62.偽色➂
正直、近所のスーパーやネットショッピングでしか猫用品を飼わない為、こんなに広いペットショップを見ること自体が初めてだった。姉さんはあるのかも知れないが、俺はほとんど遠出しないのだ。
「これも買っていこうかな」
那珂さんは必要な物を買いに犬コーナーをウロウロしており、俺たちはそれを横目に子猫や子犬を眺めていた。
こんなに小さい猫や犬を見るのは久し振りで、とても癒される。しかし、白石さんはちゃんと楽しんでいるのだろうか。
「抱っこしてみますか?」
ゆっくりとガラス張りの中にいる子猫や子犬を見ていると、店員さんから声をかけられた。買う気もないのに抱っこするのも、と思い断ろうかと思ったが、小動物を触って感じることなら彼女も出来るのではないかと思い至る。
「あ、えっと、お願いします」
「はい、どの子にしましょう?」
白石さんは猫と犬どっちが好きなのか、そんな質問をしている暇などあるわけもなく、全ては俺の判断に委ねられているわけだ。
何も考えていなかったので、若干焦ってしまう。ここまで来ると、どの子も可愛いのがいけない気がしてくる。
「この子で」
取り敢えず、目の前にいたクリーム色っぽいアメリカンショートヘアの子猫にした。猫なら家でも飼ってるし、慣れているから色々大丈夫のはずだ。
「アメショの子ってグレー以外の色もいるんですけど、可愛いですよね。あ、こちらにお座りください」
店員のお姉さんに促され、俺たちは近くにあった椅子へと腰を下ろす。
言われてみれば俺はグレーしか知らなかったので、明るい色のアメリカンショートヘアは初めて見る。
『ねこ、さわれる』
「触れるの?」
指名の子猫が来るのを待つ間に、白石さんへ状況を伝えると少し表情を明るくしてからキリっとした顔へと変えた。嬉しいのを隠さなくてもいいのに、と俺は思わず吹き出す。
「お待たせしました、彼女さんのお膝でいいですか?」
「かの……!?」
満面の笑みでとんでも発言をした店員を見やると、やはりいい笑顔だった。俺は取り敢えず頷くだけで返事をして、ゆっくりと彼女の膝へと子猫が下ろされる様子を見つめる。
良樹もいるはずなのに、なんで彼女に見えたんだ。いや、てか良樹はどこ行った。なんで居ないんだ。居なくていいのか、こんな所を見られたら確実に揶揄われる。そんな事より、俺たちカップルに見えるのか。
「ふわふわ、してますね」
「気持ちいいですよねぇ!」
1人で悶々と考えている間に、白石さんは緩んだ表情で子猫を撫でていた。
大人しい性格なのか、白石さんに撫でられているのが気持ちいのか、子猫は膝の上で座って目を閉じる。そこだけ陽だまりの中にいるような、そんな優しい空気が流れていた。
「黒岩君も触らない?」
膝の上で気持ちよさそうに寝ている子猫を起こすのは忍びない気もするが、彼女に言われた通りに子猫の頭を撫でる。すると驚いたようで、ビクリと身体を震わせた。
「ご、ごめん!」
「彼女さんの膝の上が気持ちよかったのかもですね」
店員さんは優しく笑ってくれており、再度触ってみると今度は俺の指の匂いを嗅ぎ始める。少ししてスリスリと寄ってきた頬に、表情筋が溶けた。
「かっわいい……!」
猫は既に家にクロという家族がいるが、この子もお持ち帰りしたくなる。しかし目を反らせない現実というものもある。
「では、戻しますね」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございました!」
ウン十万、果たしてゼロが何桁の世界なのか、その先は深淵の中なのだ。そんなもの直視すれば俺の目が潰れる。
ごめんよ、俺が大人になって財を手に入れたら、その時は一緒に帰ろうな。
「あ、ナツ君。そろそろ移動しようか」
なんとなく寂しそうにこちらを見ている気がした子猫と、哀しい別れをしているところに那珂さんが戻ってきた。
必要な物は買えたようで、手には買い物袋が1つ握られている。そして、その後ろから良樹も戻ってきた。
「良樹、どこ行ってたんだよ」
「そこで休憩してた。お前のニヤケ顔はばっちり見たから安心しろ」
指をさした方には、椅子が並んでおり休憩に使うお客さんがチラホラ伺えた。
しかし、今はそんなこと、どうでもいい。良樹に今の一部始終を見られていたことの方が問題だ。
「お前、どこから」
「最初から最後まで、しっかり」
最初も途中も最後も見られて嬉しい場面なんて1つも無かったのに、全て見られていたとは一生の不覚というやつだ。自分の事で一杯一杯で、彼の居場所を把握していなかったのは大きな過ちだった。
「それより、2階に上がってみようか」
那珂さん的にはどうでもいい会話だったのか、パンフレットを片手にそそくさと歩き出す姿は容赦がないと言えるだろう。
俺は大きく息を吐き出し、熱くなった顔を冷やそうと手でパタパタと仰ぎながら那珂さんの後を3人で追いかけた。
「どこか見たいところがあるんですか?」
「特にないけど、どうせなら散歩でもしようかなってね」
人々が行き交う店内では、多くの洋服店が目に入る。普段服は姉さんが買ってくるので、数々のお洒落な服に目がチカチカしてしまう。
1着5000円って、ただの布にお金がかかり過ぎではないだろうか。
「あ、新機種」
良樹が携帯電話が並んでいるコーナーで足を止め、展示してあるスマホを触りだした。それに倣い、彼の横から覗き込めば、綺麗で大きな液晶画面が見えた。俺が持っているパカパカとは違い、動きも滑らかだ。
「そう言えば、ナツ君はスマホにしないの?」
「まぁ、今の携帯で困ってることもないので」
「そっか。それにしても、最近のスマホってカメラ性能が良いいよね」
那珂さんも、良樹の隣にあった一回り大きいサイズのスマホを手に取りシミジミと言った。今の携帯でも写真は撮れるが、スマホほど綺麗には撮れないのは仕方がないことだ。
俺には写真の良し悪しは分からないけれど、白石さんから貰った写真は好きだなと思う。
『今、スマホ』
2人は夢中になってスマホを弄っているため、手持無沙汰になった俺は白石さんへ状況報告でもしようかと良樹から離れた。
しかし、目の前から歩いてきた人物に目が奪われる。
「さ、たけ……?」
「く、黒岩君?」
俺が名前を呼んだ彼も、こちら見て目を見開く。
昔とは違い前髪で顔を隠してはいないが、俺よりも低い背丈に、変わらないおかっぱ頭。遠慮がちに、こちらを見る目は昔と変わらなかった。
「佐竹、お前なぁ」
「いや、たまたま用があって、わざとじゃ」
こちらの様子に気が付いた良樹が振り返った瞬間、目つきを鋭くして佐竹を睨みつける。
中学のころから変わらぬその態度に、何度威嚇するなと注意したことか。懐かしい気持ちと許せない感情、そして安堵が自分の中にあった。
「良樹、佐竹と会ってたの?」
ただ気になったのは、良樹の態度だった。まるで佐竹の存在に驚いていない。いや、良樹はどちらにしろ驚いたりはしないのかもしれないけど。
「いや、俺は」
「黒岩君、謝りたいことがあるんだ。これは僕の自己満足かもしれないけど」
珍しく言葉を詰まらせる友人の後ろで、佐竹は言葉を紡ぐ。
しかし、俺は何も聞きたくはない。今さら何を謝ると言うのか、俺に何を許せと言うのか。俺はずっと変わらずに、ただ何も。
――謝る? 違う、佐竹は何も……いや、違わない。佐竹のせいで、俺は。
「俺、帰る」
白石さんに掴まれていた腕を振り払って、駆け出す。どこに出口があるのかも分からないが、ただこの場を離れたかった。
「は? おい、那津!」
後ろから良樹が呼ぶ声が聞こえるが、追いかけてくる気配はなく声はどんどんと遠くなった。
エスカレーターを掛け降りて、たくさんの人を押しのけて出た外は、嫌味なほど雨が降っていた。でも、そんなことは今の俺には関係なかった。寧ろ丁度良いとさえ思う。
それは昔、嵐の中を必死に走っていた頃とは違う。雨の中、俺はただ目的もなく走るだけだった。
次からは、しばらく黒岩君の過去編に入ります。恐らく、ここで黒岩君のことが全てわかると思いますので、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
次回は9月18日22時に更新予定です。
よろしくお願いします。




