場所が分からなくて……多分、朝からいないみたいだし、傘も持ってないかもしれなくて]
「朝からって……短くても3時間は雨に打たれてるってことじゃない!」
携帯をスピーカーにしていたため、隣で聞いていた姉が険しい表情で絶句する。良樹は何も言わないが、難しい顔をしていた。
心臓がバクバクと言っている。あまりの早さに、口から出てきそうだ。探さないと、という気持ちと台風だから、というストップをかけてしまう自分が争う。
[僕も今から探してみるけど、警察には頼めなくて……なつ君、一緒に探してほしい]
妹を助けてほしいと言った、那珂さんのことを思い出す。あの時は拒否反応が出てしまって、冷たく突き放した。でも今は、
「那津、昨日の夜に言ったこと覚えてる?」
悩む俺の手を姉さんが握りしめる。
〝もう一人で苦しまないでよ、那津。私は、あんたのお姉ちゃんなんだから″
「姉ちゃん俺、行きたい。けど、」
俺の言葉に、姉は満面の笑みを浮かべて乱雑に頭を撫でた。
「それでこそ我が弟ってね。よし、手分けして探そう」
姉は俺から電話を奪い取り、那珂さんとエリア別で探そうと言って相談をしていた。やはり頼りになるし、俺の姉は誰よりも格好いい。すると、良樹が俺の頭に肘を乗せてきた。
「雨具、いくつある?」
「4つ、だけど。肘乗せるな」
雨は次第に強くなる中で俺たちは、それぞれ捜索をするための準備をして白石さんを探し始めたのだった。
一話飛ばして投稿していることに気づいた人が通りますよっと。
まことに申し訳ございませんでした……最終話着前でこの失態……気が付いただけ良かったですが。
次回はすでに投稿済みですので、よろしくお願いします!