7.旗色③
なんとなく松葉杖を壁に立てかけて怪我している足で床を軽く踏みしめてみた。軽い痛みを感じる。でもそれだけだ。もう少し強く踏み出してたら、このまま歩き出せるかもしれないと思った。
「何してんの」
聞き覚えのある声に、思わず思いっきり床を踏みしめると激痛が足を駆け巡った。思わずそのままへたり込む。
「いったー!」
「え、まじで何してんの」
涙目で後ろを振り返ると、見覚えのある学生服の男がスクールバックを片手にドン引きした目でこちらを見て立っていた。
「お前が声かけるから!」
「お前しばらく見ないうちにクソみたいな顔に進化したな」
「それ久し振りの親友に言う台詞なの!?」
そこには180cm近くある高身長でスラっとした見た目、そして最後に見た時よりも伸びている髪の毛は綺麗に整えられており、長めの前髪を右に流している、腹が立つくらい顔立ち良好な男がいた。しかしそんな彼にも欠点がある。
「あ、元からそんな顔だったけ」
そう、こいつ澤北良樹は口が悪い。
「忘れたんか、俺の顔を」
「てかマジ何してんだよ、立てるか」
良樹は壁に立てかけていた松葉杖を片手で持ち、俺を立ち上がらせてくれる。それに甘えて立ち上がれば足はズキズキと脈打った。片手を良樹に支えてもらい、空いた方の手は未だに包帯を巻いているものの、ほぼ完治しており痛みはない為、壁伝いにある手すりを軽くつかんで歩き出す。
「ごめん、ちょっと行けると思ったんだよ」
「馬鹿は風邪ひかないって言うしな」
「……遠回しに馬鹿にしてんのか」
「ストレートに馬鹿にしてんだよ」
思わず振り返りジト目で見つめるも、それを意に介していないのか、彼は相変わらずの無表情で隣を歩いている。これもいつものことであるし、俺たちは数年来の付き合いで慣れているのだ。
しかしなんで、こんなやつがモテるのか、世の中分からない事ばかりである。
良樹は慣れた手つきで俺の病室まで来ると、戸を開けてくれた。そんな姿を見て、こういうところが女子の心を射止めるのだろうと、理解はできるのだ。納得はできないけれど。
「てか、なんで病室知ってんだよ」
「てか、これ今日までに溜まってる宿題な」
「……は?」
ベッドに座った瞬間、目の前の机に大量の紙の束を乗せられる。一体何枚あるのかなんて怖くて確認はできないが、十枚以上あるということだけは分かった。良樹の顔を凝視すれば、すでに興味がなくなったのか帰り支度を始めている。
「待て待て待て、お願い待って。これ全部俺の?嘘だろ」
「一か月以上休んでてこれだけって少ない方だろ」
「休んでたら授業受けてないの、分かるわけないじゃん」
「安心しろ、中学の復習だから」
「やったね、すっごい」
なんだか涙が出てきそうだ。
俺が絶望に暮れていると、良樹はスクールバックを床に置き、近くにあった椅子を近くに引寄せて腰を下ろした。そして大きな溜息を吐く。
「それが久し振りに会った友達に対する態度か」
「俺は帰りたいんだよ」
その瞳は早く帰宅して家でゆっくりゲームをしたいと物語っており、一ヶ月ほど会っていなかったとは思えないほど、普段通りだった。つまり俺が言いたいのは、この入院期間に彼がお見舞いに一度も来ていないという事なのだが。
「お見舞いしてくれ」
「誰を見舞う必要があるんだよ」
「俺だよ」
「明後日退院だろ」
こいつは一体何を言ているのか、俺の思考は停止した。あ、今日の夕飯なんだろな。
良樹は動揺する俺を一瞬、訝しげに見たがすぐに状況を理解したのか、憐みの目を向けてくる。
確かに最近は手の方も調子は良かったし、松葉杖さえあれば自分でどこにでも行けるくらいには回復していた。個人的にはそろそろ退院してもいいんじゃないかな、なんて考えたりもしたけれど、まさかこんな突然に決まるとは思わないではないか。これは普通なのか、一週間前に教えてくれたりするものじゃないのか。いや、それよりも
「それ誰に聞いたんだよ」
「お前の姉さん」
「だと思った!」
頭を抱えたくなる衝動を抑え、深く項垂れる。俺の姉は控えめに言ってサプライズ大好き人間なのだ。しかもその内容は時と場合を選ばない。それも弟に限って。
どうせまた「サプラーイズ!」とか言い出すんだよあの人、てか今日ケーキ持ってきたのはそういう事か!
「ちなみに俺は先週聞いた」
「本人より先に知ってるってなんなん」
「学校ダルいよなぁ、分かる」
「まず宿題終わる気がしないんだけど」
ベッドの上の机に積まれた紙の束を捲ってぼやく。どの用紙も白く、その上に文字の羅列がびっしりと並んでいた。枚数的にも多いが、もしかしたら内容的にも多いのかもしれないことに気づいてしまった。つまり絶望、ということだ。
「頑張れ」
「感情込めて言ってもらっても?」
「込めたらいいのかよ」
「遠慮しとくわ」
大きな溜息を吐けば、横にいる友人は地面に置いた鞄の中身を漁り始めた。もしかして宿題を写させてくれるのかと期待したが、取り出したものを見て絶句する。
「ゲームかよ」
当たり前のように取り出された携帯ゲーム機に、俺は思わず恨めしい気持ちを込めた視線を送る。なぜなら自分ができる今日のゲーム時間というものはとっくの昔に終わっているからだ。
すぐ横の引き出しに俺のゲーム機があるというのに、なぜこんなにも遠く感じるんだ。
「やらねぇの?」
「やりたいです」
「姉さんには黙っててやるから」
「いや、俺はいいから一人で狩りに行けよ」
ジト目で彼を見つめれば、諦めたのか入れたばかりの電源を落としてゲーム機を鞄へとしまった。その行動は決して間違ってはいないはずだ、なぜなら彼はお見舞いに来ているのだから。
お見舞い中に一人だけゲームをするなんて、そんなこと許されるはずがない。お見舞いされてる側が横目で見ているだけなんて、そんなこと許されていいはずがない!畜生、姉さんにゲーム時間延ばしてもらえないか交渉する必要がありそうだ。
「俺帰ろうかな」
「お見舞いする気ゼロだな、いっそ清々しいけど」
ゲームができないなら用はないと言わんばかりの態度に一回グーパンしてやろうかとも思ったが、俺が良樹に喧嘩で勝てたことなんて一度もないため自重する。こいつは喧嘩だけは強いし、頭もいいし顔もいいだけの男なのだ。
――やっぱり一回殴っとこうかな、許される気がするんだよな。
「そう言えば、さっきどこ行ってたんだよ」
「さっき?」
「廊下で馬鹿みたいな行動する前」
「馬鹿言うな」
確かに反省すべき点ではあるけれども、ここまで馬鹿を引っ張られる行動ではないと俺は思う。しかし彼は「馬鹿だろ」と若干眉間に眉を寄せて言うものだから、それ以上の反論はやめた。
それよりも、どこに行っていたか、の答えである。これは馬鹿正直に答えても大丈夫なのか、そこが重要だ。彼のことだからナンパしたのかとか言ってきそうであるし、余計な詮索をされて出会いの経緯まで知られたら警察に突き出されるかもしれない。それなら隠し通した方がいいような気がしている。
それに、こいつはなんだかんだ心配性だからな。
「売店」
「何も買わずに戻ってきたのか?」
変に鋭いんだった、こいつ!
心の中で大きく叫ぶ。どうか口に出さなかったことを褒めてほしいところである。
自慢ではないが俺はどうも嘘が下手らしい。姉曰く「確信をつけば一瞬」だそうだ。俺自身は決して白状しているわけではないのだが、姉と良樹にはいつも一瞬でバレてしまう。
黙って、窓の外へと視線を逸らす。灰色が混じっていた空はいつの間にかオレンジ色に変わっており、灰色もオレンジに染められている。
今の時間帯に白石さんのところへ行けば、いつもと違う色え答えられるのだけれど。ところで何かいい言い訳はないだろうか。
「で、どこ行ってたんだ?やましいことでもあるのか」
「べ、別にやましい気持ちで白石さんのところ行っては」
あ、と思ったときにはすでに良樹の顔から感情が消えていた。つまりドン引きしたようで、俺を軽蔑の眼差しで見つめていた。白石さんのことを考えてしまったのがいけなかったのだろう、口が滑ったとはまさにこのことだ。
「那津、お前……学校サボってる間に女と遊んでたのかよ」
「言い方!そう言うと思ったから言いたくなかったのに!」
興奮しすぎて熱くなった顔に両手で風を送りながら横目で彼を見ると、それで?と言いたげな顔でこちらを見ていた。日も落ちてり、薄暗くなった室内でも分かるその顔に頭を抱えたくなる。
良樹も部屋の薄暗さが気になったのか、立ち上がり部屋の入り口付近にあるスイッチを押して明かりをつけてくれた。突然明るくなった室内に目が一瞬チカチカし、椅子を引く音で彼が再び椅子に座ったことが分かる。
どうせなら、このまま帰ってくれたら良かったのに、と思ったのは流石に言わない。
「まぁ、ちょっと色々あって2個隣の白石さんって人と仲良くなって」
「色々?」
「色々、以下略、カクカクシカジカ」
「説明する気ねぇな」
流石に出会った経緯は言わないよう気を付ける。彼は若干不服そうにしていたが、溜息を一つつき、言及を諦めたようだった。
再三言っているが、俺はまだ不審者扱いされたくないし、良樹は確実に不審者扱いをする。そしてしばらくネタにする。それが分かっていて口を滑らす馬鹿などいないのだ。さっきは滑ったけど。
すると良樹は突然立ち上がり、扉の方へ歩き出した。とうとう帰るのかと思ったが、床に置きっぱなしの鞄はそのままである。
「ちょっくら行ってくるわ」
「は?どこに」
「その白石さんとやらの所に?」
「はぁ!?」
思いがけない言葉に、危うくベッドから滑り落ちそうになった。
いかんいかん、ここにきて怪我を増やすわけにはいかないのだ。せっかく退院間近だと言うのに、そうだ退院のこと白石さんに言わないとだな。いやいやそんなことより。
「待て待て。ねぇ、お願い待ってください!」
「いいだろ挨拶行くくらい」
「よくねぇよ!」
今にも外に出て行きそうな良樹をベッド上から必死に止めるこの光景はさぞ滑稽だろう。
俺だって怪我さえしていなければ全力で走って全力で止めるのだ。実際全力で止めたところで俺の腕力では彼に勝てないのだろうが。
「ほら、そこへ戻るんだ、ハウス」
「おれは犬か」
彼は先ほどよりも大きな溜息を吐いて、元の位置へと戻った。そして俺を見るその目は真剣そのものだ。
「どんなやつなんだよ」
「普通の人だよ、多分年上の。ただ」
少し言葉を濁した俺に、彼の眉間にもシワが寄る。しかし、彼女のことをペラペラと話していいものなのかと思ったのだ。俺自身、詳しく知っているわけではないのだから。だからと言って彼や、姉に心配をかけてしまうのは一番良くない。ならば言ってしまうのがいいだろう。
「目と耳が悪いみたいで、ほぼ会話できないんだよね」
俺の言葉に彼は黙り込んだ。いきなりこんな話をされて戸惑っているのだろう、その気持ちはわかる。俺が同じ立場だとしたら、なんて言うのが正解か分からないのだから。
「……それ、どうやって出会ったんだよ」
「そこに戻るのか」
確かに彼の言い分は一理ある。しかし今はそこではないと思うのだ。付け加えて言うと、できればそこに触れてほしくなかったというのが一番の想いであった。だから良樹と話すと色々ボロがでるのだ。こいつ誘導尋問の天才なのか。
「会話もできねぇじゃん」
「あ、それは手書き文字使ってるんだけど」
首を傾げる彼の手を差し出してもらい、実際に手に文字を書きながら簡単に手書き文字についての説明をする。
と言っても俺も最近知ったばかりで、白石さんに迷惑かけることばかりなんだけどね。とりあえず『宿題、写させて』と書いてみる。私情しか込めていないのは言わずもがなである。
「なるほどな、何書いてるのか一切分からなかったわ」
「嘘じゃん、そんなわけないでしょ」
疑いの目で見つめると、逆に彼に手を取られ、俺の手のひらに何かを書き始めた。いつもは自分が書く側あった為、目の前で手のひらに何かを書かれると言うのは変な気分である。これなら背中に書いてもらった方が集中できそうな気がする。
一文字、一文字書かれていく言葉に集中しようと試みるが、手のひらがくすぐったくて中々集中ができない。そうこうしているうちに、書き終わったのか、彼は手を下ろした。
「何も分からないんだけど」
「だろ?」
こんなにも伝わらないものなのかと、改めて手書き文字の難しさを感じた。一見そんなに難しくなさそうなのだが、慣れるまでは難しいと思う。しかもくすぐったい。これに関しては駄目な人は多分できない会話方法だろう。他の方法に比べたら、簡単ですぐ実践できる方法ではあるのだけど。
「もっとどうにかできないかなぁ」
「なにが?」
「手書き文字、難しいじゃん」
「あー」と言って考え込む良樹の姿を横目に俺も頭をひねる。まさか彼が、こんな真剣に考えてくれるとは思っていなかった。
「慣れれば問題なさそうだけどな」
「そうなんだろうけど、向こうもあんま慣れてないみたいでさ。でも会話は続くわけ」
「後天性なわけ?」
なぜバレたのか、それに関してもう驚きはしない。俺は極めて冷静を装う。
「結構ゆっくり書くから、俺でも何書いてるか分からなくなるんだけど」
「那津が理解できてない文字を、あっちは言葉の意味まで理解して会話してるわけだろ?俺ならもう二度と話さないな」
「最後が余計なんだけど!」
「黒岩さーん、ご飯ですよー」
扉はノック音と同時に開かれ、看護助手さんが夕食を運んできてくれた。良樹はそのまま助手さんに頭を下げて、鞄を持ち部屋の前まで出る。
「じゃあ俺帰るから、また明後日な」
「うん、今日はありがと」
片手をヒラヒラさせて去っていく後姿に、少し物悲しく感じてしまうのは外が夕闇に染まっているからだろうか。
助手さんは食事を置いて、すぐに部屋から出て行った。他の食事も配らないといけないため忙しいのだろう。俺は目の前にある焼き魚を見て小さく息をつく。
魚は嫌いではないが、肉を食べたい気分だったのだ。基本毎日食べたいけど。焼肉なら毎食食べても飽きないと思う。
「さて、白石さんには明日言うとして。とりあえずご飯食べよ」
その言葉に呼応するように腹の音が大きく響いた。ご飯を食べた後は姉にクレームの連絡でも入れるとしよう。




