68.呈色
――澤北良樹side
車のドアを閉めれば、何か言葉を交わすこともなく車は去って行った。一向に止む気配のない雨を見上げて、さしていた傘を持ち直す。
すると、公園から黄色い傘が出てくるのが見えた。顔は隠れていて見えなかったが、女の人ということだけは分かる。
「まぁ、いっか」
そんなことよりも、早く那津の元へ行かないといけないだろう。俺はベンチに座る友人の姿を確認して、足を進めた。
―――……
つい先ほど那津が走り去ってから、俺は状況を知らない白石さんや、その兄へどう説明したものかと頭を悩ませていた。
取り敢えず佐竹は、余計な言葉を吐き出す前に早々に帰ってもらい、残った2人に対面する。
「今のは」
「まぁ色々あって。とりあえず那津を追いかけるんで、2人は帰っても」
「外は大雨だよ、徒歩で人探しは難しいと思うけど」
来るときも相当降っていたし、今日は1日ずっと雨予報だったため彼の言うことも一理ある。しかし2人がいたところで何か変わる訳ではないし、出来ればいてほしくない。
「それに、当てはあるのかな?」
少し思案していると、続けて言われた。
当てがないわけではないが、絶対いるとも言えない。
昔から基本家でゲームばかりしており、2人で集まる公園や秘密基地なんて存在しないのだ。今の状況で真っすぐ家に帰っているとも限らないし、考えている場所を徒歩で探し回れば陽が暮れてしまうのは確かかもしれない。
「自信はないけど、いくつか」
「それなら僕の車で回ってみよう。それ以上は何も聞かないで帰るよ」
ニコリと胡散臭い笑顔を浮かべた那珂さんに、横で困惑した様子の白石さんを交互に見つめて息を吐き出す。
「じゃあ、お願いします」
そして彼は急いで車を取りに戻り、入口で待っている間に白石さんへ『なつが逃げた』という事だけを伝えた。そして、見事に俺の心当たりが全て外れたわけだ。
………――
一応、白石さんも当てがないかを聞いており、その時に言っていたのが〝いつもの公園″というわけだ。自信はなさそうだったが、最終的にここに来たら居たため、俺だけ降りて2人は帰って行ったのだった。
「おい」
声をかけると、ビクリと肩を震わせる。反応は鈍いが、声は聞こえているようで安心する。塞ぎこんでいた時はいくら声をかけても反応がなかったから。
顔を上げた那津は目を大きく見開き、泣きそうな顔でこちらを見た。
「なん、でここが」
「白石さん、もしかしたらここにいるかもって」
「……そっか」
それだけ言って顔を伏せ、何も言わなくなったため俺もその横に腰を下ろした。雨のせいで湿ったベンチは、じわじわとズボンを浸食していく。
「先に言っとくけど」
しばらくお互い口を噤んでいたが、俺が先に声を発する。
「何?」
「佐竹と連絡取ってた」
「……うん」
正直、悪いことをしたとは思っていないが、なんとなく罪悪感はあった。ただ、結果が分かっていたとしても俺から佐竹の話を目の前の友人にすることは何があっても、なかっただろうとは思う。
「会いたくないなら、会わなくてもいいと思うけど」
「気、遣ってんの?」
「面倒なだけ」
佐竹を見て、昔のことを思い出したのは俺も同じだった。だからこそ、那津に思い出すなと言う方が無理な話だろう。
一応、雪那さんに連絡はしたが仕事中で気付くまでに、もう少し時間があるはずだ。
「もう少し、待ってほしい」
「待つも何も、別に会う必要はないんだし好きにしろよ」
「ごめん」
そうは言っても、なぜ俺がこんな面倒な役回りをしなければいけないのか、とも思うわけだ。昔だったら絶対放置していただろう。
隣を見ると、相変わらず下を向く姿が目に入った。面倒だと吐きたくなる溜息を最小限に留めて、那津の足を蹴ると恨めしそうにこちらを見る目と、目が合う。
「謝るな、うざい」
「でも」
「うるせぇハゲ」
「ハゲっ……まだ禿げてないし」
見た感じだと全く禿げてはいない。しかし当人はどうやら気にしていたようで、あからさまに眉を寄せた。
「お前、昔から抜け毛ヤバかったよな」
「おま、それは禁句だとあれほど」
昔から、お互いの家で遊ぶことが多かったせいで部屋にある抜け毛の話は、よくしていた。
主にどちらの抜け毛かという話題なのだが、俺の毛は細く柔らかいのに対し、那津は直毛であったため、一目瞭然だったわけだけど。
「大丈夫だって、あと20年くらいは」
「30代でハゲは嫌なんだけど!」
「おー、計算が早かったですねー」
「馬鹿にしやがって……!!」
「まぁ、毛がないくらい気にするほどのことでもないって」
「それは……人によるだろ……」
力が抜けた様に項垂れた背中には、先程の辛気臭い雰囲気はなくなっていた。俺はそのまま屋根の外へ目を向ける。厚い雲は未だにかかっているが雨は上がっているようだ。
「また降り出す前に帰るぞ」
「えぇ」
「お腹空いた、早く」
嫌そうな空気を出す那津に構わず、立ち上がる。苦言を呈しても着いては来るようで、その気配を感じながら先を歩いたのだった。
◇ ◇ ◇
「た、ただいまぁ」
なんとも頼りない声で玄関に座り込む那津を横目に、傘を立てかけて肩に付いた雨粒を払う。家につく直前だったこともあり、思っていたより濡れてはいないようだ。
ふと視線を感じたため、その視線の主であろう人物に目を向ければ、ジト目でこちらを見ていた。
「なんだよ」
「いや、これが水も滴るなんとやらってやつかなぁと」
「滴ったところで寒いだけだろ」
「そうじゃない」
やれやれと、肩を竦める友人を無視して遠慮なく洗面所の方へ向かい、タオルを2枚拝借する。洗面台に付属している鏡で自身を見れば、長い髪からは雫が滴っていた。そして、後ろからやってきた那津に向かってタオルを投げる。
「ぶへっ」
「鳴き声が特殊すぎんだろ」
思わず吹き出せば、やり返しだと言わんばかりに後ろから羽交い絞めにしようとしてきたため、反射的にスルッと抜け出し、そのまま掴んだ腕を捻ると那津はゆっくりと倒れた。
「……サラっといなすな」
「悪い。変質やかと思って、つい」
「お前みたいなの、誰も襲わないだろうよ」
手を離すと、呆れたように溜息を吐き出して立ち上がった。どうやら報復は諦めたようで、那津は大人しくタオルを持って部屋へと向かう。俺もその後に続こうと歩を進めた時、玄関の扉が勢いよく開いた。
「那津!」
「うへぇい! ね、姉さん、どうしたの?」
リビングのドアに手を掛けた状態で目を見開く視線の先には、頭からびしょ濡れで息を切らす雪那さんの姿があった。開かれたドアの向こうは、バケツをひっくり返したかのような土砂降りだ。
いくら駐車場から玄関までだからと言って、傘もささずに帰ってくるとは。急いでいる時の行動が、似たもの兄妹というか、何と言うか。
「へ? あぁ、えっと」
「雪那さん、おかえり。取り敢えず拭かないと風邪引くよ」
「そ、そうね。ありがとう」
那津の顔を見て棒立ちになっている雪那さんへ、洗面台に行き、新しいタオルを持ってきて渡す。
そして、驚いて目が点になったまま立ち止まっている那津の代わりにリビングのドアを開いた。
「那津も、今日は夕食当番なんだろ、早く作れよ」
「何1人だけ休もうとしてんだよ、お前も手伝うんだよ」
我に返ったのか、ちゃっかりダラダラゲームでもしようと考えていたのに、それは許してもらえなかった。
「俺は客だぞ」
「都合の良いときだけ客面するんじゃない」
「俺、トイレ」
「はぁ? 早くしろよ、全く」
鼻を鳴らしながらも先へリビングに消えていく背中を見送り、ドアが閉まったのを確認して雪那さんへ向き直る。その顔は唖然としており、状況を飲み込めていないようだ。
十中八九、俺が送ったメッセージのせいだろうけど。
「取り敢えず、今は落ち着いてるから」
「……ありがとう、良樹君」
安堵の表情を浮かべて、彼女はその場にへたり込んだ。相当気を張っていたらしい。
一応、こっちで対処するから心配しないでとは伝えていたが、心配で急いで帰ってきたのだろう。仕事用の靴には泥がたくさん跳ねていた。
「いや、雪那さんにも佐竹のこと相談しなかった俺も悪いし」
「偶然だったんでしょ、良樹君は悪くないわよ。もちろん誰も、ね」
穏やかに笑みを浮かべた雪那さんに、バツが悪くなって顔を反らす。しかし、腰が抜けて立てなくなったようで、「手を引っ張ってほしい」と申し訳なさそうに頼まれたため、指先まで冷えていた彼女の手を引っ張った。
「良樹ぃ! 大か、それとも小か!?」
雪那さんを立ち上がらせたところで、リビングから声が叫ばれる。ちょっとも待てない友人に、呆れて首を振った。
「大」
「嘘つけ!」
どうして嘘だと思ったのかを聞きたいが、これ以上待たせれば更に煩くなるだろう。俺は溜息を吐き出して、リビングのドアへと手をかける。
「雪那さんはお風呂入ってきなよ」
「そうさせてもらおうかな
ドアを開ける前に振り返って伝えれば、雪那さんは苦笑しながらも手をヒラヒラと振っていた。
台所には既に人参と玉ねぎ、じゃが芋と肉が並べてある。これだけで何を作るのか大体は察しがつくが、更に取り出されたカレールーを見て、結論が出た。
さて、面倒なことは後回しにしてパパっと作って夕飯としよう。腹が減っては戦はできぬと言うし。
黒岩君と良樹君の掛け合いは地味に好きです。遠慮のない言い合いにホッコリします。ただ、良樹君は現実にいたら、私はきっと遠目から眺めるだけに留めると思います。私はリビングのドアになる。
寒くなってきましたので、風邪にはお気をつけ下さいね。
次回は10月9日22時更新予定です。
よろしくお願いします。